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第七話「怪人ゲットー」(前)

 草木生い茂る獣道、集る虫を押しのけ進む、二つの人影。

 夜露に木漏れ日が反射して地上の流星となる。そんな自然の美しさに感嘆を覚える余裕は今のアケミにはなかった。昨夜地下室での激闘の外では雨が降り、ぬかるんだ道を傷ついた体で歩こうものなら。


「アケミちゃん、この先だと思うんだけど……ちょっと休憩した方がいい?」


 何歩も先を行く蒼髪の少女は振り返り、遅れる相棒に駆け寄る。


「大丈夫、平気平気。あの薬驚くほど効いてさ、もう痛まないんだよ。まるで魔法みたい。だから休憩するならその山小屋? に着いてからで」

「もー、そうは言っても疲れてるでしょ。無理しちゃ駄目よ」

「ごめん、ちょっとは無理させてほしい。お願い」

「……そんな顔で頼まれたら断れなくなるじゃない。本当に駄目そうなら遠慮なく休んでいいからね」


 有難うとアケミは屈託なく頷く。内心ではこんなところで遅れている場合じゃない、と自らを罰しながら。

 タカノが手にしている地図はダーントン家の別荘で見つけた物だった。さしずめ狩りを楽しむ際の宝の地図といったところで、二人が向かう目的地にはあらかじめ印が付けられている。敷地の外にある誰も使っていない山荘。たとえそれがどれだけ粗末でも、あの屋敷に留まるよりはマシだった。

 ――死体の散乱する、惨状よりは。

 キリコの配下は全員殺されていた。おそらくヨミの手に掛かったのだろうが、仮にワルグリアでも余裕がなければ斬るしかなかった――それくらいのことはアケミにも想像できる。しかしながら、たとえギャングの悪党とはいえ、現地人を大量に巻き込む異世界人の争いのなんと惨いことか。嫌と言うほど思い知らされる。

 警察なり記者なり、あるいはワルグリアのような転士が来るのも時間の問題で、逃避行はなおも続く。それでも昨夜は動くに動けず一泊する他なかった。最初の夜から続く悪夢に終わりは見えない。そしてアケミは見た、タカノもまた無理をしていることを。


「アケミちゃん……やっぱり休んだ方が」

「ううん、ごめん、ちょっと考えごと」


 その時、何やら大きな物音が山中に響いた。身構える隙を与えず、影が飛び出す。

 鷹だ。鼠を啄んで悠々と横切り、すぐに見えなくなった。


「吃驚したぁ……」

「危な……タカノちゃん大丈夫?」


 尻もちを着いた相方に片手を差し伸べるアケミ。左の指を腰に差したモノに引っかけたままなのを忘れて。


「アケミちゃんありがと、立てるよ」

「良かった……敵かと思ったよ。まぁでも、その時はボクが倒すから。これで」


 タカノを安心させようとアケミは拳銃を取り出してみせる。西部劇に出てくるようなリボルバー、キリコが使っていたものだ。

 この時一瞬、怯えがタカノの顔色に出た。アケミは見逃せなかった。今朝方の、いつも明るく穏やかなタカノらしくない、取り乱しようも。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、許して!

 過去に庭の鼠を撃ち殺した直後敬愛する祖母が病気に倒れ、一年後には己の体も動かなくなったことを、タカノは罪と罰だと捉えている。友達を救う為とはいえ、再び撃ってしまったことが心を大いに蝕むのは想像に難くない。

