旦那様は離縁したい〜「君は強いから」と言われても〜
「もうじきよ……やっと、手に入るわ」
薄暗い部屋の中、手にしてた分厚い本をパタリと閉じた。
◇
「君は強い人だから、僕が居なくても大丈夫だと思うんだ」
目の前に座る私の旦那様、フランシスはそう言うと、長い睫毛を伏せ気まずそうに俯いた。
(はうっ!)
やはり、社交界でも有名な眉目秀麗な旦那様は美しい。不穏な表情さえ、さまになってしまう程に。
思わず表情筋が緩んでしまいそうになり、気を引き締めた。
そんなフランシスの隣には、何故か当たり前のように友人である子爵令嬢のリゼットが座っている。
(どうして、そちら側に……んん? ちょっと待って、その手は何!?)
フランシスを励ますかのような素振りで、手を重ねようとしていた。
(――させません!)
「旦那様、その書類は何ですか?」
即座に私が尋ねると、フランシスはハッと顔を上げて、その書面を差し出した。
重ねようとしたリゼットの手は、旦那様の袖をかすって空を切ると、やり場を失い引っ込められた。
私の前で旦那様に触れようとするとは。
(ふっ……甘いわ)
けれど。
ただでさえ、フランシスの隣に座る図太い態度に、イライラとさせられていたが、それを上回る旦那様の衝撃の一言。
「僕と離縁してほしい」
「は……!? り、理由を……お聞かせ願えませんか?」
「それは、その……。君には僕より似合う人がいると思うんだ」
「意味がわかりませんがっ!?」
つい口調がキツくなり、ビクッとフランシスは肩を震わせた。
(……いけないわ)
王国の剣とうたわれる、伯爵家の血筋を色濃く継いでいる私は、どうも気を許すと相手を威圧してしまう。
旦那様を怯えさせないよう、気をつけなければ。
「そういうところもよ、ヴィクトリア」
なぜか分からないが、リゼットが口を挟む。
「私たちが知らないと思って?」
「何をでしょう?」
「あなた、花屋の男性と……逢瀬を重ねているのでしょう」
扇で口元を隠してはいても、その表情は勝ち誇っているように見える。
「確かに、お花は毎日受け取っておりますが、逢瀬なんて……。私がそんなことをする筈がありません。そうですよね、フランシス様?」
旦那様は、フイッと何故か目を逸らし
「じゃあ、……あの手紙は?」と一言。
「毎日いただくお手紙は、大切に取ってありますが」
「ほら、ごらんなさい! 恋文なんて浮気の証拠じゃないのっ」
まあ、内容は恋文ではあるのだけれど。でも、差出人は――。
そもそも、花屋の彼を送り込んだのはリゼットだとわかってる。それには正直、感謝しているけれど。
(そろそろ時間の筈だけど、まだかしら?)
そう思っていた矢先、廊下の方で声がした。
「お待ちください! 勝手に入られては困ります! まずは、奥様に許可を」
とメイドが声を荒げて言うのと同時に、――バタンッと扉が開かれた。
美しい花を手にした、花屋の彼が勢いよく飛び込んできたのだ。
「ヴィクトリア様っ! 見つかりました!」
花屋の彼は興奮を隠さずに、真っ直ぐ私のもとへやって来た。
「待っていたわ!」
急いで花束を受け取り、芳しい花の香りを嗅いだ。胸が高鳴り、その花束を抱きしめた。
すると――。
リゼットが高らかに笑い出す。
「まあ、なんていう神経をしているのかしら。堂々と不倫現場を見せつけるだなんて!」
花屋の彼は、私を見てから……申し訳無さそうにリゼットを見た。
「リゼット様。せっかくお仕事を頂いたのに、申し訳ありません。俺は……自分の心に嘘はつけません」
その一言に、サーッとリゼットは青褪めた。彼を雇ったのが自分だとバレたくないのだろう。
「はっ!? 何を言うのかしら! 私はあなたのような平民なんて知らないわ!」
「え、ああ、そうですか? 俺のことは知りませんか? じゃあ、仕事も無かったと?」
「あ、当たり前じゃない!」
「そうですか? では、これは」
(あっ、アレは……)
花屋の彼が一枚の紙を取り出すと、リゼットはバッとむしり取るようにして、ビリビリ破ると窓の外へ投げ捨てた。
「フランシス様の前で、ヴィクトリアに恋文を渡すなんて、無神経にもほどがあるわ!!」
(え? 今のが手紙って……無理があるけど)
顔色が悪くなって、苦しそうに自分の胸をつかむフランシス。
(まずいわ!)
