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3-④

 


 もちろんそんなのはただの夢だと、月子にははっきりわかっている。

「いやあ、あの電信柱、便利だねえ」

「そう、ですね」

 起きてすっかり自己嫌悪。頭の中ではうじうじうじうじ自分に都合のいい夢を見たその浅ましさを責め続けているし、自分の妄想のままにあんなことを言わせてしまった(夢の中だから実際に言わせたわけではないけれど)女と話すのがあまりにもいたたまれない気持ちになっていたりするのだが、それはまったく表情には出てこない。

 平時の月子は、鉄面皮と言ってそれほど差し支えない。ただしそれはあらゆる物事に動じないだとか、心が冷たいだとか、そういうことの結果として現れているのではなく、できるだけ人に自分の感情を悟らせたくないという臆病さと、それから単に人とのコミュニケーション不足で固まった表情筋の合わせ技として現れている。

 一ヶ月そこら、一対一で生活を共にしたところで見抜ける程度の、生半可な感情の隠し方ではないのだ。

「結構遠くまで来たけど、他に建物なんか何もないからいつまでも目印に見えるし。これならどこまで行ってもちゃんと拠点に戻れるね」

 女は、額に手をかざしながら、遠くを見つめている。つられて、月子も同じ方向を見る。

 あの使い方も、月子が提案した。

 他に物を増やす手段がない以上、毎日ガチャガチャまでは戻らなくてはいけない。そうすると当然そこを拠点にすることになるのだが、ガチャガチャを引くためにはあちこちを歩き回らないといけない。

 目印が必要だった。

 なにせ荒野ばかりなのだ。郵便局を左に折れたら三つ目の信号を右、という従来の形の道の覚え方はできない。これまではある程度歩いたら地面に何か印をつけて、帰り道はそれを視認できる程度の距離を保ちながら、行きと重ならない程度にルートを変えて帰る、といういかにも疲れるやり方をしていたのだが、まあこれは大変面倒くさかった。

 そこで導入したのが、月子の引いた『電信柱』だった。拠点のところにぽん、とひとつ立てておくだけだ。

 この何もない荒野では、背の高いものというのはそれだけで非常によく目立つ。他に遮るものもないから、どこまで行ってもはっきりとそれが見えている。まだ『霧』のカードを引いたりはしていないので、その姿が急に見えなくなることもない。

 いつでも帰れる。

 だから、メダル探しもずいぶん楽になった。

 どんなに考えなしにうろちょろしていても、電信柱めがけて歩いていけば元の場所に戻れるのだ。計画性という言葉はすでに時代遅れになっていて、帰巣本能を発揮せずとも知恵と道具が巣穴への道を常に照らしてくれている。遭難への恐怖が消えたおかげで探索効率は上がり、今では毎日十枚以上のメダルを拾えるようになっていた。

「月子ちゃんのおかげだねえ」

「いえ、私は何も……」

 褒められてうれしくないと言えば嘘だが、とりあえず月子はメダルを探していますよ、というポーズを取りながら顔を伏せて、とりえあえずその褒め言葉を否定しておいた。

 だって、褒め言葉を素直に受け取って喜んで、実際にはただの社交辞令だったりすれば、いやただの社交辞令であればそれでいい。もしも皮肉や嫌味で、自分がその意図をちゃんと汲めていないだけだったとしたら、便利だっていうから提案通りに電信柱を立ててみたけど、実際のところは(月子が自分で思っているほどには)役に立ってないしひたすら景観が損なわれるだけで邪魔だよねえあのオブジェ、と思われていたら、

 一度喜んだ分だけ、悲しみが強くなってしまうではないか。

「電信柱って、風景としてなんだかいいよね。美しくないって言って地面に埋めたりだとか、滅びる前の世界では流行ってたみたいだけど、私はどっちかって言ったら剥き出しのままの方が好きだなあ。あのぼんやり、うら寂しい感じがいいよね。電気と通信が通せてないから電信柱なんて何の意味もないと思ってたんだけど、こういう使い方もいいものだね。月子ちゃん、いい引きとセンスしてる」

「…………」

 ぶんぶんぶん、と心の中でだけ、月子は激しく首を横に振った。

 騙されるな。罠だ。

 一見自分の行動の結果を一から十まで肯定してくれているようにも聞こえたけれど、たぶん罠だ。こういうときは罠だ。大抵の場合喜びの後には、その喜びを台無しにする悲しみが来るのだ。たぶんしばらく、そうだしばらく後に、自分が勇気を出して、ありがとうございます、と口にしようとした瞬間、きっと女は被せるように言うのだ。でも調子に乗らないでよね。あんなの芋虫だって思いつくんだからさ。

 しばらく待ってみた。

 黙々とメダルを探しながら、女の口からどういう言葉が出てきて、どんな風に自分のぬか喜びを破壊してくるのか、できうる限り最悪の想定をしてから、その想定の三倍ひどいのが来るはずだ、と身構えていた。だって、人生はいつだってそうして進んでいくものだから。

「月子ちゃんさ、」

 ほら来た。

「もしかして私の話、つまんない?」

「……え?」

「いや全然、それならそれでいいんだけどね。私もほら、ひとりで過ごした時間が長すぎるから今さら言葉でどうコミュニケーションしてたかとか思い出せないし。ひとりでぺらぺら喋っててうるさいかもしれないけど、我慢できなくなったら言ってね。黙るから。いや別にいつもいつまでも喋ってなくちゃいけないわけじゃないんだよ、私も。ただ、こういう何の刺激も感じられないようなところだと多少音とか、情報の刺激を入れていた方が長期的に見た場合いいのかなあとか思ってそうしてるだけで。むしろ雑音だし邪魔になるなとか感じるようだったら、言ってね。これは別に、怒ってるとかそういうわけじゃないんだけど。怒ってるとかそういうわけじゃなくて、単に月子ちゃんが嫌ならやめるよっていうだけのことだから。いや本当に怒ってるわけじゃないから気にしないでほしいんだけどさ」

 めちゃくちゃ怒ってる。

 月子は怯えた。経験上、怒ってるわけじゃないんだけどさ、と言って話し始める人は十割怒っている。三回も言ったということは三十割怒っている。八つ裂きにしたあとさらに二回重ねて八つ裂きにして計二十四裂きにするぞというくらいに怒っていることは間違いない。口調ばかりは穏やかだけれど、物腰の柔らかい人というのは怒りの表現方法も非常に奥ゆかしい場合が多い。

「す、すみません……」

「え、いやほんとに、本当に怒ってるわけじゃないからね」

「はい、あの、すみません……。あの、お話はすごく面白いんですが、すみません、私があまり、話すのが得意でなくて……。すみません……」

「怒ってないからね?」

 四十裂きにされそうだ。



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