第三話「アーマーガール」
1
人々が集まり語らうならば、夜の酒場に朝の喫茶と相場が決まっている。
今朝の話題はもっぱら昨晩のことばかり。突然転士同士の戦いが始まりあちこちに被害が出ているらしい。もっとも民衆は事情を知らぬ。だからこそ憶測も交えて過度に不安を煽り合う。
そんな声に聴き耳を立てながら、渦中の転士――アケミとタカノはひとまず北上してウズ通りのカフェテラスに腰を下ろし、道中買った地図を広げていた。新聞を横に並べ、次々と鉛筆で丸を付けていく。
「銀行は中央区、ホテルは西区……それからアケミちゃんの家が東区。今南東区との境だから近いけど、帰れなくなっちゃったね」
「うん……」
タカノが新たに丸を付けたのは、転士の住処となる寮。元々は中央大聖堂の司祭用の部屋が与えられていたが、あまりに数が増えた為新設されたのだった。そこが戦場となるのは必然だろう。
「タカノちゃんの方は?」
「大聖堂はオーレリィ様が守ってくださったみたい。でも戻るのは難しいかな」
「鉄壁のオーレリィ……八勇者かぁ」
転士四十八人が最後の一人になるまで争うこの戦い。伝説的英雄の八人も例外なく頭数に入っている。てんせーくんの言う通り、もし向こうがその気なら出会った瞬間脱落が決まるようなものだ。
特にオーレリィは八勇者を代表して王の御前会議にも出席している国家顧問転士、四十八人の名前や顔を知らぬはずがない。その代わり彼女ら八勇者は能力までもある程度知れ渡っている。とはいえ、小手先レベルの対策では到底覆せる実力差ではないくらい、日の浅いアケミとてわかる。
「それじゃあ今夜はどこに泊まる? 明日は? 明後日は?」
「困ったよね。宿も危ないし」
不安げにアケミはキョロキョロ見渡す。テラス席を取ったのも、もし敵に見つかった時なるべく他の客人を巻き込まないよう考えてのこと。しかし大通りに面する立地が問題だ。元来の人ごみ苦手にいつ敵に襲われるかわからない恐怖で、落ちつけるはずもない。
道行く人々全てが怪しい――アケミにはそう思えてならなかった。髪の色が奇抜だとかで転士を判断することは無理だ。クリスタリカ人という民族は肌は概ね白いが多種多様な頭をしている。その中で目立つとしたら、頭を頻繁に振り回すような者である。
「アケミちゃん、かえって怪しまれるよ?」
「ご、ごめん」
「いや私こそごめん、そろそろ場所を変えようか」
そう言ってまた、タカノは地図に印を加える。次の目的地は東区も北側の無事な銀行だった。
2
「随分、混んでるね」
銀行の前には長打の列が出来ていた。箱にも収まりきらないで。それもそのはず中央銀行が破壊されて使えないだけでなく、今下ろしておかねばという不安に駆られるのが大衆心理なのだから。それに明日は安息日である。
中が相当パニックなのか、列が動かない。タカノでさえ不安に感染して薄い財布と睨めっこ。仕方なく視線を逸らす。
「せめてアケミちゃんのそれ、換金できればいいんだけど」
手提げ鞄からはみ出すインゴットを、アケミもまた見る。失望の眼差しで。
「ホント、外れ能力だよね」
「ううん、そんなことないよ。今役に立ちそうだから!」
「おやおや司祭様、何かお困りですかな? いひっ」
列の横から話しかけられる。何とも怪しげななりの老人だ。ただでさえ背が低く腰が曲がっているのに、キャップを深々と被って表情が窺い知れない。
ついビクつくアケミに代わってタカノが柔和な顔で対応する。
「御覧の通りでして」
「せやなぁ。その純金、預けようにも預けられない、ってとこでっしゃろ」
「ああ、これはですね……さる高貴な方が寄進してくださったのですが、それを」
「お札に換えたい、んなら、ワイがしましょか?」
帽子の翁はニカッと不揃いな歯を見せて笑うと、ポケットからクチャクチャの紙幣を次から次へと取り出しては揃える。彼の身なりには不釣り合いな数を。それでも幾分か、足りないであろうことが素人目にもわかる枚数だ。
「どうや。交換するんか、待ちぼうけか」
老人は相手の足元を見て迫る。友の背後に隠れるアケミをよそにタカノは白々しい感謝の言葉を述べた。取引は成立である。
