一、一変する朝
一、一変する朝
デヘル帝国から南西に位置するドナ国の王都ロナ。
城へと繋がる中央の通りを、若者は、駆けて居た。訓練の時間に遅刻しそうだからだ。名は、ゴルト・ファディレーヌ。赤茶色の短髪に、訓練用の制服姿で、刃の無い模造剣を腰の左側へ差していた。
その行く手に、些か、柄の悪い同い年くらいの男性が、現れた。そして、「ゴルト、今から訓練か?」と、陽気に、声を掛けて来た。
「ああ。寝坊して、遅刻しそうなんだよ」と、ゴルトは、苦笑した。立ち話をしている余裕など無いからだ。
「ははは。ご苦労なこったな!」と、柄の悪い若者が、にこやかに言った。
「バートン。お前こそ、組合へ顔を出さないと、不味いんじゃないか?」と、ゴルトは、指摘した。他人の事を言えない立場の筈だからだ。
「へ、俺の場合は、お前の所みたいに、時間は決まってねぇの! それに、この時間は、行ったところで、閉まっているっつーの!」と、バートンが、返答した。
「まあ、お前の職業は、夜が、主だからな」と、ゴルトは、頷いた。自分とは、昼夜が逆だからだ。
「そういう事だ」と、バートンが、口元を綻ばせた。
「まあ、俺は、急ぐから、夕方にでも、いつもの便利屋で会おうぜ」と、提言した。これ以上、時間は掛けられないからだ。
「そうだな。要らん手間を取らせちまったな」と、バートンが、詫びた。
「確かにな」と、ゴルトも、肯定した。その通りだからだ。そして、「じゃあな」と、先を急いだ。しばらくして、訓練所の道へ入る手前の場所で、急に、薄暗くなった。少しして、足を止めるなり、空を仰ぎ見た。次の瞬間、今まで見た事の無い魔物の大群に、絶句した。
程無くして、上空より、一斉に、落下物が、降り注いだ。そして、あちらこちらの家屋の屋根や路面を突き破った。
その瞬間、ゴルトも、慌てふためいた。未曾有の事態だからだ。そして、眼前に、後頭部の長い岩人形が、着地した。
岩人形が、殴り掛かって来た。
ゴルトは、我に返り、咄嗟に、跳び退った。
少し後れて、岩人形の右の拳が、路面へ炸裂した。その直後、破片を飛び散らせた。
「痛っ!」と、ゴルトは、顔を顰めた。小粒でも、結構、痛いからだ。そして、右手で、模造剣を抜いて、仕掛けた。やり返さないと、気が済まないからだ。程無くして、右腕へ、一撃を食らわせた。その瞬間、金属音を発した。少し後れて、刀身が、砕け折れた。その途端、「マジか…」と、唖然となった。これ程、脆い物とは思わなかったからだ。
その間に、岩人形が、右腕を振り上げて、二撃目を打ち込む体勢となって居た。
ゴルトは、柄だけとなった模造剣を投げ付けるなり、転身した。流石に、素手ではやり合えないからだ。そして、道中の岩人形達を避けながら、行き付けの便利屋へ向かった。初心者でも、扱える確りとした武具を置いて居るからだ。そして、バートンと会った通りの角を右へ曲がった。間も無く、右手に、簡素な外観の便利屋便利屋が、見えて来た。岩人形の直撃を受けていないのを視認するなり、駆け込んだ。その直後、背を向けた骸骨が、視界に入るなり、「うわっと!」と、急停止した。危うく、ぶつかりそうになったからだ。
少し後れて、骸骨が、振り返った。そして、右手の剣を振り上げた。
「このっ!」と、ゴルトは、咄嗟に、右肩から、体当たりを敢行した。剣を振られる前に、仕掛けた方が、倒せると思ったからだ。そして、旨い具合に、胸元へ食らわせる事に成功した。
次の瞬間、骸骨が、四散した。
ゴルトは、奥へ進んだ。少しして、俯せ寝になって居る顔なじみの中年店主が、背中を斬られて、絶命して居たのを目の当たりにした。そして、「くっ…!」と、歯噛みをした。知り合いを殺されるのは、辛いからだ。
