じんにくをたべよう。 -Discipline- #3
4.
夕暮れの公園で、私と留々は音をあげた。
やることはやっていっそ清々しいぐらいの感想が出てきてもいいのに、なんだ、この徒労感。丸一日ひたすら拒絶されて、否定されて、気味悪がられて。
ゾンビになってからはじめて疲れたと思った。肉体は疲れないけど、精神的に心底疲れはてた。
悪趣味なんだか皮肉なんだか、留々が自販機でトマトジュースを買ってくる。ドラキュラかよ。一応、突っ込みつつ、ありがたく受け取る。
トマトジュースのやわらかな酸味は肉の代用品になどなりはしないが、それでも夕陽と混ざった鮮やかな赤は、なんとなく血液を想像させる。とはいえ、自分の体につまってるものは今やほとんどがドス黒い液体だ。失笑し、若干ヘコむ。今の私はトマトジュースにすら劣るのか。
あーあ、なんなんだろうな、私ら。
「さっき、交番の前で見たんだけどさ…」
やや沈んだ声で、留々が独り言をつぶやくように話しかけてくる。
「昨日の交通事故死亡者、ニ人だって」
「二人?」
「こんな狭い町でもさ、死んでる人、いるんだよねー」
「そっか…そうだよな…」
なんだか複雑な気分。
これだけ探して見つからなくて、でも、いるところにはいる。死人が出たことを祝う気はないが、せめて私たちの目の前で事故ってくれれば……ああ、いやいや、違う違う、心からご冥福を。願わくばゾンビなんかになりませんように。
「火葬場でもお葬式が四件ぐらい入ってたしさ、人は毎日死んでるんだよね」
「だよな…病院だって、確実に死人は出てるだろうし」
「でも私たち…全然死体、見なかったね」
「……」
死体なんざ今でも目の前にいるじゃんか……いや、今はそういう突っ込みは余計か。
確かにそうだ。考えてみれば、人は毎日数十人、数百人と死んでいる。この町だって、毎日新聞の死亡欄には数人からは名前が載っている。
なのに、日常生活において、死体を見かける機会なんかまったくない。自分たちの事故を除けば、生まれてこのかた、死体を見たのはひいおじいちゃんの葬式ぐらいだろうか。
かくも世の中は死体を隠すものなのか。
死体はそんなに見苦しいものなのか。
留々の視線は空を泳ぎ、表情はなく、つまらない現実に観念したかのよう。
「この世界さ、死体の居場所なんてどこにもないのかな……」
「死体は焼かれて墓にでも入ってろってか」
当たり前のことをつぶやき、当たり前のため息をつく。吐く息の変わりにトマトジュースがしたたり、まるで生きてる人間のように見えて、悲しくも可笑しい。
「いっそ、誰か襲うか」
冗談めかしてつぶやくも、留々はだまって答えない。むしろ眉間にしわを寄せ、沈痛な面持ちで地面をみつめている。
こういう時の留々は否定の意だ。あからさまな否定はしないけど、明らかに嫌がっているときの留々だ。
「ゾンビだしなー。人間の敵とかでも、それはそれで…」
「そういうの良くない。別にいいけど、理緒っぽくない」
「……」
いつもより重い留々。いつもより重い、私の悪友。
わかってる。
そだな。
つき合わせて悪かった。ここら辺が潮時だ。
なんか目的と手段が入れ替わってるとういうか、そもそも目的が思いつきでしかないというか、色々無理があった話だ。
ま、こんなもんだろう。
わかった。しゃあない。わかったよ。
「あきらめるか」
「ん」
留々は顔をあげ、少し柔らかな笑顔。
最初から食べる気なんかなかったけどねーと台無しなことをつぶやく可愛い悪友を小突き、まずは一段落、私たちは腰をあげた。まあね。私も、いざとなったら口にできたかどうか。あくまで興味本位が前提で、それが少しエスカレートしただけだ。
そもそも、ゾンビが人肉を欲するなんて誰が決めた。ブードゥーか? ロメロか? うん、確かにどーでもいーわ。
貴重な一日を台無しにしたことを苦笑いでごまかし、松葉杖を両手によろよろと歩き出す。
ああ、一日歩いて肌がカサカサだ。足も体液がたまって重い。今夜は念入りにマッサージしないと……ほんと、私たち、どうしようもなくゾンビだな。
「あの……」
不意に、小さな声が私たちの背後から聞こえてきた。
ふりかえると少し離れた道端に、いかにも気弱そうに半分うつむいたままの子供が立っていた。ギリ中学生行ってるぐらい? どこかしら申し訳なさそうに私たちを見つめている。
はて、どこかで。
「お二人は、ゾンビなんですよね…」
「はい、ゾンビですけど」
ストレートに答える留々の言葉に間抜けな響きを覚えつつも、なんとなく訝しい気がしないでもない。うちら二人、片手片足がないとはいえ、初見でバレるほどゾンビっぽい格好してるっけ?
