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第一話「賽は投げられた」

 アケミは愕然とした。

 異世界で第二の生を始めて一週間、元の世界では有り得なかった充実の時が、唐突に終わりを告げたのだ。

 転士――異世界の召喚に応じた者――というだけで生活が保障され、人々から崇敬される。それが今、転士というだけで血みどろの殺し合いを行わずにはいられなくなった。最後の一人、最優の一人となるまで。

 このままこの世界に留まり続ける為には――


「……アケミちゃん、どうしよう」


 目の前の友達が、前世も含め初めて出来た友達が、最初の敵となった。



 整然、なれど巨大なクリスタリカ王都。異世界の進んだ知識と神より与えられた異能を持つ転士を迎え入れることで、この地は発展を続けてきた。

 今この時も成長してゆく街の全貌は、南東区にある楼閣十五階展望台から一望できる。東の大河や北の山脈、南の海に守られた箱庭は美しく、穏やか。まるでロンドンかパリのようだ、と転士アケミは街並みを評する。

 ついでに産業革命期のと付け加えた。視界を遮るビルなど何も生えていないからして、現代日本生まれの目にはややレトロに映った。ガソリン自動車などはまだなく、たなびく黒煙の合間を馬車が縦横無尽に駆け巡る。

 ――昨日もその感想を聞いた、と傍に寄る者が笑った。


「今日も付き合ってもらってごめんね、タカノさん」

「いいのいいの、こっちこそ待たせちゃって。それより、タカノちゃん、でしょアケミちゃん」


 空の様に青く透き通る髪の、見目麗しい少女はちょうどアケミの先輩転士だ。この地で暮らし始めて日の浅い後輩に毎日付き添ってくれている。そういう面倒見の良さを炎の如く赤い髪の少女は好ましく思っていた。

 十五重塔を待ち合わせ場所にしたのは外から目立つこと、の割に中は空いてること、その要因の一つ入場料を転士は払わなくて済む、などの理由だ。どこの世界だろうと人ごみを避けたがるアケミの性分は変わらない。

 今日の行先は空いている方だと案内人は言った。昨日は東区の繁華街でへろへろになったのを踏まえてである。こういう気遣いがアケミには嬉しい。

 王都唯一の電動式エレベーターで降りる際、タカノは赤毛頭をまじまじと見る。


「髪飾り、付けてくれたんだね。とってもよく似合ってる」

「タカノさ、ちゃんが選んでくれたもの。本当にボクなんかには勿体ないよ。でもその、あんまり見られると……」

「ごめんね。アケミちゃん可愛くなったから」


 髪だけでなく頬まで紅に染まるアケミ。ワンポイントの花の髪飾りが一層際立つ。気恥ずかしくてこれ以上何も言えぬまま、地上に降り立った。

 歩きながら、異世界での生活には慣れたかとタカノは聞いた。新入りは縦に首を振った後、否定するかのように横にも振る。


「流石にパソコンとかはないけど、思ってたより暮らしやすくて良い街だよ。最初はこの体にも戸惑ったけど、今は」

「うんうん、折角なんだしお洒落しなきゃ。そろそろドレスも着ない?」

「それはまだちょっと……あと地理はさっぱりでごめん。ねぇ、王都の外はどんな感じか知ってる?」

「ううん、私もまだ行ったことは。工業特区とか農業地区とかその辺は、あと南の港や旧都以外にも小さな集落がポツポツあるって聞くね。でも国境より向こうは不毛の土地らしいよ。元は王都の外が全部そんな感じだったらしいけど……あ、これは後でわかるから、楽しみにしてて」

「どういうこと?」


 蒼髪の美少女はニッコリと微笑む。この後の反応を予想して。

 二人の頭上を黒い影が過ぎった。ケーブルキャブと呼ばれる都市型ロープウェイのゴンドラだ。鉄道の代わりに索道網が空に敷かれている。中央区のサン・ピエトロを思わせる大聖堂を囲うように循環し、南東区の駅は十五重塔のすぐ傍。どちらも同じくロカイユという転士が建築しただけあって景観の調和が取れている。

