第九話「始まりの終わり」(後)
5
昏い昏い土の中で、タカノは目を覚ました。
ここはどこだろう、あれからどれくらい経っただろう。深い闇に包まれて、何もかも覚束無い。自らの姿さえ。
「私は『タカノ』、だよね……?」
直前までの夢見心地がまだ抜けきっていないせいだ。夢の中の彼女は「タカノ」でなく、ちょうど祖母が話してくれた昔話に出てくるような――されど若かりし祖母とも確かに違う少女だった。夢とはえてしてそういうもので、不自然も当然。とはいえ夢と片づけるにはあまりに生々しくて、第二の人生を体験しているようだった。まるでそう、転生したみたいに。
夢での彼女は孤独だった。思想を理由に両親が国に殺され、渋々引き取った叔父夫婦にはあらゆる暴力と辱めを与えられ、出自から同級生にも虐められた。そんな少女にとっては周りの人間全てが敵で、動物園の動物だけが慰み。けれどささやかな安らぎさえも人間に奪われた。時は大戦期、空襲の折猛獣が解き放たれては問題だとして、少女の友は次々処分されていったのだ。その時の絶望と憎悪はとても夢とは思えない――他人事にも思えないタカノだった。
「あれは貴方の前世ですか? ――ネロ様」
問いかけても返事はない。人類を憎み転生した少女の魂の結晶は、今やタカノのソレと一体化している。彼女はだんだん思い出してきた。ネロから得たチートで地中を掘り進みゲットーから逃れてきたこと、そして力尽き昏睡したことを。
すると自然と五体改造で暗視が効くようになった。すぐ目の前、ムゥムゥの愛らしい顔がアップになる。
「タカノ、目が覚めたのか! 良かった、もう目覚めないかと、あたい一人ぼっちになっちゃったかと……」
折角起きたタカノだったがすぐさま押し倒された。もふもふとした感触が心地良く、再び眠りに誘われそうにもなる。ただムゥムゥの体温の低さから寂しさも伝わった。
「うん。ごめんね、心配かけちゃった? 私は大丈夫、アケミちゃんは!?」
「アケミは……」
ムゥムゥはしゅんとして大きな耳を傾ける。その先にアケミは横たわっていた。駆け寄って脈を測れば、タカノは真っ青になる。
「息、してない……嘘でしょ、ねぇ嘘だと言ってよアケミちゃん!」
《あー死んでないぜ。よく見ろよタカノ、溶けずに五体満足だろーが》
「それは……そうだけど、でも撃たれて!」
《よく見ろつってんだろ。弾は頭蓋骨で止まって致命傷じゃねー、悪運だけは強いらしいな。一時的な仮死状態だ、クリスタルが再起動さえすりゃ元通りだぜ。ま、時間内に目覚めるかどうかはコイツ次第だがな》
親切なのか意地悪いのか、てんせーくんはありのままを教えてやる。時間内にと言われてタカノは己の右腕を見た。数字は154――ネロのクリスタルを受け継いで168まで回復してから、もう半日以上過ぎているではないか!
