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勇者の子育て奮闘記  作者: 砂夜
2/10

勇者、子持ちになる

 イセリア帝国。大陸でも屈指の軍事力を誇る強国である。その帝都イリアスの貧民街で、一人の男が路上で寝ていた。

 男の名はアルフレッド・フレベル。年齢二十二歳。『元』イセリア帝国第三騎士団所属。階級は一等重騎士。それが、過去における彼の公的な肩書である。では現在はどうか? 簡単に、身もふたもない言い方をしてしまえば、『無職』である。

 微睡の中、アルフレッドは自分の遠い過去を見ていた。誰もがそうであるように、子供だったアルフレッドにも、自分の夢があった。それは『世界を平和にする』こと。誰もが現実を知っていく中で夢を手放しても、アルフレッドは自分の夢を手放さなかった。世界を平和にするために力が必要ならば、必死に力を付け、人間を遥かに超えた強さの領域にまで足を踏み入れた。力で敵を全て倒せば、世界を平和にできると思っていた。だからこそ、人間族と敵対する種族と必死に戦った。敵を全て殺せば平和が来ると信じて。途中までは、妙な高揚感があった。敵を一人殺すたびに、自分の理想の世界が近づいていると思えた。だがその昂揚感は、魔王を殺したときに終わりを迎える。倒れ伏す魔王の傍で泣き叫ぶ幼い子供。子供は「おとーさん! おとーさん!」と泣き叫びながら、事切れた魔王の身体を揺する。その子供を見て、アルフレッドは自分が何をしてきたのかを理解してしまった。そして栄光からも、罪の意識からも背を向けるようにして、アルフレッドはその場から逃げ出した。だがどれだけ逃げようとも、何も変わらなかった。心に沁みついた、ドス黒い染みが消えることは無かった。


「起きたまえ」


 低い男の声が鼓膜を叩き、アルフレッドの意識は覚醒していく。夕日が寝ぼけ眼に突き刺さる。


「ジムサ……団長?」

「私の顔はまだ覚えていたようだな」


 禿頭の男は、かつてアルフレッドが所属していた騎士団の団長であった。


「一年会ってないだけで忘れるほど、頭は悪くないつもりです。それで、何か用ですか?」

「仕事だ。ついてこい」


 それだけ言うと、ジムサは返事を待たずに歩き出した。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 アルフレッドは慌ててジムサの後を追う。無視をするということも出来たが、ジムサには恩がある。無下には出来なかった。


「団長。俺はもう、兵士ではありません。仕事なんて……」

「何も仕事はしていないのだろう? なら私の頼みを引き受けてくれても良かろう」

「ですが……」

「安心しろ。戦う仕事ではない」

「というと?」


 ジムサは足を止め、一枚の羊皮紙を差し出した。その紙の上部には、『アリステイル・グルノーブル』と書かれていた。誰かの名前だろうか。他には、年齢、性別、好きな物、嫌いな物等が細々と書かれている。


「これは?」

「君の娘だ」

「…………意味がわかりません」


 アルフレッドは結婚しておらず、現在付き合っている女性もいない。過去の過ちという可能性が全く無いとは言わないが、避妊はしっかりしたのでその可能性は低いと思いたい。


「実際に合わんと、実感が沸かんか?」

「実感も何も……」


 そもそも事態が飲みこめない。


「まあ、そうだろうな。少し説明しておこうか」


 ジムサは眉間に皺を寄せ、数秒考え込んだ。


「まずは君の立場から話そう」

「立場と言いましても」


 無職の浮浪者。これ以外に何かあるのだろうか?


「現在の状況はあまり問題ではない。問題なのは、君が魔王を殺した勇者だということだ」

「そんなに大層な者じゃありませんよ」

「君が自分自身をどう思おうと構わんが、魔王を討ち戦争を終結させた者という肩書はとても重い。君が考えているよりな」

「それがなんですか? 勇者がいなくなって、兵の士気が下がると? それとも、他国に対して面子が立たないですか? そんなこと、俺の知ったことではありません」

「それもあるが、それは大した問題ではない。問題は、国の上層部だ」

「上層部?」


 国を動かしている貴族達のことか。


「君には理解できないかもしれんが、平時の勇者はお偉方にとって頭痛の種なのだ。君が貴族としての地位を望み、国政に関与するのではないかと眠れぬ夜を過ごしている」

「下種の勘繰りですね」


 眉間に皺を寄せて、アルフレッドは苦々しく呟いた。権力を握りたいと思ったことは一度もないし、政治になど興味はない。その証拠として一番説得力を持つのは、今の体たらくだろう。


