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じんにくをたべよう。 -Discipline- #4

4.(承前)

 あきらかに狼狽する少年。なにが起きたのか、なにを言いたいのか、現状を図りかねて混乱している。

 狐につままれたような留々も、ややあって脱力し、少し泣きそうな苦笑いでかぶりをふる。ごめんな。でも、許せ。

 「あんたさ、おばあちゃんをそんな風にしたいの?」

 え? 怯える少年。

 「病気は気の毒だと思うけどさ、あんたがやろうしてることは決しておばあちゃんを助けることじゃない。むしろ、殺すこと。とどめをさすことだ」

 「で、でも……」

 「言いたいことはわかるよ。でもダメ。それは、絶対、ダメ!」

 きつく、断言。

 ゾンビだから言える、断言。

 「私たちさ……」腕を拾いながら、留々も加勢に回る。「ゾンビになったことを後悔はしてないけど……でもやっぱ、ソンビじゃない方がいいって思うよ」


挿絵(By みてみん)


 「だけど、だけどやっぱり、俺、ばあちゃんに……」

 「……」

 「ばあちゃんに……」

 「おばあちゃん、に……?」

 少年は嗚咽をもらす。

 ばあちゃん「に」じゃない。生きてる人間はもっとわがままだ。

 ゾンビにしてまで一緒にいてほしいなんて、本当に、ただのわがままなんだ。

 言葉につまる少年を支えるように、留々がそっと肩に手を置く。うつむいた少年の目から。大粒の涙がボロボロ零れ落ちる。

 「……俺……ばあちゃん…………いなくなるの…」

 「…………」

 「……絶対、嫌だ…」

 ああ、うん。

 この子、本当に優しいんだろうな。

 本当におばあちゃん、大好きなんだろうな。

 だけど、そんな優しさとは裏腹に、私の心は急速に冷えていった。何故か、その優しさが腹立たしくすらあった。

 それはたぶん、生きてる人間のおしつけなんだ。死を受け入れられない、死人を認められない、生きてる人間の一方的なわがままなんだ。

 それを納得したら、私はゾンビですらなくなる。

 仕方ない。というより、もはやただの衝動だろう。私はシャツをたくしあげ、少年の前に傷だらけの醜いお腹をさらした。

 無数の縫い目の中、わき腹に取り付けられた止め具をはずし、ぺらりと皮をめくる。

 真っ黒な穴。

 立ち上る保存薬の匂い。混ざる微かな腐臭。死臭。

 まごうことなき死体。ゾンビ。生きる屍。

 恥ずかしいというよりなんか色々とキツい気もするが、私はやおら腹の中に手をつっこみ、人工的な補修を施された胃袋…というより、ただのビニールコートされた袋状の物体を引きずり出した。

 嫌気を誘う粘着質の音。少年の表情が凍りつく。無理もない。だけど、止める気もない。

 袋の留め金をはずし、ボトルキャップをひねると、中から真っ赤な液体…さきほど飲んだトマトジュースが、ボドボドと零れ落ちた。植物性の酸味が鼻をつき、赤い地面にドス黒いしみを作った。

 壮絶で、チープなリアルスプラッタ。少年はたまらず顔を背け、口元を押さえながら後すざりする。

 くそ。

 どーだ。

 これがゾンビの腹ン中だ。

 トマトジュースを飲めばトマトジュースが。肉を食えば肉が。食ったものはそのまま腹の中からかき出される。

 人肉も。たぶん、人肉も。

 「わかるだろ? 死んでるんだよ。私ら、死んでんだ」

 「う、う…あ……」

 「死んでるっていうのは、こういうことなんだ。こういうものなんだ」

 「………」

 「わかるか? あんたは、大好きなおばあちゃんを、こんな風にしたいって言ってんだよ」

 声にならない嗚咽。

 でも、だけど、だって……言葉が続かない接続詞をつぶやきながら、少年は後ずさる。

 まだだ。まだ、こんなモンじゃない。こんな直接的なグロさだけで、ゾンビを理解されてたまるか。

 白状すると、おそらくこのとき、私はひどく身勝手な愉悦を感じていた。一方的に虐げられていたと勝手に思い込んでいた私が、年端もいかない少年を相手に逆襲の糸口を得たと勘違いし、どこか嗜虐的な興奮を味わっていたのだ。

 情けない話だが、私は衝動を止められなかった。ゾンビである衝動を止められなかった。

 「それでも、どうしてもっつーならさ」

 私は歩をつめ、怯える少年の手をつかみ上げた。まだ幼い腕は恐怖で跳ね上がり、筋肉が一瞬で硬直するのがわかる。

 かまわず強引に口元に引き寄せる。

 わざとらしくニヤリと笑い、大きく口を見開き、汚らしい目つきで少年を追いつめる。

 「あんたを食べてやるよ。ゾンビにしてやる。あんたがゾンビになって、まだ覚悟が残ってるなら、おばあちゃんを噛んでやればいい」

 「ひっ…」

 「正直に言うよ。人肉、食べたい。今ここであんたの腕をかじりたい。空っぽの胃袋を、あんたの命で満たしてやりたい…」

 「や! やめ…」

 「食わせろよ。人間だろ? その肉、食わせろよ」

 「ひ、あ…」

 「覚悟があるなら、人間らしく食われてみろよ!」

 自分でも何を言ってるのかわからなかった。説得でも説教でも、ましてやゾンビであることの言い訳ですらない、ただのくだらない愚痴のような叫びだった。

 このまま、噛み付くんだろうか。

 私は自分で自分をやめちゃうんだろうか。

 こうやってゾンビはゾンビに堕ちていくんだろうか。

 もう、なんか、どうでも良かった。生きてる人間なんか食べたくもないけど、このままかぶりつけば、さぞや興奮を味わえるんだろう。限りなくやけくそに近い本能で、私はなんとなく理解できたつもりになっていた。