すなわちいまだクリスタルを手に入れてないアケミの余命は、もう一桁時間。
「そんな、アケミちゃんの寿命がもう……どうしてこんな時間なのよ!」
タカノは自分の頬を叩く。不甲斐無く眠っていた自分が許せなくて。
《チート酔いって奴じゃねーの。元は人様のチートを無理して使えば疲労が大きいのも当たり前だな、そんで倒れるケースはオメー以外でも確認してるぜ。アケミの馬鹿は違うがな》
ゲームマスターは律儀に説明するが、タカノにとっては何の慰みにもならない。
「アケミの寿命がどうしたって……?」
「ムゥムゥちゃん、私達転士は他の転士のクリスタルを奪わないと七日以上生きられないの」
「えっ!? 転士は不老って御婆様が……ネロ様だって大昔から生きてて」
「そうだったんだけど、ちょうど七日前から寿命がそうなっちゃったの。神様が決めたの。だから私達は殺し合うの」
動かない友の前でタカノは頭を抱え、へたり込む。それっきり黙りこくってしまった。
ムゥムゥもどう慰めていいかわからず悶々として、悲しい気分になった。ようやく口を開いて、
「その、あたいの命とアケミの命が交換できたらいいんだけどな」
自虐的な言葉を吐きだす。感情の波を止められなくなる。
「どうしてあたいなんだ、御婆様やザオヤーガじゃなくて……皆あたいよりずっと生き残るべきだったのに」
「……ムゥムゥちゃん」
「なのにあたいだけ逃げ出して。やっぱり先祖返りしたのかな、血も涙もない化物なんだあたいは、生きてちゃいけな」
「違うよムゥムゥ!」
タカノは叫んで遮った。
「ムゥムゥちゃんが生き残って悪いことなんかない! 絶対に良かったって言い切れる。私が言うよ。ベアトリトスさん達だってきっと」
今際のザオヤーガに「生きろ」と言われたのをムゥムゥは思い出す。途端に左目から涙が溢れた。失ったはずの右目からも涙が出ていくような感覚を覚えた。
「人の命なんて吹けば飛ぶものだっけ。でも、だからこそ私達は生きたいし、生を無意味だと思いたくない。そうだよ、生き残ってヴァルヴァーネの為になることをすれば、生き残った甲斐あるんだよ。ムゥムゥちゃんを助けて死んでいった人達の死も無駄にならないはず!」
「生き残って、皆の為に……でもあたいに何が出来るか」
「それはこれから考えていこうよ。生きているんだから」
「そっか、そうだよな!」
ムゥムゥは泣きながら頷く。しかし励ますタカノこそまた神妙な顔に戻ってしまった。今までただ生き延びることに必死だったが、生きて何を為すかが大事と自分で言って気付かされて。がそれを考える余裕さえアケミにはないのだ。この親友を救う為に残された時間はあまりにも少ない。
「ねぇ、ちょっと聞いていい? タカノは鼠とか食べられる?」
「えっ? いや、生じゃなければ……なんとか」
不意な質問に戸惑うも、空腹感にハッとするタカノ。そうだ、生きるには食事が必要不可欠――転士に他者のクリスタルが必要なのと同じく。
やはり火を得ないといけないとムゥムゥは理解して、木材を探し始めた。よく見ればただの地下空洞ではない、何やら人為的な石材が散らばっている。ここも例に漏れず古代クリスタリカ文明の名残りらしかった。
眠るアケミにお腹が空いていないかとタカノは訊いた。返事はない。
「食べないと、怪我も治らないよ。ねぇ」
やはり返事はない。目を覚まさなくともお構いなく、あるいは相手の耳に入らないからこそ、話を続ける。かつて自分がされたように。
「ムゥムゥちゃんにはああ言ったけど、グランマは誰かの為に生きなさいって言ってたけど、私はそんな人間じゃなかったんだ。人から疎ましがられる度、私も人を疎ましくなった。だから折角転生しても神様以外に心を開けなかったの。幻滅するでしょ。でもね、あの時アケミちゃんと出会って、他人事に思えなくてさ、先輩面なんかしちゃって世話焼いて、そうしてやっとクララ・ハウザーは『タカノ』に、グランマみたいになれる気がするの。だから……」
