四一、ソノイの宿酒場
四一、ソノイの宿酒場
ライランス大陸の南端に位置する港町ソノイ。ドファリーム大陸への最短距離の航路を有している。
その港町を、昨日より、デヘル水軍が、ざわつかせて居た。
特に、宿酒場に居る船乗り達は、神経を尖らせて居た。何せ、航路が封鎖されるとなると、死活問題になりかねないからだ。
「お頭、デヘルの連中。沖合いで、集合してますよ!」と、鶏冠頭の男が、奥の席に居る中年の半魚族の男に、告げた。
「どうやら、事を起こしたようだな」と、中年の半魚族の男が、落ち着き払って言った。きな臭い噂は、前々から聞いていたからだ。
「お頭ぁ〜。あいつら、この町へも攻めて来るんですかねぇ〜?」と、穏やかな表情のブヒヒ族の男も、冴えない表情で、問うた。
「さあな。まあ、今後の動向を見守るしかないだろうな」と、中年の半魚族の男は、あっけらかんと言った。ライランスの国々への牽制だと考えられるからだ。
「以前からの嫌がらせは、連中が、戦を始める為の伏線だったのですかねぇ?」と、鶏冠頭の男が、口にした。
「かもな」と、中年の半魚族の男は、相槌を打った。近海を通る商船や漁船への嫌がらせが、増長していたからだ。
「海賊の方が、まだ、マシだぜ」と、鶏冠頭の男が、吐き捨てるように言った。
「まあな」と、中年の半魚族の男も、同調した。デヘルの暴挙は、日に日に、目に余っていたからだ。
「デヘルが、行動を起こしたとなると、ここで、燻って居る訳にもいかないでしょう」と、鶏冠頭の男が、眉根を寄せた。
「そうだな。俺としても、海の男としては、黙って居られないからな」と、中年の半魚族の男も、頷いた。これ以上、デヘルに、でかい面をさせる気など無いからだ。
「お頭、いつ頃、出るんですか?」と、穏やかな表情のブヒヒ族の男が、口元を綻ばせながら、問うた。
「そうだな。今晩、出発するとしようか」と、中年の半魚族の男は、即決した。穏便に動くとするならば、暗くなってからの方が良いからだ。
「しばらくは、この町へ戻って来れそうもないな…」と、鶏冠頭の男が、溜め息を吐いた。
「ミニッツ、感傷に浸って居る場合じゃないぞ。多分、この町の事を忘れるくらいに、忙しくなるだろうからな」と、中年の半魚族の男は、仄めかした。かなり、ヤバい仕事を引き受ける事になるからだ。
「お頭。そりゃあ、相手が、相手ですからね」と、ミニッツも、苦笑した。
「まあ、お頭の考えている事だから、悪いようにはならないと思っているぜ」と、穏やかな表情のブヒヒ族のが、にこやかに言った。
そこへ、「おう! 邪魔するぜ!」と、小柄なデヘル兵が、威勢良く入って来た。
その刹那、中年の半魚族のは、戸口を一瞥した。そして、背の低い小太りの若い男を先頭に、イナ族の弓兵とブヒヒ族の女魔術兵が、入って来るのを視認した。
「お頭、面倒な奴らが来ましたよ」と、ミニッツが、耳打ちした。
「気にするな。向こうが、何もして来なければ、俺らからも、何もしない」と、中年の半魚族の男は、右手で、円卓上の木の水飲みを持ちながら、淡々と言った。デヘル兵達に、気を遣う必要など無いからだ。
「そ、そうですね」と、ミニッツも、聞き入れた。
「俺も、気にしない気にしない」と、穏やかな表情のブヒヒ族の男も、あっけらかんと言った。
その直後、「いらっしゃいませぇ〜」と、給仕娘が、デヘル兵達の所へ、応対を始めた。そして、「空いている席なら、何処でも構いませんよ」と、告げた。
「おいおい。俺ら、デヘル帝国の兵士様なんだが、ちゃんと、親切に、席へ案内して欲しいものだなぁ〜」と、背の低い若い兵士が、威圧した。
「あのぉ〜。うちは、デヘル帝国領じゃありませんので、特別扱いはしませんよ」と、給仕娘が、愛想良く切り返した。
「ひゃははは! おい、聞いたか? 沖合に居る俺達の艦を、蜃気楼か何かだと思っているみたいだぜ」と、背の低い若い兵士が、おどけながら、嘲笑した。
イナ族の弓兵とブヒヒ族の女魔術兵も、作り笑いをした。
「そう。で、私が、怖がるとでも思って居るのかしら?」と、給仕娘が、何食わぬ顔で、問い返した。
