第六話「断てよ因縁」(後)
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けたたましいアラームに起こされ、アケミは目を見開いた。
止まぬ悲鳴はよく知る声だ。暗がりに灯りがぽっと浮かび上がり、思わず目を覆いたくなるような光景が飛び込んでくる。
――タカノがいた。
何やら木馬のようなものに跨っている。両腕は背中に縛られ、足首にも鎖が絡みついて、完全にオブジェの一部と化していた。座席には先端の尖ったドリルが一列に生え、隠れた部分から太腿を伝って液体が滴る。その色は当然、赤。
「いぎぃぃぃぃぅあぁぁあああぃぃいぃぃぃぃ!」
「あ、ああ、タカノちゃん! どうなってんだ放せクソッ!」
今すぐ友人を助けに行こうとするも、アケミもまた剥き出しの両手両足を縛られ阻まれた。X字で何やら妙な磔台に固定されている。どこが妙かというと、まるで水車のような形なのだ。目の前の木馬といい、拷問器具には違いない。
とどのつまり、捕虜になって尋問を受けている――寝起きすぐのアケミでもここが敵地の真っ只中と気付く。
コツ、コツ、足音と共に松明が足されていく。アケミの視線を誘導するかのように。そして大分明るくなって黒服の男が止まると、もう一人の姿を露わにした。
「よっ、お目覚め?」
そいつは気安い口調で言った。黒子が主の椅子をアケミの方に向けさせる。脚を組んでふんぞり返っているが、この手下より大分年若い、少女だ。橙色の鮮やかな髪を両耳の上に編んで角みたいに見える。黒い紳士服とミニスカートの組み合わせに煌びやかな首飾り、その上日本史に残る新撰組の物に酷似した特注の羽織を着ていれば、堅気の者どころかクリスタリカ人と認識する者もそういないだろう。
「ギャングスタのキリコ……」
「正解正解嬉しいね。そういうキミは四十八位のアケミちゃん」
そもそもアケミは似顔絵とはいえその面を知っていた。どこで入手したか、ワルグリアが持っていたのと同じリストをキリコは見せびらかす。
「なんだよここは、とにかくタカノを放せ!」
「回せ」
アケミの背後にいたもう一人の黒服がおっしゃあと張り切って腕をまくった。すると磔台が回転し、逆さになる。この状態では頭に血が逆流してすぐに死んでしまう。そういう趣向の拷問器具、というわけだ。
「質問も要求も、ウチがすることなんだけどナァ。そんな目で見ちゃヤダヤダ、まだ生かしてあるだけ感謝してよー」
キリコは馴れ馴れしく、力に物を言わす。その後ろに松明の炎が揺らぎ、恐ろしさを体現するモノが映った。目が合った。アケミは息を呑む。
それは逆さに吊るされた、見覚えあるヤンキーの死体。
「そう、人質は殺しちゃ駄目って教育してるんだけど。悪いねーノウタリンがキミのお友達を傷物にして持ってきやがってさーぁ。まぁ幸い生き返ったし彼は死んで詫びてるし許してあげようね」
「……言ってた通りか、狂った犯罪者め」
「ボルボ、ハエが飛んでいるぞ」
残虐なギャングスタが左手をクイッとやれば、隣の手下が思いっきり捕虜の顔を蹴りに行った。どばっ、と口から血混じりの胃液をアケミは吐く。もう一度回せと指示が下れば、鮮紅を滴らせながら項垂れる。
「オイオイオイ、お門違いだってばぁ。サイコなのはどう見てもこんな拷問部屋を地下に隠してた領主様じゃん。ふふっ、権勢誇る貴族様の異常な趣味見たり。この木馬も傑作でねぇ、安易な三角木馬じゃなくて尻の穴にぶっ刺してヒヒーンって言わせるなんて」
子供が親に買ってもらった玩具を自慢するみたいに、キリコは無邪気にはにかんだ。そういう貴族と同類じゃないか、と言いたくなるもアケミは耐える。また蹴られて痛い思いをするだけなのだから。
「早く質問、しろよ……答えるから何でも、だから、タカノちゃんには」
せめてタカノを解放してくれ、と懇願するアケミ。激痛に喘ぐ悲鳴は未だ響く。音の反響具合から、地下室と言ってもそこそこ広く、出口は闇の中。
キリコはニタリと笑う。あどけなくも恐ろしく。
「じゃ、同じこと訊くけど。まずキミのチートを教えてくれな」
「教えるから、先にタカノを」
「聞けよ。質問」
声色の冷たさにゾッとして、アケミは観念した。どこからともなく宝箱が無造作に置かれる。二人の黒服は手品に目を丸くするが、流石にキリコは動じず箱自体の説明を求める。
