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冷めても温かいカレー




 オレはサヤに『サヤを想う愛』がなくなってしまっていることを言うことが出来なかった。サヤはずっとオレが戻ってくるのを一人で待ってくれていた。

 この狭い小さな部屋で、一人でずっと待ってくれていた。

 サヤが一人で晩御飯を食べている間、オレは他の女と遊び、金を散財し、裏切り、売り払ってを繰り返していた。



 本当に自分勝手な人間だ。今更なにをしたって許されることではない。

 だからこそ、もうこれ以上サヤを悲しませたくない。




 サヤは台所で料理をしている。オレはその後ろ姿をただぼんやりと見つめていた。懐かしい光景だった。まるでまどろみの中のような、そんな気分になった。



 トントントン、と刻みよく包丁の音が聞こえる。そのリズムに合わせてサヤが鼻唄を鳴らしている。後ろ姿からでも分かる。幸せそうだった。

 だからこれでいいんだと思った。サヤが幸せならこれでいい。

 愛することは出来なくても、大切にすることくらいなら、こんなオレにも出来たから。



「ごめんね、帰ってくるって知ってたらもっといいもの用意したんだけどね」

 包丁で一口サイズに切った野菜を、大きな鍋の中に入れる。お湯で煮込んだあと、カレールーを入れた。あの日と同じ、懐かしい香辛料の香りが部屋に漂う。優しい匂いが鼻の奥をツンと刺激する。こんなにも優しい香りは、どんなに高級なレストランにもおいてなかった。



 ずっと、サヤの後ろ姿を見つめていた。ずっと、見ていたかった。

 大切だったから。他の誰よりも大切だった。特別だった。




「おまたせ。カレー、できたよ。食べよ」

 机の上には二人分のカレー。具が殆どない、あの日食べなかったカレー。



 あの日、食べずに冷え切ってしまったカレーは、どうなったのだろう。

 それを思うと、こんなオレでも心が痛んだ。

 まだ、人の心が残っているような、そんな気がした。

 人の心が残ってていいのか、分からないけど。

 それをまた、教えてもらったんだ。



 サヤがオレの心を、また作ってくれた。




「食べないの? 冷めちゃうよ……?」

「食べ……る……。食べる……よ」



 涙がこぼれた。心の中で何度もサヤの名前を呼んだ。

 ありがとうと、ごめんを心の中で何度も繰り返した。

 口に出せばきっと、サヤは困った顔をしてまた笑うだろうから。

 口から出せない想いは、情けないことに目から溢れだした。



「泣いていいよ……」

 サヤはやっぱり、困った顔をして笑った。

 金の誘惑に負けて、大切な人を売ってしまった屑な人間に、笑ってくれた。

 そんな笑顔をもらう権利なんて、もうオレにはないのに。

 オレは幸せになんて、なってはいけないのに。




「だから私も……」

 サヤは持ちかけていたスプーンを机の上に戻した。



「だから私も……少しだけ……泣いても……いいかな?」

 オレは答えられなかった。



「嬉しくて、悲しいの。悲しいのに、嬉しいの。

 おかしい……よね? 今更、寂しさが込み上げてきてさ、今はもう目の前にセイイチくんがいてくれているのに、おかしいよね……。



 ずっと、自分を騙していたからかな……。今更になって、ずっと寂しかったんだって分かって……。

 私、ずっと寂しかったんだって……。本当は一人なんて嫌だった。セイイチくんにいてほしかった。



 愛してるの……。こんな取り柄もなにもない私でも、君といると喜んでしまうから……。私……こんな人間だけど、好きなの。ごめんね。好きだよ。

 だから嬉しくて、悲しいの。ごめん……ね。ごめん……ね」



  ごめんね、と言うたびにサヤの目から大粒の涙が一滴ずつ頬を伝っていった。サヤは泣きながら、笑っていた。

 おかしいね、ごめんねって、分からないの、ごめんねって。 ポロポロと音もない涙が、静かに顎から落ちていく。




 オレたちが泣き止む頃には、カレーは冷めきっていた。

「カレー冷めちゃったね」

 ごめんな、と謝ると、

「それでも、温かいよ」

 と、サヤは笑った。


 やっぱりもう、サヤを愛することが出来なくなっていた。

 サヤからの愛は痛いほど伝わった。でも、返せなかった。どう頑張っても、愛がなかった。愛しているのに、愛せなくなっていた。売却してしまったのだから、当然の報いだった。手元には多額の貯金はあるのに……ここにはサヤへの愛だけがなかった。






 返してもらえないだろうか。




 ふと、そんな言葉が脳裏をかすめた。

 そうだ。なんで気付かなかったのだろう。

 手元には一億円以上あるのだから、買い戻せばいいんだ。

 今度はちゃんとカレーを食べ終えてから言った。


「サヤ……今から一緒に行きたいところがあるんだ」

「え……今から……? どこに?」

「オレの愛を返してもらいに行く。一緒に来てほしい」

「……わかった」



 手を繋いで、マンションまで向かった。引っ張るのではなく、二人の意思で繋がった手を、もう二度と離さないために。




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