一三、ヤッスルの作業小屋
一三、ヤッスルの作業小屋
ヤッスルとポットンは、奇面樹並木の道を進んだ。しばらくして、河原に行き当たった。
その瞬間、「ちっ! 別の所へ、誘導させられちまったようだな!」と、ヤッスルは、憤慨した。まんまと、奇面樹にやられたからだ。
「奇面樹が、少々、上手だったようですね…」と、ポットンも、溜め息を吐いた。
「くっ…!」と、ヤッスルは、歯噛みした。そして、「こりゃあ、ブーヤンの所へ行くのは、無理だな…」と、ぼやいた。奇面樹に、道を変えられた以上、夜の森を彷徨くのは、危険でしかないからだ。
「ヤッスルさん。どうするんだい?」と、ポットンが、尋ねた。
「そうだな。丁度、川沿いだし、おいの作業小屋で、夜を明かした方が良さそうだな」と、ヤッスルは、考えを述べた。川沿いならば、作業小屋へ立ち寄った方が、近いからだ。そして、「あんまり居心地は、良くないぜ」と、付け足した。
「別に、構いませんよ。夜露を凌げれば良いんですから」と、ポットンが、返答した。
「そうか。ちょっと、どの辺りか見てみるから、待っててくれ」と、ヤッスルは、告げた。そして、川辺へ、歩を進めた。少しして、立ち止まるなり、上流から下流を見渡した。
少し後れて、ポットンも、左隣に立った。
間も無く、ヤッスルは、ポットンを見やり、「集落から、奥の方へ歩かされたようだから、ここからだと、少し下流へ歩かなければならんな」と、推測を述べた。作業小屋への距離は、何となくだが、体で覚えているからだ。
「なるほどね」と、ポットンが、聞き入れた。
「ほんじゃあ、行くぜ」と、ヤッスルは、右を向いて、下流へ歩き始めた。ブーヤンの身が、気掛かりだが、魔物の襲撃に遭う前に、移動した方が、賢明だからだ。
程無くして、ポットンも、続いた。そして、「ヤッスルさん、奇面樹の他に、妙な魔物は、出て来ないだろうねぇ〜」と、声を震わせた。
「う〜ん。分からねぇなぁ」と、ヤッスルは、淡々と返答した。今夜ばかりは、何が出て来ても、おかしくないので、答えようが無いからだ。
「具体的に、言って下さいよぉ〜」と、ポットンが、怯えながら、問うた。
「おいも、これまで、あんまり、魔物に出食わした事は無いんだよ」と、ヤッスルは、苦笑した。魔物の方から逃げて行くからだ。そして、「ここいら辺だと、モヤグモくらいかな」と、口にした。偶に、大きな蜘蛛の巣を見掛ける事が有るくらいだからだ。
「モヤグモねぇ〜」と、ポットンが、溜め息を吐いた。
「まあ、川辺を歩いてりゃあ、出食わす事は無いだろう。巣を張れねぇからな」と、ヤッスルは、あっけらかんと言った。川辺を歩いて居れば、巣に引っ掛かる事など無いからだ。
「だと良いんですがね…」と、ポットンが、苦笑いをした。
しばらくして、二人は、土手へ上がらなければならなくなった。木々が、行く手を阻んで居たからだ。
「ちっ! 急がば回れか…」と、ヤッスルは、ぼやいた。これ以上、奇面樹を刺激したくないからだ。
「やっぱり、木の在る所を通る運命なのね…」と、ポットンが、嘆息した。
「まだ、モヤグモが、出て来ると決まった訳じゃないんだ。そんなにびびってんじゃねぇ!」と、ヤッスルは、力強く言った。出食わすとは限らないからだ。
「そ、そうですね…」と、ポットンも、同調した。
間も無く、二人は、林道へ進入した。そして、中程まで来た時、頭上より、大きな影が下りて来るのを視認した。
その瞬間、「ほら! やっぱり!」と、ポットンが、恐れおののいた。
「中々の大物だな」と、ヤッスルは、何食わぬ顔で言った。戦わなければ、先へは進めないからだ。そして、「こいつの糸にさえ気を付ければ、どうって事は無いぜ」と、マサカリを右手に持った。これまで見たモヤグモの中では、大物だからだ。
巨大モヤグモも、両側の前肢を上げながら、戦闘態勢を取った。そして、鋏角を打ち鳴らした。
「ヤッスルさん、やばいですよ〜」と、ポットンが、震え上がった。