祖母の名を名乗る転士は大きく息を吸って、決断した。
「君の為に、人を殺す。殺してみせる。アケミちゃんを死なせないから。私には君が絶対必要だから。だから」
――覚悟しなければ。人を傷つけてまで己が欲望を満たす覚悟を。
今まで覚悟が足りなかった。だからゲットーでもセイラを撃てなかった。甘さが命取りになるというヨミの言葉が呪いめいて頭に響く。時間と自責の念がタカノを追い詰める。悲壮な決意をするまでに。
「……ムゥムゥちゃん、私、ちょっと地上に出てみるよ」
「タカノ? どうしたのさ、そんな怖い顔して」
「えっ、あ、ごめん。お医者様を探さなきゃって。食料も調達したいし、まず外の様子も見ておかなきゃ」
「そ、そっか! あたいにゃここがどこだかもわかんないし……多分王都のどこかだと思うんだけど、こっちこそごめんよ」
「いいの。ムゥムゥちゃんはしばらくアケミちゃんを見守っててほしい。地下なら早々見つからないと思うけど万が一のこともあるし。お願いしてもいいかな」
「勿論! アケミもタカノもあたいの恩人だもん。何だって協力するって!」
「ありがとう」
タカノはいつもの笑顔を取り繕った。ムゥムゥの屈託のない笑顔が眩しくて、上手く笑えているか不安にも思った。
「タカノも気を付けろな」
「大丈夫、すぐ戻るよ。じゃあ行ってくるね、アケミちゃん」
――それがムゥムゥが聞いたタカノの最後の言葉になるとは! この時は思いもしなかった、両者とも。
ここまで来たのと同じようにモグラに変形して、タカノは地上に這い出る。ネロがやったように鳥に変化し舞う。幸い能力相性は良かった。チート酔いを怖れつつも王都の空を往く。
目指すはまず、ソレイユ新聞の本社。溺れる者は藁をも掴むという諺はクリスタリカでも似たような喩えがあるが、今のタカノがまさにそう。ワケありの患者を診てくれる医者を探すにしろ、獲物となる転士を見つけるにしても、アテがなければままならない。アテ足り得る情報源は記者のベルナーレ以外に思いつかなかった。彼が左遷されたのを知っていてなお、王都に戻ってきている可能性に賭けるしかなかった。
ウズ通りの西区側、路地の傍に新聞社は聳え立つ。人目を避けてタカノは小道に降り立ち、元の姿に戻った。しかしこの時致命的な問題に気付く――裸だ! 服を着たまま五体改造を使うわけにもいかない、当然といえば当然だが、これでは不審者極まりない。
ちょうど記者らしい出で立ちの若い男が慌ただしく向かってくるのが見えた。ええいままよとタカノは飛び出し、男を捕まえて路地裏に引きずり込んだ。
「なんだ!? 何するか痴女め、今忙しいんだ、春の押し売りなどやめ」
「私は転士です」
「転士ィ! なお悪いわ勘弁してくれ!」
「落ち着いて、私の質問に答えてくだされば何もしません」
「今してんじゃん! ベルナーレパイセンの二の舞はごめんだ!」
ビンゴだ。タカノは若い記者を一旦離し、詳しい話を聞こうとする。
「ベルナーレさんがどうかしたんですか?」
「ああやっぱそれか、アンタも先輩を探してるってわけか。つか先輩じゃなかったもう。ったく危険な橋ばっかり渡って、あんな奴、いい迷惑だよ! 辞めた後までこれだ」
「えっ? 彼、記者を辞めたんですか」
「ああそうだよ。それもおかしな話さ。あいつ本人じゃなくて代理人を名乗る黒スーツの、どう見ても堅気じゃない奴がヤバい原稿と辞表セットで持ってきた。昨日のことだよ。その後すぐ警察が来てさ、野郎はいないかって部長を締め上げて……あー生きた心地がしなかった。転士絡みに手を出すなって散々言われてたのにこの様。それで自分はトンズラって最低だよあの人」