 私は大きく口を開いた。

 歯をむき出しにして、にごった目を爛々と輝かせて、真っ赤なよだれとトマトジュースをまきちらかして。

 最後の最後まで私は人肉そのものにまったく理解を持たないまま、単にゾンビだからと一方的なきめ付けで、流れのままに人間を食べようとしていた。違う。演技だ。脅しだ。だけど、自分でもどこからどこまで演技なのか、本当にわからなくなっていた。

 逃げようと暴れる少年。残念、ゾンビだから叩かれても痛くない。きつく握り締めた少年の腕を放さず、私はゆっくりと口を近づける。

 もういいや。

 いただきます。

 私は、本当に、なにもかも終わりにしてやろうと、いや、なんだか自分とバケモノの境がぐちゃぐちゃににじんだ感じで、その、その、だから…。

 私は…私は…!

 ………。


 次の瞬間。


 私の頭は、衝撃とともにあらぬ方向を向いていた。


 ろけっつぱんち。

 さきほど私がやったのと同じ。留々は左手で右手をつかみ、全力で私の頭をブンなぐっていた。

今にも泣き出しそうな顔。いつもにこやかにボケる留々の、子供のときから私にだけしか見せたことがない、本当に辛いときの留々の顔。

 あれ? あ、えーと。

 「もういいよ。充分だよ」

 「……」

 「やめよ。ね。生きるのはやめたけど、人間までやめなくてもいいよ」

 しばし呆然と留々の顔をみつめる。

 私、なにやってたんだ。なんでこんなことやっちゃったんだ。

 そうだ。別にゾンビだって人間だ。わざわざ怪物になんてならなくてもいいんだった。死んでからずっとずっとずっとわかっていたつもりなのに、まるでわかっていなかった。

 人肉? 人食い? そんなの誰が決めたんだ。勝手な偏見でゾンビを差別してたのは自分じゃんか。

 馬鹿か。大馬鹿か。

 一瞬にして頭がクールダウンした私は、心底情けない顔で、たぶん留々以上に泣きそうな顔で、謝りの言葉すら口にできずその場につっ立っていた。自己嫌悪と羞恥心で、もはや何をすべきかわからなかった。

 少年はとっくに逃げていた。遠くから侮蔑のような謝罪のような声が聞こえたが、どうでもよかった。

 そうだよ。

 これ以上、誰もゾンビになっちゃダメだ。

 私なんかがゾンビをやっていけるのは、留々がいて、クラスのみんながいるからなんだ。

 だから、かろうじて、人間のままでいられるんだ。

 かろうじて、みんなで一緒に、この世にしがみついていられるんだ。



5.

 私たちは病院に行くと、先生に事情を話し、少年のおばあちゃんの元に連れて行ってもらった。

 末期治療ですでに意識も薄いおばあちゃんだったが、私が土下座して誤ると、小さく微笑んで許してくれた。

 私の冷たい手に重ねてくれた土気色の手はそれでも暖かくて、本当に優しい家族なんだなとしみじみ思った。



6・

 結局、人肉騒動はそれで一段落となった。

 新鮮な死体を探して街中をさまようなんてことは二度となく、留々ともその話題はなんとなくタブーになっていた。

 そもそも人肉を食べたいなんて衝動など、しょせんはだの興味本位。たまーに気になることはあるが、日々刺激的なゾンビライフの中ではあっさりと忘れ去られていく。

 たぶん、それでいいのだろう。

 ゾンビの権威を著しく傷つけたことに対しては申し訳なく思うが、それもまた私たちの選択だ。それで何か不都合があるなら、甘んじて受け入れる。留々も以下同文。

 やれやれ、なんだか腹が減った(気がする)。

 今日はなに食べてこっか。放課後、留々と馬鹿話に興じながら教室を出ようとすると、深刻そうな表情のハルが語りかけてきた。

 人肉の件? ああ、それはもう……言いかけて、あまりに暗いハルの表情が気になり、つい話にのってしまう。

 「まさか……人のお肉、食べてないよね?」

 「ああ、うん。それが?」

 「どうしよう……言うの悩んでたんだけど……みんな、死んでから、そんな体に変化とか無いよね」

 なんだろ。留々と顔を見合わせ、ただならぬ雰囲気に不安を煽られる。

 「別に、嫌だってわけじゃないの。みんなを噛んで、それでこうなったっていうんだら、むしろ喜んで受け入れる。だけど、ね……」

 「だけど?」

 「うん……やっぱ言っておくね。あのね、私……」

 ちょっと待て。ハルが事故で私たちを噛んでまわったのって……もうけっこう前になるよな。

 そりゃ確かに、私たちは死んだときから成長しない。身長も伸びないし、筋肉もつかない。肉体的な変化はそれ以上おきない。

 はず。

 なのに。

 しばしの逡巡の後、ものすごい言いにくそうな表情で、赤くなるはずのない顔を雰囲気的に赤らめたかのような表情で、絞り出すようにして、ハルはこう告白した。


「ゾンビになってから、三キロ太っちゃった…」


わかりました! 人肉、すっぱりあきらめましたぁっ!!


<了>

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