「それで、それがどう問題なのですか? まさかそれを恐れて、ジムサ団長に俺の殺害命令でも下されましたか?」

「それならばもう殺している」


 ジムサはそっけなく答えた。


「何の罪も犯していない者を殺すわけにもいくまい? だからこその今回の任務だ」

「はぁ……?」


 つまり、任務の失敗を口実に何らかの処罰を考えているということか? しかし任務の失敗で命まで取られるとは思えないが。


「それで、任務と言うのは? この子供と何か関係が?」

「それはその子と実際に会ってもらってから話す。辻馬車を拾うぞ」


 そう言ってジムサは近くにいた辻馬車を止めると、御者に行先を告げた。


「監獄塔まで行ってくれ」


 そこは政治犯用の監獄だ。クーデターや皇帝暗殺、大規模な政治批判をした者などが、多数収容されている。そんな場所に、このアリステイルという少女が収容されているのだろうか。だが資料を信じるならば、この者はまだ五歳という年齢だ。


「どういうことだ……」


 様々な疑問はあるが、それはジムサと一緒に監獄塔に行けば全て氷解するだろう。頭を掻きながら、アルフレッドはジムサについていくことにした。


・ ・ ・ ・ ・ ・


 帝都イリアスの最北部。一般人は立ち入り禁止となっているこの区画に、監獄塔はある。常に百名以上の騎士と魔術師が警備にあたっており、見る者には監獄というよりも要塞を想起させる。


「ここの地下二十階の最下層だ」


 ジムサは衛兵に書類を渡す。そして衛兵たちは十数分かけて、アルフレッドとジムサの身体検査を始めた。剣はもちろんのこと、小さな金具までも全て取り上げられた。


「ここまでやるか……」


 ボソリとアルフレッドは呟く。


「規則ですので」


 そんな小さな不満をしっかりと聞いたのだろう。衛兵は端的にそれだけ口にした。


「行くぞ」


 重い扉が軋みを上げて開き、アルフレッドとジムサは監獄塔の中に入る。塔の中は薄暗く、石造りのためにどこか薄ら寒くなるような冷気が漂っていた。


「たしか、階層が深くなるごとに罪状が重くなるんでしたか」

「その通りだ。外から見えている部分の囚人なんぞ、小物にすぎん」


 だとするなら、最下層に収容されているアリステイルなる者は余程の事をしでかしたのだろう。


「……五歳だと資料にはありましたが?」


「資料に間違いはない」


 きっぱりと、ジムサは言い切った。

 大した会話も無く、二人は螺旋階段を降りていく。


「ここだ」


 大きな鉄の扉が、重厚な威圧感を放っていた。衛兵は居らず、不気味な静寂だけがその場を支配している。


「この扉は特殊な鉱石で作られていてな。物理的な衝撃はもちろん、あらゆる魔術を受け付け

ない作りになっている。開けるには、この鍵しかない」


 ジムサは鍵を二つ、取り出した。


「その扉の端の方に行け。鍵穴がある」

「これですか」

「いいか? 同時に鍵に刺すぞ。だが、まだ回すな。よし、入れろ。次は、同時に右に回す。回せ。次は、左に回す。回せ」


 随分と面倒な手順だ。辟易しながら、アルフレッドはジムサの指示に従う。

 ガチャリと、大きな音が響いた。


「しかし、鍵はずいぶんと厳重ですが、衛兵の一人もいないのは不用心ではないですか?」

「心配はいらん。鍵の手順を一度でも間違えると、この部屋の生物は消滅する。そういう魔術がこの部屋には仕掛けられている」

「……そういうことは、予め言っておいて欲しいですね」

「言ったら、手元が狂うかもしれんだろう?」


 ニコリともせずに、仏頂面のまま、ジムサは言った。


「開けるぞ」


 ジムサは扉に手をかけ、ゆっくりと押した。

 扉の中は、小さな部屋だった。内装は質素ではあるが、貧相ではない。そして壁には魔力で動く自動人形が数体配置されている。おそらく、世話役兼監視役なのだろう。

 そして部屋の中央には、可愛らしい少女がぺたんと座っていた。


「あの少女が?」

「うむ。アリステイルだ」


 その口調は随分と柔らかだ。普段のジムサの態度からは想像もできない。


「あぅ?」


 アリスは突然の訪問者に目をぱちくりさせていたが、すぐに顔中に笑顔を浮かべて、こちらに向けて突進してきた。


「おじさん!」

 アリスはがしっとジムサの足に抱きつくと、そのまま木登りでもするかのように背中までよじ登っていった。


「のぼれた!」

「うむ。頑張ったな」


 アルフレッドは、自分の目で見た者が信じられなかった。あのジムサの口角が上がっている。戦で大勝しても、自分の誕生日パーティーの時も、部下の結婚式の時も、決して笑わない男が僅かではあるが笑っている。