おそらく先輩に振り回されて苦労したらしい新人記者はマシンガンのように愚痴を繰り出す。
「ちなみにその最後の原稿は全部押収されたからうちは持ってない。もう関係ないんだ、勘弁してよ」
「……そうだったんですね、すみません」
「僕と貴方様は今日会わなかった。こっちも記事にしないから、それで手打ちにしてくれ、な? 頼みますよ!」
と言い切るなり逃げ出そうとした。が今一度長く伸びた腕に捕まえられる。ヒィ化物、という悲鳴も塞がれた。哀れにも彼はタカノの手の内。
「お願いがあります。私のことを記事にしてくれませんか。そうですね、八勇者ネロ様の力を受け継いだ転士タカノ、挑戦者募集中とか……広告みたいな」
「な、何言ってるんだよアンタ」
人並み外れて美しい少女の鬼気迫る形相、そのなんと恐ろしいことか。ごく普通の青年には刺激が強すぎた。結局のところ彼は首を縦に振る他ない。防衛本能がそうさせる。
恐ろしく思うのはタカノもだった。自分自身が恐ろしくて仕方ない。けれどそうするしかないのだ、もう――
今度こそ可哀想な記者を解放し、彼女は顔を手で覆った。
――嘆いても仕方ない。自分がアケミを救うしかない。ゲットーで彼女がそうしてくれたように。
「私は転士……転士タカノよ!」
虚空に向かって宣言する。傍から見ればあまりに痛々しく、哀しい姿だった。
6
王都北、工場特区の一画に転士サタニエは居座っていた。
開拓王・文化王の富国強兵策により作られた官製工場の数々も、今や多くが民間に払い下げられている。この製糸工場もその一つでオーナーを度々変えた。けれどそのいずれもロフォカレ商会に連なる者達であり、古くからサタニエの秘密基地の一つでもあった。
工場長の部屋に彼女が踏ん反り返っていると、様々なビジネスパートナーが情報を運んでくる。ロフォカレ商会会長の座をナンバーツーに譲り雲隠れしてなおのこと。政府側の転士も経済的損失を考えるとおいそれと焼き討ちなど出来ない、名目上は無関係な商会を締め上げることもまた然り。依然商会の実質的支配者は彼女だとしても。
「ガヴァンめ、こんな鍵だけ寄越して、どこほっつき歩いているのよ。まさかまだゲットーをうろちょろしてるんじゃないでしょうね。大体何の鍵なのよこれ」
先程届いた封筒の中身を出して、怪訝な顔をする。
「それともう一つ、小包が届いています。差出人は例の……」
スーツをかっちり着込んだスキンヘッドの男――彼女の懐刀は壁にもたれかかっている客人を一瞥してから上司に耳打ちした。一先ず持ってこいとの指示を受け、スタスタと退室する。これでサタニエと客の二人きり。
「ギャングに反政府組織に武器を流してあちこちお祭り騒ぎ、そうして転士様同士を争わせて漁夫の利を狙う。いやはや陰謀論もたまには当たるもんですね」
ソレイユ新聞の朝刊を読んでいた客人は顔を上げ、皮肉った。些か自嘲気味に。
――彼こそは元新聞記者ベルナーレ。
「はぁ、そういう見方もあるわね。否定はしない。でも一番は儲かるから。売れる時に売れる物売らないで、何が商人よ」
サタニエは鼻で笑う。だが稀代の皮肉屋も決して物怖じしない。
「その利潤で私のようなしがない記者を買うのは、使い方がなってないと言わざるを得ませんがね」
「あら、私はアンタを過小評価しない。国家もそう、だから血眼で探してる。けど転士に関する情報を聞き出したらポイでしょう。でも私は違う。こうして再就職先の斡旋までするんだから、良顧客と言わざるを得ないわね」
「いやぁこんなに酷い話は早々ないですなぁ。本人の断りなく勝手に退職させた挙句、その政府から追われる人物をスパイとして送り込もうなんて」