恐る恐るインゴットを手渡すと同時にしっかり老人の札束を掴んでいる相棒を見て、アケミは対人スキルの差をまざまざと見せつけられる思いだった。相手は一瞬顔をしかめたがそれでも儲けとばかりに上機嫌で去っていく。すぐに姿が見えなくなった。
「はぁ。タカノちゃんいいの? 絶対怪しいよ。偽札じゃなくても」
《何言ってんだオマエラほどワルじゃねーぜ。あの金塊、明日になりゃ消えるぜ。オメーのチート日替わりなんだろ?》
「お金は天下の回り物、だから大丈夫だって。渡りに船は乗っちゃった方がいいよアケミちゃん、てんせーくん」
「……タカノちゃん、日本のことわざよく知ってるよね。ニューヨーカーじゃなかったっけ」
「イリノイでも田舎の方だよ。グランマは日系だけど。そんなことよりタイムイズマネー、行こ」
とぼけながらタカノは友の手をグイッと引っ張る。転士達の「腕時計」はもう昼飯時を示していた。ケーブルキャブまで転士の争いの影響で運行停止の中、徒歩で王都を散策など時間がいくらあっても足りることはないのだ。
ところが列を抜けた途端、幸先悪く通行人にぶつかった。平謝りして二人が顔を上げると、その老女は微動だにせず通せんぼしていた。
「ホッホッホ。気にせんでよい。若人は元気すぎるくらいでちょうどよいわ。でも人生何が起こるかわかりやせん。昨夜からえらい物騒になってのう」
「すみません。そうですよね、おばあさんもお気をつけて」
「ホホッ。ババはこの通りピンピンじゃ。それも薬のおかげよ! して司祭様方、うちに寄っていきませんか。深い切り傷も一瞬で塞がる薬や、男女の仲を深める薬も揃えておりますよホホホ」
「あはは、それではお言葉に甘えて……」
先程の翁とのやりとりを見られていたに違いなかった。もしここで断れば、一転してぶつかったことを責められるのは想像に難くない。押し売りには敵わずタカノも頷く他なかった。
3
左手に薬壺を抱え、右手に地図を持ちながら、新米転士は新参旅芸人が如く来た道を戻っていく。
そんなアケミを連れてタカノは再び南下し東区真ん中のヱナ通りに至った。そこを真っ直ぐ西に行けば中央大聖堂に帰れる――わけにもいかず、途中で左折。すればウズ通りに繋がる商店街が現れる。
もう数本先、中央区に近いマーケットと比べると細く活気もそこそこ。所謂穴場で人ごみ嫌いにはちょうど良い。
「そういやウズ通りとヱナ通り、あと大聖堂を縦断するヰト通りって……」
ふとアケミは地図に書かれた三つのメインストリートの名に引っ掛かりを覚えた。タカノが語る宗教薀蓄にも出てきた名のような気がして。
「うん、そうだよ。三賢者様にあやかって付けられた名前なの。先代王の都市改造の前からあったらしいから、もしかして本人が命名した……かどうかまでは知らないな、私も」
王都の西から東まで横断するウズ通り、東の大河ドラグーナから中央大聖堂への運河沿いがヱナ通り、それらと垂直に北の王宮と大聖堂、南の羅城門とを結ぶヰト通り。それぞれ経済的、宗教的、政治的に重要という特色に賢者の性質が当てはめられている。
あるいは、それぞれの賢者が混沌広がる外へ向かった道だったのか。八勇者の輝かしい活躍以前に彼らは旅立ち、そして帰ってこなかった。それから八十年近く経ち、後輩転士達が知るはただ伝説のみ。
「三賢者って、四十八人の中に含まれてるのかな」
《ああん? テメー、一から説明しなきゃ駄目か!? 今現在確認されている四十八人だっつーの。いやもう四十人、いや三十九人か。オマエラがのんきに買い物してる間にもまた退場だ》
「そんな……!」
呼ばれて飛び出て案内ひよこはまた冷徹に手羽先を折る。穢れた転士達の殺し合いは止まらない。
一体どこでかとアケミは問うが、そこまでは教えられないとすぐさま偶像は消える。二人に不安ばかり残して。
「この辺だったらどうしよう、タカノちゃん」
「見た感じ、大人ばかりだから大丈夫……だと思いたいけど。転士は皆中身はともかく姿は女の子だし。あ! 見てアケミちゃん」
突然タカノが指差すものだから、必要以上に驚いて足を滑らせるアケミ。咄嗟に割高な壺を守ろうとし、受け身に失敗してゴツンとやった。