 そして彼女は見てしまったのだ。かけがえのないアケミを撃ってしまう悪夢を。


「ごめん、調子乗り過ぎた」

「えっ、何が」

「いっつもこうだ。ボクはつくづくデリカシーなくて、自分が嫌になる。タカノちゃんはいつでも気遣って、無理してるのに」

「……今朝のこと? ごめんね、私めちゃくちゃ泣いちゃって、引いちゃったよね。無理なんかしてないよ。だって、私はそれ、持ち出せなかったもんね。でも、だからって」


 タカノは華奢な両手でアケミの左手をしっかりと握り、言う。涙目に。


「私の試練をアケミちゃんが代わりに背負うことなんてない。必要以上に自分を責めて頑張ろうとしないで」

「いや……うん」


 出かかった余計な言葉を飲み込んで、アケミは頷く。「ボクは案外戦うのは向いているかもしれないから」などと言えば相手が悲しむことくらいは流石に学習した。

 うってかわって昨夜のアケミは久々の快眠だった。かつての同級生を無惨に殺したにもかかわらず。いつかタカノをも殺すことになる運命を怖れながらも。

 ――平気なんだ。本当に、本当は。

 タカノの手を振り払って、銃を仕舞う。既に三人も殺めた手で、美しい親友の手を汚すには忍びなく思えてきて。


「先を急ごう、タカノ」


 アケミは前へ前へ、足を進める。後ろのタカノを庇うように。

 もっと強くならなければ、大事な人がこれ以上傷つかなくて済むように強くならねば――焦りが汗を垂らして足早にさせる。


「待ってアケミちゃん!」

「ボクは大丈夫だっ……うわっ」


 思いっきり足を踏み外して坂を転げていくアケミ。言わんこっちゃないとタカノは顔に手を当てつつ、すぐに後を追う。すると見えた。


「アケミちゃん!? ここは……どうやら着いたみたい」

「うう、こんなところ」


 ようやく目的の山小屋を見つけて喜ぶべきところだが、そのみすぼらしい建物よりもみっともない恰好なのが恥ずかしいアケミだった。


「すりむいてない? 中に入ったら薬塗ってあげよっか。ともかく体を休めてね」

「……はい、お世話になります」


 結局されるがまま残り数メートルをおぶわれて、木の板上に大の字になる。ヘトヘトなのを隠せないアケミをクスッとタカノは笑った。それを咎める気力もなく、笑みを返した。

 民家と呼べるほどの広さはなく、本当に粗末な休憩所だった。最低限簡単な竈があるのをタカノは確認するが、真新しい炭の痕跡は見つけられない。猟師の中継点だろうがしばらくは使っていないだろうと彼女は相方に言ってやる。


「ねぇ、お腹すいたでしょ。火を起こしてスープでも作ろっか」

「いや、ボクはいいかな……」

「もう、ちゃんと食べてないからヘロヘロになって、よくないんだから。栄養取って元気出してよ」

「そうは言ってもどうせ吐いちゃうから……ってわっ、ごめん!」


 目の前に険しいタカノの顔が現れて、たじろぐアケミ。食べると答えると途端ににこやかに戻るものだから、全く敵わないなと赤毛頭は思うのだった。

 なら手伝うというアケミの申し出をキッパリ爽やかに断って、タカノは準備を始める。鍋は幸い置きっぱなしのものがあるが、大事なのは中身だ。井戸がないのに猟師はどうやって水を調達しているのだろう――近くに水場でもあるのかと期待するも、当てには出来ないので水筒の貯水を使うことにした。後は携行していた干し肉をダシに砕いた乾パンと途中採取した野草を煮込むだけ。

 グツグツと香りがすれば流石に食欲のそそられるアケミだが、やはり顔は浮かないまま。右手首を掲げて見る、刻まれた余命を。残り79が78に切り替わった。残された時間はどんどんゼロに近づいていく。

 キリコのクリスタルを手に入れていたなら……という後悔は何度も浮かんだが、その度に首を横に振った。実際のところワルグリアに渡していなかったら確実にヨミに消されていただろう、結果的には最善の選択肢を選んだと納得できる。所詮はないものねだり。

 それにクリスタル欲しさに相手を殺したと自分を正当化しようものなら、タカノも殺さなくてはいけなくなる――他の転士から彼女を守る、それでいいじゃないか。これ以上考えを巡らせていると苦しむだけの気がしてならないアケミだった。


《このまま山奥でこそこそ過ごす気か? それも選択の内っちゃ内だが、オレサマ的にはつまらねーぜ。テメーはどうなんだよアケミ》


 小憎たらしいひよこが顔を出す。それを追い払おうとする手はすり抜ける。代わりに掴むは今日の宝箱。

 手慣れた手付きで中身を取り出せば、とても二度と収納できそうにない長い棒が飛び出す。その先端には鋭利な刃でも付いているのかと思いきや、虫取り網。アケミは思わず苦虫を潰したような顔をする。


