公爵令息ウィリアム
――グロリアス。
偉大なる連合王国の首都、レイオン。
その中心にそびえる王城の一角。
廊下を早足で進むのは、ウィリアム・エクセター侯爵令息だ。
まだ17歳ながら将来の宰相の座を確実視される秀才。
眉目秀麗。大学では主席の座を譲ったことがない。しかも実家は代々宰相に任命されているエクセター侯爵家。これだけの好条件が揃っていれば女性から引く手あまたなのであるが……当の本人にはそのような浮いた話はなかった。
偉大なる父に少しでも早く追いつくため女に現を抜かしている暇がない、だとか。実は領地に思い人がいるため浮気をしないだけ、だとか。あるいは、実は男が好きだから、だとか。多種多様な噂で社交界を(不本意ながら)楽しませている男であった。
そんなウィリアムは緊張の面持ちでとある部屋の扉をノックした。――宰相執務室。王国の内政を取り仕切る重要人物であり、ウィリアムにとっては実の父が仕事を行っている部屋だ。
実の父。血を分けた家族。とはいえ、それでこの緊張が和らぐことなどないのだが。
「父上――いえ、エクセター侯。ウィリアム・エクセターまかり越しました」
「うむ、入れ」
扉に阻まれ少々くぐもった声を聞いてから、深呼吸。覚悟を決めたウィリアムは下品にならない程度の勢いでドアを開けた。
――威圧感。
いいや、もはや殺気とすら呼べるかもしれない。
そんなものを実の息子に叩きつけているのが、栄えある宰相。エクセター侯、リチャード・エクセターであった。
白いものが混じり始めた髪を一分の隙もなく後ろになでつけた姿に、服装はポピュラーなコートとボトムススタイル。
最近の流行は正装であっても僅かながらに着崩すことであり、特にクラバット(ネクタイ)の巻き方で個性を出すのが一般的になっているのだが……クラバットはもちろんのこと、ウエストコートやコートに至るまで乱れのない『お堅い』着こなしであった。
眼鏡の下から覗く眼光は鋭く、獲物を狙う猛禽類のよう。
肌色は悪く、頬は痩せこけ、唇に生気はない。王宮における幽霊の噂話の一割はリチャードが原因ではないかとまことしやかに囁かれるほどの不気味さ。眉目秀麗と名高いウィリアムとは似ても似つかないのだが……それでも、不思議と似た雰囲気の親子であった。
「学業は順調なようだな」
雑談もせずにいきなりそんなことを確認してくるリチャード。……いや、彼からしてみればこれこそが『親子の雑談』なのかもしれないが。
「はい。努力の甲斐もあり主席を維持できています」
「情けない。大学程度の勉強で『努力』をしなければならんとは」
「…………」
どうやらこの人に『謙遜』という概念は理解できないらしい。まったく堅苦しいことだとウィリアムが小さくため息をついていると、
「だが、その努力が実を結んだということか」
「と、言いますと?」
「お前の学業成績に国王陛下もたいへん満足されていてな。――王女殿下の家庭教師に、という話が持ち上がっている」
「家庭教師、ですか?」
「うむ」
「しかし、自分はまだ学生の身。王宮であれば優秀な女家庭教師や貴族夫人を教育係として準備できるはず。なぜ自分なのでしょうか?」
さらに言えば、教育係をするなら王女殿下と同性である方が何かと都合がいい。なぜ男性である自分をわざわざ選ぶのかとウィリアムは訝しみ……一つの可能性に思い至った。
――婚約者候補。
つまり、ウィリアムを王女殿下のお相手に、と画策しているのだろう。
たしかに自分は未婚であるし、婚約者もいない。『家』の決めた結婚相手を拒否することも不可能。むしろ王女殿下という当たりが来たことを喜ぶべきだろう。
だが、王女殿下はまだ9歳であったはずだ。
17歳であるウィリアムとは8歳差。貴族的には珍しくもない年の差ではあるが……しかし、まだ9歳の少女を結婚相手として見ろというのは無茶な話だろう。特殊な性癖があるならともかく……。
と、思考を加速させるウィリアムであるが、そんな彼の予想をリチャードは容赦なく切り捨てた。
「並みの人間では相手にならん」
「……は?」
「今まで教育係として選ばれた人間は10人。そのことごとくが自らの実力のなさを思い知り、教育係を辞してしまった」
「…………」
まさか、そんなことはないだろうとウィリアムは疑ってしまう。王女殿下の教育係に選ばれるのだから、相応の実力者か経験者が選ばれるはずだ。……たしか、噂では社交界の華にして知識人としても一目置かれるガーランド公爵夫人もいたはず。そんな彼女たちが、自らの実力のなさを思い知ったと?