「アイスボックス。自由に出し入れできる携帯冷蔵庫。中に水を入れてる」
「ふーん、開けてみろ」
それは賭けだった。咄嗟のでまかせで本来の日々宝箱を秘匿したのは逆転の可能性を考えて。しかしもし日付と共に中身が変わっていたならば一発で見破られるし、新武器を奪われておしまいだ。生憎手首が金具に覆われ時間を確認できない。
宝箱が手も使わずに開けば、冷たい空気が溢れだす。覗きこんだキリコと黒服の反応から、アケミは一旦安堵した。しかし黒服が手を突っ込み、中を掻き回そうとすれば汗が出る。だが幸いにも主君が触るなと待ったをかけた。
「その水筒を取るな。箱も! 罠っぽい雰囲気がプンプンするんだから。さっさとその薄汚い家電製品仕舞えって」
纏わりつく冷気を振り払う手振りをしてみせる。キリコの警戒はある意味正しい、がこの時宝箱を詳しく調べなかったのは迂闊とも言えた。
「いやぁ、たいしたチートだってことは十分理解したよ。じゃあさぁ、他に知ってる転士のことを教えてくんない? たとえばこの四十一位、ルーシーはどんな能力を使う? それに八勇者の傘下に入ってるのはワルグリアとヨミだけか?」
「わからない……でもサタニエっていう」
「さっきも同じ答え聞いたからいいよ。他になんかないわけ?」
「ボクはタカノちゃんが知る以上のことはわからない。知らないことばかりだ、異世界に来て二週間も経ってないんだから」
「ハイ、ハイ、ハイ。じゃあもういいわ。おーつーかーれーさーまーでーしーた!」
立ち上がるなり振り返って椅子を蹴飛ばす。やはり水色の羽織の背側には「誠」の刺繍がある。更に「第六天魔」「鬼神斬也」等々厳めしいワードが付け足されていた。クリスタリカの文字ではなく漢字で。
翻ってアケミの方を向いた時には、椅子の裏に置いていた金棒――金属バットに無数の突起がついた特注品――を拾って持っている。ボルボと呼ばれた方はカタナブレードを抜き、同時にアケミを縛る地獄車も半回転。
「ボクを殺すのか」
逆さに蒼ざめた顔が問う。金棒を素振りしてみせながらキリコは囁く。
「まさか。最初に人質と言ったのに脳ミソ空っぽ? もしワルグリアが来たら盾になってもらうもんね。九割来れないと思うけど、保険は大事って学校でも習うじゃん。でもさ……待ってる時間暇だってことくらい、わ・か・る・よ・ね。アンダスタン?」
アケミはもう半回転させられ、キリコが退いた先を見せられる。黒服の刃を腰に当てられ、こちらを向くタカノを。その眼には涙が浮かんでいることも。
「やめろ」
「昔さぁ、ボタンを押したら『へー』って音が鳴るだけの玩具が流行ったよな。いやあ親父が買ってきた時はくだらないと思ったんだけど、あったらあったで飽きるまで押してたわ。ウチら、使えるものは使ってみたくなるし、出来るのなら試してみたくなるものなんだよ。これだけ器具が揃ってれば拷問の一つや二つしてみたくならない? 死なない転士がどんな風に生き返るのか知りたくならない? キミが起きる前首を刎ね飛ばしてみたんだけど、頭が飛んで引っ付くのか首から下に体が生えるのかそれとも新しい顔が体から生えてくるのか、どうなったと思う?」
「タカノに手を出すな」
「正解は体から新しい頭が生える、でした! 多分クリスタルがある方が本体なんだよね。じゃあクリスタルのありそうな腹部を」
「ぶっ殺されてぇか外道ッ!」
「殺せコロせこーろーせー!」
一閃。鮮血を巻き散らかし、タカノの臍から上がズレる。刀の達人はえいやっと玩具の上半身を投げ捨てた。アケミの絶叫を掻き消さんばかりに、下品な笑い声が木霊する。
「おーい、今度はボールにゃ使えねーぞ」
「流石はボス、ジョークが冴えわたりますね」
「人の命を何だと、何だと思ってる!」
「何とも思わないでしょ普通。おっと、社会の人間の本音はそうなんだから、キミも否定しなくていいんだ」
キリコの言葉に嘘偽りは全く混じっていなかった。どこまでも純粋で、故に邪悪でいられる。
「大体これのどこが人の命? 命は生き返らないから尊いとか言うけど、生き返ってるからセーフじゃん」
タカノは不死身だからビクビクしないで済む――かつてしてしまった暴言を思い出し、アケミは唇を強く噛む。決してそんなことはないのだ。それから猛省した友として、言わずにはいられない。
