5-③
「大丈夫? 月子ちゃん、怖くない?」
「ううん、全然平気だよ」
むしろ、すごく気持ちいいくらいだった。
空から見たふたりの街は、月子が想像していたよりもずっと綺麗に整っていた。綺麗に全体が円形に揃っていて、その内側には同心円上に水路が巡らされている。中心点では、まだ仮置きしただけの、発展途上の噴水が鎮座していて、そこから放射状に、円状の水路を結び付ける交差水路が伸びている。
それを見下ろす月子は、今、カエデに背中からきつく抱きしめられている。どうやっても振り返ることはできないけれど、もしも月子が後ろ側を見ることができたら、カエデの背中から伸びる翼が、ゆったりと羽ばたく様を目に収められただろう。
翼。
『翼』のカード。
その一文字を見たとき、わくわくしなかったと言えば嘘になるが、それでも一番大きな気持ちが心配だったことには間違いない。
だって、飛べるなんて思わない。
子どものころに、学習系の本で読んだことがある。天使が翼で飛ぼうとした場合、人間で考えたらものすごい量の筋肉が必要になるという話を。月子は別に、自分がそこまで運動能力に優れていないとは思っていないが、しかし人間、限界というものがある。
その強張っていた顔色を読んだのか読んでいないのか、カエデはこう言った。
大丈夫。私、こう見えて結構力持ちだよ。月子ちゃんくらい抱えて飛べるさ。
そういうものか、と月子は信じて、今はこうして、ふたりで空を飛んでいる。
「やっぱりちょっと、水流が混じっちゃってるところがあるね」
「そうなるかあ。ちょっと弄ってみようかな。どうすればいいと思う?」
「うーん……。そうだね、たとえば……」
本人が言うだけあって、カエデは実際に力持ちらしかった。腰のあたりからがっちりと腕で身体をロックされているけれど、ふらついたり、滑り落ちそうになったりする感覚がまるでない。翼の操作にも特に苦労している様子はなさそうだし、改めてカエデは人間ではなさそうだ、という印象を、月子は持った。
でもまあ、それが今さらどうしたという話でもある。
「お、もしかしてこれ、結構いいんじゃないかい?」
「綺麗に流れたね。そうしたら、他の合流ポイントも全部同じようにしてみて、確かめてみようよ。ずっと飛んでるのがつらかったら、一度下に降りて、」
「平気だよ、このくらい」
言って、カエデは指の間に挟んだ『水流』のカードで、また水路の操作を始める。力を込めたらしい指が月子のお腹に当たって、一瞬くすぐったさに身をよじりそうになって、死に直結してしまう、と身体を固め直した。
「お?」
「あ、」
ふたりでその結果を見守って、
「やたっ」
「いけたね!」
予定していた通りに、すべてのボートが街の中を循環するように動き始めた。月子は思わず、ぐっと拳を握った。同じ気持ちだったのか、月子を抱えるカエデの手にもぎゅっと力が入った。お腹を押された月子が、うぐ、と声を出したのも束の間、
「わ、」
「やったね、月子ちゃん!」
視界がひっくり返った。
月子は目を白黒させる。死んだのかな、と一瞬思ったけれど、お腹のあたりを圧迫されている感覚はまだある。ということはまだ生きている。
そのうち、風がまだ生まれていないはずの世界で、風を感じるようになる。
飛んでいた。カエデに抱えられたまま、街の上を。
空を。
ひょっとすると、自動車に乗っていたときよりも勢いづいた速度で、カエデは飛んでいる。聞こえてくる声はやった、とか、達成感を表現する言葉や、それに類するものばかりで、楽しくて、喜んで飛んでいることがわかる。
自分の身体が誰かに委ねられていて、身動きも取れない状態で、手を離されただけで死んでしまう、そんな状況にあるというのに、月子に不安はなかった。
手を離さないでいてくれると、もう信じられるから。
ふと月子は、自分が笑っていることに気が付いた。頬のあたりが、不思議な、柔らかい熱を帯びている。
それがおかしくなって、ついには声を上げて、笑った。
カエデと一緒になって、笑った。
風の中で、カエデの声が聞こえてくる。
ねえ、次は何をする?