ベルナーレは新聞を丸め、投げやりに放った。サタニエの机に落ちて広げられる三面記事、補欠選挙の立候補欄に彼の名前が載っていた。現職議員が四十八転士の戦いに巻き込まれて死んだせいで行われることは知っていた記者だが、まさか記事に書かれる側になるとは予想できただろうか? 否、困惑迷惑するばかり。
「議員になれば向こうも容易に手出しできない。大手を振って王都を歩きたくはないわけ?」
「当選するまで命が幾つあっても足りない、ですかね」
「護衛にザイーブを一人付けてやるわ」
「ザイーブ……まさか!? オイオイ俺を殺す気か! 殺し屋業界で最高峰と謳われる『死神』じゃないか。莫大な金でしか動かない、のはまぁ元会長様なら雇えるでしょうが、依頼者を口封じに殺すことで秘密を保ってるようなのをよくも見つけ……今ザイーブを一人と言ったが、やはり集団説が正しいのか?」
「アンタこそよく知ってるわね。結構危険な橋渡ってるんじゃない? 今まで命が足りたの不思議」
サタニエは肩を竦める。実際ベルナーレは己が強すぎる好奇心が為、何度も死ぬような目に遭っている。今もそうだ。
「ザイーブの秘密を教えるってことはマジで生かして返す気がないらしい、この悪徳御嬢様は。しかし悪魔の類との契約だ、そちらも無事で済みますかい?」
問題ない、とサタニエは自信をもって答える。傲慢な性格なのもあるが彼女には勝算があった。プロの暗殺者を用いて転士を狩っていけば、いずれタカノの不死身のようなチートも手に入る――そうなれば狂犬が飼い主を噛もうとしても返り討ちに出来る、という寸法だった。
しかしベルナーレからしたらたまったものではない。今すぐ警察所に駆け込んで保護してもらうという考えが一瞬頭に過ぎるも、すぐ首を横に振った。その辺の警官を買収するなど容易いことだ、湯水のように金を使えるサタニエならば。
「万事恙なく。心配ないわ、選挙の方だってベーガの若きプリンスが後見人を務めてくれる」
「ほう、マグナス=レオ・ベーガね。御三家ベーガの正統後継者でありながら傍流の出で庶民派をアピール、大衆にウケて今ノリに乗ってる俊英じゃないですかい。もっとも貴族政治再興が目的で、エトール騎士団との黒い繋がりも噂されたりの」
「流石にブン屋、よく見てるわね。少々穿った見方だけど」
「ええ、責任を持たない立場での流言飛語しか能がないもので」
「その口の上手さを評価してくれるわ。奴はポピュリストだから。弁が立つアンタはやはり政治家こそ天職よ」
「すみません、姉さんの顔で、声で、そういうこと言わないでもらえないか」
平時の飄々としたベルナーレらしくない、険しい声だった。真剣な糾弾の眼差しが転士に向けられる。
――知らない方がいいこともある。彼にとってそれは、この世の様々な知らないことを教えてくれた人の、末路に纏わることだった。
少年時代のベルナーレが「姉さん」と慕った人物は実の姉ではなく、サーヤという七つ年上の隣人のこと。彼女は没落した騎士候を父に持ち、出稼ぎ労働者の家と大差ない貧しさだったが教養だけはあった。そういうわけでベルナーレらスラム街の子供達に読み書きを教えていた。彼が文学者になり損なって新聞記者になれたのもそのお蔭である。ただこの大恩人の思想は反体制的と捉えられかねないもので、度々警察と衝突していたのを幼い彼も目撃している。
じきに国民議会ができる。ベルナーレ君は賢いし口が上手いから、政治家を目指すべきよ。私達でこの国を変えないといけない、街の人達が人らしく生きる為に。きっと君ならやれる――
そして彼女の言う通り変革が始まった矢先、街から姿を消した。逮捕されたのだろうか――不安に思った少年がサーヤの父に訊いたところ、「娘は神に選ばれて巫女になった」と彼は口を濁した。子供相手だから適当に煙を撒いたのだとその時は信じなかったベルナーレだが、青年になって仕事のついでに隣人の消息を調べていくうちに、その意味を知った。知ってしまった。