「……ハズレチートだよ、やっぱ」

《ククク、たまには息抜きしろっつー神の思し召しだな!》

「なんだよ、思ってもない癖に」

「アケミちゃん、出来たよー!」


 今行くと返事して体を起こす。親友の声を聞くだけで、食事する以上に元気が出た気がした。

 ――タカノと一緒に居られればそれでいい。最期の時まで。けれど後三日は短すぎるというのも、確かな思いだった。



 周囲を探索して水と食料を探そうというタカノの提案に従い、緑を掻き分けていく赤い頭。背中に虫取り網を携えて。

 しかしこうも捕まえるに値しない羽虫の多さや悪路に心底ウンザリさせられるアケミだった。元引きこもりに山でのサバイバルなど堪えないはずがない。タカノも似たようなものなのにと思うが、田舎育ちと都会育ちの差は歴然と言えよう。


「うーん、やっぱりまだ羽化する蝉はいないかぁ。アケミちゃんのチートを役立てるチャンスと思ったんだけど、シーズンにはまだちょっと早いよね」

「蝉? この世界にもいるんだあの煩いの……あんなの取ってどうするの」

「海老みたいな味と食感で食べやすいよ」

「えっ……えっ? 食べるの!?」

「まだ食べたことなかったんだ。クリスタリカ伝統の虫料理って結構あるよ。乱獲のせいで蝉はレアになっちゃったけど。あれ、そういやアケミちゃんの国でも食べてたんじゃないの、イナゴノツクダニ? とか。グランマもそう言ってたし」

「いやいやいや、ええ!? そりゃ、一部の好事家とかが……ってタカノちゃん虫食べられるんだ……」

「ふふ、慣れよ慣れ。アケミちゃんはまだまだだなぁ、旬の時期になったらいっぱい御馳走して」


 あげようと言い切る前にハッとして、右の袖を押さえるタカノ。次の夏などやってこない。その前に全て終わってしまうだろう、ということくらい残りの転士の数と余命一週間という縛りから推察できた。

 気まずそうにごめんと呟く。相手を気まずくさせた物だからごめんと呟く。少女達は無言に歩く。しかしその空気にもすぐに耐えられなくなる。

 何か話を切り出そうとするアケミだが、適当な言い回しも思いつかず悶々とする。だが、視界が開けば自ずと静寂は破られた。


「水……湖だ!」

「やったねアケミちゃん! 地図には載ってないけどこんな池が……」


 やや大小の認識に差はあれど、水場を発見して登山者達は喜ぶ。透き通るキャンバスは空の青を描き、煌めいて綺麗。そこに赤い髪が混入する。

 アケミは手をそっと浸し、感触を確かめた。ちょうど喉が渇いていたものだからそのまま掬って口を付ける。生で飲むのは危険だとタカノの静止は間に合わず。


「はー、六甲のおいしい水よりおいしい!」

「濾過しないと良くないよ」

「ふぇっ、ああ、そだねごめん」


 バツ悪そうに俯くアケミだが、一度浮ついた心はそう落ち着かない。靴を脱いでズボンの袖を捲り足も入れてみるのだった。ひんやりとした感触が爽やかで全身包まれたくもなる。

 そんな心地良さに油断して、思ったより深い底に踏み入れてはずぶ濡れである。


「た、タカノちゃんもどう?」

「沐浴? それもいいけど……あっそうだ。今こそアケミちゃんのソレ、活躍させる時じゃない?」


 タカノはアケミが背負っていた網を指して言う。食べられる魚がいるかもと。その時ちょうどいいところで、アケミの脚に一匹が食いついた。

 不意を突かれ上がる奇声。魚も驚いたかアケミから離れる。追うようにタカノが手を伸ばす。


「ちょっと借りるよ、えいや!」


 タカノはアケミのチート網を取り、素早く水面に突っ込んだ。引き上げれば見事、魚をしっかりと捕えている。その鮮やかな手際に思わず拍手。


「すっごい……やっぱりボクとは違うなぁ」

「私、どうもこういうの、得意みたいだね……」


 褒められてもあまり嬉しそうにせず、網の中を見つめるタカノ。もがく魚は鯉のように色鮮やかで食欲を失くす見た目をしていて、どうしてもいつかの無益な殺生を思い出させるのだった。

