第六話「断てよ因縁」(前)
1
クリスタリカ東農業区役所前駅のホームは待ち人でごった返しになっていた。
黒のスーツに身を固めているのが五人。いずれも同じ格好に同じ髪型、同じ拳銃を持つ。他は多種多様な格好をした若者が十数人。握り締める物騒な得物も鉄の棒だったり鍬だったりナイフだったりとバラけている。共通項があるとしたら目標が同じことくらいだ。勿論、普段の客層と全く違う。
待ちわびた獲物がやってきた。四人の転士を乗せたゴンドラが到着し、扉が開いた瞬間――弾丸が座席に撃ち込まれる。それが開戦の合図。黒服達の銃撃が終わると同時に手の早い数人が乗り込もうとする、怒声を張り上げて。
「手厚い歓迎ご苦労である!」
だが上回る大声に掻き消された。一番乗りの襲撃者は跳ね飛ばされ、逆方向に吹っ飛ぶ。そして178センチの大柄な女騎士がゆらりと姿を現し、悠然と立つ。
ワルグリアの特注の鎧はミスリウム――クリスタリカ特有の稀少金属で鉄を上回る強度を持つ――で出来ており、銃弾程度で傷つかない。赤く塗れるのは隣の不死者の返り血。
「アケミ、ちゃん……無事、かな……」
「ああタカノちゃん……くそぅあいつらなんなんだ!」
「あはは、流石ギャングスタ。やるねぇん」
同じく盾となった相方の裏で余裕ぶるヨミをアケミはキッと睨んだ。咎める視線が癪に障ったか、赤マントの手品師も真面目な顔をして言い返す。
「まぁここはワル様に任せておけばいいから」
「うむ、任された!」
ワルグリアはヘルムを被り剣を掲げ、一歩前に出る。周りは気圧されて動こうにも動けない。
「どうした? 掛かって来ないのか?」
「オイどうすんだよオッサン、チャカが効かねぇとか聞いてねぇぞゴラァ!」
「うっせぇガキが……他のはこちらで始末する、お前らはアレを足止めしとけ」
「足止めだぁ? 舐めんなあんなのぶっ殺してやるよ! 転士がナンボのもんじゃ袋の鼠がァ! てめぇら行くぞオラァ!」
鉢巻を巻いたリーダー格が仲間を奮い立たせ、突撃の号令を掛けた。ホームの外からどんどん集まってきて、その軍勢二十人どころではない。各々威嚇の声を上げながら雪崩れ込む。
今度はワルグリアの方が動かず、迎え撃つ。
「我こそは騎士ワルグリア、その名を覚えて眠れ!」
振り下ろされる金棒も、鎌も、鉄パイプも、次々と騎士剣に弾かれ宙を舞う。人もまた飛ぶ。何人がかりで来ようと同じ。チートすら使わず純粋な剣技だけでワルグリアは圧倒してみせた。
次弾の装填を済ませた黒服達が隙間を狙って引き金を引く。察知した女騎士は剣を手から放し、ヨミ達を守る盾にした。今だその隙に、と若いギャングも殴りかかるがワルグリアに隙などなく、重い蹴りを腹に受けて悶絶する。
「ね、大丈夫でしょ。あの人は前世からずっとずーっと鍛錬してきた、生まれてくる時代を、世界を間違えてもめげずに。一体誰が勝てるというの? くすくす……そろそろ私達も行きましょ」
ヨミが相方自慢をしつつゴンドラを出ようとすれば、同時にワルグリアも剣を拾って突進し、場所を開ける。息ピッタリの二人。続いてアケミが友の屍を支えながら恐る恐る出てきた時にはもう、黒服も全員倒され弾の雨が降ることはなかった。
「ひぃ、化物……お、俺はボスに連絡を……」
「待てやオレが行くって!」
恐れを為した末端が数名逃げ出そうとする。しかし哀れにも転ぶ。いつの間にか床は油まみれだ。黒銀の鎧に着いた赤も、油に流されていく。アケミは昨日のことを思い出し、密かに唇を噛む。
「貴様に訊きたいことがあるのだが、よいな?」
「ザッケンナゴラァ近づくんじゃねぇデブがぁ!」
負け犬は吠えるが惨めさを際立たせるだけだ。がどうしたことか、ワルグリアはむぅと唸って歩みを止める。
その実彼女は「デブ」と言われるのが苦手だったのだ。転生するより前、力士のような体格を散々馬鹿にされたことから。
「こ、これは鎧を着ている分そう見えるだけでだな、それに贅肉じゃなくて筋」
「知るかデブ来んじゃ、がぼ、ごぼごぼ」
悪口は水を差される、物理的に。この哀れな脱走者の顔に水が張りついて離れない。また物理法則を無視して水が飛んできては別の者の頭を覆った。彼らは必死で剥がそうとするがどうにもならない。