 もっとも大聖堂内に住むタカノにはあまり縁がなく、先行く足取りも路線から離れていく。すると早くも目的地が見えてきたと指差した。

 それは円筒型の妙な建物だった。案内役ですら見慣れぬ代物。けれどその名を聞けばアケミは理解し、驚嘆した。


「本物のパノラマ館!? 日本じゃもうないのに」

「えっ、異世界特有ってわけじゃないんだ? アケミちゃんこういうの好きそうだと思ったんだけどそっか、知ってるなら説明省くね。じゃあ行こっか」


 二人は浮足立って直径二十メートル程の円筒に吸い込まれていく。

 パノラマとは全方位張り巡らされた壁画を建物中央の展望台から眺める舞台装置で、地球上では十九世紀に流行しては消え去って行った文化である。予告通り空いているのは芸術の盛んな西区にもっと本格的なハコがあるから、とタカノは理由づけるが、そう遠くないうちにパノラマ自体が廃れるだろう。ここクリスタリカでも。

 異世界の中に広がる異世界、ノスタルジックな街の古の風景が今、目の前に広がっていく。放り込まれた異邦人はただただ圧倒されるばかり。

 北には険しい山脈が、東には豊かな川が流れ、都市改造される前の王都の街並みが遠目に映る。それらは背景で主にフォーカスが当たるのは王都の西、かつての都ミストリスでの、激しい争い模様。パノラマといえば戦争画というのはここでも同じで、六十年前の聖地奪還戦を題材にしていた。

 もっともあまりにも現実離れしていて、タカノの説明が入るまでリアルの戦争画ではなくファンタジーな漫画だとアケミは思った。それも天は荒れ狂い地は裂け、おどろおどろしい巨大な化物達、あるいはゴブリンのような人型の魔物が描かれているのだから。現在は科学的に説明できない人類の天敵として、怪獣と呼称されている。


「すごい迫力……! まるで特撮映画のモブになったみたい」

「ふふ、でも実際にあったことなんだよ。ほら見て、八勇者様もいるでしょ」

「八勇者、この人達が……」


 対するクリスタリカ兵に混じって、一騎当千の働きで人外共を薙ぎ倒す八人の英雄も描かれている。彼らは皆麗しの戦乙女で、転士だった。

 タカノは一人ずつ指差していく。魔弾のナナ、火薬庫のセイラ、達人のラスカル、鉄壁のオーレリィ、変幻自在のネロ、剛腕のマルコ、全知のスナフ、無敵のハイジ。怪獣を駆逐し半世紀の国家安泰を築いた、伝説の勇士達。クリスタリカの民ならば知らぬ者はいない。

 その伝説は二代前の開拓王に始まり、続く文化王、そして今代の太平王の時代においてなお更新されている。半神的存在たる転士は皆乙女のまま不老長寿なのだから。アケミも遠巻きに一人見たことがあった、パノラマに描かれているのと同じ顔を。

 その内四勇者が王宮に呼ばれているらしい、とタカノは噂話を口にした。しかしアケミのような新入りにとっては雲の上の存在に過ぎない。自分と同じ転士だとは到底思えなかった。その時はまだ――

 勇者とモンスターのゲーム的世界から前時代的なだけの空間に戻ってくれば、思わず溜息が出た。つまらなかったのかとタカノが不安げに訊ねたので、そうではない、面白すぎて出るのがもったいない程とアケミは釈明するのだった。


「じゃあまた今度、壁画が変わる頃に来ようね。明日か明後日西区の方行ってもいいけど」

「土日は人多そう……」

「ふふ、だよね。アケミちゃんのペースでいいから。食後に予定決めよっか」


 オススメの食事処があるのだがここから少し距離がある、と言われても新米転士にはよくわからないので、先導する先輩に引っ付いていくのみ。


「おおタカノ様、こちらの方に来られるとは珍しいですねぇ。そちらの方は?」

「お友達のアケミちゃんです、おばさま」

「もしや新しい転士様ですか! ありがたやありがたや」

「ど、どもです……」


 一応は八勇者などと同じ種族の為、道を歩けば何とやら、度々声を掛けられては拝まれる。これには中々慣れず笑顔で返すところを強張らせるアケミだった。

 ――元の世界ではこんなこと、一度たりともない。地位は勿論容姿だって今より遥かに悪い。むしろ往来を行けば周りの人間がひそひそ陰口を叩くようにしか思えなかったぐらいだ。


