閑話 マーガレット
今日はここで一日魔法の研究をする。
エリザベスがそう言うと、ウィリアムとギデオンは大人しく帰って行った。
あのしょんぼりした様子はまるで主に構ってもらえなかった犬だな、とマーガレットは笑ってしまう。
「……またずいぶんと顔の良い男を侍らせたものだね?」
ギデオンは野蛮な風貌だが、顔は良い。むしろその野蛮さが癖になる女子も多そうだ。
そして今日やってきたウィリアムは優男風。ギデオンとは正反対の見た目だが、こちらもまた良い男。むしろギデオンばかり見ていては胸焼けするから一種の清涼剤となるだろう。
「キミはハーレムでも作るつもりかな?」
「いやいや、あの二人は私に恋愛感情など抱いていないでしょう」
「…………」
本気でそう思っているのか、淀みなく答えるエリザベスであった。ウィリアムとギデオンは泣いていいと思う。
いや、今重要なのは思春期男子の恋愛感情ではなく、『ハーレム』という言葉だ。
ハーレム。
かつてオークに滅ぼされた人間の国の王が築き上げたという楽園。後宮。男のロマン。王宮の一角に作られたその空間には多種多様な美女が集められていたという。
ここで重要となるのがはハーレムの倫理的問題……ではなく、ハーレムという言葉そのものだ。
この国にも後宮や后宮という言葉はあるが、『王が複数の女を集めて囲んだ場所』などというものを表現する言葉などない。そもそも人間の国のほとんどは一夫一妻制なのだから。妾を囲うことはあっても、それを公にすることはない。
だというのにかの国ではむしろ『ハーレム』を王の権威として誇ってすらいたという。
すでに滅びた国の奇っ怪な風習。文献には残っているが、その文献がこの国の言語に翻訳されたことはないはずだし、マーガレットもわざわざ大陸から原文を取り寄せたのだ。はたしてこの国で、マーガレット以外にその文献を読んだことがある人間がいるかどうか……。
だからこそ、そこにしか記されていない『ハーレム』なんて言葉は普通理解できないはずだ。
だというのにエリザベスは当然のように受け答えしている。まるでハーレムという言葉が常識であるかのように。一体どこでその言葉を知ったのか。
(まったく、底知れない子だよキミは)
弟子に対する興味をさらに深めつつ、今はそれよりも確認しなければならないことがある。
「ウィリアム、だったかな? 彼にはどこまで教えるつもりなんだい?」
「近いうちに教えてもいいと思います」
「ほぉ。ずいぶんと気に入ったようだね? ギデオン君でもここまで早くはなかった」
「むしろギルでの経験が生きたと言いますか。やはり隠し事をする必要のない、信頼できる人間というのは側にいて心地いいですし」
「ウィリアムは信頼できると?」
「今までは少々悩んでいましたが、師匠とのやり取りを見た今となっては、信頼できると思います」
「…………」
ウィリアムは言った。利害を考えてエリザベスの側にいるわけではないと。将来の出世でも、金銭欲でもなく、エリザベスの見た目を気に入ったからでもないという。
いや、彼の場合はエリザベスの外見も気に入っているだろうが、重要なのはそこではない。
よく分からないと彼は言った。よく分からないと前置きした上で――殿下のお側にいると、予想外のことばかり起こって楽しいと語った。
なるほど。マーガレットはその答えを気に入ったし、エリザベスもそうであるようだ。
そして、彼の言葉は本心からのものだとエリザベスはその瞳で視た。
「私は信頼できると思いました。師匠は、どうでしたか?」
わざわざ尋ねてくるのはまだ自分の『力』を信頼できないのか、あるいはマーガレットのことを信頼しているが故か。
「……そうだねぇ」
ウィリアムが部屋に入ってきたとき。マーガレットは机に向かうふりをしながら眼鏡を少しずらし、ウィリアムをその『瞳』で観察した。
――鑑定眼。
持っているだけで魔導師団に勧誘されるとすら言われる希少スキル。そのランクによってできることに違いはあるが、マーガレットの鑑定眼は人の本質すら見抜くことができた。
例えば、わざわざ瞳の力を発動させなくてもその者の纏っている『色』で大体の性格を読み取ることができたし、魔力を通せばある程度の読心も可能としていた。
もちろん読心術まで行くと負担が大きいため、まず彼女はウィリアムの『色』を見た。
混じりけのない青。とでも言おうか?
本質としては生真面目で、清廉潔白で、だが融通が利かないわけでもないと言ったところか。少なくとも裏切りの兆候はないし、それはエリザベスも分かっているだろう。
ちなみにギデオンの『色』は情熱的な赤。真っ直ぐで、情熱的で、少し融通は利かないが『主』の言うことは素直に聞く。
さらに言えば宰相閣下は意外なことに白色であるし、国王陛下などはくすんだ銀色だ。
そして。
エリザベスの『色』は――黄金。
眩くて。眩しくて。瞳の力を抑える眼鏡をしていなければ目が潰れてしまいそうなほど。輝く栄光。国家の希望。まず間違いなく歴史に名を残す、我らが|偉大なる未来の女王陛下。
彼女の行く末には困難ばかりが立ちふさがるだろう。
そして、その困難のことごとくを打ち倒して征くのだろう。
しかし、今はまだ。
尊大なる父王の庇護を受け、少女としての時間が許される時期だ。
――どうか。未来の忠臣たちと共に、健やかに成長なさってください。
そう願わずにはいられないマーガレットであった。