「デヘルだぞ! デヘル!」と、背の低い若い兵士が、剥きになった。そして、「この店は、反逆罪で、真っ先に、標的にするとしようか…」と、口にした。
「お頭、あいつ、やりかねませんよ」と、ミニッツが、表情を強張らせた。
「かも知れんな」と、中年の半魚族の男は、淡々と言った。そして、「まあ、落ち着け」と、宥めた。デヘル兵の常套句だと判っているからだ。
「お頭、今回のは、本気かも知れませんよ」と、ミニッツが、意見した。
「今のうちに、叩き伸めした方が、良いかも知れないよ」と、穏やかな表情のブヒヒ族の男も、口添えした。
「はっはっは! ここは、俺に任せて貰おうかな?」と、半魚族の男は、したり顔をした。沖合に居るデヘルの艦隊の指揮官が知り合いならば、場を収められるかも知れないからだ。そして、「よっこらせ!」と、席を立つなり、背の低い若い兵士の方へ、歩を進めた。
間も無く、「おい、てめえ! 半魚族の出る幕は無いぞ!」と、背の低い若い兵士が、怒鳴った。
程無くして、中年の半魚族の男は、給仕娘の右隣へ立つなり、「私は、少々、確認をしたい事が有りましてね」と、用件を告げた。そして、「争う気は無いので、落ち着かれては、どうだろうか?」と、提言した。事を構えるのは、得策ではないからだ。
「確認?」と、背の低い若い兵士が、睨みを利かせた。
「はい」と、中年の半魚族の男は、柔和な笑みを浮かべながら、小さく頷いた。お供の異種族の兵士達の堂々とした態度が、気になっているからだ。
「ふん、何だ? 言ってみろ!」と、背の低い若い兵士が、ぶっきらぼうに、促した。
「えーと。あなたの所属艦隊の最高指揮官は、アーク提督じゃないですか?」と、中年の半魚族の男は、にこやかに、質問した。自分の推測が正しければ、異種族の兵士達の立ち居振る舞いにも、納得が行くからだ。
「ふん、そうだが! ウルフ族の分際で、調子に乗りやがってよ!」と、背の低い若い兵士が、不機嫌に、返答した。
「異種族の者の下で使われているのが、気に入らないのですね?」と、中年の半魚族の男は、機嫌を取った。デヘルの人間達は、異種族の者達を下に見ているからだ。
「ああ、気に入らんさ。キャプテン・ハークって言う海賊を殺ったからって、ウルフ族の野郎が、“提督”になるなんてよ!」と、背の低い若い兵士が、語気を荒らげた。
「なるほどね。でも、それなりの功績を残しているのですから、やっかみですよ」と、中年の半魚族の男は、指摘した。アーク提督の手柄には違いないからだ。
「メッティー兵長。今日のところは、出直しましょう」と、イナ族の弓兵が、進言した。
「そうですわ。私達も、とばっちりを食らうのは、ごめんですからね」と、ブヒヒ族の女魔術兵も、口添えした。
「アークの奴は、規則には厳しいからな」と、中年の半魚族の男は、頷いた。昔から、融通の利かない奴だからだ。
「イーグレットさん、向こうのお偉いさんの事を、ご存知なのですね」と、給仕娘が、冷やかした。
「へへへ。まあな…」と、イーグレットは、言葉を濁した。一応、世間的には、死んだ事になっているからだ。
「確かに、アーク提督は、規則にうるさいのは間違い無い。だから、沖合に、艦隊を停泊させる以外に、能が無いという風にしか見られて居ないだろうぜ」と、メッティーが、憎々しげに語った。そして、「アークが居なくなれば、デヘルは、いつでも仕掛けられるぜ」と、含み笑いをした。
「そういう事か…」と、イーグレットは、納得した。アーク提督が、進軍させないように、体を張っているのだと理解したからだ。
「兵長! これ以上、提督を貶めるような発言は、お止め下さい!」と、イナ族の弓兵が、苦言を呈した。
「そうですよ。文句を言うのでしたら、提督の前で言って下さい!」と、ブヒヒ族の女魔術兵も、同調した。
「本人を前にして言えりゃあ、苦労はしねぇよ!」と、メッティーが、悪態をついた。
「おい、眠らせろ!」と、イナ族の弓兵が、ブヒヒ族の女魔術兵へ、指示した。