「だ、大丈夫!?」
逆に周囲の視線がアケミとタカノに注がれる。ドジ娘は地面にぶつけた右肩より顔を赤く腫らした。ちょうどいい大きさの薬壺で隠せばより不審がられるが、大抵の通りすがりはすぐに買い物に戻る。いつまでも気にするのは当の本人くらいだ。
「見ないで、見ないでください……」
「大丈夫、見てないよ。ほら壺を置いて。ごめんね、あそこに武器屋の看板が見えたから、見てきたらどうかなって。私は食べ物とか買うから」
「……ずるい」
手を差し伸べるタカノを、アケミは無視した。壺を置いて開いた手で顔を押さえ、独りでに立ち上がる。口ほどに物を言う、拒絶の意思。
「いいよねタカノは。不死身だからビクビクしないで済むんだ。武器もいらないで済む。そういうことでしょ?」
「あ、アケミちゃん、違うの。そんなつもりじゃ」
「ボクがどんなに怖い思いしてるかわかる!? 誰もわかんないだろ!」
「待って! ちょっと、私を見てよ!」
けれどアケミは目を合わすことなく走り去ってしまうのだった。あまりに惨めな自分の顔を、タカノにだけは見られたくなくて。
その一部始終を眺めていたてんせーくんは満面の笑顔を見せる。
《おいおい仲間割れか? おもしれーじゃん。どうすんだタカノ?》
「……知らないよ。何よ、アケミちゃんだって私のことわかってないくせに」
簡単に他人のことなんかわかるわけがない、とタカノは悔しそうに呟いた。
4
カランカラン、入店の合図を鈴が告げる。しかし奇妙な格好の客はそれっきり、立ち止まる。棚に並ぶ物騒な品物には目もくれず、下を向いて。
やってしまった。アケミは後悔する、数少ない心許せる相手を突き放してしまったことに。
まただ。いつもこうだ。誰かと仲良くなれそうになれば決まって疎遠になってしまうのがアケミのこれまでの人生だった。その原因は自分の臆病さ――ともすれば攻撃性に変えてしまう――だと自己分析する。自己嫌悪する。いじめられて不登校になるのも、母に斡旋されたバイトを辞めたのも、全部自分が悪いのだ。結局世界を変えても変わらない。
折角友達になれたのに嫌われてしまったに違いない。そう思い込めばアケミは涙を止める術を知らない。
「お客さん、どうしたんだい?」
あまりにその場に釘付けなものだから、不審がって店主が一声かける。狼狽えて何か言い訳しようとするアケミだが、その前に店主が売り文句に続けた。
「コイツに興味がおありかい? 賢者ヰトが伝えたというカタナブレード、刺すより斬るならサーベルよりオススメだ!」
「いえ、その……えーっと護身用の、扱いやすい武器がないかな、と……その」
「ああ、アンタも昨日の今日でうちに来たってわけかい。兵隊さんには見えないもんなぁ。いやー物騒な世の中になったもんだねぇ! しかし大通りのデカイだけが取り柄のトコじゃなくてウチにくるたぁ、見る目あるよ!」
店主は陽気に口笛吹きながら、客をグイグイ引っ張る。呆気にとられるアケミだが気を取り直して本来の目的を果たすことにした。
「そうですね、ボク、旧都の芸人でして王都には来たばかりですが……あの、拳銃とかって、ないですか?」
「へー芸人さんね。西の方はどうか知らんが、リボルバーもマスケットも兵隊か警察しか持てないんだよ、ここじゃ。売りたいのは山々なんだがね! はっはっは」
武器商人の親父はカイゼル髭を弄りながら話す。彼が武器を見る目は子供が玩具を見る目によく似ていた。
「飛び道具がいいかい? ならこっちのコーナーだ。見たまえ! 中々イカしたのが揃ってるだろう! 一押しはやはりこれよ」
「ブーメラン、ですか」
「ただのブーメランではないよお客さん、ここを押すと、ほら!」
店主がブーメランの柄にあるトリガーを引くと、僅かな切れ目から銀色の刃が飛び出した。これにはアケミも心くすぐられる。
「それで、斬って、戻ってくる?」
「いや。戻ってきても危ないかんね。投げたらそれっきりさ。投げなきゃあ短刀代わりにもなるが、ちょっと取り回しが悪いか。携帯性を重視するんならこれなんかどうだい? スリケーンといってかつて……」
どう見ても忍者の十字手裏剣を取り出す店主。そんなものまで異世界に伝わっているのかとアケミは苦笑する。