「お前なァ、タカノちゃんが死ぬ度にどれだけ痛くて苦しいか、それでもなお神様信じようって頑張ってるタカノを、お前!」
「はいそこウルサイ」
金棒がアケミの腹に食い込み、真っ赤になって落ちる。キリコは一切同情の余地なく暴力で黙らせようとした。実際には絶叫で余計騒がしくなったが。
今までに感じたことのない強烈な痛みを和らげようと、脳内麻薬がアケミに走馬灯を見せる。ああ、ここまでではないにしろ、前世の中学時代はこう喧嘩に負けて痛い目ばかり見ていたな――
そんな悪夢と奇妙な一致をする物がふと目に留まって、急激に現実に引き戻される。これは何だ? 金棒の柄に刻まれた「KIRIYA」という文字列。それは今でも悪夢に現れる。それが今現実にも現れているというのか。
信じたくはない。けれども確かめずにはいられず、アケミは口にした。
「キリヤ……クブン中学二年三組、野球部、ボクと同じ三月生まれのA型」
「どうした急に?」
「覚えてないのかボクを」
いじめの加害者が被害者のことなど忘れてその後の人生を謳歌することくらい、アケミにもわかっていた。そもそも転士キリコが同級生の「キリヤ」本人とは限らないとも。総人口七十億以上から異世界転生したのはたった四十八人、彼女の言う「ボタンの鳴る玩具」に覚えがある世代の日本人に絞ってなお、その内に知り合いの入る確率に比べればまだ同名の別人の方が可能性高い。
ところがキリコの表情の変化が物語る。えてして奇跡は起きるのだと。
「まさか、アケミって本名か? あのアケミ?」
キリコ、本名キリヤは背伸びして目線を同じ高さに合わせた。それから愉快そうに肩をポンポン叩く。
「アハハこんな偶然あるかね! 何年ぶり? 途中から学校来てなくて心配したけど、こっちの世界来てたってわけ! あれ、でもウチが三十五位でそっちは四十八位で……ま、どうでもいっか。なら殺すのは最後にして、積もる話聞かせてくれな。ミドロー、我が友人に振る舞う美酒を」
磔車を回すのはお役目御免と片方の黒服を地上に出て行かせる。旧い仇敵の態度はやけに親しみで、アケミは戸惑う。やがて怒りへと変わって、
「何が友人だよ、クソ野郎……ボクがどれほど嫌な思いさせられたか!」
「えー恩を仇で返すようなこと言わないでよ。よく遊んであげてたじゃん。それに比べて鼻持ちならない優等生とか無視って感じでさ、冷たかったよな」
絶句するアケミ。だがキリコからすればそういう認識である。この不良の図々しい都合良さがスクールカースト底辺にはたまらなく辛かった。コミュニケーションと称して馬鹿にし、拒否しようものなら暴力に訴えられるのが。
「上から目線でよくも……学校行けなくなったのは誰のせいだよ! どうせスポーツ推薦とかで良い大学に入れて就職も上手くいったんだろお前、なんで転士なんかやって、ボクの前に」
「あ?」
殴打二回目。腹からだけでなく口からも血を流す無様な姿を、キリコはせせら笑った。一瞬だけ憤怒に顔を歪めたのを目にした部下は、恐れて一歩下がった。
「社会に出たこともないくせに講釈垂れるな陰キャラァ。ああ確かにウチは上手くやってたさ! 好きでもない部活を一生懸命やって、腐った先輩の顔色も窺って、そういう努力をテメェはしたか? でも一旦勝ち組になれたとしてな、どこに落とし穴があるかわかったもんじゃない……そういう社会が人生メチャクチャにしやがる!」
振り上げた金棒を地面に叩きつける。これ以上アケミを殴ってまた意識を飛ばすのは勿体ないと考えて。人間キリヤで在ることを辞めた転士は自分の野望を言い聞かせる。
「この異世界、転士のウチらはたいした御身分だよね。天国って感じ。でもさー下々にはこっちの方がよっぽど地獄なんだわ。野球を教えてやろうって若いのに声かけるじゃん? すると大概お先真っ暗って奴じゃん? そしてウチは思ったわけよ。こんな社会はぶっ壊さなきゃって。使えるチートは使ってさ、転士同士で殺し合いやるんなら勝ち残って、そしてこの国の王になる!」
「王……?」
「ボスはすでに裏社会の王だ。あんま舐めた口きいてっと刃物突っ込んでガタガタ言わすぞゴラァ!」
「こんな拷問やって王様気取りか」
主人が理想を語る傍ら番犬がドスを利かせる――その構図を今度はアケミが嘲笑した。暴力に物を言わせる圧政者がどんな末路を迎えてきたか、中学中退者にすらわかるのだから。