そこへ、背後から、先刻、四散させた筈の骸骨が、鈍い動作で斬り掛かって来た。
ゴルトは、察知するなり、振り向いて、素早く後退した。だが、すぐに、陳列棚を背に追い込まれた。
その間に、骸骨が、距離を詰めた。そして、数歩手前から、右手の剣を振り上げた。
ゴルトは、観念した。逃げる先を見出だせないからだ。
突然、「火炎魔法!」と、何者かが、呪文を唱えた。
その刹那、骸骨が、瞬時に、燃え上がった。そして、灰塵となった。
「た、助かった…」と、ゴルトは、右手で、胸を撫で下ろした。絶体絶命だったからだ。
「ついに、奴らが、動き出したのね」と、呪文を唱えた者の声が、頭上からした。
ゴルトは、声のした方を見やった。程無くして、頭巾を目深に被った魔術師が、天井擦れ擦れに、浮いて居るのを視認した。そして、「あなたは、何者なのですか?」と、尋ねた。助けて貰う義理など無いからだ。
魔術師が、眼の前へ下り立つなり、「私は、世界魔術師組合のフェイリス・アーマフよ」と、名乗った。
「フェイリスさん、奴らって?」と、ゴルトは、問うた。首謀者を知っているような口振りだからだ。
「そうねぇ。今の君に教えたところで、混乱させるだけだからねぇ〜」と、フェイリスが、言葉を濁した。
「確かに、今の俺じゃあ、生き残れるかどうか、判りません! けれど、こんな事をしでかした奴らを知らないまま、殺られる訳にはいきません!」と、ゴルトは、語気を荒らげた。このような暴挙を許す訳にはいかないからだ。
「そうね。今は、一人でも戦える人が、必要だからね」と、フェイリスが、応じた。そして、「デヘル帝国の皇帝をけしかけて、その裏で暗躍するダ・マーハとネデ・リムシーという者達よ」と、語った。
「デヘルの皇帝って、カドゥ四世の事だよな?」と、ゴルトは、口にした。ドファリーム大陸で、その名を知らぬくらい有名な野心家だからだ。そして、「で、皇帝の陰に隠れて、そのダ・マーハとネデ・リムシーって連中が、魔物達を送り込んで来たって事か…」と、眉間に皺を寄せた。
「そうね。でも、二人の目的は、神魔戦争の遺跡が、目当てのようね」と、フェイリスが、示唆した。
「つまり、一枚岩じゃないって事だな」と、ゴルトは、口にした。カドゥとダ・マーハ達とは、目的の違う気が違うしたからだ。
「ただ、三人の共通している事は、この大陸を統一する事が、目標なのでしょうね」と、フェイリスが、ぼやいた。
「くっ…。俺は、やられっぱなしなのか…」と、ゴルトは、項垂れた。何一つ、やり返せて居ないからだ。
「そうね。悔しいわよね。一方的に、やられて居るのですものね」と、フェイリスも、同情した。そして、「私も、出し抜かれて、腹立たしいけどね」と、補足した。
「この中の武器じゃあ、岩人形どころか、骸骨にさえ勝てる気がしない…」と、ゴルトは、投げ遣りに言った。魔力の無い普通の武器しか無いからだ。
「まあ、便利屋だから、生活出来る最低限の物しか置いてないわね」と、フェイリスも、頷いた。そして、「気合いでって言っても、厳しいわよね…」と、溜め息を吐いた。
「確かに、力任せで倒せるのだったら、とっくに、ぶっ倒して居るさ…」と、ゴルトは、冴えない表情で、ぼやいた。復活しない事が前提ならば、骸骨など、体当たりで、十分だからだ。
「確かに、ここの魔物は、厄介よね。それに、形は、不死怪物だけど、中身は別物だからね」と、フェイリスが、語った。
「それって、どういう意味?」と、ゴルトは、小首を傾いだ。言っている意味が、さっぱりだからだ。
「つまり、別の素材で造られた魔物って事ね」と、フェイリスが、回答した。
「要は、偽物って事か?」と、ゴルトは、尋ねた。あれこれ考えても、混乱するだけだからだ。
「まあ、そうなるわね」と、フェイリスが、頷いた。