その時だ。
「頼もう!」
鈴の音を掻き消すほど大きな声が、入口から発せられた。更にガチャン、ガチャンと重金属の音が鳴る。その威圧感にアケミはビクビクしながら振り返り、細目で見た。
黒光りする西洋甲冑に身を包んだ、完全武装の騎士。武器屋にこそ似つかわしいが、客としてここまで往来を闊歩してきたとなればあまりに異様。王宮を警備する兵士でもこれ程過激ではない。そんな者が退路を塞ぐが如く仁王立ちしている。そしてヘルムを取って顔を露出させたなら、アケミの頬を汗が伝う。
美しく流れるような金色のポニーテール。獲物をしっかり捉えて離さない碧眼。ジャンヌダルクのような女騎士は、姿は違えど昨日の女剣士とだぶって見えた。
「これはこれは、ワルグリア様。本日は如何な御用件で?」
店主の口ぶりはやけに恭しい。すると相手は腰に差した短剣を掲げる。いや、よく見れば短剣ではなく折れた長剣だ。
「こんなヤワなものでは困るのである! おかげで賊をあと一歩のところで取り逃がしてしまったではないか! とにかくこの店で一番頑丈なのをくれ!」
「おやまぁ、ちょいとお待ちを。それでしたらこちらのブロードソードを」
ヘコヘコして甲冑女に駆け寄る店主をよそに、アケミはブーメランを握り締める。カチッカチッと仕掛けを確かめながら。
「む、中々のものがあるではないか。お主で試し切りしても良いか?」
「それは困ります。何しろ防ぐ盾がありませんので」
「ほう、つまり無敵の剣というわけだな! 気に入ったぞタンツギ殿」
商談はあっさりまとまったようだ。奥のアケミはホッと一息ついて、その不穏な客がそのまま帰ってくれることを祈る。しかし願い空しく、支払いを済ませるなりそいつはガチャガチャ音を立てて近づいてきた。
目の前に来れば、頭一つ分の身長差。その巨人に小心者は圧倒される。
「お主……」
品定めの視線から目を逸らそうとするも、眉一つ動かせないアケミ。強靭な鎧の手が震える肩を固定し、
「さっきから怯えて、大丈夫であるか? 安心せよ人民。そなたらを野蛮な転士共から守ると誓おう! 何故なら、我こそは騎士の中の騎士、ワルグリア様であるのだからな!」
あっけらかんに言ってのけた。
「っといかんいかん。ヨミを待たせては。それでは失礼する!」
踵を返し、ガシャンガシャンと煩い鎧は離れていった。完全に見えなくなってからようやく、アケミは口を開いた。
「店主さん、今の方は一体……?」
「ああ、ワルグリア様ね。初めてじゃ面食らうでしょ。うちのお得意様の……」
間を置かずして慌ただしく鈴が鳴る。特需に顔を綻ばせる店主の横で、アケミは驚いた。
「アケミちゃん、いる!?」
「……タカノ、ちゃん?」
タカノは必死の形相で入ってきた。そしてアケミの姿を見るなり、深々と息を吐く。安堵の吐息を。
「はぁ、良かった無事で……」
「なんで……」
「さっき店から全身鎧に剣を持った人が出てきて、すっごい嫌な予感がして、それで……でも思い過ごしだったんだね」
「なんでよ!」
アケミはつい声を荒げる。あまりにも信じ難くて。
「あんな酷いこと言っちゃったのに……なんでまだ、まだ心配してくれんの! ボクなんか」
「心配に決まってんじゃない!」
タカノも今までになく叫んだ。赤く腫らした目にアケミはハッとする。
「だって、友達が怖がってるんだから……それが私のせいなら謝るよ。無神経だったかも」
「そんな、謝るのはボクの方だよ……ごめんなさいタカノちゃ、あたっ」
お互いに頭を下げたせいでぶつけてしまう二人。それがちょうどツボに入って、アケミもタカノも大笑いした。涙が出るほど。
事情をよく知らない武器屋は青春だねぇなどと適当に茶化す。それから常連客のフォローを入れた。
「いやービックリさせちゃってすまないねと代わりに謝っておくよ。彼女、決して悪い人じゃないんだよ。疑うことを知らないお人好しの金ヅ……転士様さ」
「えっ、今、なんて」
「そうかこの街に来たばかりだっけお客さん。あれが本物の転士だよ。いやぁそれにしても転士様様だよ! 特需だ特需!」