「あっそう。確かに、二人も拷問するのは酷だぁね。人質なら一人で十分か。じゃ、片方サクッと殺しておこっか。ネェ」
腸煮えくり返るキリコだが部下の手前余裕ぶってしゃがみ込む。ボルボは木馬に寄り、再生しかけのタカノに再び刀を当てこする。
「ま、待て。ボクが悪かった。撤回する。未来の王様。だから、タカノちゃんを殺すのはやめろ」
「やめてください、だろ? まぁやめないけどね。自動反撃で傷つくことは早々ありえないけどォ、保険に残機無限ってのも全然アリでしょ」
「やめてください!」
「やれボルボ」
ズブリと刃の先が柔らかな肌に入り込む。またタカノは裂かれ、今度こそクリスタルを奪われようとしている。なのに見ていることしか出来ないアケミ。中学の時と同じだ。ワルグリアと戦った時と同じだ。無力で進歩しない自分が腹立たしくて仕方がない。
奇しくも因縁の敵の名を叫ぶも、思いだけではどうにもならない。力が欲しい。大切なものを守る力が欲しい。
――駄目だ。そうやって欲しがっているだけだから駄目なんだ。
アケミはやっと気づく。キリコの言う通り、勝ち取るための努力をしなければならない、ということに。
「待て、キリヤ! タカノを殺せばもう一つのチートを使う! 全員死ぬぞ!」
「待てボルボ。今なんて言った?」
キリコは合図一つで部下を止め、話に食いついた。
「なぁ、ボクの箱には秘密があるんだよ。さっきはアイスボックスなんて言ったけど、あんな形の冷蔵庫なんておかしいと思わなかったか?」
「……それくらいウチにもわかるわ、馬鹿にしないでくれる? てゆーか騙してたってこと? アケミのくせに生意気な」
「だ、騙してはいない……えー、あれはサブの能力的なもので……」
「取得チートの方、ね。で、基本チートは何? 全員死ぬとか言ったな?」
「そ、それは使ってからのお楽しみ、だ。まずタカノちゃんから離れろ、さもなきゃ起爆するぞ!」
「おい、もう一度宝箱を出して見せろ、先に」
大嘘に少しばかりの真実を交えながらアケミは相手を引きつける。所詮ただの時間稼ぎ、すぐボロが出る。けれどもこの僅かなロスタイムがタカノを救うチャンスになるかもしれないと思えば、一秒でも多く足掻いてみせる。
警戒心の強いキリコは再び出現した宝箱を舐め回すように見てから、開けろと命令した。その時だ。別のもっと重い扉が開く音がしたのは。
薄暗い地下室に地上の光が差し込む。
ゴツ、ゴツ、と金属音を立てながら、じっくりと追い詰めるように降りてくる。闇に溶け込む色合いの鎧でも、松明の光を反射して確かな存在感を魅せる。
力が欲しいというアケミの願いはある意味叶った。人の形をした力そのものが、今姿を現す。
「また会えたな。今度こそ白黒つけるのである!」
ワルグリアだ。
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黒銀の騎士は数多の銃痕をその身に刻みながらも、辿り着いた。決戦の舞台へと。迎えるギャングスタは一瞬顔を酷く歪ませるもすぐに取り繕い、拍手してみせる。
「よくもここまで来てくれたな、ワルグリア殿。流石、あっぱれ! 下っ端じゃあいくらいても止められないか。たとえ怪獣だろうと、か。でも」
キリコが指をパチンと鳴らせば、部下のボルボが日本刀を掲げ捕虜の前に示した。少しでも妙な真似をすればアケミとタカノの命はないと。
「まさか、仲間を見捨てるなんてことは出来ないだろう? 騎士としては。なぁに、キミは素顔を見せて剣を床に置くだけでいい。それでウチの仕事もラクになる、のであ~る」
フッと吐息が甲冑の隙間から漏れる。ワルグリアは煽りなど気にも留めず「わかった」と応じる。
露出する金色に輝く髪。翠の瞳は闘志に燃え、外したヘルムを足元に落としては跳ねる。振りかぶる、強靭な右脚に宛がうように。
「避けろ!」
キリコの指示よりもワルグリアのシュートの方が早い。狙いは黒服の頭から逸れて下腹部に当たるが、男にとってはそこも弱点であった。ボルボは甲高い悲鳴を上げて蹲った。
部下の不甲斐無さに舌打ちしつつ敵の露出した頭を撃とうとするキリコ。しかし言われた通り投げ捨てられたブロードソードに弾かれてしまう。その上油を撒き散らしながら一直線に迫り来る。これほどの重さの剣を投擲するワルグリアの怪力はチートか、それとも日々の鍛錬の賜物か!
