あの日の夕日を覚えていますか。
「俺たち、別れよう。」
それは、突然だった。
私がテレビを見ている時、普段の何気ない会話と同じように、彼は言った。
テレビの中の赤い服を着たお笑い芸人が「うそやんー!」といって、周囲が笑う声が聞こえてくる。
テレビでは明るい雰囲気なのに、今この場は、空気が張り詰めている。
「え。急に……なんで?」
私は戸惑っていたが、冷静を装いつつ、言った。
彼は躊躇わずに、私の問いに答える。
「俺、もう、お前の事、好きじゃなくなった。」
テレビの音は耳に入らず、彼の冷たい声だけが、鼓膜に響く。
一瞬、意味が理解できなかった。
彼に、心の中で問いかける。
いつから?
いつから私の事、好きじゃなくなったの?
そして、心の中で非難する。
あんなに、私の事好きって言ってくれていたじゃん。
私にいつも、笑顔を向けてくれていたじゃん。
どうして、好きじゃなくなったなんて、言うの?
「……そっか。」
そんなこと聞けるはずもない。
「……うん。それなら……別れよう。」
私はそう言った。
そう言うことしかできなかった。
泣きそうだ。
今すぐここで、みっともなく泣きたい衝動に駆られたが、必死に抑える。
私は立ち上がり、彼のアパートから出るために身支度を済ませる。
「……じゃあ、今まで、ありがとうね。」
私は彼を首元を見ながら、笑顔を作って言った。目は合わせられなかった。
声が少し震えてしまっていたし、作った笑顔も、ぎこちなかったと思う。
彼は、きっとそのことに気づいた。でも私を引き留めなかった。
……引き留めてほしかった。
本当に最後なんだな、と私は実感し、余計に辛くなる。
私は、勢いよく彼の部屋から出た。
バタンとドアが閉まる大きな音がした。
私と彼の関係を断つ音。
外は冷たい風が吹いていて、寒かった。
私はコートのポケットに手を入れながら、アパートの階段を降りる。
「一人ぼっちに……なっちゃったな……。」
一人になった瞬間、涙がとめどなく溢れてくる。
どこか一人になれる場所に行こう。
彼のアパートの近くには、川がある。
私はそこに向かうことにした。
顔を下に向けながら、人通りのない道を歩く。
川の近くにたどり着いた私は、もう誰にも見られない、と安心する。
私は坂を下り、川のほとりへ向かう。
でも、そこには先客がいた。
黒いコートを羽織った男。私の気配に気づいた彼は、私の方を向く。
私は、泣きはらした顔を彼に見られてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい。」
私の顔を見てしまったことに、彼は謝る。
「あ、俺、ここにいないほうがいいよね?」
彼は私の様子をみて、気を利かしたのか、立ち上がる。
「あ、い、いえ。だ、大丈夫です。」
私はそう言い、くるっと回り、帰ろうとした。
「ねえ、どうしたの? 何かあった? 俺でよければ聞くよ。」
彼のその発言に、私は足を止める。
「……なんて、かっこつけてみたけど、俺、今日振られたんだよね、彼女に。」
私は彼の方を振り返る。彼は茶色い髪を風になびかせ、私に微笑んでいる。
「……あなたも、振られたんですか。」
私はボソッと呟いた。
それは風にかき消され、彼には届かなかった。
彼は、私が帰らないと思ったのか、こっちへおいで、というポーズをした。
私は彼の方へ向かう。
彼はその場に座り込んだ。
私も、その隣に座る。
私と彼の距離は、近くもなく、遠くもない。
彼氏よりは遠いけど、他人よりは近い。そんな距離。
丁度、夕日が沈む時間帯。
透き通るような水の色も、この時間はオレンジ色に染まる。
「ここにいると、落ち着くよね。だから、君がここに来たのも、分かる。俺は、辛い時よくここに来るんだ。ここは、自分をうけ止めてくれる気がするんだ。」
彼は私の方を見ることなく、言った。
「……私、今日、振られたんです……。」
彼は、無表情のまま、「そっか……。」と言った。
同情するわけでもなく、笑うわけでもなく。
「私……一人になっちゃった。」
私はポツリとつぶやく。
少し間をおいて、彼は言った。
「君は、一人じゃないよ。僕も、今日振られたんだ。だから、仲間。」
「仲間……。」
「そう、恋人との関りが、すべてじゃない。俺も、君も、さみしいって感じている仲間だよ。」
「あなたは、振られたのに、どうして明るくいられるんですか?」
彼は、頭をポリポリ書く。
「俺はね、元カノに、『明るいところが好き』って言われたんだ。未練たらたらだよね。」
彼はそう言って笑った。
「私も、未練たらたらですよ。まだ……彼の事好きなんです。はっきり、『私の事好きじゃない』って言われたのに。」
夕日は、だんだんと沈んでいきそうになっていた。
空は、オレンジと藍色のグラデーション。
「いつか……忘れられる日が来かな。」
「いつか……思い出に出来る日が、来ますかね……。」
私たちは、無言で夕日を見ていた。
夕日が沈み、私の泣きはらした顔が少しマシになったころ、彼は立ち上がった。
私も立ち上がる。
「じゃあ、暗くなる前に帰るんだよ。」
「はい。」
私達は逆方向に歩きだした。
また会いましょう、とは言わなかった。
たまたま、会っただけの彼。
たまたま、同じ日に振られたから、話しただけ。
でも、彼のおかげで、救われた。
一人じゃないって、気づけて良かった。
川辺で会った彼とは、あれ以来会っていない。
連絡先も、名前も知らない。
だけど、あの日の夕日だけは覚えている。