「かもな」と、ヤッスルは、口元を綻ばせた。闘争心に、火が点いたからだ。そして、「これでも食らいやがれ!」と、気後れせずに、突っ掛かった。
少し後れて、巨大モヤグモも、突進した。
程無くして、双方は、戦闘を開始した。
「このお!」と、ヤッスルは、先手必勝と言わんばかりに、巨大モヤグモの正面へ、マサカリを振り下ろした。
巨大モヤグモが、寸前の所で止まるなり、跳び退って、回避した。
その直後、ヤッスルは、地面へ、マサカリを叩き込んでしまった。その刹那、「くっ!」と、歯噛みした。痛恨の空振りだからだ。
その間に、巨大モヤグモが、距離を詰めて、前肢を打ち下ろして来た。
「何の!」と、ヤッスルは、踏み込むなり、素手で受け止めた。次の瞬間、「む!」と、顔を顰めた。今まで受けた事の無い重たい一撃だからだ。そして、「ぐぬぬ…!」と、歯を食い縛った。力勝負で、負けたくはないからだ。
「ヤッスルさんに、死なれては困りますからねぇ〜」と、ポットンが、溜め息を吐いた。その直後、「一時強化魔法!」と、唱えた。
程無くして、ヤッスルは、両腕に、力が漲った。そして、「うおおぉ!」と、雄叫びを上げた。次第に、前肢を押し返し始めた。先刻までの重さが、嘘のように、感じなくなったからだ。
巨大モヤグモも、右半分の足を、地面へ突き立てて踏ん張るのだが、後退するだけだった。
しばらくして、「おりゃあああ!」と、ヤッスルは、力技で、引っ繰り返した。その瞬間、にやりとなった。何はともあれ、勝てたからだ。
巨大モヤグモが、裏返しで、足をばたつかせた。だが、少しして、体勢直すなり、背を向けて、茂みの中へ走り去った。
間も無く、ヤッスルは、その場に、右膝を着いた。そして、「腕に力が、入らねぇや…」と、ぼやいた。一気に、疲労が来たからだ。
「ヤッスルさん。ここで休まれても、困りますよぉ〜」と、ポットンが、眉根を寄せた。
「そう急かすなって…。いざっなりゃあ、体当たりでもして、護ってやるからよ」と、ヤッスルは、弱々しく返答した。巨大モヤグモが戻って来た場合、身を挺してでも、ポットンを逃がしてやるつもりだからだ。
「ははは…」と、ポットンが、苦笑した。
しかし、巨大モヤグモが、戻って来る事はなかった。
しばらく後、ヤッスルは、立ち上がり、「さあ、行こうか!」と、声を発した。歩けるくらいの体力は、回復したからだ。
「待ち兼ねましたよ」と、ポットンが、安堵した。
「あんたが居なければ、殺られていただろうな」と、ヤッスルは、口にした。一対一なら、間違い無く、押し込まれて居ただろうからだ。そして、「助かったぜ…」と、礼を述べた。
「わいも、ヤッスルさんが居てこそ、無事に居られるのですから、お互い様っすよ」と、ポットンが、恐縮した。
「かもな」と、ヤッスルは、聞き入れた。初対面だが、掛け替えの無い相方だからだ。
間も無く、二人は、林道を進んだ。やがて、林を抜けると、再び、左手に、川が見えた。
少しして、ヤッスルは、左手で、前方のぽつんと佇む一軒の水車小屋を指しながら、「もう少しだ」と、告げた。視界に入れば、着いたも同然だからだ。
「ふぅ~。助かった…」と、ポットンが、右手で、胸を撫で下ろした。
「そうだな」と、ヤッスルも、相槌を打った。確かに、今日は、ヤバかったからだ。
二人は、歩速を上げた。そして、到着するのに、時間は、あまり掛らなかった。
「ヤッスルさん。作業小屋って言うから、もっと、雑な造りかと思ってたんだがな」と、ポットンが、口にした。
「こっち側は、寝泊まりする所だから、普通の小屋と変わらないぜ。作業は、裏の水車の在る方でやっているからよ」と、ヤッスルは、説明した。切り倒した木材を加工して、筏を組んで、港町へ配送する作業をやっているからだ。
「へぇ〜」と、ポットンが、感心した。
「とにかく、寝るぜ」と、ヤッスルは、欠伸をした。疲労困憊だからだ。
二人は、小屋へ入るのだった。