確認が取れて、再びアケミは肩を震わす。もし自分が転士だと看破されていたなら、昨日の二の舞になっていたかもしれなくて。
改めて無事で良かったとタカノは言った。心からの友に肩を掴まれたなら、小心者の震えも一度止まるのであった。
5
水筒二つ、空き瓶二つ、乾パン、馬の干し肉、香水、マッチ、ロープ。タカノがマーケットで揃えた物を見せる。ブーメラン、それから望遠用ゴーグルしか買っていないアケミは申し訳なさそうにした。
「んもう、アケミちゃんは気にしすぎなんだって」
「その通りです、はい」
二人がウズ通りに出た頃にはすっかり日も落ちかけていた。通り沿いの公園に腰を下ろし、空き瓶に壺の薬を移し替えつつこの後どうするか相談する。
王都には至る所に公園があり、水道と公衆トイレを備えている。高度に発達した文明の証左だ。かといってほとんどが空き地に毛が生えたレベルで、こんなところにずっといては襲ってくれと言っているようなもの。目下二人の悩みは、夜をどこでやり過ごすかに尽きる。
《これからが本番だぜ。戦いを仕掛けるのも仕掛けられるのもな!》
「……仕掛けないよ、てんせーくん」
そう言いながらもタカノは右手に持つナイフを見つめる。昨夜の拾い物だ。それを持ち歩く必要性を、彼女とてわからないわけではない。
《まぁ初日は勝手がわからない奴らがドンパチしたが、出来る奴はまず潜伏先探すよな。いかに早く身の安全を確保し、いかに早く敵の居所を突き止めて叩くか。言っておくが一週間の期限はマジだぜ。まぁ、いくらオマエラがボンクラでも、やることはやってたみてーじゃねぇか》
武器屋を出た後、商店街でそれとなく転士ワルグリアに関して聞き込みを行っていたことをてんせーくんは褒める。もっともアケミ達が知り得たのは彼女が見た目通り騎士を自称してどこでも大体あの言動なこと、どうも相棒がいるらしいこと、くらいだったが。
「聞いてたの? 姿が見えなかったけど」
《はん、オレサマはずっとテメーを、いや全転士を見てるぜ。何せ今回のゲームの監査役として神様から遣わされたのだからな。転士や人間の思惑なんざ知ったことじゃねー。つーことで、ワルグリアがどこにいるかなんて教えられないし、逆も然りだ! アテにすんじゃねーぞ》
「それじゃあ最初この世界にやってきた時、色々教えてくれたのも神様に言われて? でも転士の召喚は大聖堂におわす三人の大司教様と王様が行うものと聞いています」
《へぇ。よく知ってんな。そういや司祭の端くれっつー物好きだったか》
自分を選んでくれたのは神だと信じて疑わないタカノだが、それとは別に転士を迎え入れるのは国策だと知識として頭に入れていた。そしてどこか引っ掛かりを覚えていた。この国の成り立ちだとか、転士の体の機能だとかを教えるのは神の都合というより国の、人の都合のはずだと。
なのにそれを請け負うのなら――てんせーくんが人の願いを、自分達の願いを聞く余地があるのではないかと、仄かな期待を抱く。
《けっ。オレサマにも色々事情があるんだよ。詳しくは教えられん。そういう契約だからな。これだけはハッキリしておくが、この転士のバトルゲームをやめさせろってのだけは絶対出来ねーからな。何があってもだ。オレサマだって降りられねーんだよ》
「好きで、やってるわけじゃないの?」
アケミが問う。てんせーくんは大層顔をしかめ、姿を消した。それが答えだった。
「ねぇアケミちゃん」
「うん、何か裏がありそうだよね。それはそうと、今夜のことだけど」
「……昨夜みたいなのは、もう嫌ね」
「うん」
タカノならばまた寺院に潜りこめるだろう。でもクラウス司祭の一件が堪えているのはアケミにもわかっている。無関係な人間を巻き込んで死ぬのを見たいとは思わない。けれど何とかして生き残らなければ。勝ち残らなければ。そんなことを考えながら傍らの友を見る。
もしかすると、タカノは誰もが傷つかないことを望んでいるかもしれない。それは敵である転士であっても。そうアケミは思い始める。
「タカノちゃんは、優しすぎる」
そんな彼女だけは絶対に傷つけたくないし、失いたくない。だからアケミは決意する。タカノの代わりに自分が力を振るおう。それくらいなら自分にも出来るはずだと。昨夜人を刺した感覚は確かに手に残っていた。