「じゃあ、どうやって、倒せば良い?」と、ゴルトは、問うた。自分には、手段が思い付かないからだ。
「そうねぇ。逃げるのが、一番の手だけど、あなたの性格じゃあ、無理よね」と、フェイリスが、溜め息を吐いた。
「まあな」と、ゴルトは、苦笑した。逃げ回って居ても、その内、追い詰められるのは、予想出来るからだ。
「無理をしなければ、街の外までは、逃げ延びられるけど…。どう?」と、フェイリスが、含みの有る提案した。
「分かった…」と、ゴルトは、承知した。策に、乗っかるしかないからだ。そして、「で、どうすれば良いんだい?」と、問うた。
「そうねぇ。手っ取り早い方法なら、錬金術の応用かしらね」と、フェイリスが、返答した。
「確かに、魔法と違って、誰でも出来るからな」と、ゴルトも、同調した。どちらかと言えば、魔法よりも、錬金術の方が、身近だからだ。そして、「しかし、魔物を倒すって言っても、どんな錬金術を使おうって言うんだ?」と、眉を顰めた。やり方が、思い浮かばないからだ。
「まあ、即席の炎の剣でも作るって事かしら」と、フェイリスが、あっけらかんと言った。
「炎の剣って、そんな、簡単に作れるもんじゃないだろう…」と、ゴルトは、眉根を寄せた。いくら、錬金術でも、炎の剣を作るなんて、かなり、無理が有るからだ。
「私は、出来ない事を言わない主義なの。それに、この中には、それなりに、道具も揃っているようだから、作れると言ったまでよ」と、フェイリスが、根拠を述べた。そして、「私の言う事に従って居れば、即席の炎の剣くらいは出来るわよ」と、言葉を続けた。
「分かったよ…」と、ゴルトは、聞き入れた。半信半疑だが、一理有るからだ。そして、「作り方を教えてくれ…」と、要請した。
「じゃあ、店内に在る一番高価な武器とタコイム・デヘの脂肉を持って来て頂戴」と、フェイリスが、指示した。
その直後、ゴルトは、奥へ移動した。店頭に並んでいる武器は、在り来りの安物だと思ったからだ。そして、裏口へ出るなり、勢いそのままに、その先の倉庫へ入った。次の瞬間、奥の壁は、先刻の岩人形の襲撃により、倒壊しているのを視認した。しかし、幸いな事に、岩人形の姿は無く、破損した武具が、床一面に、散乱しているのを目の当たりにした。その様に、「こりゃあ、全滅かも知れないな…」と、嘆息した。刀身が、砕けていたり、曲がっていたりして、使い物になりそうもないからだ。しばらくして、古ぼけた深緑色の鞘が、目に留まった。それを、左手で拾い上げるなり、抜き出した。その瞬間、瑕一つ無い黄色い刀身が、姿を現した。
そこへ、「あら、中々、良い物を見付けたみたいね」と、背後から、フェイリスの声がして来た。
ゴルトは、振り返り、「みたいですね…」と、返答した。運良く、この一振りが、無事のようだからだ。
「それで、即席の炎の剣を作るのは、ちょっと、気が引けるわね…」と、フェイリスが、気後れした。
「でも、炎の剣を作らない事には、どうにもならないんですよ!」と、語気を荒らげた。今更、予定変更は無いからだ。そして、向き合った。
「確かに、そうだけど。その剣は、別格よ。タコイム・デヘの脂なんて塗っちゃうと、熱で劣化しちゃうか、脂で、切れ味が悪くなっちゃうのよね」と、フェイリスが、難色を示した。
「確かに、タコイム・デヘの脂は、ギトギトしていて、落ちにくいな」と、ゴルトも、頷いた。洗い落とすのに、一苦労するからだ。そして、「別格と言っても、造りが確りしているって事だろ?」と、尋ねた。この中では、良質の物だと考えられるからだ。
「ええ。それに、このような場所に在ったという事は、何か、訳有りなのかもね」と、フェイリスが、口にした。
