サブスクと三枝
三枝は欠伸をしながら事務所に入るとテーブルに置いてあったリモコンを手に取り、流れるような動作でソファにだらりと腰掛けた。
ボタン一つで真っ黒だった画面に色が付く。ホームボタンを押して配信の選択を始める。事務所のテレビは所長のララが加入している配信が見放題なのである。
(月額いくらになんだろ)
三枝自身は金も興味も雀の涙程度しか持ち合わせていないので、金額すら把握していなかった。ただ事務所にいるときは究極に暇(出勤してきているはずなのだが)で、惰性的に眺めることが多かった。
特に見たいものがあるわけではない。一昨日、ララが戻るまで流していたドラマの続きすらチェックするのが面倒で、ランキングに並んでいるタイトルを一通り流し見る。さして興味を引かれず選択することなく、スクロールしていった。
おすすめにはホラーものが多い。選択すると大体一度は見られている。映像娯楽に興味の薄い三枝だが、フィクションホラーはわりと好きだった(当社比)
『この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません』
お決まりのテロップが流れる。三枝的には、実物の人物や団体と関係があろうとなかろうと別によかった。どちらにしろ作られた映像の中に映っているものは万人が見られるのだから。それが幽霊だろうがなんだろうが。
テロップが流れ終わると、三枝はコーヒーを取りにソファから立ち上がった。インスタントコーヒーの瓶に手を伸ばす。スプーンも使わずに瓶を傾けカップにざらざらと落としていく。ポットを押して湯を注げば混ぜなくても溶けて黒くなった。この事務所には、本格的なコーヒーメーカーも置いてあるが、三枝は一人の時はほとんど使わない。セットすることすら面倒で、わざわざインスタントとポットを置いて貰ったくらいだ。砂糖もミルクも入れずに戻り、テーブルにカップを置いて、ソファへと沈む。
オープニングの途中だった。
最初の出だしはがっつりと見逃したことになるが、三枝は気にしなかった。コーヒーの味がする温かなお湯を胃に流し込むと、カップルの濃厚なキスシーンも流れていく。
洋画のホラーは見えないものに怯えるというよりも、理解の出来ない何かに理解の出来ない理由で殺されてしまう物理的な恐怖をホラーと捉えている節がある。血みどろのスプラッタ。
三枝はフィクションホラーを好むが、ララはフィクションのホラーには興味がないようだった。実録! と銘打っているものには飛びつくのだが、納涼的に恐ろしさを楽しむ楽しみ方をあまりしない。三枝も楽しんで見ているのかと問われれば、微妙と言わざるを得ないが。
スマホをいじりながら、たまにテレビへと目をやる。すでにストーリーも登場人物もほとんど分からない。主人公だと思っていた奴が死んだ。スタートデッド。
コーヒーの味のするお湯を啜る。
スマホにメッセージ通知。
『なんでもいいなら、シックスセンスでも見てろ』
映画好きの友人にオススメ映画をしつこく聞いたら、昔、三枝が珍しく「くだらない」と吐き捨てたことのある映画のタイトルを返された。
「……だる」
付き合いの長いこの友人は、三枝が映画に興味がないことを知っている上で聞いているのだと分かっている。聞いておいてろくな反応もしないことも。しかも、くだらないと吐き捨てた映画は、一押し映画としてわざわざ見せてくれたものだったのだから根が深い。
(あの頃は、俺も若かった)
三枝は三枝で、友人が今の時間帯が暇ではないことを知っていて、メッセージでだる絡みしていた。それに律儀に返信している時点で察していいだろう。三枝の友人は超がつくほどいい奴である。
三枝は、ぽいとスマホを放り投げてからテレビリモコンを取った。戻るボタンを押す。映画は全くの途中であったが、ほぼ見ていないようなものだったのだからどうでもいい。
検索画面を開く。
(確か前にショチョーが大号泣してたやつが……)
あまりにも感情を揺さぶられるように泣くものだから、あの時、三枝は思わず映画のタイトルを覚えてしまった。
「……」
リモコンで一文字一文字選択していく。かなり面倒臭い。
もういいかと途中で入力の手を止めて諦めたときだった。