「アケミちゃん?」
「ううん、なんでもな……あ、ちょっとそこの馬車! 止まってください!」
通りを横切ろうとした馬車を慌てて引き留めるアケミ。タカノがどうしたのかと問うと、いいから乗ってと赤い髪を振り回す。
運転手の若い男が行先を聞くと、アケミは相変わらずしどろもどろながら咄嗟の思いつきを話し始めた。
「ええとですね、街を一周して欲しいというか、朝までその、あーえーっと、ボク、田舎から出てきまして」
「私この度王都に赴任いたしまして、各地の寺院の場所を把握しておきたく、今から巡ってもらえないでしょうか。こちらの方はその道中一緒になった芸人の方なのですが、芸をやるに下見したいとのことで是非にと」
アケミの意図に気付いたタカノがフォローを加えた。すると運転手は予想通りの回答を寄越してくれる。
「はぁ、そりゃ仕事熱心な司祭様方ですな。しっかし王都って広いんで、ぐるっと回るとなると夜通しかかっちゃいますわ。馬が疲れちゃうんでゆっくり走らせてもらいますと」
「構いません。夜の運行、出来ますか?」
「仕事ならやりますよ。そうですなぁ、たまにはガッツリ仕事納めて明日寝てるってのも悪くない、ですなぁ」
若い運転手はタカノの僧衣を見て明日が日曜であることを思い出した。彼のようにサービス業に従事していると安息日は一番の書き入れ時になってしまいがちだ。裏を返せば仕事が取れるならいつ休んでも良い。
残り少ない紙幣をまとめて渡し、二人は馬車の席に乗り込む。一日の疲れが吹き飛ぶかのような座り心地の良さ。思わずアケミもタカノも顔を緩ませる。
「成程、動き回ってる方がまだ安全。考えたねアケミちゃん」
「渡りに船には乗れって、言ったのはタカノちゃんだよ。西側の地理も把握しておきたいしね。じゃあ見張りは交代で、タカノちゃんは先に休んでて」
「ありがとう。それじゃあ少し食べてから。アケミちゃんもどうぞ」
細切れの干し肉を一本、タカノは隣に渡す。アケミの感想は噛み味スルメの如しとお粗末なものだ。
「ここの人達、魚食べないよね。海だってあるらしいのに」
「川が汚染されてるから食べないんだって。上流まで行けば大丈夫そうだけど」
「寿司食べたいなぁ。というかお米食べたい」
「ないものね。牛が絶滅したってのはビックリしたかな私は」
「実は国境線の向こうにいたりしないのかな」
「凶暴な怪獣ならいるそうだけど。逆に人間が食べられちゃうよ。がおーってね」
そんな他愛のない話を久しぶりとアケミは言うが、たった二日じゃないとタカノは訂正する。そして空しくもなる。たった二日で何もかも変わってしまった。
「でも、元の世界には、戻りたくないよ……」
ウトウトしてつい本音を漏らす。どちらが言ったかなど問題ではなかった。
6
北西の空が燃えていた。
夕焼けにはまだ早い。赤く飛び散るは火の粉。どす黒い煙が屋敷から上がっている。
燃えるような髪の乙女は馬車の運転手に迂回を命じつつ、慌てて相方を叩き起こす。寝惚け眼を擦ってアケミが指差す方を見たタカノは、思わず開く口を手で押さえた。
この辺りは貴族やブルジョワの豪邸が立ち並んでいる区域だが、それが悉く燃え盛っている。更にはその裏、工業特区でも火の手が上っているのは間違いない。なれば庶民の生活にも影響は避けられない。
まさか、とタカノは言った。だが彼女の信じる神の使いは間違いないと非情に告ぐ。
《転士がドンパチやってるに決まってんだろ。だから言ったろ。降りられねーと。今ここで逃げても、後から追いかけてくんだぜ。必ずな》
急ぎ望遠レンズのピントを合わせ、アケミは後方を覗く。すれば爆炎に照らされて、一瞬黒光りするシルエットを見逃さなかった。あの戦場の中には奴もいる。鎧を纏う騎士はただ一人。
「転士、ワルグリア……」
ギキィ。その時馬車が急ブレーキをかけた。一体何事かとアケミ達は驚く。
「そこの馬車、どっから来た! まさか現場からか!?」
カーテンの隙間から恐る恐る覗けば、血相を変えた警官二人組が往く手を阻んでいた。
――どれほど遠ざかっても、赤い夜空が在り続けた。