「あれ? こっちのおじさんは?」

「おじさん……?」


 まだ三十にもなっていない男に対して、侮辱にも等しい発言だ。


「このおじさんはね、今日から君のお父さんの代わりになってくれる人だよ」

「おとーさんのかわり?」


 じーっと、大きな二つの眼が、アルフレッドを見つめる。瞬間、妙な既視感をアルフレッドは覚えた。どこかで、この眼を見たような、そんな気がする。


「アルフレッド。これが任務だ。この子の親代わりになれ」

「待ってください団長。まだ引き受けると決めたわけでは……」

「グルノーブルは偽名だ。本当の姓は、ラストウェッジ。この子の親の名前は、ジョニエル・ラストウェッジ。そう言えば事態が飲み込めるかな?」


 ジョニエル・ラストウェッジとは、数年前人間族以外の全ての種族を纏め上げ、人間族に戦いを挑んだ魔王の名。そして、アルフレッドが殺した男の名だ。


「な……」


 ドクンッ! と、アルフレッドの心臓が跳ねた。知っている。アルフレッドはこの子供を知っている。魔王を殺した日。魔王の死体の横で、泣き叫んでいた子供。アリステイルは間違いなく、あの時の子供だ。


「それに……間違いは無いのですか?」

「捕虜にした魔王軍の幹部から証言を得ている。魔王城で厳重に匿われていたことから見ても、間違いはないだろう」


 体中から脂汗が噴き出してくる。上手く呼吸ができない。体の自由が利かなくなる。思わず、一歩後ずさりしてしまう。


「えへへー!」


 ぴょこんと、ジムサの背中から飛び降りたアリスは、とことことアルフレッドの足元まで歩いていく。

 何を言われるのだろうか。泣きながら、人殺しと糾弾されるのだろうか。アルフレッドは、自分が怯えていると自覚した。


「アリスです! えっと、五さいです! あいさつできた!」


 満面の笑みを浮かべたアリスの口から出てきたのは、他愛も無い自己紹介の言葉だった。

 知らない? この少女は、目の前の男が父親を殺したという事を知らない? アルフレッドは、自分が安堵していることを実感した。


「……なぜ、俺なのですか?」


 なぜ親を殺した男に、残された娘を育てさせようというのか。責任を取れという事か?


「言っておくが、責任を取れという人道的な理由ではないぞ」

「なら……」


 アルフレッドは思考を巡らせ、いくつかの仮説を立てた。その中で最も現実的な理由は『餌』であった。

 魔王軍は瓦解したといっても、主要な幹部全てが捕えられたわけではない。幾人かは地下に潜り、行方が全く知れない状況だ。そんな者達を誘い出すための餌として用意されたのが、アリステイルなのだろう。真偽を別にしても、魔王の娘という単語は瓦解した魔王軍を一つに纏め上げるのに十分な響きを持っている。危険を冒してでも、取り戻す価値のある存在だ。しかしそれは同時に、人間族に敵対する強大な組織が生まれるかもしれないという不安要素を孕んでもいる。


「……俺はかなり危険視されているということですね」

「そういうことだ」


 魔王軍の残党を誘い出すためだけならば、この場所に監禁したままでも事足りる。それなのに、わざわざ監獄塔から出してアルフレッドに護衛をさせる理由。もし仮に、アルフレッドが護衛しているアリステイルが何者かに攫われ、アリステイルを旗頭に魔王軍が再編でもされたらどうなるか。作戦を立案した人間よりも、実際にアリステイルを護っていたアルフレッドが責任を問われる可能性が高い。


