序章 〇〇年後の大会戦
戦場に、男たちはいた。
生きては帰れぬだろう戦場だ。
大陸の覇権を賭けた一大会戦。まず間違いなく歴史に名を残すことになる陸戦の、中心。
彼らの眼前に陣取るは――白銀。
泥と煤で汚れた戦場にありながら、なおも日の光を反射して輝く白銀の鎧。細部が金で装飾された華美な馬具。ユニコーンの血を残すと伝わる白き駻馬。
――ガリアス帝国の誇る、白銀騎馬軍団。
その突進力は拒馬(馬防柵)すら薙ぎ倒し、その勇猛さは銃兵隊すら退かせ、個々人が魔術師として馬上で魔法を振るう……一軍で以て戦局を左右しうる最精鋭だ。
何度、負けてきただろう。
幾度、戦局をひっくり返されてきただろう。
古参兵ばかりが集められたこの陣地には、その分『白銀』に辛酸をなめさせられてきた男たちが揃っていた。何度も負け、幾度となく逃げ延び、ずるずると生き残ってしまった『情けない』男たちの集団だ。
だが、その幸運も今日限りか。
生きては帰れぬだろう。
生きて帰るつもりもない。
我らの背後には陛下がいる。
親愛なる女王陛下が陣取っておられる。
なればこそ。
彼らの心は決まっていた。
「――ご下命! 女王陛下のご下命である!」
美しき白馬に乗った伝令兵が大声で陣地の周りを駆け回る。
「一歩も引くな! 女王陛下からの厳命である! 一歩たりとも後退は許さぬ! いいか! 貴様らの後ろには女王陛下がおわすのだ! 女王陛下が貴様らを選ばれた! その御恩に感謝し――死してなお壁となれ! 肉壁となって陛下をお守りしろ! それこそが陛下のお望みである!」
言いたいことを言い放ってから伝令兵は本陣へと帰っていた。女王陛下のおわす本陣へと。
幼い頃から側近候補として育てられ、上等な教育を受け、戦場にありながら煌びやかさを失わない近衛の騎士。
対する男たちは田舎に生まれ、食い扶持を稼ぐために傭兵となり、名もなき兵士の塊として死んでいくのだろう。
悔しいという思いはある。怒りはある。不満もある。
だが、今の彼らには、小綺麗な近衛騎士様でも中々得られない最大の栄誉が与えられようとしていた。
かの女王陛下をお守りし、かの女王陛下のために死ぬ。王国の民にとって、これ以上の名誉があるだろうか。
「……へっ、言われなくとも分かってらぁ」
髪にずいぶんと白いものが混じった隻眼の兵士が煙草をくゆらせる。これが最後の一本となった恩賜の煙草。マズくて、湿気っていて、もう二度と吸いたくは無いと思っていた酷い味であるが……今このときは吸わずにはいられなかった。
肺の奥底までを煙で満たしてから隻眼の男が叫ぶ。ここまで付き従ってくれた部下たちへ向けて。
「おうお前ら! あの泣き虫の嬢ちゃんが勇気を振り絞って戦場にまでやって来たんだ! ――俺たちが守ってやるぞ!」
「……おう!」
「言われなくても分かってらぁ!」
「恩賞の心配もないしな!」
「死んだ方が家族のためってヤツよ!」
「はははっ、違ぇねぇ!」
「かかぁはいい女だからな! 俺よりいい男を見つけるだろ!」
自虐的に。それでも朗らかに。笑えるのは女王陛下を信じているからこそ。死んでいった兵士のために涙を流し、手厚すぎる保証をしてくださった陛下へ恩義を感じているがゆえ。
あの御方のためなら死ねる。
あの御方になら託せる。
この国を。愛する人を。大切な子供たちを。
これはただ、それだけのお話だ。
「おお! 見ろ! 女王陛下の攻撃魔法だ!」
誰かが歓喜の声を上げながら空を指差した。
