プロローグ
アルフレッド・フレベルは大きく息を吸い、朝の静謐な空気を肺の中に取り入れる。アルフレッドが息を吸うと、鍛えこまれた胸筋が盛り上がり、薄手の服の下から自己主張する。次は軽く肩を回し、腰を捻る。寝起きで凝った身体が少しずつ解れ、次第に目が覚めていく。
「さて、やるか」
頬を両手でパンッと叩いて気合いを入れる。
積んであった薪をかまどに放り込み、人差し指を向け、頭の中で小さな炎をイメージする。数秒後、薪から蛇の舌のような小さな炎がちろちろと立ち昇り、やがてそれは大きな炎となり、かまどを熱し始めた。
かまどの上に大きな鍋を置き、貯め置きしておいた水を鍋の中に入れる。水が沸騰したら、次は人参とジャガイモとブロッコロー等の野菜を入れ、乾燥させた獣肉を入れる。胡椒などの香辛料を入れ、香り付けのためにハーブを入れる。本来ならば、野菜は下茹でをしたり、乾燥肉は軽く焼いて下味をつけたりした後に入れる物だが、アルフレッドはその工程を全てすっ飛ばした。知らないわけではなかったが「やってもやらなくても一緒だろう?」という考えから行われた暴挙である。
「こんなものか」
一口味見をして、合格点を出す。
「おはよぉ……ご飯?」
ぺたぺたと小さな足音を立てて、小さな女の子が寝ぼけ眼で歩いてきた。腰まで伸びる黄金色の髪は、寝癖でボサボサになっている。そしてその髪からは、山羊の角のような、漆黒の角が顔をのぞかせていた。
「アリス、座ってろ。すぐに食べられるから」
「うん」
蒼い瞳を擦りながら、アリスは椅子によじ登る。
「ほら、食べな」
スープを木の器に注ぎ、その横にパンを置く。
「いただきます!」
食前の挨拶をして、アリスはスープを呑み、スープでふやかしたパンを齧る。
「どうだ? 美味いか?」
「ん~……びみょー!」
眩しい笑顔で、アリスは答える。何度作っても、この小さな口から「美味しい」という単語が紡がれることは無い。しかし最初は「おいしくない」だったのが「びみょー」になったのだ。間違いなく、進歩はしている。
「微妙か」
自分では割と美味しいと思うが、長い戦場生活で舌が死んでしまっているようだ。
「そういえばその、食べる前に言っている、『いただきます』? どこで覚えたんだ?」
「ほいくえん!」
「そんなことも教えてるのか」
保育園。それはアルフレッドにとってだけではなく、この世界にとって完全に未知のものであった。他者に自分の子供を預けるという行為に当初違和感を覚えていたアルフレッドだが、最近ではその考えを改めていた。保育園に通い始めてから、アリスは様々な事を覚えてくる。アリスのためになるのなら、通わせ続けるのもいいだろう。
「うん。せんせーがね、たべるまえにゆうんだよっておしえてくれた!」
「へぇ、あいつがね」
頭の中で、アリスが先生と呼ぶ元聖職者の顔を思い浮かべて、アルフレッドは苦笑する。
「どういう意味なんだ、それ?」
「うーんとね、なんかね……いただきますするの!」
口に物が入ったまま喋るので、口の中の物がボロボロと机に零れ落ちる。
「わかった。お前が何もわかっていないことがよくわかった。あと、口に物が入ってるときに喋るな」
アルフレッドは顔を顰めて、アリスを嗜める。
「えーでもアルがきいてきたから」
「悪かった。俺が悪かったから、口を閉じて食べろ」
「ん!」
言いつけ通り、アリスは口を閉じて食べた。そして、数分もしないうちに全て平らげてしまう。そしてほぼ空になった皿を突き出して、一言。。
「おかわり!」
「その皿に残っているブロッコリーを食べてからな」
アリスの皿の中は、綺麗にブロッコリーだけが残されていた。
「うぇぇ……」
顔が露骨に顰めさせて抗議の意を表すアリスだが、それに屈するわけにはいかない。
「じゃあおかわりはダメだ」
少し昔は、こんなに強い態度が取れなかった。アリスのワガママを受け入れてばかりで、育ててはいなかった。それはアリスに対して負い目があったから。だが今は違う。しっかりと『親』としてアリスを育てる責任を、アルフレッドは自覚していた。
「あー! たべるたべる!」
一瞬躊躇した後、アリスは口の中にブロッコリーを放り込んだ。もにゅもにゅと、口が動く。
「たべた!」
『あー』と口を開けて、アリスは食べたことを証明する。
「偉いぞ。よく食べられたな」
アルフレッドは笑いながら、優しくアリスの頭を撫でた。
「えへへー!」
それに、アリスは満面の笑みで応える。
「じゃあ、おかわりしてやろう」
アリスの皿をとり、スープを注ぐ。
「ほら。ゆっくり食べな」
アリスは皿を受け取ると、アルフレッドの忠告を聞かずに勢いよくがっつき始めた。
そんな姿を、アルフレッドは微笑ましい気持ちで眺める。
(眼とか、わりと似ているな)
自分に、ではない。アリスの本当の親に。かつて殺した男に。
少女の父親は、人間が魔王と呼び恐れた存在。殺した魔王の娘のために、勇者は父親となった。