畏怖
自宅に戻ると留守電が入っていた。 自宅といっても警視庁が用意した調査期間中のアジトのようなものだった。
葛飾区金町駅のほど近いオフィスビルの事務所用店舗を住まいに使っていた。 だから部屋の中にはデスクがひとつと電話が一台、それとベッドとテレビがあるだけだった。
どうせならウイークリーマンションか何かにしてもらいたかったが、経費で落とす為の名目上、事務所の方が都合が良かったらしい。
留守電を入れた相手に電話をした。
「もしもし、吉村です」
「出かけてたのか? 状況はどうなんだ」電話の相手は上司である竹崎賢一だった。
「今のところ変化はありません」
「買春で補導された女子高生は遊ぶ金の為にやったとしか言わんのでな・・・」と竹崎が言うと
「そこから突いても難しいでしょう。こちらで何とかします」と言って電話を終わらせた。
吉村は正式な警察官ではなかった。だから厳密に言えば竹崎は上司ではない。あくまでフリーのルポライターが吉村の本業だ。しかし、警察が秘密裏に「特蝶室」を設置するに当たって方面本部長の「少年を悪から守りたい」という考えに賛同して仕方なく引き受けたのだった。
従って警察官の持つ権限は吉村に一切なく、一般警察官も「特蝶室」の存在を知らなかった。
ただ、その仕事を引き受けるにあたって吉村は条件を一つ出した。それは、警察官だけが習得できる「逮捕術」を特別に習得させてもらうことだった。
学生の頃から空手とボクシングをやっていた吉村は段位やプロライセンスは持っていなかったが、それは本人に興味が無かっただけのことで、実力はかなりのものだった。空手の破壊力とボクシングのスピードがあれば無敵だと思っていたが、警察の逮捕術を知ってから「逮捕術が地上最強の格闘技だ」と考えるようになった。
逮捕術は所謂、ルール無用の格闘だ。相手は刃物や武器を持って死に物狂いで向かってくる。そんな相手を素手でねじ伏せるなんて他の格闘技では絶対に不可能だと吉村は考えていたのだった。
何故、そこまで強くなることに固執するのかというと、常に仲間は自分が守るという強い信念からだった。
その気持ちと行動が、仲間からの信頼を集めたのだが、一方で「阿修羅の裕二」と異名をとる程の怖さも併せ持つ男だった。
ある時、集会場所に早めに着ていた後輩が所轄の交通課に持っていかれた。集会日程を聞き出すためにその警察官達は拷問に使い取調べをおこなった。 三和土に何時間も正座させ、尚且つ、膝の裏に木刀を挟ませ後ろ手に縛ったロープを首に回して下を向けないようにした。 その上で「暴発したってことで始末書を書けば平気なんだぞ」と言って拳銃の撃鉄を起こして後輩のこめかみに当てた。
その後輩と一緒に居た仲間の連絡を受けた吉村は鉄パイプ一本で単身、その警察署に乗り込んだ。 警察官達は鬼の形相で乗り込んで来た吉村に対し「何様だっ貴様は!」と取り押さえようとした。多勢に無勢と高を括っていた警察官達は単身、乗り込んできた吉村を侮った。
警察官は5人だったが本気で怒った吉村を抑えることは出来なかった。勿論、吉村も多少の負傷は負ったが、5人の警察官の負傷の度合いと署内の破壊状況は警察の威信を揺るがす程のものだった。
吉村に公務執行妨害が成立するのだが、警察官達が行っていた取調べ方法は明らかに違法だったこともあり、この件は署長により内々に処理された。
この一件以来、吉村に対しての信頼は絶大なものになり、仲間の人数は膨れ上がっていった。
他の暴走族から畏怖されていた吉村だったが、心底付き合える仲間との出会いもあった。 赤坂「スペクトル」の特攻隊長、浅倉数馬や喧嘩上等チーム「極楽」のリーダー宗政仙太郎だ。 この二人は今も仲間であり親友だった。