王女のワガママに付き合いきれなくなった教育係が、王女を批判することを憚り、表向きは自らの実力のなさを原因として逃げ出したのなら話が分かるが……。
(いや、あの王女殿下に限ってそれはないか)
わずかに首を横に振るウィリアム。
そんな彼の思考を読んだかのようにリチャードが問いかけた。
「お前は、王女殿下についてどれだけの知識がある?」
「……直接お言葉をいただいたことはありませんので、他の者が知っている噂話程度しか」
「それでもいい。話してみせよ」
「はい」
自分の中の王女に関する情報を整理するウィリアム。その過程で、彼は王女殿下のお姿を思い出した。
あれは数ヶ月前。王女殿下の誕生記念パレードでのこと。高位貴族の息子として上等な席を準備されたウィリアムは、比較的近くでそのお姿を拝見することができた。
絶世。
などという言葉ではとても表現できないほど美しい少女だった。
冬の日の月光を閉じ込めたかのような、わずかに光り輝く銀髪。
心身の清らかさを表現したかのような白い肌。
幼い少女らしい可愛らしさがありながらも、すでに王族としての決意が宿っているかのような『強い』青色の瞳。
そして、横に長く伸びた耳。
それは神話の時代の物語。我が国の初代国王は自らを導いてくれたエルフと結ばれ、末永く幸せに暮らしたという。
以後、王家には時折エルフの特徴を有した『先祖返り』が生まれるようになった。
「王女殿下は、エルフの先祖返りであらせられるとか」
「うむ。あの美しさに、耳。そして魔力の量と質からしても確実だろう。他には?」
「学業成績が優秀。礼儀作法も問題なく。性格も穏やかで優しいと――」
「そのようなくだらぬ噂など、どうでもいい」
「……あとは、攻撃魔法が使えないとか」
「うむ」
肯定か。ただの口癖か。どちらであるかイマイチ判断できないウィリアムであった。
――国王の資質とは何か。
その問いかけがされたとき、ある者は慈悲の心だと答えるだろう。ある者は施政者としての覚悟と答えるだろう。国王に求める資質はそれぞれに異なり、十人いれば十人が違った答えを口にするはずだ。
だが、それでも。ほぼ全員が同意する必須事項というものがある。
それこそが攻撃魔法。
たった一人で敵軍を殲滅すること。あるいは、敵国の王の攻撃魔法を打ち消すこと。それこそが我が国最高の『血』を積み重ねてきた王族に求められることであり、その大前提をクリアした上で、慈悲の心やら施政者としての覚悟やらを人々は求めるのだ。
だというのに。
王女殿下は、その大前提となる攻撃魔法が使えないという。
それに関する噂もウィリアムはいくつか耳にしていた。そもそもエルフの魔力が攻撃魔法に適していない。心優しいからこそ人を傷つけることを無意識に避けている。あるいはまだ幼いから力を使いこなせていないだけ、等々。
成長に伴い攻撃魔法も扱えるようになれば何の問題もない。だが、もし大人になってからも使えなければ……王位継承権争いにおいては致命的だろう。そもそも候補にすら挙がらないか。
当たりか、外れか。今の時点では分からない。
そんな王女殿下の教育係に自分が……。父リチャードは「並みの人間では相手にならん」と言うが、やはり実際には婚約者候補なのではないかとウィリアムは疑ってしまう。
我が家に女子がいない以上、国母をエクセター家から出すことは叶わない。ならば王女殿下をエクセター家に迎え入れ、王家との血のつながりを強化する。しかも自分が義兄となれば次代の宰相に選ばれやすいだろう。
そう結論づけるウィリアム。
そんな彼の様子を、リチャードは少し呆れた目で見つめていた。
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