4-④
「まいったなあ、いくら回してもメダルがなくならないよ。困っちゃうなあ。寝る時間がなくなっちゃうなあ」
全然困ってなさそうな声を出しながら、にまにまとカエデが笑ってガチャガチャを回し続けるのを、その横で月子はにこにこと微笑みながら見ていた。
うれしそうだった。どちらも。
なにせ二百枚だ。二百枚なのだ。今まで一日に五枚そこらのメダルを集めてせこせこ暮らしていたのが馬鹿らしくなる。イノベーションがインフレーションをもたらしたのだ。
まさかこんなに上手くいくとは思っていなかった。
初めの頃こそ徐行を続けてとろとろと走らせていたのが、時間が経つにつれて、工作の強度に信頼が置けるようになった。それからはもう、これまでの回収作業とは比べ物にならない。あっちへブンブン、こっちへゴーゴー、これまでの原始的採集生活には終止符が打たれ、これからは機械の時代なのだった。
自分の考えたアイディアが上手くいった月子は、当然うれしくなったものだったし、カエデも小まめに網から回収したメダルを助手席で抱えては、ふんふふんと横揺れしながら鼻歌まで歌う始末だった。
そして今、拠点に戻ってきてからは、終わらないガチャガチャのパレード。
カエデはもう、何が出てきても楽しい、という調子だった。『モップ』だとか『コンピューターマウス』だとか、今の時点で何の使い道もないものが出て来たときですら、何とこれはーっ、だのなんだのと言ってはしゃいでいる。
一方で月子は、カエデがはしゃいでくれていることにはしゃいでいた。がんばってよかった、と思う。いつもだったら月子はこういうことはしないのだ。グループワークでアイディア出しの役割を担ったことがほとんどない。大体は他のメンバーからの無茶ぶりを一身に受けて、全員が平等にそこそこに満足するよう調節して、全員から平等にそこそこの不興を買ったりしていた。そうじゃなければ書記とタイムキーパーを同時にやったり、何かあったときに教師に言い訳する係を務めたりだとか、そういうのばかりをやっていた。
だから、なおさら思う。
喜んでくれて、がんばってよかった。
「おおっ、月子ちゃん見て見て見て! 『ペン』の次は『紙』が出てきたよ! コンボが決まったね! これでいつでもメモし放題……、わ、よだれが出てきちゃった」
「…………」
ちょっと喜びすぎかな、とも思うけれど。
狂ったようにガチャガチャを回し続けるカエデは、もうほとんどおもちゃを前にして我を失ったうさぎみたいだった。月子は、尋常ではないな、と思い、それからそういう種族なのかもしれない、と妄想する。
結局名前を聞いたばかりで、カエデがどういう存在なのか、月子は聞いていない。でもやっぱり、見た目からして普通の人間ではないんだろうな、ということは思っている。神様なのか天使なのか、選ばれし者なのか。いずれにせよ、そういう、ガチャガチャに強い喜びを覚える種族なのかもしれないという想像は、別にそれほど荒唐無稽なものじゃないと、そう思っている。
聞いてみればいいんだろうけど。
わからないままでも居心地がいいので、聞かない。
「……ん?」
「どうしたの?」
そんなことを考えながらカエデを眺めていたら、急にその喜びが止まった。今なら『ハエ叩き』が出てきても喜ぶだろうに、と不思議がって、月子は横から、その手元を覗きこむ。
わ、と思わず声が洩れた。
「カエデさん、いいの引いたね」
「え、そう? 私、いまいちピンと来てないんだけど……」
「ううん、すごくいいよ」
月子にしては、珍しく声のボリュームが大きくなりつつあった。興奮と見守りの攻守交替がここで起こる。月子は新しく現れたカードを熱心に覗き込んでいて、カエデはその様子に戸惑っている。
そのカードは、『水流』と書かれている。
「どんなところが?」
「えっと、」
上手くいくかはわからないんだけど、と前置きをしてから、
「これ、たとえば海流とか潮の流れみたいなものを作れるんだと思う。元々の、たとえば……ごめん。その前に聞きたいんだけど、今って私たち、地球にいるって考えていいの?」
「え?」
カエデは一度、少し目線を上に巡らして、
「うーん、あんまり。ここに地面があるのって、私が前に『大地』のカードを引いて使ったからだから。『空』とか『重力』があるのもそのカードを引いて使ったからだし。『地球』とか『惑星』、それに『宇宙』のカードを使ったわけじゃないから、地球でもないし、他の星でもない……、と思う。本当に、ただ地面が広がってるだけ、って思ってもらった方がいいかもしれないな」
その答えに、月子は満足して頷いて、
「じゃあカエデさん、この『水流』のカードを使ったとき、自由にその水流の方向って固定できそう?」