投げ捨てられる空の水筒。後ろからツカツカとワルグリアを抜き去って、ヨミは男を踏み付けた。
「ワル様がアンタのようなゴミクズにわざわざ口をきいてあげてるのだけど、素直に答えてくれないかな? かなぁ? さもなきゃ溺れ死んじゃうよ?」
滅多に開かないヨミの瞳孔が開く。尋問されるギャングはその凄みに堪らず恭順の言葉を吐こうとするが、ますます水が口に入って苦しむのだった。
「何々、聞こえなぁい。答えられないなら死んじゃえば?」
「ヨミ」
ワルグリアが彼女の肩に手を置く。
「……ワル様の寛大さに感謝することねぇ」
すると水の塊はポンと弾け、ヨミの水筒に吸い込まれていく。もう一度艶かしい足を叩きつけると、ギャングの口からも水が出て行った。流石にそれまでは水筒に戻さないが。
「水芸魔術の味は如何かしら。言っておくけどいつでも始末出来るから」
ヨミは振り向いてアケミに対しても言った。背筋がゾクッと凍り付く。いつもの細目に戻っていたがかえって底知れぬ不気味さがあって、ワルグリア以上の強さを感じさせるのだった。
「じゃあワル様、質問どうぞ」
「貴様達のボスはどこにいる?」
「……貴族の、別荘、グヘェ」
「それはダーントン候のん?」
「名前とか知るかよ……ハァ、ハァ、キリコさん許し」
最後まで言い切れず彼は意識を失った。他の者も同様である。ちょうど代わってタカノが生き返って目を丸くする。結局三十人以上の人間が床に伏している、地獄めいた景色に。
「こ、これは一体……アケミちゃん達がやったの?」
「ボクは何もしてない。あの二人が」
「おお、先程はすまなかった! 防ぎきれなかったとは私もまだまだ……」
「どうして」
殺したのか、とタカノは問おうとした。実際には死人はおらず勘違いだが。
助けるのか、とアケミは問おうとした。敵同士だというのに――
もっともヨミが何か囁くとワルグリアは背を向けて行ってしまう。去り際に強い警告を残して。
「敵はこれだけでない。この先は茨の道である。お主達は王都へ帰れ」
「もしくは諦めて元の世界にねぇ」
アケミが待てと言った時にはもう、二人の苛烈な転士の姿はそこになかった。
「帰れ、だって? どこに帰る場所があるんだよ!」
拳を震わせるアケミ。その腕を優しく絡めとって、タカノは言う。
「うん、そうだね。私達は行くしかない」
たとえ今以上の地獄が待ち受けていようと、走り続けるしかなった。生き抜く為には。
2
不安定な足場をずいずいと行く女騎士。バランス感覚も鍛えているワルグリアにはこの程度の山道、たとえ鎧のハンディがあってもわけない。そのすぐ後ろを軽装のヨミがステップしていた。
「なぁヨミ、どうして我々がケーブルキャブを使って来ることが悟られていたのだ? 囮の馬車は役に立たなかったのである」
「んー色々考えられるねぇ。たんに網を張ってたとか、内通者がいてもおかしくないし、そういや鳩も飛んでた」
「ふむ、伝書鳩か」
「まぁでも、こっちの世界でも鳩の習性は変わりないし、ダーントン候が仕込んでたのを使ったと考えるのが自然だけど……何か裏があるのかもねん」
「鬼が出ようと蛇が出ようと、我が剣の敵ではないがな!」
能天気に笑うワルグリア。その時、大量の鼠が転がり落ちてきた。
「な、なんである!?」
「天変地異の前触れじゃなぁい? ほら、なんか霧が出てきた」
鼠達は噴き出す黒い霧に追われて逃げていく。二人は立ち止まる。
「この霧、もしや」
《混沌だぜ。歯ァ食いしばれよワルグリア、ヨミ。近くに》
轟音が響いた。何かによって木々が薙ぎ倒されていく。ソレは猛烈な勢いで迫り、飛び掛かった。ワルグリアはブロードソードでその一撃を受け止め――きれず、斜めに弾く。自身も反動で弾け飛んだ。
騎士が受け身を取って復帰すれば、ワンテンポ遅れて獣もゆらりと立ち上がる。なんとワルグリアの三倍ぐらいの大きさだ。辺りの霧を吸い込んで、だんだん形をハッキリさせていく。その姿は熊に似ているが、このクリスタリカに生息する熊は最大でも2メートル半。ならば新記録か。否。
――人はそれを怪獣と呼んだ。
「恵みの山」はかつて混沌に覆われ怪獣の跋扈する「嘆きの山」だった。八勇者によってこの地域の怪獣は狩られ尽くされ、混沌を谷より東へと追いやったのは半世紀は前のこと。以後の安全神話が今、崩れ去った。