 キャッチ&リリースするかとアケミが問うと、タカノは少し考えてから横に首を振った。


「折角だし後で食べよう。宝箱に水を張ってくれるかな?」

「成程入れて運ぶ、そういう使い道が……オーケー」


 アケミは日々宝箱(デイリーガチャ)で空箱を出現させ、水に浸しながら岸へと戻った。それから貸した網を受け取って魚をぶち込み、蓋をする。ついでにタカノがお花摘みに行きたいと言ったので、その間に箱の中身を三倍にするなどと豪語してみせた。


「なんでもタカノ任せじゃ駄目だぞ、アケミ」


 本人が茂みに隠れてから呟く。虫取り網改め魚獲り網を握る手に力が入る。しかしそう意気込んだところで上手くいかないのがアケミの常だった。

 発見しては逃げられる。その内見つかりもしなくなる。二匹目を求めて奥へ奥へ向かうアケミ。しかしまたしても空振り。三振、バッターアウト。


「はぁ、つくづく駄目人間なのを思い知らされるな……」

《人間じゃなくて転士だがな》

「煽る為だけに出てくんなよ鶏肉」

《素は口汚いよなテメー、育ち悪いんじゃねーの。オレサマは雄ひよこだっつーのボケ》

「てんせーくんも大概じゃん」


 神出鬼没なピンクひよことの漫才ばかり慣れたものだから、余計にアケミは落ち込むのだった。


「それにしてもどこからか水が流れ込んでるのかな、地図じゃ谷にも小龍河ってのがあるっぽいけど」

《オイ、オレサマに訊いてんのかソレ。答えねーぞ。それと谷越えはやめとけ、アレが出るからな》

「キャァァァァッ!」


 いつものように言い捨てて消えるてんせーくんと入れ替わりで、遠くに悲鳴が聞こえた。アケミは戦慄して振り返る。タカノの声に間違いない。

 じゃぶじゃぶと慌ただしく岸に戻ろうとする。すると背後でざぶんと、何かが水面から飛び出す音も続く。挟まれた少女の背筋に伝う水は脚元より遥かに冷たい。恐る恐るアケミはもう一度振り返り、正面を向いて――目が合った。

 絶叫が森林を揺るがす。アケミとそいつの分とで。



「どどどうして貴方がここに!」

「すまないマドモアゼル、今のは記事にしないさ」


 恥ずかしい音を掻き消すようにタカノは声を張り上げる。用を足している最中に乱入してきた男は紳士的に後ろを向いてみせたが、なお横目でチラリと、真っ赤に火を噴く生娘の顔を窺っていた。

 衣服を整えてからもう直視してもいいとして、改めてタカノは問い質す。見覚えのある男の顔に。


「どうして貴方がここに? ベルナーレさん」

「これはこれはハウザー、いえタカノ嬢。奇遇ですな」

「私達をまだ狙っているんですか?」


 棘を含んだ言い方にベルナーレは肩を竦めて弁明する。


「まさか。あの時はついやってしまって反省してますわ。おかげ様で国からうちに厳重注意が入って社長はカンカン、ほとぼりが冷めるまで野鳥にでも取材してろってね……しかしどこもかしこも騒がしいようだ」

「……ええ、まぁ」


 東部に左遷が決まった時はすっかり気力を削がれたベルナーレだが、一夜にして一大ギャング集団が壊滅したと聞きつけ、意気揚々と登山した次第であった。この性質には彼の上司も常々手を焼いた。