「ねぇ、転士様はあの世から来たんだよね! お父さん元気にしてるかなぁ?」

「こら、この子ったら……すみません。昨年夫を亡くしまして」

「いえいえ。君のお父様はとても安らかな日々を過ごしていますよ。だよね、アケミちゃん」

「え、あ、うん」

「ホント!? 良かったぁ」

「有難うございます! 有難うございます!」


 幼子の手を引きながら母親が深々と頭を下げる。クリスタリカの庶民にとって転士達の出身地はイコール天国という認識だ。嘘も方便というが感謝されるほどのことではないとアケミには思えた。子供の憧憬の眼差しが眩しい。

 とはいえ心地良さを感じないわけでもない。生きているだけで尊重されるものだから、元来の卑屈さが和らいできたのも確か。それをタカノは慣れてきたと称した。


「それは……タカノちゃんのおかげだよ」


 この世界に来て右も左もわからない時に親しく話しかけてくれたことを、アケミは鮮明に覚えている。

 最初に出会ったのは、王宮の中にある礼拝堂。転生してすぐ王に謁見し盛大な歓迎パーティーに招かれ……るもこの性格故断り、一人王宮の出口に行こうとして迷子になったという実に情けない時だった。

 司祭の格好をしていたタカノを同じ転士だとは思わず、道を訊こうとした。けれど中々言葉が出ない。すると向こうの方から礼拝に来た方かと問われたので、事情を話すことが出来た。そうしてお互い転士で、しかもパーティーに呼ばれながらエスケープした同志だと発覚したのである。

 その場で意気投合して心から嬉しかったことを、アケミは後になって何度も何度も伝えた。タカノの方も同様に。


「そんな、私なんて最初は体を動かすことすら中々慣れなくて、この世界の言葉も話せるはずなのに話せなくて……って引っ込み思案は元々かも。だからあの時勇気を出してアケミちゃんと仲良くなれて良かったし、もし良かったらだけど……これからも付き合ってくれると」

「いやいやこちらこそ……」

《ったく、いつまでやってんだオマエラ》


 突如、姦しい声の間に鋭利な音が割って入る。それはどことなく人工的で、されど機械的ではない声。通りを行き交う誰かではない。人間であろうか。

 発する者に実体はないが間違いなく現れていた、揺らめくビジョンとして。


「あ、ええと、先週来た時の」

「てんせーくん!? お久しぶりです。だけどどうしたの?」


 その間抜けな名前の主は薄ピンク色のひよこ、それもこけしみたいな簡素な顔で愛くるしいと言えず精々「キモカワイイ」姿をしていた。羽ばたきもせず宙に浮いているが、この世界における鶏は古来神の眷属とみなされた。いわば召喚されたばかりの転士にこの世界の基礎知識を叩きこんでくれる、案内マスコットだ。


「あ、もしかしてこの先の道を教えてくれるとか?」

《オレサマは神様の使いであって便利なカーナビじゃねーぞ新米。最初のガイドで終わりだっつー。のはずだったんだが……それより二人一緒でいいのか?》

「ど、どういうことでしょう」


 タカノは不安げに覗きこむ。するとてんせーくんは表情筋が乏しいながらも底意地の悪い顔をして、すぐそこの公園で話そうと案内を始めた。



「アケミちゃん、どうしよう」


 タカノの顔は髪に同化するかのように蒼くなっていく。対してアケミの炎髪は夕焼けに溶け込んでしまい、ただ白い顔が浮かぶ。

 てんせーくん――神の使いは冷徹な神託を告げた。すなわち今現在四十八人確認されている転士同士で争い、勝ち残った一人にのみこの世界での永住権を与えると。それ以外の敗者は全て元の世界元の人生に強制送還される。転士はこの世に一人で十分とのお達しであった。