「……ここは私が引き受けよう。ヨミ!」
「はーいわかってるわん。後で合流しましょ」
ヨミが先を行こうとする。それを血走った目で追う怪獣。ワルグリアは剣を掲げ、こちらを見よと挑発した。昂る気持ちを抑えられず。
「ついに、ついに出会えたな怪獣よ! さぁ、我が剣の錆となるが良い! そしてこのワルグリアは伝説となる!」
熊型怪獣の腕が先程よりも肥大化していく。こうした変形は怪獣ならば不思議ではない。それをハンマーのように振るう前に、ワルグリアは切り捨てんと踏み込んだ。太刀筋は正確。しかし肉が異様に硬く、刃が通らない。
反撃が来る。魔法剣油によって足元に油を撒き、横凪ぎの剛腕を滑りこんでかわした。しかしすかさず怪獣のキック。もろに入って、鎧の騎士は吹っ飛ばされた。
斬撃銃撃には強いフルアーマーも強烈な打撃の前ではただの服だ。ワルグリアは血反吐を吐く。さらに怪獣は木を一本へし折り、投げつけた。人間達が武器を使うように。
もう一本叩きつけようとしたところでワルグリアはかわす、が斜面を転がり落ちてしまう。熊型怪獣は脚を強化して跳躍し、踏み潰しにかかる。またの油滑走回避。間一髪の連続。
如何に転士としてパワーでは勝ち目がない。疲弊するワルグリアは一か八か、奥の手を使うことにした。腰部の袋より取り出したるは鉱石。それを幅広の剣に当てて擦らせ、火花を散らす。
「魔法剣油・火属性付与!」
油が一気に燃え上がった。炎の壁に怪獣を閉じ込め、剣を叩きつけて火達磨にしてやる。これには堪らず悲鳴を上げた。逃げ出そうとするも次々油は注がれ炎の壁は幾重にもなる。木を媒介して一層勢いを増しながら。
怪獣は断末魔の声を上げ、やがて動かなくなった。流石のワルグリアも汗だくになって腰を落とす。
「中々骨が折れるものよ……まぁ、人里に下りる前に仕留められて幸いか」
辺り一面の炎はしばらく消えそうにない。本格的に山火事と化しつつある。これではどちらの被害が大きいかわからなくなる。
「んん……ヨミがいないと困る……」
周りに燃え移らないよう、しばらく木々を伐採する作業に追われるのだった。
3
だんだんと日差しがぬるくなり、空が赤みを帯びていく。一面の緑も深まっていく。
そんな山道に場違いな二人の少女が歩いていた。
ワルグリア達とキリコの手下がやりあった後、隠れていた駅員が警察を呼びに行った間にアケミとタカノは抜け出してきた。その際駅員から少々話を聞いた。昨日ゴロツキの集団が続々と集まってきたことやダーントン家の別荘のことを。
途中ダーントン家の領地に続く分かれ道があったが、避けた。今行くは、どこか安全に野営できるところはないかと当てもなく探す、逃げの道。土地勘がないながらもタカノは友人を励ましつつ先導する。しかし当のアケミにはどことなく後ろ髪引かれる思いがあった。
ついに立ち止まる。どうしたのとタカノは蒼い髪を揺らして振り返る。
「ねぇ、タカノちゃん。もしもの話なんだけど……」
坂の上から見下ろせば、赤毛に覆い隠されてアケミの表情を汲み取れない。彼女自身自分がどんな顔をしているのかわからない。自信なさげに話を切り出す。
「もしも、キリコって転士を倒しに行くって言ったら、どうかな」
「アケミちゃん?」
ビクッと震え、目を泳がせるアケミ。けれども弁明を交えた話を続けた。
「ワルグリアも駅員さんも言ってたけど、なりふり構わない奴らをこのままにしておいていいのかなって……このままでいいのかなって、ボク達の時間も少なくなって、ゼロになったら脱落って……でもタカノちゃんは戦いたくなんかないよね」
今度はタカノが後ずさる。図星を突かれて。今更否定など出来ない。
「そう、ね。結局私は人を殺す覚悟なんて、ない。誰かが傷つくのが怖い。誰かを傷つけるのが怖い。痛がってばっか。逃げてばっか」
「それは! タカノちゃんは優しいから! ……ごめん、ボクが悪かった。さっきのは、その、聞かなかったことに」
「でもアケミちゃん! そうやって私の顔色窺わないでよ!」
アケミはハッとして顔を見上げた。ようやく目と目が合う。タカノは顔をくしゃくしゃにして叫ぶ。
「私のことはどうだっていいじゃん! なんで遠慮すんのいつも、やりたいことはちゃんとやりたいって言ってよぉ! その結果私がイエスって言うかノーって言うかは場合によるけどさ、別に気にしなくていいんだよそんなの!」
