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閑話 ~騎士と姫と秘めたる魔女

「痛っ! ちょい、もうちょい丁寧にしてくれないか!」

「動かないでくださいませワルグリア様」


 年配のハウスメイドに縛られ、傷だらけの少女は呻いた。普段は黒銀の鎧を纏う女騎士も、今やミイラである。装甲より包帯で締め付けられる方がよっぽど辛いのか涙目だ。

 転士キリコとの戦いでの負傷したワルグリアは東方軍司令部よりやや南西に位置する屋敷で休養を強いられた。彼女にとって不服なことこの上ない、が相方ヨミに押し切られては仕方なかった。王都に戻って上司のセイラに報告する手間は途中本人と出くわしたものだから省け、この馴染みの家でゆったりできるのは幸いと言えよう。


「全く、無理しないでください。山中で怪獣と戦うなんて」


 背後から貴婦人が困った顔で声を掛ける。するとワルグリアは立ち上がり「心配無用である姫」と振り返るが、すぐさま侍女に取り押さえられた。


「もうすぐ巻き終わりますので、ディナーの支度は今しばしお待ちください」

「それならマノンに任せています。ですからもう少し転士様を縛りつけておいてください。三日ほど」

「無理です。それにあの子の料理は挑戦的過ぎて食べられたものではありません。ワルグリア様の傷にも差し障ります。クリーム様、その谷よりも深い寛大なお心で暴れ馬を手懐けていただけますか、私に代わりまして」

「はぁ。善処しましょうメノン」


 屋敷の主人はふてぶてしいメイドを厨房に送り、客人の傍に腰を掛けた。彼女の桃色の髪はさらさらとして小奇麗だが、小皺と落ち着き払った所作は年齢を感じさせる。体格はよくとも童顔のワルグリアと並べば、さながら親子のよう。

 クリーム=レア・ベーガはかつて権勢を誇った御三家が一角の令嬢だ。とはいえ今やすっかり落ちぶれたベーガ家の、しかも傍流の出にすぎない。辛うじて先祖から受け継いだ住まいだけを維持している。「姫」と呼ばれるのは皮肉めいている、といつも苦笑するのだった――気恥ずかしさもあって。


「呼び捨てで構いませんのに。マノンもメノンも普段はより馴れ馴れしいですよ。それからいくら転士様といえど御体労わってください。この十年現れなかった怪獣に一人、他の転士様も敵となったというのに挑むなんて」

「無茶、だろう。でも私は貴方の騎士でありたいのだ。姫や皆の者を守る、それに何を躊躇うか」


 ワルグリアはあくまで元気に振る舞い、傅いてみせる。騎士道を貫くのであれば守るべき姫君――前世では得られなかった――が必要だった。だから彼女は寂しい佇まいの没落貴族に肩入れする。