剣を追いかけるように騎士もまた走り出す。油による滑走路を通り、剣を拾って猛スピードで距離を詰めていく。そのまま全体重を乗せて体当たりを食らわせた。剣撃こそ自動反撃で凌がれるが衝撃には耐えられるはずもない、それがワルグリアの編み出した一手だった。
勝負は決した――とするには早い。吹っ飛ばされたキリコは華麗に宙を舞い、難なく着地する。
「自動受身だゾっと。クリスタルを手に入れば入れるほど、ウチの護身は完成していく。ハッ、一応油も貰ってやろうかな!」
牽制で二発撃ちながら、今度はキリコが近づく。間合いを詰めるとリボルバーを素早く仕舞って両手で金棒を握り、勢いよく殴りかかった。近距離での刺し合いなら自動反撃がある分優位に立てる。相対するワルグリアもよくわかっているので一撃をいなしつつ、油まみれで滑り込む。
また距離が空いて振出しに戻る。しかし片や変わらず余裕綽々なのに、片やすっかり息を切らしていた。騎士は剣を突き立ててもたれかかる。その顔には明らかに疲労が現れていた。
それもそのはず、ギャングの構成員のみならず怪獣との死闘まで繰り広げたのだ、いかに超人とて汗一つ掻かないというわけにはいかない。けれども固唾を飲んで見守るアケミには信じ難い姿だった。王都で自分を圧倒し駅でも無双してみせたあのワルグリアが押されるなど。
「今ので終わり? ヘイヘイ、敵わないからって逃げ出さないでくれよなァ、騎士様ともあろうお方が」
挑発してみせるキリコ。もっともワルグリアにとって先の応酬は次の一手の布石でしかない。もう油は十分撒いた。ならばむしろ距離を取った方が都合良かった。
火打石を取り出す必要さえなかった。ちょうど松明が近くにある。
「ああ、貴様は終わりである。魔法剣油・火属性付与!」
地下室が一気に灼熱地獄と化す。広がっていく光は熱を伴い、闇の王を取り巻いた。自動反撃では斬った殴ったは防げても、燃やしたには対処できまい――それがキリコ討伐にワルグリアとヨミが選ばれた理由――のはずだった。
ところが火中の転士は涼しげに笑う。
水飛沫が上がり、キリコの周囲は一瞬で消火された。ずぶ濡れになって重い羽織を脱ぎ捨て、両サイドの髪留めまで解いてみせる。
「なら自動反撃・水属性付与と名付けようか。いやもっと洒落た名前の方がいいね、水も滴る良い女、とかさ」
「そんな……有り得ないである……」
ワルグリアは酷く狼狽した。ただ必殺技が破られた、程度ではない。その水を操るチートで思い当たるのは、彼女のパートナー以外にいないのだから。
「……ヨミはどうしたのだ?」
「アレ、そういえば一緒じゃないけど、どうしちゃったのかな?」
「ヨミをどうしたと訊いている!」
返事はない。遅れてガチャンと金属音が響くのみ。ワルグリアは放心して剣を落とした。この上なく邪悪な笑みをキリコは浮かべる。アケミの叫び声は銃声に掻き消された。
間一髪、両腕の装甲で顔面を覆うワルグリアだが、生憎ボディががら空きなのを逃すキリコではない。フルスイングが鎧を突き抜けるほどクリーンヒット。
叩く。叩く。叩きつける。暴力を振るうこと自体に病み付きになって、転士を倒すという目的を忘れるならず者。仲間思いの騎士は最早戦えない、肉体的にも精神的にも打ちのめされて。
「なーんだたいしたことないなもうちょっと気張ってよ。こうなると八勇者クラスじゃなきゃウチの相手にならないわ。アハ、いよいよ国盗っちゃう?」
とは思い上がりだとしても、キリコの勝利は誰が見ても明らかだった。下劣な高笑いが反響する。なお反抗的なアケミの咆哮と重なりながら。
「じゃ、完全にトドメ刺してやろっか」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!」
「んだよ見苦しい負け犬が。テメェは最後のデザートなんだってば、焦んなクソザコイモムシ」