 記者は早速貴族の別荘地での死闘に関して聞きこもうとしたが、それは木霊する悲鳴に遮られる。


「アケミちゃん!?」

「今の、アケミ嬢の声か。何かあったのか」


 相棒の身を案じてすぐさま駆け出すタカノ。ベルナーレも興味本位で後を追う。二人が開けた場所に出れば、水底に尻餅を着いて胸から上だけのアケミだけがいた。

 蒼い髪が濡れるのも厭わず、タカノは泉に飛び込んで腰を抜かしたアケミを掬い出す。見たところ外傷はないも緊張を切らさず、


「はぁはぁ、アケミちゃん無事? 敵は?」

「タカノ!? か、か」

「か?」

「河童が出た!」

「カ……ッパ?」


 聞き慣れぬ単語に唖然とした。繰り返しタカノは意味を訊く。


「カッパって何?」

「河童は河童だよ! 鱗があって、水掻きが付いてて、頭に皿……はなかったけど、多分河童だよ。ウォーターエルフ! 異世界には実在するん……いや待てよ」

「アケミちゃんそれってもしかして」

「アレが怪獣?」


 そう言ってアケミはぶるっと震える。すぐさまパノラマ館のおどろおどろしい絵が思い出されて。


「それで、どうなったの? 撃退した、んだよね」

「いや、ボクが何かしたというか、向こうが『人間だ』って叫んで逃げて行ったんだけど……」

「しゃ、喋るんだね……何はともあれ無事で良かったけど」

「ははぁ、そいつは怪獣じゃなくて怪人ですなぁおそらく」


 追いついた男がひょっこり顔を出す。その小憎たらしい顔を決して忘れられないアケミは驚き、慌ただしく銃を向ける。


「お前はベルナーレ! なんでここに、ストーカーか!」

「おっと物騒な。そりゃ怪人も逃げ出すわけだ。勘弁してくれませんか、アケミ嬢」


 ベルナーレはヘラヘラとのたまいながら両手を挙げる。しかし今や彼を撃つことにアケミは躊躇しない――自分達を脅かすのであれば。


「待ってアケミちゃん! ……ベルナーレさん、記事にはしませんよね?」

「したいところだが出来ない身分でね。クリスタリカのジャーナリズムは死んだ。正直なところ転職を考えているぐらいさ」

「素直な模範解答有難うございます」


 割って入ったタカノの目配せに応じてアケミは銃を下ろす。ごめん、と小声で呟いて。いけすかない記者はともかく優しい友を直視できない。そんな自分を見られたくもなかった。

 もっともベルナーレという男に転士達の心の機微などわからない。相変わらずの記者らしく、彼はずけずけと質問する。


「そういうわけでただの興味本位だが……怪人は他に何か言ってなかったかい? アケミ嬢」

「……怪人、って何よ」

「おや、おやおや、知らないんですかい? 教わってない? タカノ嬢からも」


 思わずアケミは顔を上げて見た。タカノ、の少し困ったような顔を。彼女は躊躇いながらも襟を正して告げる。


「魔物と交わった背徳的な異教徒……クリスタ教ではそう捉えられています」

「先祖が怪獣と人間の合いの子だとか、怪獣の肉を食ってたら変質したとか、由来は諸説あるがようするに半人半獣って種族のことさ。昔はクリスタリカ人よりブイブイ言わせてたが開拓王文化王の二代に征服されて、今やしがない下層民だがね。隔離されていて都会じゃ見かけないだろうが」


 ベルナーレも歴史的に説明した。まつろわぬ民のようなものかとアケミは理解しようとして、ハッと気付く。早口な上訛っていたせいで聞き取りづらかった、怪人の捨て台詞を。


「わしぁゲットーにゃ戻らねぇぞ……そう言ってた」

「はて、何番のゲットーから逃げ出してきたのやら。しかし『金の鎌銀の鎌』に出てくる妖精の正体は怪人だったのかもな。あれは欲張りで泉に沈められる方が実話で村八分のことだと思っていたが、怪人には鍛冶を得意とする部族もいて……」


 脱線してベラベラ語り出すローカル民話考察などは聞き流しつつ、アケミは考え込む。また思い出されるのは、この戦いが始まる直前のパノラマ画。人型の怪獣だと思っていたのは怪人のことだったのかと気付いた。すると自分達が置かれた状況にも繋がっていく気がした。