 どうしてと問うたところで神の気紛れとしか言いようがない。人民が勝手に神のクリスタルを削り取り、転士をバンバン召喚したから怒った、などと人民が勝手に推測しても仕方がない。神に人格を求めることがまずナンセンスで、そんなことはやめてくれと懇願したところで無駄だ――そう代弁者は言い放った。


「た、戦わなきゃ駄目、なの?」

《ああ。言っておくが現時刻より一週間、誰も倒せなかった奴もゲームオーバーだ。右手首を見てみな》


 言われた通りにアケミもタカノも袖を捲る。するといつの間にか、赤い痣が出来ていた。いや、ハッキリと意味を持つ模様だ。「168」という数字に読める。

 それがちょうど、「167」に変わった――すなわち、余命百六十七時間也。


《ゼロになったらドカンだぜ。敵を倒せばそいつをリセットしてやる。でないと絶対逃げ回るだけのズル野郎が出てくるし、面白くないんじゃねーの。まぁ元の世界に帰りたいんならかまわんが、そんな奴いるか? いいやいねーぜ。オマエラは後がなくてこの世界に来た、違うか?》

「元の世界に帰れだなんて……でも、ボク達死んでここに生まれ変わったはずじゃ」

《あ? テメーちゃんと初めましてガイド聞いてたのかスットコドッコイ!》


 初歩的な質問が勘に障ったらしく、転生ガイドは早口になる。


《オマエラ転士ってのはまだ死んではいないが生きてもいない、そういうあやふやな魂だから世界線さえ越えてクリスタルに宿るんだろうが! 今すぐ飛び降りてる最中の元の体に還してやろうか、ん? それが嫌なら他の転士の息の根を止めて、核となるクリスタルを手に入れることだ。もしくは破壊するか……は並のチートじゃ不可能だし、第一クリスタルゲットでそいつのチートも手に入るし壊す理由ねーや》

「チートが、手に入る?」

《一人一つのチート持ってんだろ? あー詳しい説明は実践してからにした方がいいわ。早速チート使って目の前の敵を倒してみろ》


 タカノが定まらぬ焦点を何とか合わせると、ただただ絶望しきったアケミが映った。

 神の一部からなる転士は神の如き能力を一つ持つ。それをチートという。初めての異世界ガイドで必ず教わることだ。かの八勇者もチートでもって災厄の化身に打ち勝ち歴史に名を刻んだ。四十八人目の転士たるアケミにも等しき力を持っていないはずがない。だが……

 未だアケミは知らぬ。自分がどのようなチートを持っているか。そもそもチートなど持ち合わせているのかも。


「ボクには出来ない……チートなんて、出来損ないなんだから……」


 昔の癖でペシミズムに支配される。ベンチに腰を下ろして蹲る。近頃の自己肯定感はすっかり吹き飛んでしまって、あるのは抜け殻だ。

 それでもすぐ顔を上げ、恐る恐る敵を見ようとする。けれど直視は出来ない。そんな卑小な自分を受け入れてくれたタカノと戦うことなど、ましてや出来ないでいた。


「……私も、出来ないよ」


 友もまた相変わらず同意を示す。状況の変化に全く付いていけずに。


「私だってチートなんて使ったことない。一回も。だってこんなに平和なんだし。なのに、そんな急に、しかもアケミちゃんとなんて……絶対、イヤだぁ」


 その場でタカノは崩れてしまった。わんわん泣き出す声に犬は吠え返し、すっかり人気のなくなっていた公園にも人が戻ってくる。


「どうなさいましたか、転士様! 何事か……」

「どうしようタカノちゃん……あーえーっとその、だだ大丈夫です、なんというかその……大丈夫ですから!」


 アケミもボロボロ涙を溢しながらも駆け付けた主婦を押しのけ、タカノを支えながらその場を離れようとする。内心全然大丈夫でないと思いつつ。


「お、落ち着いて、ね? とりあえず、行こ? 今後のことは後で話そ。例のバーって向こうだよね?」


 アケミが指した方向に、王宮から遠いにしては賑わいのある酒場があった。辛うじてタカノが頷くと、やれやれと言い捨てて残酷な神託は消えた。



 バー「ホームズ」の上階隅っこにホカホカの料理が届く頃には、タカノもすっかり泣き止んでいた。

 恋の相談ならいつでも乗ってあげる、などと陽気なウェイターは去り際に言う。相手が転士だと知るならば到底気安く吐ける台詞ではないが、知っていてもそういう性格に見えた。アルコールに当てられて、誰もが気を大きくしている。

