6-③
真っ黒な犬に襲われそうになった、と。
月子がそれだけを言うと、険しい顔で、カエデは言った。
「たぶん、それは悪魔だろうね。生き残っていたのか……」
「あく、ま?」
黒犬の話したことを、月子はカエデには伝えなかった。
「うん、この――ガチャガチャ箱が神様の持ち物だったって話はしたかな……、してないか。この世界はガチャガチャ箱で私たちが創ったものだけど、その前、月子が生活していたあの世界も、神様がガチャガチャ箱を使って創ったものなんだ」
信じているなら、伝えるべきだ。そう思う自分がいたことを、月子はちゃんと理解している。カエデがちゃんと正直に自分のことを信じてくれているなら、あの黒犬が言ったことすべてを嘘だと言って切り捨ててくれるだろう。でも、物事はそう簡単に割り切れるものばかりじゃないと、それをわかっている別の自分が、その考えを押しとどめた。
「私は月子と一緒にこの世界を創り直しているわけだけど、たぶんその黒い犬――悪魔は、私の手からガチャガチャ箱を奪いに来たんだろうね」
だって、カエデに隠し事があるだなんてことは、ずっとわかっていたのだから。
今だってそうだ。カエデは自分が何者であるかは口にしていない。神様の持っていたはずのガチャガチャ箱が、どうしてカエデの手にあるのか。そのガチャガチャ箱を持っているカエデは何者なのか。そういうことに、触れないように話している。
ずっと、そうだった。カエデは世界が壊れてしまったこと、自分が世界を創り直そうとしていることは月子にはっきりと伝えたけれど、でも、自分が何者で、どうして世界を創り直そうとしているのかは、一度も口にしたことがなかった。
「今まで出てこなかったのは、ううん、たぶん夜がなかったからかな。『夜』の導入で暗闇ができちゃったから、悪魔が出てくる場所ができちゃったのかもしれない。『夜』が終わったら、悪魔は消えたんだよね?」
「うん」
「そうすると、しばらく『夜』は禁止した方がいいかな。『影』も作らない方がいいのかもしれない。……でも、ずっとそのままじゃあちょっと困るよね。せっかく色々、街のデザインとか、凝り始めたところだったのに」
聞けば答えてくれるのかもしれないと、思わなかったわけじゃない。
でも、最初の頃はただカエデに迷惑がられるのが怖くて閉じられていた口が、そのうち、意思を持って閉じるようになっていった。
聞けば、答えてくれるかもしれない。
でも、答えてくれなかったら?
何か自分に言えない事情があるのかもしれない。気軽に言わないということは、そうである可能性が高い。だったら、わざわざ聞く意味があるのだろうか。話すのを嫌がるだろうとわかっていて、それをあえて聞くことにどれほどの意味があるだろう。
そして、自分には明かしてくれない秘密があると知ったとき、自分はカエデとの間にある距離を、どれほど遠く、感じるようになるだろう。
「どうしようかな……。月子ちゃん、何か思いつく?」
「ううん。悪魔って何なのか、よくわからないし」
「だよねえ。仕方ない。これはとりあえず後回しにしちゃおうか。どうせ『夜』を使わない限りは出てこないんだしね。じゃ、今日はどうしようか」
「イルミネーションエリアはちょっと創りづらくなっちゃったから、植物園の方を進めるのはどうかな」
「そうしよっか。どこまでやったんだっけ?」
今だってそうだ。
何でもないことのように言うカエデだけれど、表情の端々から緊張が伝わってくる。
きっと、カエデにとって、都合の悪いことが起こっている。
だからこそ、月子は何も聞かないでいる。
口にしないということは、きっと聞かせたくないことなのだから。カエデの嫌がるようなことは、何もしたくない。
それに、と自分自身に言い聞かせてもいる。
大丈夫。
たとえカエデが何を隠していたとしても、あの黒い犬とカエデのどちらを信じるかと問われれば、自分は絶対に、絶対にカエデを信じることを選ぶのだから。
あはは、とカエデが笑った。
考え事をしていた月子は、どうしてカエデが笑ったのか、よくわからなかったけれど。
カエデが笑っているから、笑った。