「もしかして、転士は怪人とも戦った?」

「わざと黙ってたわけじゃないの。過去の戦争で、アケミちゃんには直接関係ないことだったし。私もよく知らないの」

「一方的な見方を教えられて、良い感情を持っていなかった……じゃないですか?」


 すかさずベルナーレは斬り込んだ。三十代の彼もその時代には生まれていないが知識としては知っている。クリスタ教徒が怪人に対してどんな仕打ちをしてきたかを。

 ――転士がチートによっていかに虐殺してきたかを。


「さて、お嬢様方の代わりにそのカッパ君? を記事にしようかね。まぁ見つかったら彼は殺されるだろうが」

「ベルナーレさん」

「おっとタカノ嬢、ここは笑うところですわ。君達にも関係ないことだろう?」

「ゲスな、ボクらに恨みでもあるのかよ!」


 一々毒を含ませる記者にアケミはつい声を荒げる。タカノの表情さえ険しい。しかしベルナーレは決して後に引かない。


「そういや俺も訊いていいですかい? クラウス司祭を殺害したのは誰だ」

「あ……」

「犯人は私達じゃない……けど巻き込んだの私達……です」

「いやぁ責めてるつもりはないんですわ。俺は警部じゃないし。直接手を下したんじゃないなら仕方ないことでしょう、マドモワゼル。そうやって割り切るのが大事とは偉い人の教訓だったか」


 一撃で最も痛い部分を突いて怯ませる。それから丸め込むのなんて容易だ。外見程ではないが若い二人の少女と若作りを隠さないベテランとでは年季の差が如実に出た。


「まぁまぁ、記事にはしないって。職業病って奴さ。癇に障ったなら申し訳ない。しょうがないから金色の魚でも見つけたことにしておきますか」


 余裕ぶって水面を覗くベルナーレ。知的好奇心から河童怪人との接触は諦めきれてはいないのだが。

 彼が内心望んだ通りか、また聞こえた。二度目の鳴き声が。しかし一度目を聞いているアケミは明らかなトーンの違いに良からぬ物を感じ取る。これは……絶叫だ。

 ――影が落ちる。黒い霧と見分けがつかない。


「アケミちゃん、ベルナーレさん、逃げ」


 何か巨大な物体が空から降ってきた。間一髪、アケミは突き飛ばされて下敷きにならずに済む。しかしタカノの部位で無事だったのは両手だけだった。


「タ、カ、か、怪獣!?」


 アケミは直感で理解した。この全長十メートル程にもなる巨大な蛇――いや肥大化した胴はツチノコを連想させる――の姿をした未確認生命体の存在を。よく見れば腹部には無数のいぼが生え、血に塗れる。眼の色は鮮血よりも赤く、口から混沌と呼ばれる霧を吐く。


《うーわボス級じゃねーか。こりゃオマエラには手が出ねーぞ》


 てんせーくんの忠告空しく、何かする前にアケミは倒れる。蛇型怪獣が吐き出す瘴気の成分は麻痺毒だ。

 その場を制圧した怪獣は腹いぼをバネにしたか飛び跳ね、緑の茂る方を薙ぎ倒して這う。その通り道はもう一切の生命が存在しえない。ただ一人を除けば。

 咄嗟に泉に飛び込んで助かったベルナーレは恐る恐る顔を出す。するとちょうどタカノが残機無限(コンティニュー)で再生する様が見られた。蘇るなり彼女はアケミに駆け寄り、解毒チートで治療する。


「うっ、タカノ……」

「大丈夫アケミちゃん! ベルナーレさんも」

「心配ご無用。それよりすげぇな、タカノ嬢もだがさっきのが本物の怪獣か、そうかあれが」


 興奮を抑えきれず岸に上がるベルナーレも毒気に当てられふらふらと、結局転士のお世話になる。けれども彼の職業病までは治らない。立つなり怪獣の後を追おうと駆けだした。


「どこへ行くんですか、危険です!」

「危険じゃない仕事なんてあるかい? それではまたの機会に」

「二度と会いたくない!」


 アケミに邪険にされた途端、彼は立ち止まって嫌味な笑顔を見せる。


「そうそう貴方方に恨みでもあるのかって? まさか。私だってクリスタリカ国民ですよ。ただ、転士がどうやって生まれるかを知ってしまうと、中々手放しに敬うのは難しくて苦労しますわ」