 クリームもまた彼女を欲し、受け入れてきた。唯一の肉親たる弟がベーガ本家の後を継いで以来帰ってこない隙間を埋めるように。


「皆無事で何より……と言いたいところだが、怪獣はあの一体だけとは思えない。ここでじっとしているわけにはいかぬよ!」

「気持ちは有り難いのですが、今少し辛抱してくださいませんか。せめて一日」


 少しでも長く、大事な騎士を留めたくて――クリームは目を潤わせた。情に厚い女騎士には効果覿面だ。ワルグリアはうむともしかしとも唸って肯定否定の狭間に揺れる。


「いや、こうしている間にもクリスタリカの危機が迫っている! このワルグリアがやらねば誰がやる!? すまない姫、やはり山に戻る」

「その必要はないわ、ワル様」


 立ち上がって部屋を出て行こうとする金髪の少女の前に、一回り小さい赤マントの少女が立ち塞がった。

 ノックもせずに現れたのは、ワルグリアの相棒ヨミ。トレードマークの羽根付き帽子を取って館主に一礼するなり、相方に抱きついてみせる。わざとらしく。


「お片づけは八勇者にお任せしていいってさ。私達はゆっくりしましょう」

「ヨミ、それでは我らの立つ瀬が」

「いいのん、今は奴らにやらせておけば。それに万全の体調を整えないと、ねぇお嬢様」


 同意を求められて頷くも、クリームは複雑な顔をする。ヨミとて相手の焼きもちを見透かしているので、配慮としてワルグリアの包帯まみれの体を離した。


「じゃあ、また後でね」

「む、ヨミもここで休むではないのか?」

「ちょいと王都に野暮用でねぇ。すぐ戻るつもりだけど。それまでお楽しみにね」


 ウインクと共に踵を返し、そそくさと退室するヨミ。この相方をいつも通り嵐のようだとワルグリアは形容するのだった。


「おやヨミ様、よろしいのですか? お館様と騎士様を二人っきりにさせて」


 扉を閉めるなり、先程から耳をそばだてていた若いメイドが気安く声を掛ける。母メノン譲りの厚かましさだ。ヨミは微笑んで余裕ぶる。


「あらマノンちゃんったら悪い子ねぇ。そんな風にズケズケ入り込むべきではないわぁ。魔女になってしまうわよ? まぁ正直なのは貴方の美点ね」

「仰る通りでございます」

「正直なところ、ワル様を眺めていたいのは山々なのだけど、どうも居心地悪くてねぇ。言っちゃあなんだけどぉ」

「それはこちらの至らぬところ、失礼いたしました」

「あら、そうじゃないのよ。ただちょっと、思い出すだけ」


 何を、と好奇心旺盛かつ無遠慮なマノンは訊くが、ヨミは笑みを浮かべるだけで答えなかった。

 ――前世の、己を閉じ込めていた籠にそっくりな屋敷だと。



 転生して一年経つ頃にはもう、ヨミは飽き飽きしていた。

 彼女にとって王都は、来た時点で見慣れた光景だった。その上日に日に祖国イギリスの景色に近づこうとするばかり。都心部から離れてみても、何か不思議があるでもなくすぐ行き止まり。

 かような閉塞感の中で生きていくのは至極憂鬱だった。刺激がない。これでは何も変わらないではないか――

 かつて退屈な人生を強いる親族から逃れる手段は、空想の世界しか持たないヨミだった。夢物語に熱中すれば多少気は紛れた。けれど文学にうつつを抜かすなと取り上げられてしまえば、次第に現実的な凶行に依存するようになる。気がつけば手遅れになるまで。一生出られない牢獄の中、後悔の果てに幼少期に親しんだ異世界に転生することを望んだ。その夢は叶ったかのように見えた分、失望もまた大きい。

 魔法のない異世界で唯一ファンタジーがあるとすれば、それはヨミ自身含む転士と怪獣の存在だ。怪獣との戦いならば血沸き肉躍るはずだ、という淡い期待も最初だけであったが。

 なにせ最後の大規模戦闘である第二次西方防衛から三年、一切怪獣は出現していなかった。歴史的にも見て珍しく、おかげで現王は「太平王」と呼ばれるようにもなる。彼女には気に食わぬことだ――必要としないのに生むなど。


「遥々御足労様です、転士ヨミ様」

「転士として当然の義務ですから」


 社交辞令を述べながら、内心ヨミは苛立っていた。東方軍司令部が管轄する国境線上のミズキ砦、ここに足を運ぶ自分がまだ何かを期待していることに。

 ――どうせ怪獣なんて現れないのに。

 それでも暇を持て余しては塔に登った。いつもと違う景色が見えるかもしれないなんて、儚い祈りだとしても。

 最上階に着いて、ヨミは白い溜息をつく。やはり想定を超えてこない景色。早朝となれば見張りも一人。しかしこの先客の姿を認めた途端、息を呑んだ。

 ――何かがおかしいというより、何もかもおかしい。

 下の兵士達は軽装なのに、そいつはまるで今から大戦争に望むかのような全身鎧の重武装。実際に剣を床に突き刺して、弓を携え、しかもヨミが唖然としている間にも一発射た。矢は彼方へと飛んでいく。混沌に覆われた向こう側の暗黒へと。

 おかしいが、ヨミはあえて話しかけず様子を見た。相手は観客にも気づかず早々と霧中に矢を放つ。


「ねぇ、アナタ。何と戦ってるの?」


 五射目にようやく声を掛ける。すると甲冑の騎士は振り向くなり、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、