 転士の二人も早速つつき合う。潰したイモと鶏の挽肉と野菜を混ぜた、素朴なれど酒の進む飯。しかし互いに飲み干すのは決まって麦酒より高い真水だ。クリスタ教の僧侶でもあるタカノはともかくアケミに飲めないはずはなかったが、元が下戸だった為今の体でも忌避する気持ちが強かった。そういう意味ではまだまだ「異世界人」で転士としては馴染めていない。

 一口二口頬張って、空にしてから話し合った。やはりタカノはアケミとは戦えないと表明し、アケミもまた然り。じゃあどうするのかと野暮な第三者が追い立てれば、尼僧の卵は神に祈るように切り出した。


「一緒に組んで戦っちゃ、駄目、かな? もし、もしアケミちゃんさえ良ければだけど」

「ボクもそう考……え! あぁ、うん良いに決まってる勿論だよ!」

《オイオイオイ、生き残れるのはたった一人なんだぜ? オマエラみてーなどんくさいのが勝てるとは思わねーけどさ、もし二人生き残ったらどうすんだよ》

「あっ……その時は、またその時考えましょ」


 その時が来るまで考えたくないと言うタカノに、てんせーくんは呆れかえった風体で黙ってしまった。実際はそれが正解だ、いち早く徒党を組んだ方が孤立無援で戦うより圧倒的に有利なのだと、アドバイスするなどは公平性に欠ける故。


「それにしても二階席があるなんて珍しいね」

「でしょ。ファーストフード店を思い出すって転士の間でも評判らしくて……」


 ガタン。会話を再開しようとした途端、大きな物音に遮られる。戸の開く、というよりは外れて倒れるような音だ。それから間もなくして、耳を劈く悲鳴が床をすり抜けて響いた。

 一体何事かとアケミは怯えた。タカノもか細い声でちょっと下を見てこようかと提案するが、中々椅子から抜け出せない。するとまた何かが倒れる鈍い音と鋭い悲鳴が木霊した。つられて二階の客もどよめく。

 常連もよくある乱闘騒ぎか何かだろうと周囲を落ち着かせるよう言うが、声が裏返ってしまっている。異常な事態が起きているのは明白。狂騒が一旦止むと、程なく何者かが階段を上る足音が聞こえてくる。ミシッミシッと地獄の鬼が踏みしめるかのように。

 アケミは腰を抜かしたままだがタカノはようやく立ち上がり、階段の方に一歩一歩、擦り寄る。他の客も似たようなものだ。しかし誰一人その場から逃げ出すこと叶わず、異質な音の主を迎える他なかった。

 そいつは軽装ながら胸や肩、脛に防具を当てた、いかにも戦士といった格好であった。肩にかかるブロンドの髪は艶やか。浮かび上がる顔は女神像の様に整って麗らか。なれど紅に染まるのは唇だけでなく全身に新鮮な返り血を浴び、右手に真っ赤な剣を、左手に先程のウェイターの首を持つ狂戦士だった。

 殺戮者のエントリーに誰もが息を飲んで動けない。代わりにそいつが凄んだ。


「ここに……転士はいるか? どうだてんせーくん」

《さぁな。自分で探すのがゲームってもんだぜイセリナ》

「めんどくさい……転士でなければ助けてやる。手を挙げて、前に出ろ」


 堰を切ったかのように口々にお助けをと客が押し寄せた。すると殺人鬼はフンと鼻で笑ってから、斬った。たった一太刀のはずなのに、客だったものがことごとく床に散らばる。赤い泡を吹かせながら。