「はい!」と、ブヒヒ族の女魔術兵が、即答した。そして、間髪容れずに、睡眠魔法!」と、唱えた。次の瞬間、渦巻き状の柄の部分が、赤紫色に、妖しく光った。
程無くして、メッティーが、その場で、ぐったりとなった。そして、寝息を立て始めた。
「人間だからって、中途採用の新人を、俺達の上司にすんなってんだよ」と、イナ族の弓兵が、ぼやいた。
「そうね。こんな奴の所為で、私達まで、野蛮に思われるんだから、いい迷惑だわ」と、ブヒヒ族の女魔術兵も、憎々しげに、同調した。
「提督の仰った通りだな」と、イナ族の弓兵が、溜め息を吐いた。そして、「ご迷惑を、お掛けしました」と、陳謝した。
「ほほほ。このお盆で、頭を引っ叩いて、伸してやろうかと思って居たところですわよ」と、給仕娘が、右手の五指で、口元を隠しながら、しれっと言った。
その瞬間、イーグレットは、身震いをした。相当、ご立腹の様子だからだ。
「ははは…」と、イナ族の弓兵が、苦笑した。
「で、この町へ、デヘルが攻め込んで来るって言うのは、本気かしら?」と、給仕娘が、質問した。
「いえ。メッティーが、勝手に喚いて居ただけです。それに、昨日付で、兵長として来たばかりの新参者ですので、名ばかりの役職の新人です」と、イナ族の弓兵が、説明した。
「私らが、名目上は、部下なのですが、実質は、メッティーの教育係ですわね」と、ブヒヒ族の女魔術兵が、補足した。
「ふ〜ん。そうなんだぁ〜」と、給仕娘が、納得した。
「俺達は、海賊じゃない。それに、アーク提督は、昨日から始めた侵攻には、加担しないそうだ」と、イナ族の弓兵が、口にした。
「でも、航行も許さないって事なんだろ?」と、イーグレットは、口を挟んだ。沖合で、何もせずに居るとは、考えにくいからだ。
「ああ。一応、海上は、封鎖させて貰う事になるけどな」と、イナ族の弓兵が、返答した。
「まあ、それくらいしないと、居る意味が無いもんな」と、イーグレットは、あっけらかんと言った。海上封鎖でも、十分な支援になるからだ。
「つまり、ライランスへの侵攻は、今のところは、考えていないのですね?」と、給仕娘が、尋ねた。
「ええ」と、イナ族の弓兵が、力強く頷いた。そして、「アーク提督は、デヘルの損得ではなく、海の安全と秩序以外は、考えていませんよ」と、補足した。
「まあ、昔から、あいつは、そういう奴だったからな」と、イーグレットは、ぼやいた。そして、「まあ、帝国の中で、まともなのは、アーク提督くらいだろうな」と、皮肉った。自分の知る限りでは、アークのような、ちゃんとした判断の出来る者を見た事が無いからだ。
「まるで、提督の事を昔から存じて居られるみたいですわね」と、ブヒヒ族の女魔術兵が、指摘した。
「ははは。俺みたいなチンケな船乗りと、お宅の提督との接点なんて、無いだろう?」と、イーグレットは、おどけた。そして、「ほら、有名人だから、つい、親しげな口調になっちまうんだよ!」と、言葉を濁した。これ以上、突っ込まれると、ボロが出そうだからだ。
「まあ、確かに、有名人なんだから、そういう物言いの方が居ても、不思議じゃないわね」と、ブヒヒ族の女魔術兵が、すんなりと理解を示した。
「我々は、そろそろ帰るとしようか」と、イナ族の弓兵が、口にした。
「そうね。目を覚まされて、騒がれても、迷惑だからね」と、ブヒヒ族の女魔術兵も、賛同した。
「俺らは、デヘル側ですけど、あなた方と敵対する気はありませんので…」と、イナ族の弓兵が、告げた。
「お騒がせしました」と、ブヒヒ族の女魔術兵も、口添えした。
その直後、二人が、頭を下げた。少しして、後ろ手に、メッティーの襟首を保ちながら、店を出て行った。
その間に、イーグレットは、元の席へ戻った。そして、「アークの艦隊は、厄介だな」と、眉を顰めた。統制の執れている艦隊なので、簡単に出し抜かしてくれるほど、甘い相手ではないからだ。
「お頭、今夜は、止めときますか?」ミニッツが、冴えない表情で、問うた。
「いいや、諦めないぜ。何か、策は有るだろうからよ」と、イーグレットは、腕組みをした。そして、目を瞑って、考え込むのだった。