「な……どういう意味だよ!?」

「世の中には知らない方がいいこともある、という話さ。それじゃ!」


 今度こそベルナーレは走り去って背景に溶け込んだ。

 彼の安否などはどうでもいいアケミだが、捨て台詞ばかりは気になった。転士がどうやって生まれるか――知っていることは突然中央大聖堂の巨大なクリスタルが安置された間で目覚めた、という実体験しかない。大元のクリスタルから分かたれた、以上の詳細は転生ガイドも説明しない。

 それでもクリスタ教の司祭を務めるタカノならば知っているかもしれない、期待の眼差しをつい隣に向けてしまう。しかしタカノは先読みして、一言謝る。


「ごめん、私にはわからない」


 嘘だ。アケミにはハッキリわかった。

 けれども追及出来ない。決して長くない付き合いでも察せよう、この友がどこまでも優しく、思いやりを忘れないことを。あまり良い内容でないからあえて自分に教えない、だから先にごめんと言ったのだと。

 知らない方がいいらしいことは一旦頭の隅に置き、アケミは話題を怪獣に戻す。あのままでは麓に被害が出る、かといって虫取り網と不死身の体一つでは止められそうにない。どうすればよいものか。これにはタカノも唸るばかりで打開策を出せない。


「ねぇてんせーくん、あいつの倒し方とかわからない? 神の使いなんでしょ」

《オレサマの知ったことじゃねーよオタンコナス! まぁオマエラも放っとけばいいぜ、なるようになる。そんなもんだろ》

「無責任だよ!」

《こちとら干渉できねーんだよ! ったくしょうがねーな、これだけは教えてやる。名前は言えんがオマエラより格上がすでに動いてる。だーかーらー出る幕じゃねーんだよ任せとけ》


 口こそ悪いが飛び上がって教えるてんせーくん。その幻影が消えた先の空、確かな物に気付いてタカノは指差した。

 飛行船だ。竜骨も持たずに蒸気を噴かす、転士達にとってはあまりにレトロな乗り物。アケミはゴーグルから覗きこんで観察した、エンベロープにクリスタリカ軍の紋章が描かれているのを。東方軍司令部が所有する一機に間違いなかった。

 今、何かがパラパラと落ちていくのが見え、すぐに炎、煙、少し遅れて爆音となって傍観者は体感する。まるで地図を書き換えんばかりの容赦のなさに最早立っていられない。


「……火薬庫のセイラ」


 タカノは茫然と呟いた。常識的に考えてツェッペリン型よりずっと小さな飛行船に絶えず投下し続けられる量の爆弾を詰めるはずがない。語られてきた伝説通り怪獣を粉みじんにする光景は、あまりに恐ろしく圧倒的。神々しくさえあった。

 爆撃を終え、空飛ぶ方舟の姿はだんだん大きくなる。見つかったら大変だと慌ててアケミはタカノを連れて茂みに隠れた。やがて大きな機影が頭上に落ちる。幸い上空から緑の中の小粒など判別付かないか、程なく旋回して二度通り過ぎた。遠く、遠くなっていく。

 ――次元が違い過ぎる。

 この時アケミは思い知らされた。銃を一丁手に入れたところで、所詮井の中の蛙に過ぎなかったことを。あのような怪獣を幾百幾千倒してきたのが転士という化物なのだと。

 そう思うと割れた風船のように肩の力が抜けていく。不思議と笑いが込み上げてきた。


「は、はは、あはははは。なんかボク、ウルトラバカなんじゃないか。あんな反則(チート)に、どんだけ強くなれば届くっていうんだ」

「アケミちゃん……頑張らなくていいんだよ」

「うん。タカノちゃんはわかってたんだ。はぁ、全く、何も知らない新米なんだなぁ……」


 虚脱感に任せて座り込み、体を倒すアケミ。それをタカノは膝枕で受け止めてやった。赤い頭は素直に甘える。朝からの去勢を少しも張れやしない、お互い。


「私も全然だよ。だからこうして気が合うんじゃない」

「そうかな」

「そうだよ」

「……やっぱ戦うの向いてないわ」

「そうだね。無理しないでね」

「キミは優しいなぁ。ボクは臆病なだけ」

「同じだよ」


 そうかなぁ、という二度目の疑問を、アケミはあえて呟かなかった。

「怪人ゲットー」(後)につづく

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