拘束具を外そうとじたばたする捕虜に向かって一発、脇のすぐ下を撃って脅す。けれど屈せず彼女は叫ぶ。絶体絶命に対する足掻きか、ワルグリアへの叱咤か――いや、反撃の狼煙か。
それがタカノには直感でわかった。とっくに蘇生していたことを悟られぬよう、痛みに耐え声を殺し、チャンスを待っていたタカノには。アケミは何か打開策を見つけたにもかかわらず、縛られて動けないからこそ叫んでいるのではと。
――ならばこの友を解き放ってやろう。したいようにさせてあげよう。そうしたいから、自分も腹を括ろう。
覚悟を決めた途端、タカノは痛みに耐えきれず声を出した。そのまま思いを乗せて己を鼓舞する。再生して縛られてない両手で木馬を傾け、自らの体を倒す。そうすれば隣に倒れているボルボの銃を拾うことが出来た。
妙に手が馴染む。刹那、タカノは前世の、それも身体が動かなくなる前の幼少期のことを思い出した。一番上の兄で西部劇マニアがシングルアクションの旧い拳銃を見せびらかし、あまつさえ気弱な末っ子に的当てをしてみろと迫ったことを。
おかげで使い方がわかる。鼠を撃ち抜いて筋が良いと褒められさえした。もっともこの時の殺生がタカノにとっては一生物のトラウマで、人に銃を向けるなど恐ろしくて到底出来ない。
けれど今は違う、ただ友達を助ける為に使うんだと撃鉄を起こす。
すぐにキリコも気づき、残り一発の弾を撃ちこむ――と同時にタカノも撃った。狙いは正確に、アケミの右腕を縛る金具を壊す。死にながらコッキングしもう一発、左腕も自由にしてやった。
「行って……」
「有難うタカノ! これで、倒すッ!」
キリコがリボルバー六発撃ち尽くした今が最大のチャンス。アケミは宝箱を手元に呼びだし、上半身を捻って放り投げる――キリコ相手ではなくワルグリアに向かって。
「気でも狂ったか? ピンピンしてるウチじゃなくてボロボロの仲間を狙うとか。弱い者いじめですか? あれ、そういえば爆発するぞって言ってたけど、どうにもならないんだけど。ハッタリのハリボテかァバーカ!」
嘲笑しながらキリコは銃を捨て、金棒担いで歩いてくる。アケミは黒服から親友の手に渡った銃を受け取り、見よう見まねで足の金具も壊した。
残りの弾は迎撃に使うも自動反撃の前では鈍い豆鉄砲に過ぎない。途端に逃げ出すも尋問の蓄積ダメージがある上所詮引きこもり、運動部経験者にはすぐ追いつかれる。けれども振り返るアケミは不思議と落ち着いていた。やれるべきことはやりきれたのだから。
「前言撤回、最初にぶち殺されるのはテメェだアケミ。死にさらせよや!」
「諦めない、こんなとこで終われないだろ! ワルグリア!!」
キリコが金棒を振り上げ、アケミは声を張り上げる。その思いは確かに届いた。間を油の膜が遮る。
「ハッ、馬鹿の一つ覚え。ハイ水のバリアー、平気だも……んだよその顔!」
嘲り勝ち誇ろうとしたら目の前のいじめられっ子が、人間キリヤが馬鹿にしていたアケミが、目をギラつかせ口角を吊り上げている――その不快さを粉砕しようとした時、勝敗は既に決していた。
油に運ばれてきたアイスニードルが水のベールに刺さり、瞬時に冷却・凍結させる。キリコの胸より下が氷漬けになり、ヒートショックによる失神を上書きするほどの激痛に悶える。自動反撃など無意味だ。何故ならそのチートこそが仇になっているのだから。
またも賭けだった。アケミ自身がアイスニードルを投げても金棒による自動反撃で防がれる、ここは水で反撃してもらわなければならない。その為には油を操る転士の協力が不可欠だ。相方を失い満身創痍のワルグリアにである。
けれども彼女は立ちあがった。賭けに勝ったと同時に、各々がベストを尽くした結果だった。
「これで良かった……か?」
「はぁ、はぁ、うん。有難うワルグリア」