それはまさしく、大地から落ちゆく流れ星。
日中にありながらなおも光り輝く流星は、今まさに敵の撃滅という夢を叶えるために敵陣へと放たれた。
奴ら白銀騎馬軍団が一軍で以て戦局を左右しうる最精鋭であるならば。我らが女王陛下は一人で以て戦場を焼き尽くす女神であらせられるのだ。
その攻撃を防ぐために、敵は魔導師団の総力で防御結界を張らねばならぬだろう。それだけで魔導師団の魔力は尽きるだろう。自らの意志で国王を処刑した野蛮人共では二度と手に入れることのできない、個人による大規模殲滅魔法……。
血の奇蹟。
王家の威信。
王国の民の誇り。
我らは女王陛下を愛し。
ゆえにこそ、陛下もそれに答えてくだされた。
何という美しい光景であろうか。
何という断末魔であろうか。
地上より放たれた流星群は、きっと多くの敵を焼き尽くしていることだろう。
だが、これで打ち止め。
もはや我らが女王陛下に魔力は残っていないはずだ。
そして小癪にも。白銀の連中は自身と魔導師団が張った防御結界によって女王陛下の魔法の大部分を防いだようだった。
魔導師団が白銀騎馬軍団を重点的に守れば、必然的に他の守りは薄くなる。敵軍の一部はそれによって大損害を受けたようだが……どうやら、敵の指揮官はそれを『是』としたようだ。
多少軍勢が目減りしても、白銀騎馬軍団が健在ならば勝てる。白銀騎馬軍団に対する絶対的な信頼がゆえの判断であった。
白銀に傷はなく。
きっと、奴らは真っ直ぐに突撃し、真っ直ぐに女王陛下を狙うのだろう。
ならば。ここから先は老兵の仕事。老兵の使命である。
「……いざ臣民よ」
誰からともなく彼らは歌い始めた。
親愛なる、偉大なる女王陛下を称える歌を。
――いざ臣民よ武器を取れ
我らが陛下はお怒りだ
卑劣な犬の裏切りに
我らが父王の灯は消えた
女王陛下よご覧あれ
今こそ我ら武器を取り
憎き仇を蹂躙せん
我らが捧ぐは我が命
我らが捧ぐは我が心
路傍にこの身が朽ちようと
我らが忠義に滅びなし
万波にこの身が沈もうと
海征く竜は倒れまじ
グロリアスよ、永遠に
我らが祖国よ、健やかに
偉大なる女王陛下
親愛なる女王陛下
――敵が来る。
白銀色の死が迫る。
馬の嘶きは恐怖を呼び起こし、蹄の音はもはや戦場中の耳朶を独占した。
すでに地面は震え始め、立ちこめる砂埃は敵の数を二倍にも三倍にも錯覚させる。
馬に踏みつぶされれば痛かろう。
銃で撃たれれば痛かろう。
魔法で焼かれるのは痛かろう。
死んでしまえばもう笑えない。
死んでしまえばもう美味い飯も食えない。
死んでしまえばもう女を抱くこともできない。
だが。
彼らの中に、逃げ出す者は誰一人としていなかった。
痛みは怖くない。
死ぬのも怖くない。
――ただ、女王陛下に呆れられるのは、怖い。
女王陛下が奴らに蹂躙されるのは、もっと怖い。
ならばここで壁となる。
女王陛下を守る壁となろう。
一人一殺が無理ならば、二人で。三人で。まとめて掛かれば、いくら『白銀』でも死ぬしかない。
それができる勇気はある。
それができる覚悟はある。
ならばもはや迷い無し。
女王陛下よ、我らが忠義をご覧あれ。
女王陛下よ、我らが最期をご覧あれ。
寄せ集めの老兵部隊。死に損ないの老人どもは、ここにあり。
そうして――
―― 一方的な虐殺が、開始された。
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