クリスタ教の生贄の風習が今も続いていることに。若い女の失踪事件と転士召喚の儀の奇妙の符合に。そして――サーヤの消失と同時期に現れた第十九位が転士、サタニエの顔が彼女と酷似していることに。
転士の魂はクリスタルに宿る異世界人だが、クリスタルを宿す母体として処女の肉体を必要としていた。クリスタルと結合した際体も転士として再構成されるが、サタニエの場合元の面影を強く残したらしかった。それは社会から消えても不都合ないと生贄にされた者の無念の残り香か。
顔同様に我の強さもサーヤに似た転士は椅子から立ち上がり、挑発的な視線を返す。
「当然、アンタについても私の元になった人物についても調べ上げた。奇妙な宿縁だと思うわ。私のことさぞや憎いでしょうね」
「まさか。転士一人恨んだところで何になりますか」
伊達男は大袈裟に手を振る。サタニエを恨んだところでどうしようもない、そんな事実に対する怒りを自分の心から振り払うように。
「賢明。だからこそ、元々目指していた道に進むべきじゃないの? 転士召喚なんて野蛮な風習を絶ち、人間主体の国を作る。それがアンタの復讐でしょ」
「そちらこそ口がお上手じゃないですか。貴方が政治をやればいい」
「イヤよ。商人は損得勘定しか出来ない生き物なの」
「金を稼がなきゃ生きていけないのはもっともで。ハイハイ、乗らせてもらいますよ。他に選択肢がない。ただし私が首相になったらマドモワゼル、貴方は俺の女になってもらうがね」
「ええ、今後ともよろしく」
サタニエは手を差し出す。ベルナーレも握り返した。華奢な少女の手を握り潰さんというほど強く。ビジネスの挨拶を済ませばすぐに背を向ける。
「心までは許してないって感じね。別にいいわよ。働いてくれれば」
部屋を出て行こうとする途中、ベルナーレは立ち止まる。サタニエの言葉に反応したのではない、ちょうど先程のスキンヘッドの部下が出戻って立ち塞がっていたのだ。正確にはそいつが持ち抱える箱に気を取られて。
西瓜でも丸々入ってそうな大きな立方体。彼が気になったのは形状よりも箱に刻まれたクリスタリカ王家の紋章だった。
「ちょっと、こちらの動きは向こうに筒抜けなんじゃないですかい」
「それか。差出人は第五王妃テンキで間違いないわね」
配達人はコクリと頷く。
「第五王妃って……という名目で王が保護してる、先代の寵姫の隠し子とか言われてるあの? まだ十歳の子供が一体どういう」
「あら、天下のソレイユ新聞社も後宮の事情までは御存じないの。その幼女の住処を八勇者が出入りしているそうよ。それも頻繁に。ただの子供なものか」
「王様の下事情は担当が別でして。なら中身はセイラ嬢の火薬詰め合わせとか?」
「そう思うならさっさと出て行きなさいよ。ケイジ、確認はしたの?」
「すみませんボス、厳重に鍵が掛かっていまして、箱を壊すしかないかと」
「鍵、鍵ねぇ……タイミングが良すぎるわ」
サタニエはガヴァン名義で送られてきた「鍵」をぶら下げてみせた。これを部下に渡して試させたところ――見事錠前が外れた。途端に異様な臭いが立ち込める。只事でなさに急いて一番に中を見た彼女だが、しかして嫌な予感は当たる。
――箱に入っていたのは、辛うじて原型を留めた、ガヴァンの頭部だ。
「こいつはえげつないな……」
好奇心に駆られてベルナーレも覗いたが、後悔した。バラバラ死体など職業柄見慣れている。けれど今回ばかりは他人事ではない、次は自分の番だとすればゾッとするばかり。
するとカチッという音が鳴った。生首のガヴァンから――本能的にベルナーレが箱ごと放り投げると、壁に当たってすぐ、破裂した。やはり爆弾が仕掛けられていた!