「できると思うよ? 具体的な物体を指さないタイプのカードなら、イメージ次第で色々弄れるし。逆に、『自動車』みたいな既製品を呼び出すタイプのだと細かい調整は難しいけど」
「それならたぶん、『自動車』を使うよりも大規模なメダルの回収システムが作れると思う」
カエデは、あ、の形に口を開いた。しかしそれでもそこからしばらく言葉は出てこなくて、たっぷり五秒、
「え?」
特に意味のない声を出した。
それに月子は答えて、
「『水』のカードを使って、この世界全体を水浸しにすればいいと思う。それで、水底に『水流』を設定して、この場所の近くに全部の流れが行き着くようにすればいい。そうすれば、私たちが何もしなくても、あらゆる場所のメダルがここに流れ着いてくるようになると思う。……難しい?」
ちら、と月子はカエデの顔色を窺った。途中から声は小さくなっていた。
というか、後悔を始めていた。
調子に乗って喋り過ぎたかもしれない、と思ったのだ。一度上手くいったからといって、今回も上手くいくとは限らないし。というか一度成功したくらいでアイディアパーソンを気取るのって何か自意識過剰というか勘違いというか、恥ずかしいし。
けれど、カエデは、
「…………天才」
心なし、震えた声で、
「天才だね、月子ちゃん!」
叫ぶように言って、立ち上がった。
月子はその勢いに気圧される。でも、褒められてうれしいので、後退ったりはしない。
「えっ、」
そうしたら、そのまま抱きしめられた。
「えっ、えっ?」
「それって完璧だよ! これならもう、メダル回収に時間を使わなくてよくなるし!」
うんとかすんとか言えばいいのに。
言えないでいる。もう月子はパニックに陥っているから。
人からこんな風に触れられたこと、もう何年振りかもさっぱりわからない。
柔らかいし、いい匂いがするし、それに温かい。生き物の感触がする。なんだか自分でも理由がよくわからないまま、泣きそうになったりする。抱きしめ返したくなったりする。腕を持ち上げようとして、いやでも、と躊躇って下ろしたりする。
興奮したカエデは、そんな月子の躊躇いに気付く様子もない。
「よし! そうと決まれば早速――、」
「ちょ、ちょっと待って。その前にこの場所に水が入ってこないようにしないと。水流が何か間違ってここまで来ちゃったら、寝てる間に溺れて死んじゃうかもしれないし」
「確かに! どうすればいいかな?」
もうカエデは、進む以外の選択肢を考えていない、そういう口ぶりだった。これは自分がしっかりリスク管理しなければならない、とまた月子は頭を働かせて、
「とりあえずこの場所の標高を高くして……。それから念のために周りに防波堤とかを作った方がいいと思う。ぐるっと囲むように。それから、水のある範囲は基本的に私たちが行動できない範囲になるから、自分たちの居住スペースの確保、わわっ」
言っている間に、足下が急にぐらぐらと揺れて、それから隆起を始めた。咄嗟の出来事に月子は驚いて、当然足がもつれて倒れそうになったけれど、カエデは月子の身体を強く抱いたままだっただから、おかげでただ、少し傾いただけで済む。
揺れの原因なんて、考えるまでもない。
「とりあえず、やっちゃおう!」
カエデだ。
「いや、でも……」
「どうせ住む場所なんて段々拡張していくんだから、最初はざっくりでやればいいって。とにかく作って作って、ダメなら取り壊してまた考えようよ。いつだって、ここの水なら出し入れできるんだから」
そう言われると、月子も何も言い返せない。確かに、ここならいくらでも取り返しがつくのだ。一度やってみて、失敗したらやり直せばいい。
最後に成功すればいい。それだけのことなのだ。
「……うん、そうだね」
月子は、頷いた。
どんどん、二人の足下が盛り上がっていく。これまで平坦だった大地を見下ろすようにして、ふたりの立つ場所が高くなっていく。それから、何も遮るもののなかった視界、その向こうに、同じように盛り上がっていく壁が見え始める。
こんなものかな、とカエデが言う。
どんなものだろう、と月子は思う。でも、カエデが言うなら、こんなものなのだろう、と仮置きしておくことにする。
カエデはポケットから紙束を取り出す。もうすっかり分厚くなったそれは、使用頻度の高いものだけが、いつでも使えるようにまとめられている。その中から、『水』のカードを引き抜く。
握って、開く。
「どのくらい?」
カエデが聞く。月子は耳を澄ます。抱きしめられたまま、自分の鼓動と、それ以外が聞こえてくる。
遠くで、海の生まれる音がする。
もう少し、と月子は言った。