 もう一太刀で更に細切れにされる。一瞬で何度も何度も斬りつけるように。おおよそ人間業ではなく、転士のチート能力以外では説明できない。


「残ったお前達は……転士か? 二人ともか?」


 アケミもタカノも、動かなかった、というよりは呆然として動けなかった。そのお蔭で命拾いはしたものの、一瞬で築かれた地獄に戦々恐々とするばかり。アケミは端正な口を歪ませ、食べたばかりの料理を戻した。


「ど、どうしてこんな、こんなことを……!」


 恐怖を抑えつけてタカノが前に出る。義憤をバネにして。そんな素人じみた行動をいち早く慣れた転士は嘲笑う。


「何故って、一般人の振りをして、逃げられては困るだろ。まぁ、最初から全員殺すがな。転士がどいつか一々探すか? めんどくさい。この方が手っ取り早い」

「勝てばいい、ですか……? 無関係な人を巻き込んで!」

「どうせ違う世界の人間(モブ)だろ? それこそ関係ないんだからいくら斬ろうが」


 その回答で価値観が根本的に違うとタカノも悟り、テーブルに右手をついた。


「どうした? そのちっぽけな正義の心がお前のチートか? 我がチート、多段攻撃(マルチヒット)はそう甘くはない。おっと口を滑らせてしまったが、敵に知られようと全く問題は……ない!」


 殺人鬼が踏み込む。後ろの友をチラッと見て、タカノもまた無謀にも立ち向かった。しかし結果は歴然。アケミが親友の名前を叫んだ時にはもう、四分割。八分割。十六分割された生き物の残骸が一面に横たわっていた。


「何故ならお前が斬られているからだ。もっとも、知れ渡っても負けぬが真の強者よ。八勇者がそうだろう?」

「タカノちゃ、タカノ! 嘘だそんな……こんなことって……」


 アケミは椅子からも転げ落ち、無様に這い蹲る。いくら目を逸らそうとしても非情な現実は血の臭い、死肉の臭いで伝えにくる。流れてくる血で、震える手が赤く染まる。その汚さが吐き気を一層促す。

 折角出来た初めての友達が、死んでしまった。あの楽しかった一週間が死に絶えてしまった。そうしてまた、力無き自分だけが残される――

 フラッシュバックするは、在りし日の屈辱。圧倒的強者に嬲られ、哂われ、土を嘗めさせられた中学二年生の夏。何もその時ばかりでない。アケミはずっとそんな無力さに打ちひしがれ無気力に過ごし、当然人生が詰んで身を投げた。

 そんな辛い半生のお詫びに与えられたような楽園でも、また同じことの繰り返し。どうしてこう、気の合う友と日々を過ごすといったささやかな幸せですら、踏み躙られるのか。アケミは呪う。そんな理不尽を許す己の非力さを呪う。


「そうかタカノというのか、さっきの。で……お前は何だ? 何のチートを持ってる? あまりに圧倒しすぎじゃつまらない。せめて死ぬ前に披露してみろ」


 転士イセリナは煽ってみせる、死骸からクリスタルを抜き出す合間に。

 チート。世界の理を覆す神の力。そんな力さえあればタカノだって守れたのに、今自分の身だって守れるのに――深い後悔と強い渇望がアケミの中から湧き上がった時、それもまた現れた。目も眩む光と共に、一つの宝箱が。


「何の光だ……! お前のチートか!?」


 まるで赤子が自然に立つかのように、アケミは宝箱を軽く開けて中身を取り出した。すれば光は遥かに強まり、すっかり日も暮れたというのに店内隈なく照らし出す。やがてそれは一人の男の姿に収まった。


「よもや一発目にワシを引き当てるとは……なんたる強運の持ち主よ」

「何、この……おっさん?」


 アケミは発動したチートが何たるかを一瞬で理解したものの、目の前の存在には困惑するばかりであった。彼女のチートは中身のわからぬ玉手箱を顕現させる、元居た世界の概念に当てはめるならば「ガチャを引く」チートである。しかし長い髭を蓄えたみすぼらしい壮年の男性が中から飛び出してこようなど、全く以て想定外。