明らかに関連性のないタイトルのサムネイルが、ぽつと異質に混ざった。よくあることと言えばよくあることだった。
入力を中途半端に諦めたまま出てきたタイトルたちを無造作にスクロールしていく。ぽつ、ぽつ、と異質なサムネイルが何度も何度も、スクロースする度に現われる。通常、シリーズものでない限り同じタイトルが何度も出てくることはない。まして、増えることも。
「……バグかよ」
戻るボタンを押す。効かない。バグあるあるである。
三枝は躊躇なくテレビ自体の電源ボタンを押した。
消えない。
「あ?」
何度か強く押してみるも、反応しない。このタイミングで電池切れだろうか。だるすぎる。ソファから気怠げに立ち上がろうとして、出来なかった。フリーズしていた画面が、何の操作もしていないのに、また少しずつ動き出す。
ぽつ、ぽつ、ぽつ、とサムネイルが増えていく。見知ったタイトルに混ざっていた程度のものが、見知ったタイトルの方がたまに混ざる程度に。
少しずつ、少しずつ、増えていく。
怖くはなかった。
部屋もテレビも明るく、外の音は消えずに聞こえてくる。明るいまま、見たことのない異様なサムネイルが異様な速さで、目を逸らすことの出来ない目の前の画面を埋め尽くしていくだけだ。
動く指でいくつかリモコンのボタンを押す。効かない。
だが、教えられたわけでもないのに三枝は分かっていた。
(決定ボタン、いけるな)
思考と同時に指が動いた。それが三枝の意思だったのか、そうではなかったのかは、分からなかった。
異彩を放つサムネイルが、笑うように瞬いた。
「たっだいま戻りマシタヨ~!」
底抜けに明るく温度の高い声が、チリンチリーンとこれまた涼やかな鈴の音ともに事務所に雪崩れ込んできた。ぷつりとテレビ画面が消える。無意識に強張っていた三枝の体の力がどっと抜けた。
怖くはなかった。けれど、手は冷たくなっていた。
「千夏? ドウシマシタか?」
近くのパン屋の紙袋を片手に抱えたララが近付いてくれば、香ばしいパンの匂いがした。
「…………」
ちらりとララに視線をやったあと、ぐるりと広くない事務所内を見回す。変わったところはない。
一周してララへと視線を戻す。
「ショチョー、今さっき起こった怪奇現象の話聞きます?」
「聞きマスッ!」
三枝は、自身が見えないときはララに報告することにしていた。ララが三枝をアシスタントとして雇い続けている理由の一端である。
「こわかったんでー、あったけぇコーヒー欲しいっすわ」
半笑いの三枝がふてぶてしく言えば、ララはハッとして抱えていた袋をテーブルに置いた。コーヒーメーカーのコーヒーを淹れにいくのだと思った。だが、ララは置いた紙袋の代わりのように三枝を抱き締めた。
「……っ?」
ララの柔らかく温かな体温と華やかな香りが三枝を包み込む。
「ゴメンナサイ。配慮に欠けていまシタネ。もう、大丈夫ヨ。安心しテネ」
いつも彼女が何を根拠にそう言えるのか全くもって分からない。それなのに、彼女はいつも大丈夫だと思わせた。
「ガキじゃねぇんで、そういうのいいっす。まじで」
「怖くなくなった?」
ぽんぽんと背中を優しく叩かれる始末。
「オカゲサマデ」
よかった、と呟くとララは三枝と目を合わせてにっこりと笑った。
「おいしいコーヒー淹れて、一緒においしいパンを食べまショウ。待っててね」
「Vale」
三枝は再びソファに沈み込んだ。テレビのリモコンかスマホか、手を伸ばそうとして、やめる。大きなため息を吐いて、飲みかけのインスタントコーヒーの入ったカップを持って立ち上がった。
「ショチョー、今日の成果はどうだったんすか」
「聞いてくれマスか!? 千夏!」
嬉しげなララの声が事務所に満ちた。
オカルト事務所の所長であるララは、映画は観るが、三枝と違ってフィクションホラーには興味がない。ララのオカルトへの執着は、幽霊が現実の人間であるからこそ始まっている。だから、作り物のホラーには見向きもしない。
そこには彼女が見過ごしたくない相手はいないからだ。
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後日、検証として配信巡りに付き合わされたが、三枝の記憶は途中からなくなった。目が覚めたときには、ララがまた同じ映画で号泣しており、三枝は欠伸をしてから目を瞑った。