4-②
「…………」
「…………」
どうしよう、という顔で月子はカエデを見た。
どうしろって言うのさ、という顔でカエデは月子を見た。
ガチャガチャ箱の前に座り込んでいるのは月子で、ついさっき引いたカードを、カエデにも見えるように広げている。
『自動車』
ラジコンよりも先に、本物が出た。
「運転、できる?」
「できたとして、どうしろって言うのさ」
月子は考えていた。実際問題、ラジコンが出てくるまでどのくらいの時間がかかるのだろう、と。
だって、このガチャガチャ箱の中にいくつのカードが入っているのか、わからないのだ。ひょっとすると本当に無限に近い数が入っているかもしれない。その状態から目当てのカードを探すことができるのか。無理だ。どう考えたって無理だ。少なくとも徒歩でメダルを集めているうちは、絶対に無理だ。
だから、与えられたものでやっていくしかないのだ。
月子は、そう考えている。
「…………」
「いや、じっと見られても……。私だって君と似たようなものだと思うよ? アクセルとブレーキがあるってことくらいしか……、あとドライブとパーキングか。バックはなんだっけかな……」
「十分だと思う。それだけ知ってれば。進んで止まれる」
「たまに君って、そういう一かゼロかみたいなことを言い出すよね。だいたい、肝心の磁石をまだ引き当ててないじゃないか。私が運転するにしたって、ただのドライブじゃ仕方ないよ。それにガソリンの問題だってあるじゃないか」
「ガソリンは問題ないと思う」
月子は言った。これまで引いた、たとえば電子辞書だとかを例にとって。あれだって、初めにカードから出したとき、ちゃんと乾電池が入っていた。それと同じように考えるなら、自動車だってたぶん、基本的な動作のために必要な燃料は入っているはずだ、と言った。
うーん、とカエデは唸り、とりあえず、と月子の手からカードを受け取って、実際に車を出してみる。実際にどうなのか確かめてみよう、ということだった。
出てきた車の種類に、月子は心当たりがなかった。元々車に詳しいという性質では、絶対にない。たぶんかっこいいとか言われるタイプのやつなんだろうな、とぼんやりと思う。それから、自分の家で乗られていたものよりもだいぶ高そうだ、とも思う。
とりあえずカエデが中に入る。
「……キーって、どこに差すんだろう。ていうか、え、何これ。この鍵……鍵?」
「え、そのボタン押すんじゃないの?」
「え、じゃあこのこれ、丸いのって何?」
「鍵?」
「どこに差すの?」
「え、ただ持ってればいいんじゃないの?」
お互いに会話がよく噛み合わない。開け放した運転席のドアの横に立ちながら、月子はちょっと不思議な気持ちになった。カエデは何でも知っているのかと思っていたのだ。自分自身、車の運転の仕方なんてまじまじ見たことはないというのに、それでもカエデよりも少しは知っていそうに思えてくる。でも、冷静に考えてみると、カエデが機械に縁がないというのも、納得のいく理屈ではある、と思う。だって何か、浮世離れした存在に見えるし。
「これ?」
恐る恐る、という調子で、カエデが『Power』と書かれたボタンを指差す。
それだと思う、と月子が頷くと、爆弾のスイッチでも押すみたいに、カエデはそれに指を沈めた。
きゅうん、と子犬がノックダウンされたときの鳴き声のような、そんな音が響いた。
「え、なになになに! 私、何もしてないよ!」
したでしょ、と言っていいものか迷い、言わないでおいた。
あわあわと混乱しているカエデはさておいて、その前に月子は車の中に上体だけで入って、カエデの前を遮るようにして腕を伸ばす。
もう一度、押してみた。
もう一度、同じような鳴き声が響いた。
「壊れちゃったのかな」
カエデがそう言うので、そういうこともあるのか、と月子は一度納得しかけた。
でも、そんなことはないと思うのだ。
これまでカードから出てきたものが機能しないことはなかった。電信柱だけは微妙だったけれど、あれはそもそも本体がないのにアダプターだけが出てきたようなものだから、また別の話としてカウントしていいだろう。
故障ということは、ないと思う。そうなると、
「……ごめんなさい、カエデさん、ちょっと退いてもらっても……」
「あ、うん。え? 大丈夫?」
わからないけれど。
カエデと入れ替わりで、月子は運転席に座る。さっぱりわからないが、とりあえずハンドルを握ってみて、それから周辺機器を見てみる。
鍵穴は、確かにない。このあたりのところは自分の家で使われていた車と同じだからわかる。別に差し込む必要などないのだ。ただ鍵だけ、この運転席の横のくぼみに入っている丸っこい機械が車の中にあれば、それでエンジンはかかるようになっているはずなのだ。
助手席側へと目を移す。『D』とか『R』とかが脇に書かれたレバーがある。今は『P』と書かれた場所に、そのレバーが入っているように見える。記憶を辿ってみると……、うん、確かここでよかったはずだ。あとのアルファベットが何を指しているかはわからないけれど、それは後で確かめてみればいい。普通の車についているモードなら、突然ガソリンを撒き散らして爆発したりはしないだろう。たぶん。
もう一度、スイッチを押してみる。同じ鳴き声。
「うーん……、やっぱりダメなのかな」
車の外からカエデが言ったが、もう月子には聞こえていない。集中している。どうしてだろう、と考えている。
父や母の運転していた姿を思い出す。普通にスイッチを押して、エンジンをかけていたはずだ。特別な前準備をしていた形跡はなかったと、そう思う。だとしたら、
「前じゃなくて、同時に……」
「え?」
冷静に考えれば、と月子は思う。ただスイッチを押しただけでエンジンがかかってしまっていいものだろうか。たとえば車の中で待たされていた子どもがスイッチを押してしまえば、もしもそのときアクセルをそうと知らずに踏んでしまったりしていれば。すぐさま大事故に繋がりそうな、そんな仕組みがありうるものだろうか。
たぶん、セーフティがあるのだ。どうすればエンジン始動時に急発進を防げるのか。
そっか、と月子は思いつく。
ブレーキを踏みながらボタンを押すのだ。足元にはペダルが三つあったけれど、どれがブレーキかはすぐにわかった。どう考えたって、咄嗟のときにいちばん踏みやすいように幅を広くとっているのがそれに決まっている。
踏んだ。
押した。
点いた。
ぶうん、と音を立てて。
「やたっ」
「おおおお! すごい!」
ぱちぱちぱち、とカエデが大きく拍手してくるので、月子はてれり、とはにかんだ。はにかみながら、残りのふたつのペダルの、踏みやすい位置にあるのがアクセルで、踏みにくい位置にあるのがサイドブレーキというやつだろうとあたりをつけている。
ひとしきり月子を称えたのち、カエデはふっと我に返った様子で、
「って、車が使えるようになっても仕方ないんだって。磁石がないんだからさ。ただのドライブっていうならいくらでも付き合うけど」
「ううん、磁石は使わない」
「え?」
「上手くできるかわからないけど……」
確かに、最初の案とは違う。ラジコンどころか本物の車を引いてしまったし、楽にメダルを回収するための磁石もまだ手元にない。
でも、月子は思う。
与えられたものでやっていくしかないのだ。
「網戸とハサミ、出してもらっていい?」