「タカノ、ちゃん……」
「無理にちゃん付けなくてもいいよ別に。ねぇ、もう一度聞くけど、アケミちゃんはどうしたいの?」
アケミは黙って俯いてしまった。空の緋色が強まっていく。だがやがて、意を決して、彼女は顔を上げた。
「ボクは……戦う。戦って強くなりたい。ワルグリアみたいに。じゃなきゃどんな世界でも負け犬のままだ。もうマイナスなのは嫌なんだ……だからやってみるよ。ごめん、タカノ」
「ほら、やればできるんだから、アケミちゃんは」
瞳に映るのは澄んだ青。タカノは満面の笑みで降りてきて、アケミの華奢な身体をギュッと抱きしめた。温もりが伝わって肌を赤く塗り替えていく。
「でも私は賛成しないな」
優しい拒絶を囁くタカノ。わかっていてもアケミには堪え、つい相手を突き放してしまう。
「だよね……ごめん、じゃあボクは行くから」
「待った待った、それが駄目なんだって。イキナリ行ってもやられちゃうってば。ワルグリアさん達とだって連絡取れないわけだし。まずは様子見て、作戦考えよ」
めげずにタカノは引っ付いて、いつものように諭した。
「私のやりたいことは困ってる友達を助けることだから。嫌だって言っても付いて行くよ」
「タカノ、ちゃん……!」
アケミは友の手を掴む。強く強く、感謝の気持ちを込めて。
「有難う、本当タカノちゃんには助けられてばかりだよ……なんかもう、お母さんって感じだよ」
「ふぇ? わ、私がアケミちゃんのママ!? ちょいちょいちょい、かわらかわないでったらもぅ」
「すみませんでした」
「いや謝ることでもないんだからね」
二人は心から笑い合う。それを嘲笑う声が頭上から響いた。見上げればこけし顔のひよこが浮かんでいる。
《オマエラ、イチャついてる場合かよ》
「てんせーくん! もう二度と出てこないんじゃなかったの?」
《そんなわけにもいかねーだろスットコドッコイ。残り転士は三十三人だ。それとようやくやる気になってくれて嬉しいぜ、アケミ》
「無益な殺し合いの主催者としては、でしょ」
《そりゃそうだがな。騎士道馬鹿にも言ってやったが敵の陣地に攻め入るってのは厳しーぜ。だけにやりがいはあるな。まーすでに敵地の中だしやるしかねーんだがな。じゃ、番狂わせ見せてくれよ》
そう言い捨ててんせーくんのヴィジョンは消える。全く以て神出鬼没だ。心なしか以前よりフレンドリーな気がするアケミだったが。
一方急にそわそわし始めるタカノ。先程の「すでに敵地の中」という言葉に引っかかって。
ガサッ。木陰が不自然に揺れる音がした。二人は警戒して音の方を注目する。
「何今の。まさか、誰か聞いてた?」
「あ、なんだ兎さんだ。っているんだこっちの世界にも」
茂みから飛び出したのはなんてことはない、一匹の野兎。逆方向に逃げていって安堵するアケミ。しかしその背後でまた音がした。それは肩をすり抜けていく――実弾を伴って。
「銃声……ッ!」
「アケミちゃん伏せて!」
バンバン。精度は低く当たらないが示威行為としては十分過ぎた。木々の間からヤクザ者が飛び出してきても、咄嗟に逃げ出すという対応が取れなかった。あっという間に距離を詰められ囲まれる。
見れば駅でワルグリアが倒したのと同じ顔もある。死んでいないなら目を覚ましたのだろうが、あの後警察は何をしていたのだろうか。実のところ、地方の交番は既にキリコの手に落ちていた。山から麓の集落まで占領するにたった一日、なんたる手際の良さか!
「てめぇら、さっき駅にいたよなぁ! あいつらの仲間か、ぶっ殺してやる!」
「落ち着けって。ただまぁ、うちのもんがやられた借り、きっちり返さなきゃ示しつかねぇんだわ。ボスのとこに来てもらうがタダってわけにはいかねぇな」
「兄貴ィ、じゃあこっちの巨乳は犯して、そっちは血祭りにしましょや!」
「あ、アケミちゃんに手を出すな!」
タカノは勇気を振り絞り、果敢に立ち向かう。転士の尋常ならざる強さを知る彼らは一瞬怯むが、喧嘩屋としての経験がすぐ相手がド素人だと見抜いた。となれば結果は見えたも同然。
何か抵抗しようとする前にはもう、なすすべなく昏倒するアケミとタカノ。そこで記憶は途絶えた。
「断てよ因縁」(後)に続く