感謝の言葉と共に、大きく息を吐くアケミ。だがこれで終わりではない。落ちている敵の得物を拾い、突きつける。
「ヒィィィィィィ助け、助けてくれ!」
痛みさえ感じなくなって意識が薄れていく、その恐怖に怯えてキリコは懇願した。しかしこうなるともう助からないのが現実だ。
「オレが悪かった、中学ん時のは謝るから、だからさァ」
「今更そんなこと、どうでもいいよ」
アケミは冷淡に告ぐ。
「あの頃のボクさ、力もないくせに生意気に突っかかって、全く馬鹿野郎だった。いじめられて当然でしょ。キリヤがいなくたってどうせ学校行かなくなってたし、人生真っ暗に変わらないし。ボクのことなんかどうでもいいから」
そう言いながらも金棒を思いっきり床に叩きつける。決して過去の怨みがないわけではない、けれどもそれ以上に湧き上がる強い怒りの源は何だ? 考えながらも先に口走る、怒りの理由を。
「でも、タカノが何をしたっていうんだ! タカノちゃんは悪くないだろ! なのにあんな酷いこと……それだけじゃない、何が王になるだ、どれだけの人を踏み躙る気だよ!」
それこそが許せないのだとアケミは言語化してからすとんと腑に落ちた。そうして納得すれば平気で暴力を振り下ろせた。
自動反撃することなくひしゃげた腕を見たキリコは恐怖に顔を歪ませる、痛みがないのが余計に。
「使えるものは使ってみたくなるって言ってたの、誰だったか」
「待って、アケミぃ、友達だろ? なんでも言うこと聞く! だから……やめ」
「やめなかっただろ、キリヤ」
報いを受けろ、と凍っていない顔面を思いっきり殴りつけた。一撃で事足りず、地獄の鬼になったが如く、罪人をしばき倒す。原型を留めなくなってようやく、氷漬けの転士の体は溶け始めた。
《よくやったぜアケミ。これで残り三十一人。お疲れさん》
今になっててんせーくんが現れねぎらった。確固たる意志での殺人を。
けれど呆けた顔で聞く血染めの転士に掛けるべき言葉を、蘇生したばかりのタカノは持たなかった。
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下半身を拷問用木馬に繋がれたままのタカノを救い出した後、アケミは部屋の隅に自分達の荷物が置かれているのを見つけた。そんなことよりキリコのクリスタルがほったらかしだぞとてんせーくんはツッコミを入れる。
「いやだって、タカノちゃんをあんなものに乗せたままにしておけないし」
《ったくしょーがねー奴だな、アケミちゃんだのタカノちゃんだの、オマエラだっていつかはさっきみたいに命の取り合いすんだからな》
「そんなこと、言わないでよ」
《オマエラの為にわざわざ、じゃなくて……まーそのなんだ、ともかく折角の戦利品だ、さっさと取っとけよ》
てんせーくんは顔に似合わず頬を染め、また姿を消した。後に残るのは冷気をまとったクリスタルと遺品の金棒のみ。アケミはクリスタルではなく金棒を拾い、しばしの沈黙の後、棒を使ってクリスタルを弾き転がした。ワルグリアのところまで。
「どういうことである?」
「どうもこうも、ワルグリア様がいなければ勝ててないし、そもそもボクらはここまで生きて来れなかったし。借りを返さなきゃ……」
アケミはチラッと相棒を見る。タカノは小さく頷く。てんせーくんだけは慌てて間に割って入った。
《っていいのかそれで! 寿命を延ばす最後のチャンスかもしれないんだぞ》
「いい」
《ま、まぁ……オメーがどうしようが勝手だがな。また明日でも明後日でも他の奴を狩りゃ済むしな……ったく、オレサマとしたことが何言ってんだか》
「あらてんせーくん、アケミちゃんが心配? 案外気が合うかもね」
《ウルセーバーカ》
頭をぶんぶん振るひよこ。タカノは悪戯っぽい笑顔から真面目になって、改めて問う。これでいいのかと。今度はアケミがこくっと頷いた。こうしなければ納得できなくて。