「かもな」と、ゴルトも、相槌を打った。一振りだけというのが、気に掛かるからだ。そして、「でも、まともに使えるのって、これしか無さそうだしな…」と、古びた剣を見詰めた。使える武器は、他に見当たらないからだ。
「私は、簡単な判別の魔法しか使えないけど、一応、鑑定してみようかしら?」と、フェイリスが、申し出た。
「簡単な判別って?」と、ゴルトは、興味津々に、問うた。どんな物なのか、そそられるからだ。
「細かい機能は、本格的な鑑定魔法じゃないと判らないけどね」と、フェイリスが、回答した。そして、古びた剣へ、右手を差し向けながら、「判別魔法と、唱えた。
間も無く、古びた剣が、黄色く光った。そして、すぐに元の状態へ戻った。
「で、どうなんだ?」と、ゴルトは、フェイリスへ、好奇の眼差しを向けた。結果が、気になるからだ。
「黄色だと、“酸”属性の物のようね」と、フェイリスが、結果を述べた。
「酸属性?」と、ゴルトは、眉を顰めた。妙に、地味な属性だからだ。
「これは、都合が良いかも知れないわね」と、フェイリスが、意味深長に言った。
「そりゃあ、どういう意味だい?」と、ゴルトは、小首を傾いだ。何が、都合が良いのか、さっぱりだからだ。
「つまり、その剣で斬り付けると、復活が出来なくなるって事よ」と、フェイリスが、告げた。
「へぇ~。そうなんだ~」と、ゴルトは、冴えない表情をした。復活を封じられるのは、喜ばしい事だが、心許ない気がするからだ。
「何だか、不満そうね。でも、でも、その剣だったら、岩人形と骸骨には、相性抜群だから、恐るるに足らないわよ!」と、フェイリスが、力強く言った。
「本当かな?」と、ゴルトは、訝しがった。骸骨ならば、倒せるだろうが、岩人形を倒せるかは、定かではないからだ。
「そこの崩れた所から、外に出てご覧なさい。岩人形が、暴れている筈だから、試してみなさい」と、フェイリスが、促した。
「わ、分かった…」と、ゴルトは、承知した。そして、左手で、革帯鞘を差すなり、言われるがままに、崩れた所を潜り抜けて、外へ出た。その直後、左側で、岩人形が、背を向けながら、両腕を大きく振り回して居るのを視認した。その瞬間、「やらせるかっ!」と、身を低くしながら、斬り掛かった。程無くして、背中へ一太刀浴びせた。
次の瞬間、岩人形が、動きを止めた。
その間に、ゴルトは、跳び退って、距離を取った。反転して、反撃して来る可能性も、考えられるからだ。しかし、岩人形に、動きは無かった。
間も無く、岩人形が、崩れ始めた。やがて、岩石の山となった。そして、黄色い煙を発して、砂と化した。
「こ、これが、酸属性の威力か…」と、ゴルトは、口元を綻ばせた。岩人形を、一撃で倒せるとは思いもしなかったからだ。
「だから、言ったでしょ」と、フェイリスが、得意げに言った。
ゴルトは、振り返り、「ああ…」と、頷いた。まさに、その通りだからだ。
「私も、こうも簡単に、岩人形を倒すなんて、想像してなかったわ。それに、酸属性の剣は、錬金術で作られているんじゃないかしら?」と、フェイリスが、口にした。
「それって、どういう事?」と、ゴルトは、眉間に皺を寄せた。違いが判らないからだ。
「今は、詳しく説明する時間は無いけれど、岩人形は、魔力で出来て居るから、魔法もしくは、魔法の武器で倒すのが一般的だけど、錬金術の方が、効果が上なのよね」と、フェイリスが、語った。そして、「魔法って、火・水・風・土・光・闇が、基本だから、“酸”は、作り出せないのよ」と、言葉を続けた。
「そうなんだ」と、ゴルトは、聞き入れた。魔法も、万能ではないと判ったからだ。
「まあ、その剣さえ持って居れば、この辺の魔物に殺られる事は無いわね。その刹那、「瞬間移動魔法!」と、跳び去った。
ゴルトも、訓練所を目指すのだった。