隣に行こうとするリゼットの腕を掴んで、花屋の彼に捕まえさせた。リゼットのヒステリックな声が聞こえるが、そんなのはどうでもいい。
目の前で、胸を押さえて俯くフランシスのそばに寄る。
「フランシス様、落ち着いてゆっくり呼吸してください」
はぁはぁと苦しそうに息をする、フランシスの背中をさする。
「……そうです、その調子です」
「君は……知って……いたのか?」
「旦那様の病気のことですか? それとも、わざと私から離れようとしたことですか?」
「どうして、それを――」
「花屋の彼からの手紙は、旦那様でしょう? 私にあなたの字が分からないとでも?」
言っていて目頭が熱くなってくる。
花屋はリゼットが私を嵌めようと、ギルドで雇った裏稼業の美丈夫。
そうとは知らず、フランシスは――彼が私を愛していると信じ、託そうとしていた。自分が病気で亡くなる前に。まさか、離縁を考えていたとは思わなかったが。
正直に打ち明けられた花屋は、依頼だと言うわけにもいかず、フランシスの願いを聞くしかなかった。
まあ、後で、適当に誤魔化すつもりだったのだろうが。
私への恋文は、フランシスが書いた物。花屋の彼が書いたものとして、私に花と一緒に届けられていた。
(だけど――)
花屋の彼の本当の雇い主は、私。ただの花屋でないことは、初対面の日に直ぐわかった。
「旦那様の病気は、もう不治の病ではありません」
「――え!?」
「難病ではありますが、過去の症例を見つけました。そして、治癒した者もいたと」
「まさか……気休めなんて止めてくれ!」
まるで希望を持ちたくないと言うように、フランシスは私の手を払う。
「嘘ではありません。この伯爵家の総力をあげて、薬師を探しました。そして、この希少な花の成分が入れば、特効薬が完成するのです」
震えるフランシスの手を握る。
「旦那様。私は、確かに伯爵家の長女で、剣も性格も強いです。でも――強いからといって、傷つかないわけでも、悲しさを感じないわけでもありません」
――ハッとしたように、フランシスは顔を上げた。
「……すまない」
「私は、旦那様がいないとダメな弱い人間なのです」
「………っ」
「どうか、どうか……ずっとお側にいさせてくださいませ」
「僕の方こそ……君と離れたくない」
弱った体の、どこからそんな力が出たのか――私の手は引き寄せられ、フランシスの胸の中に抱かれていた。
◇
――その後。
フランシスは投薬を続け、みるみるうちに回復していった。
「今日はお天気がいいので、お散歩しません?」
「いいね、ヴィクトリア」
フランシスから手を出され、その上に手を重ねた。
「だいぶ、お腹も目立ってきたね」
「ええ。でも、お医者様からはしっかり運動に歩くようにって」
自分のお腹を触ると、ポコポコと蹴られている感じがする。
「きっと元気な男の子じゃないかしら?」
「いや、ヴィクトリアみたいに強い女の子かもしれないよ」
「まあ、そうかもしれないわ!」
確かに私は強い。だからこそ、弟がいるにもかかわらず、私が伯爵家を継いだのだ。
「あ、奥様ー! 旦那様ー!」
花屋になりすました元裏稼業のマクシムは、伯爵家の騎士服を身に纏い、大きく手を振っている。
完全に懐かれてしまった。
薬草の調達に尽力したこともあって、うちで正式に雇うことにしたのだけれど。
どうも、初対面の時……彼の手の剣ダコに気付いた私に、殺されかけたことが忘れられないらしい。
(べつに、怪しいから問い詰めただけなんだけどね。まあ――)
上手いこと、リゼットからの契約書を本人に破かせたり、抜け目ない人間だから、味方にしておいた方がいい。
捨てられたそれをしっかり集めて、今後は伯爵家に一切関わらないよう、リゼットの父親にしっかり脅しておいた。
「それにしても、離縁を考えていらっしゃったなんて、あんまりですわ」
「それは、本当にすまない! あの時は、それが君のためだと思ったんだ。死別より、離縁の方が踏ん切りがつきやすいかと」
「それで、あなたは……たった一人で逝くつもりで?」
「……ああ」
「私が弱いのは、旦那様だけなんです。ですから……」
「大丈夫、僕が強くなって君も子供も守るから!」
「はい、約束です!」
まるで、祝福するかの様にお腹が何度も動いた。