ワルグリアが体を起こし右手甲を外してクリスタルを掴めば、掌から体内に溶け込んですぐ馴染んだ。露出した手首の数字もデフォルトに戻る。
「クリスタルは有り難く頂戴する。ところで、お主の名前をまだ聞いていなかったな」
知らぬはずないというのに、騎士は名乗りを求めた。相手を認めた証だ。
「アケミ」
「そうか、覚えておこう。我が名はワル……」
「アケミちゃん、ワルグリアさん!」
異変に気付いたタカノが声を掛ける。二人して同じ方を向けば、そこに刀を杖にして立つ黒服の男がいた。目を血走らせながらドスを利かせる。
「ボ、ボスは、どうした!?」
慌てて金棒を拾って構えるアケミ。それと羽織だけが残されているのを見れば十分だった。戦いの顛末を悟ったボルボはカタナブレードを構える。
「もうおしまいだ……こうなったら刺し違えて果ててやらぁ!」
一歩踏み込む。いざとなると気圧されて動けないアケミの前にワルグリアが躍り出る。しかしボルボは斬りかかることなく、倒れた。首に開いた穴から紅の水を流しながら。
同時に、三人の後ろでダン、と階段を飛ばして床を叩く音が聞こえた。振り返れば手に持ったランプが映し出す。赤いマントに羽根付き帽子の下は透き通るような白装束。
「……ヨミ、なのか!?」
「ごっめーんワル様遅れちゃったわん。あらぁ……どうしたの? 幽霊でも見たような顔して」
「幽霊でないのだな!?」
普段は尊大な騎士も歳並みの少女のように顔を赤らめ、脇目も振らず駆け寄る。しかし勢い余ったか体力の限界か、膝を付く。すると狐目の相棒の方から手を差し伸べる。ワルグリアは素手でその存在を確かめ、笑った。
「ハ、ハハ、そりゃそうである! ヨミが負けるはずがないものな! 全く、大事な時にいないで何していたのだ!」
「あーもう一人いたのよねぇ、転士。動物を操るチートでキリコに私達の情報を売ったり、挙句に怪獣をここまで誘導してみせた。でも安心して、始末したから」
「成程それでか。流石はヨミである!」
大きく逞しい腕に抱かれ、華奢な魔道士は恍惚の表情を浮かべた。
ただ一人、アケミにとってはゾッとする光景であったが――結局キリコが使ってみせた水のバリアはヨミのチートに由来するものではない、つまり駅では水を操ってみせたが真の能力はおそらく違う、それを相方のワルグリアにさえ秘匿していると察しがつけば。
「さて、そっちも片付けないとねぇ」
ヨミは切れ長の目で残りの転士を一瞥した。震えながらもアケミはタカノを抱き寄せる。一緒即発――がワルグリアが制止した。
「アケミ殿には世話になった。引き上げようヨミ」
「ふーん……ならワル様の仰せの通りに」
「ではまたな! 次会い見えた時こそ、尋常に勝負しよう!」
戦であれほど消耗してなお朗らかに、ワルグリアは別れの手を振る。ヨミもまた掌を向け、
「その甘さ、命取りにならないようにね」
誰に対して言ったか、翻って去って行った。緊張が解け、アケミはその場にへたり込む。
「大丈夫? アケミちゃん」
「平気だよ。ボクは平気」
「もう、全然そうは見えないよ。仕方ないし今夜はここに泊まろう。あの薬残ってたから塗ってあげる。とりあえず、上の部屋に行ってみようか」
「そうだね。悪いけど肩も貸してくれるかな?」
「そうそう、素直でよろしい」
タカノははにかんで友達をすくい上げる。アケミも微笑み返そうとしたがしかし、笑えなかった。一度死闘に勝利しても、このようなことを後何度も何度も経験しなければならない、最後の一人になるまで――
いずれは純朴なワルグリアとも、得体の知れないヨミとも、そして傍らのタカノとも決着をつけなければならない。そんな日が確実に来るという実感をアケミは得た。一度でも縁ある者を殺めたならば。
二人は血塗られた地下室を後にした。けれど転士の戦いは未だ終わらない。