「危な! ったくとんでもない」
「お怪我ありませんかボス」
爆発は小規模だった上、有能な部下に守られてサタニエは無傷だ。しかし彼女は返事もせず、絶句したまま。煙があらかた窓の外に出て行ってやっと、溜めた息を一気に吐き出した。それから自分の額に手を置いて、ゆっくり下にずらしていく。そうして一度隠れた顔が再び露わになった時、憤怒の形相をしていた。
「やってくれるな……モルガンめ!」
元同僚のサタニエにはすぐわかった、悪魔合体でガヴァンの死体に爆弾を仕込んだのだと。彼が最後の報告であのろくでもない転士との接触を知らせてきた時点で、こうなる予感は薄々あった。けれど彼女の知る限り自己中心的な一匹狼が王家と通じているとは想像だにしない。
故に巨大な怒りが湧いてくる。所詮お前達など掌の上だ、と見下して嘲笑う黒幕を想像して――
「いいでしょう。売られた喧嘩は買って、百倍返しで支払わせるのが私のビジネスだもの。こんな国、ぶっ壊して買い叩いてやる。勝負よ! テンキ!」
窓の外から微かに見える王宮を睨み、サタニエも宣戦布告した。
7
――気がつけば、見知った部屋の中。
床に積み上げられた漫画の山と、捨てずに溜まったゴミの山との境がハッキリしない。四隅の物干し竿に服は吊るしっぱなし。敷きっぱなしの布団が邪魔だ。起き上がって、パソコン机の前。無頓着にカップラーメンが置かれている。
「ここは……ボクの部屋じゃないか……嘘でしょ」
さっきまで異世界にいたはずなのに。異世界での冒険譚だなんてなんと夢に相応しい物語か。だが、それもクリスタリカの、第三ゲットーの――と夢にしてはあまりに生々しい情景・感覚まで思い出して、
「ラスカルに撃たれて、死んだ?」
納得する。
――いやいやいや、納得できない。何も成せぬまま負けて退場だなんて。
「死んでる場合じゃないだろ! こんなマイナスに逆戻りなんて」
死んでも嫌だった。いっそもう一度死んで、転生してやる!
そう思えばすぐに踏み出せた。ドアノブの軋む音がする。ガタガタ、ガタガタ。ところが備え付けが悪いのか、扉が開かない。
「なんでだ、なんで開かない!? 出せ、ここから出してくれ!」
「どうしてだ? ここはそなたの望んだ世界だろう?」
背後から、しゃがれた声がした。振り返っても、あるのはパソコンだけ。けれど画面には確かにそいつがいた。見覚えのある、貧相な髭面が。あまりにも衝撃的で忘れもしない。
「あんた……グングニルのおっさん?」
「おっさんではない」
神槍グングニルの精はスピーカーから喋った。これぞ電波だ。
「ど、どういうこと……宝箱の中身は違ったはずなのに、いや日付が変わって……ない、腕の数字がない! 宝箱も出せない! チート使えないならやっぱりここはボクの部屋で、でもなんでおっさんが」
「落ち着きたまえ。わしのことは気にするな。正確に言えばグングニルの精、というのも若干違うしな。そなたのクリスタルにわしの意識が神器とセットで宿っているとすべきか」
「ますますわからない!」
「わしがわかるのは、そなたが望んでこの部屋にいる、ということだ」
「ボクが、望んで? そんなわけ」
「世間から隔絶されたゆりかごならばいつまでも心地よく眠れるだろう。外の人間と触れ合わなければ傷つけられることもない。世界で一番安全な場所。それを一番知っているのはそなただ、違うか?」
言葉が詰まる。
――事実だ。この狭い部屋に幾年も引き籠っていた過去は紛れもない真実。そうであっても……