「決まっておる! 姿を現さぬ卑劣な怪獣を撃ち落とそうとな!」


 ヘルムを取って得意げな笑顔を見せた。

 ガタイの良さから男かと思えば、麗しい乙女だった。爛々と輝く翡翠色の眼が眩しい。その眼にヨミは思わず魅入られる――がすぐ怪訝な口調で問い詰める。


「国境の向こう側の怪獣を狙って? 判別付かないのに当たるわけないじゃない」

「当ててこそ、よ。騎士たるもの」

「はぁ。当たったとして確認できなきゃ意味ないんじゃないの?」

「それはまぁ、そうか……お主賢いな」


 馬鹿だ、とヨミの方は思った。それも常識外れの馬鹿だ。けれど不思議と釘付けにされる――まさに彼女が待望した、ファンタジー的存在故に。


「まぁ、騎士が弓を引くのも邪道ではあるからな。化物が正々堂々やってくればこの剣で成敗するものを」

「ふぅん、そこまでして怪獣と戦いたいもの? 大体今時騎士なんて」

「当然! そのためにこの世界に呼ばれたのであろう? 申し遅れた、私は」

「第三十位、ワルグリア、だっけ」

「ほう、我が名も天下に轟いたか! サインをやろう!」

「今思い出したのよ。確か新入りが入ったけど変わり者って。ああ、こりゃ相当ね」


 ヨミは顔を近づけて白い息を吹きかける。それから名乗った。同族だから知られているだけかとワルグリアは途端に落ち込む。

 反応が素直なものだから、狐顔の先輩転士はますます面白がって囁く。


「あら褒めているのよワルグリア。そうよねぇ、向こうから来ないならこちらからってのは悪くない。感心するわぁ。でも砦からちまちま撃つより良い方法を思いついた」

「な、どんな方法である?」

「境界を侵して狩りに行くの」

「それは……」


 ヨミは知っている。国境越えはたとえ転士であっても許可されない。向こう側に行って戻ってきた者は一人も確認されていないのだから。

 躊躇うのも当然か――試しに言ってみたもののヨミ自身出来るとは思えない。目を細め、肩を竦めようとする、が不意にがっしりとした両手に掴まれた。驚き目を見開けば、すぐ近くにキラキラとした騎士の顔が迫る。ワルグリアが堰を切った。


「名案である! よし、行こう!」

「は?」

「そうだ国内が平和な今こそ打って出る時ではないか! 今すぐ出立の支度をせねばな。峠を降りられる勇猛な馬があれば、いや鹿でも良いな……」

「正気? 本気なの!?」

「いつでも本気である! 後悔したくないからな!」


 ワルグリアの言い様に一片の曇りはなかった。彼女は強引にヨミの腕を取り、塔を降りようとする。がこの時初めて躊躇して、しまったと一旦手を離した。


「おっとついお主を巻き込むところだった。すまない。有難う」

「待って」


 今度はヨミの方から手を掴んで、言った。


「巻き込んでちょうだい。私も」


 同志だから。現状を打破したくて、けれど燻っていた同志だから――


「ねぇ、私にも違う景色を見せてよ、騎士様」

「……ああ、どーんと任せておけ!」


 この時のワルグリアは、やはり自信過剰に答えた。

 とはいえ結局国境越えは直前に発覚して失敗に終わるのだが、その騒ぎだけでもヨミには愉快で愉快で堪らなかった。しかもこれで懲りるワルグリアではないのだから、眺めていれば一生退屈しない。

 同志とは語弊があって、その実ねじくれ魔女とブリキの玩具騎士だが――

 彼女達がコンビを組むようになったのは、至極自然であった。



 休めと言われたところで素直に落ち着くワルグリアなどいやしない。日課のトレーニングさえ傷口に差し障ると止められては、かえって焦燥感が無意味に膨らんでいくばかり。そうしてそわそわ館内を歩き回れば、結局足を速めてランニングになってしまう。


「転士様、そろそろ寝室に戻られませんか」


 見かねたクリームがまたも呼び止める。姫の言うことであれば騎士として聞きはするものの、悪びれる様子がない。


「おお姫、ちょうど良いところに。油を切らしてはいないか訊こうと思っていたのだ。今度はいつ来れるやもしれんから大目に溜めておこうか?」

「いつもいつも助かります」


 ちょうど廊下のランプが近くにあったので、手始めにワルグリアは油を注いで見せた。彼女のチートは剣を通さずとも機能する、ただ戦闘中はいかにも騎士らしいと考えられる作法に則っているだけで。

 クリームが知るワルグリアとは、あくまで騎士を自称する御茶目な客人に過ぎない。少なくとも今まではそうだった。けれど今回の訪問で傷ついた姿を見せてきたことに、彼女は内心動揺した。こうした日常が崩れ去ってしまったようで――


「今度はいつ来れるか、なんて来たばかりなのに早いじゃないですか」


 ずっとここにいてください、と直球では言えなくて、遠回しに縋る。


「どうしても、戦いに出られるのですか? 他の転士様と争わなくてはいけない理由があるのですか?」

「……近頃よく聞く質問だなぁ。不届き者を成敗し名を轟かす、騎士として当然のことをするだけよ。それが私の生き方であるし……」


 長身のワルグリアは姫君の頭を撫でつつも、彼方に視線を移し、


「たとえ一人でも、騎士たらんことを求める者がいるならば、応えたいのである。そうしてようやく私は騎士でいられる。この世界に来てそれがわかった。今にして思えば、前世はなんと独りよがりであったことか」


 微笑みかける。


「そう、ですか。やはり敵いませんね」


 クリームもまた相手の視線の先を目で追い、溜息をついた。

 ――愛するワルグリアを真に支えているのは自分ではなく、ヨミなのだ。

 騎士と魔女との間に割って入れない壁を感じては、仄かに嫉妬せざるを得ない姫であった。

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