「おっさんではない。SSR神槍グングニルの精よ。わしを呼び出したる主よ、そなたはただ放つだけで良い。それで全てを撃滅せん」


 髭の男を象る光はまた変化し、今度は一本の槍となる。それを支えにしながら今、アケミはゆっくりと、だが確実に立ち上がる。身体の震えは止まった。穴という穴から噴き出る液体も止まった。望んで得た力を漲らせ、ただ敵を見据える。


「槍使いか! 面白い! やっと思う存分力を振るえるな。そう来なくては、そうでなければ転生した意味なんて、ない!」


 狂戦士もすっかり死体漁りなどはやめ、抑えきれない興奮を剣先から迸らせる。尋常に勝負と大声を上げ、飛び掛かった。

 アケミはグングニルを上に向け、突き出す。それを一段目で逸らせば二段目以降はヒットだ、手数の多さで勝てると、イセリナは死ぬまで油断していた。

 光の槍は少しも逸れることなく剣士を蒸発させ、酒場の屋根を貫通し、流れ星とは全く逆の軌跡を夜空に描き、しかも何十秒も光条を残した。宇宙を易々と超え、もし途中で星に当たったとしてもそのまま貫いて飛び続けたであろう。

 その夜を切り裂いた一撃は見た者の網膜に焼付いて、一生忘れることはなかったという。



「なんだぁ、あの光は……見よテンキ!」


 一人を除く男性の出入りは許されぬ後宮の、それも離れの和風屋敷にて、番をしている男が叫んだ。彼こそが太平王と呼ばれるクリスタリカ国最高権力者であることは誰もが知る。しかしその奥で女を侍らせている、一際煌びやかな幼女こそが真に国を牛耳る妖女である。

 影の支配者テンキはその金色の眼で異常な空を見抜いた。濃紫を白く引き裂く、一筋の線を。


「これは何事よ!」

「王はこのような些事、驚かれる必要はございませぬ。お休みなさいませ」

「そうか、お前がそう言うのなら」


 子供みたいに興奮気味の王は寵姫の目に射抜かれた途端大人しくなり、すごすごと己の寝室に向かった。代わりに黒髪艶やかな姫君が畳を踏んで縁側に出る。


《……派手な狼煙だぜ。始まったな》

「いや、終わりを告げる片道列車の汽笛じゃよ。神話の時代の終わりを、な」

《オメーが始めた癖にな》

「ああ、だから幕を引くのは我以外になかろ? 転士はもう、この世に必要ない」

《まぁ、順当に行けばテメーの総取りだ。順当すぎてつまらんが》


 小さな体の美姫は、老獪な将軍の様ににんまりと笑んだ。彼女の飼う、神に向かって。

 その傍にはいつの間にやら四人の少女――と言うにはあまりに猛々しい勇者――が集っていた。



 ようやく光が消えて夜が闇を取り戻した頃、なおアケミは愕然として取り残されていた。屋上になってしまった酒場の二階に。何が起こったか、理解はするが信じられなくて。


《……その、残念だったな。あの転士、クリスタルごと消滅しちまって、折角勝てたのに寿命の延長も新たなチートも無しだ。は、働き損のくたびれ儲けって言うのか、テメーの元の世界じゃ》


 神の結晶クリスタルをも滅ぼせる神器が力に恐れ戦くのを誤魔化そうと、神の使いは軽口を叩いてみせる。実際徒労といえば徒労だ。アケミは何ら得るものなく、ただただ友人と平穏な暮らしを失った。力も先程手放したばかりだ。


「これからどうしたら……教えてほしいよ、タカノ……」


 転士は一人、闇夜に項垂れる。

 その時、ギキィと不審な物音が鳴った。一人以外、死に絶えたはずの建物に。まさかとアケミの背筋が凍る。敵を仕留め損ねたのかと。

 床が軋み、何かが立ちあがった。僅かな星明りを頼りにアケミは闇を覗く。すればそれは確かに人影であった。

 足音が近づいてくる。アケミは思わず息を呑む。代わりにそいつが口を開いた。


「……アケミちゃん、無事?」


 ようやく夜に慣れた目が捉えるは、紛れもなく、かつての友人の姿であった。

初投稿です。よろしくお願いします。

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