「ああ。昔のボクはそうだったろう。でも今は違う、人生のマイナスのままただ息をしていくなんて、もう真っ平御免だよ。頼むよグングニル、くそったれなドアをぶっ壊す力をくれ!」
「死ぬほど痛い目を見るというのに、外へ出たいのか?」
パソコンのモニターが光った。光の速さで槍が飛び出した。必中をその名に示すグングニル、避けられるはずもなし。
――痛い。痛い。猛烈な痛みが襲い掛かる。槍に刺された痛みじゃない、この痛みは全て過去に受けた傷が疼いた痛みだ。槍を抜こうとすれば余計痛む。
「これからの戦いはより熾烈なものとなる。それでも異世界へ行くか?」
「痛い、でも、タカノちゃんがいない方が、もっとイヤ!」
思い出した。一番痛かったのはあの最初の日、あの酒場で、目の前でかけがえのない友達を失った、あの瞬間。その絶望のまま生き続けることに比べればなんぞこれしき――
ついに光の槍を抜いた。あの時のように。思いのままに、軟弱な精神の殻を切り刻む。
「そうか。なら今一度わしも力を貸そう。夢と違って現ではそう易々と神器を出せはしないが、今のそなたに必要な力くらいなら……」
そして、アケミは目覚めた。真っ暗な闇の中にポツンと、小さな灯りを見つける。獣の一つ目――開いた宝箱の光に照らされ、全貌もすぐ明らかになる。荒い鼻息と共に、聞き覚えのある声で、
「アケミ!? 良かった、生き返ったんだな!」
「ムゥムゥ、無事なの?」
「ああ、お蔭様で。命の恩人だよ」
「それほどのことは……右目は」
「気にすんな! 今まで見えすぎてたのでちょうどいいくらいさ。アケミの方がよっぽど重傷だぞ。立てる?」
アケミは独りでに立ち上がろうとするが、膝から崩れ落ちる。あちこちの骨が折れているのだ、無理もない。ムゥムゥが肩を貸してやっとのことだ。
辺りを見渡して、ここはどこかと自然な質問をアケミはした。
「王都地下の、古代の遺跡? ごめんあたいにもよくわかんないんだけど……ゲットーを出てから丸一日はここにいたと思う」
「一日も!?」
驚愕する転士。光る宝箱に腕を翳せば浮かび上がる数字は0――残り寿命が尽きて止まっているというのに。ならば彼女は幽霊か? ムゥムゥの幻覚の産物か?
「一週間過ぎたのに、ボクは生きてる? 一体どういう」
《ようアケミ、教えてほしいか》
「寿命がどうこうってタカノも言ってたなぁ」
「そうだ、タカノは? タカノちゃんはどこ……?」
「アケミの為に転士のクリスタルっての取りに行って、まだ帰ってきてない」
と聞いた途端、アケミは血相を変えた。
「嘘、でしょ……なんで、どうして、いつもそうなんだよタカノ! ボクの為に何もそこまで、なぁムゥムゥなんで止めてくれないの!」
「すぐ戻るって! でも戻らないからあたいも心配で、探しに行きたかったけどアケミのこと頼まれてて……アケミも大事だから」
《おいアケミ》
「ああごめんムゥムゥは悪くないのに、何やってんだボクは……」
《おい! だからオレサマの話を聞けよ》
「ウルサイなてんせーくん黙ってろ!」
「ど、どうしたんだよアケミ、何?」
ぽかんとするムゥムゥ。転生ガイドは転士以外認識できないのを思い出し、赤毛の転士は頭を掻く。
「ああそっかムゥムゥには見えも聞こえもしないんだ、このクサレひよこは」
《転士のゲームは中断だ。それどころじゃなくなったからな》
「は?」
《怪獣が出現した。昔ミストリスを滅ぼしたのと同じラス・ボス級だ》
「……何よ、それ」
アケミは絶句する。こけし顔のひよこは場違いに愉快そうに、告げた。
《つまりよー、怪獣討伐レイドバトルの開幕だぜ!》