「もし本当に魔王軍が再編され、再び戦争になったらどうするつもりなんですか?」

「その後のことなど、誰も考えてはおらんよ。考えているのは、金策と保身の事だけだ」


 ジムサは頭痛を振り払うように、頭を軽く振った。


「ねーねー! むずかしいおはなし、おわった?」


 ぐいっぐいっと、アリステイルがアルフレッドの手を引っ張った。


「あ、ああ」


 目下の問題は、この少女をどうするかだ。


「確認したいんですが、拒否権は?」

「あると思うのかね? あったとして、断るのかね?」


 ジムサは冷たい目でアルフレッドを見る。


「いつまで一緒に暮らせば?」

「未定だ。こちらの指示があるまで彼女の身を護ること。これが任務だ」

「了解しました」


 命令に従った形ではあったが、そこには罪悪感もあった。自分のせいで一人の少女が捕らわれの身になっている現実を、どうにかしたかったのかもしれない。


「アリス、だったか。これからよろしくな」


 アルフレッドは立ったまま、アリスを見下ろして言う。


「……うん」


 アリスは見上げながら、少し怯えたように頷く。


「どうした?」


 少し、声が怖かっただろうか? それとも緊張で、顔が強張っていたか? アルフレッドは意識して微笑み、優しげな声を出した。


「目線ぐらい合わせろ。アリステイル。この男は怖そうだが、本当は優しいから心配はいらん」

 ジムサは腰を落とし、アリスと目線を合わせ、ゆっくりとした口調で安心させるように言い聞かせる。

「ほんと?」

「まあ……その、なんだ」


 何を言えばいいのか、アルフレッドは頭を高速回転させて、なんとか言葉を紡ごうとする。

 アルフレッドはゆっくりとしゃがみ込み、アリスと目線の高さを合わせる。


「俺は、怖くないぞ」


 けっきょく出てきた言葉は、他愛ないものであった。自分の語彙力の無さを、これほど恨めしく思った事は無い。


「うん!」


 だがその言葉にアリスは満面の笑みで応え、アルフレッドの顔にも自然と微笑みが浮かんだ。


「アリス、君の親は、その……」

「うん。しってる。すっごくたいへんなオシゴトするから、ちょっとあえないんだよね。でもアリスはイイコだからまてるの!」


 むふ~っと鼻息荒く、どこか誇らしげにアリスは言った。


「そう、か」


 親が死んだことを、忘れているのか。あまりの悲しさで、自ら記憶を閉ざしてしまったのかもしれない。ここで真実をいう事は出来る。「俺が魔王を殺したんだ。俺が君の親を殺したんだ」と。だが、


(そんなことを言って、何になる。悲しませるだけだ)


 それは、自己弁護だろうか。逃げなのだろうか。アルフレッドには、分からなかった。


「話は纏まったな。アルフレッド、少し話がある。こっちに来い」

「アリス、少し待っていろ」

「うん。わかった」


 アリスはコクリと頷き、地面にぺたんとおしりをつけた。

 アルフレッドとジムサは部屋の隅に移動し、声のトーンを落として話をする。


「さて、アルフレッド。アリステイル・グルノーブルの義親となった君には、新しい住居が与えられることになる」

「新しい住居ですか?」

「住居は新しく造られた、十三番区画に設けた。詳しい場所は後程教える」


 魔王軍との戦いは、多くの種族を滅ぼし、多くの難民を生んだ。問題となったのは、この難民の処置だ。もし難民を無下に扱えば、怒りの矛先は難民を生む原因となった人間族へと向かうことは必至。魔王軍との戦いで疲弊した人間族としては、無益な戦いをしている余裕は無かった。そこで各国の指導者は協力し、自国に難民用の居住区を造った。それは勝者の器量を敗者に見せつける形での救済ではあったが、人間族側にもメリットがあった。第一に、労働力の確保。第二に、異種族が持つその種族独自の技術。特に人間族は、この技術を特に重要視した。魔術、土木建築、物理学、製造、農耕、冶金、等々の技術。これらの技術を収集できるからこそ、難民を受け入れているのだ。


「十三番区画……魔都ですか」


 当然ながら、難民に対しての国民感情は最悪に近い。人間族同士でも難民へは敵意の目が向けられるのに、それが異種族ともなれば尚更だ。そのため、難民の居住区は侮蔑と恐れの意味を込めて『魔都』と呼ばれていた。


「私からは以上だ。職務に励みたまえ」

「了解しました」


 漠然としている上に、終わりの見えない過酷な任務だが、戦場で殺し合いをするよりは遥かに気楽で、意義ある仕事だ。それに、贖罪としてはこれ以上ない任務であろう。アルフレッドは刑に服す罪人の気持ちで、笑顔を浮かべるアリスを見た。

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