「人の肉……食べたいんですよね?」
え?
「あの、食べてほしい人がいるんです」
いや、待って。
なに? なに言ってんだ、この子?
冗談? 悪ふざけ?
「だから、人、食べたいって…」
「あ、いや、そうじゃなく…」
「なに、君、食べさせてくれんの?」
留々の頓珍漢な返答に、少年の表情が警戒心を帯びる。
留々め。悪趣味だとは思うが、ほんのりナイス。
「お、俺じゃないです。…その…俺じゃなくて、俺のばあちゃん…」
「おばあちゃん?」
「ばあちゃん、癌で死んじゃいそうで…だから、噛んでくれれば、ばあちゃん助かるかもしんないから…」
癌? 助かる?
……あ、そっか。
思い出した。この少年、こないだ病院で私を「ゾンビなんか」扱いしたクソガキだ。
なるほど。おばあちゃんのお見舞いかなんかで病院に来てたとき、私とニアミスして、ゾンビの利用法を思いついたというわけだ。
じゃあ、私たちを追いかけて? なに、この年でもうストーカー? おばあちゃんのためにゾンビを追ってきたの?
ははは、笑える。健気すぎて、なんだか笑える。
そっかそっかー。私は優しく肯き、精一杯の笑顔で少年に応える。いい、坊や、ゾンビってのはね……できるだけ懇切丁寧に、若干の苛立たしさを紛れさせながら、私は状況を説明した。
ゾンビが人を噛んではいけない理由、ゾンビが病気を治せない理由。先ほどまでの自分の行動は全部棚にあげて、やんわりと断りをいれる。
ダメです。噛めません。食べちゃいけません。
だけど、少年は納得しない。納得どころか、かえって悪い方向に態度を硬化させる。
「いいじゃんかよ! 自分たちばっかズルいだろ!」
突然の悪態。子供らしい、感情にまかせたいきなりの暴言。ストレートな感想。
カチンときた。
なんだろう。どうも、このクソガキ様とは相性が悪い。
もしくは同属嫌悪だろうか。愚直な怒りの表し方が、なんかいちいち面白くない。
面白くないというか、正直、ムカつく。頭にくる。
「ズルいってなんだよ」
こちらも挑戦的な言葉で対応する。留々が困ったような視線で自制を求めてくるが、うるさい、知ったことか。
「ズルいってなんだって言ってんだよ!」
「だって……だってさ!」
少年の声が軽く裏返り、怒号に涙交じりの悲壮さが加わる。
「そっちは死んだのに、死んだのに生き返ってさ! ばあちゃん、黙って死ねっていうのかよ!」
「それとこれとは話が別だろ! いいか、ゾンビになるっていうのはな……」
「うるさい! なんでもいいから、ばあちゃん助けろよ! ゾンビのくせに! 黙ってばあちゃん助けろってんだよ!」
ゾンビのくせに。
また、言われた。
ゾンビのくせに。
ゾンビのくせに。
その後も少年は嘆願と侮蔑をごちゃまぜにしたような言葉を吐き続けていたが、私はまるで聞いちゃいなかった。
聞く気がなかった。そうだ。今日一日、あちこちからそういう目で見られ続けたんだ。
かわいそうな目で。嫌な目で。卑下する目で。
ゾンビのくせにって。
ゾンビのくせにって。
ゾンビのくせにって。
もう、いい。
私は無言で留々の右腕を取り外すと、そのまま横になぎはらい、冗談のようなビンタを一発、少年の横っ面にかましてやった。
勢いで右腕は地面に転がり落ちた。
留々も、少年も、凍りついた。あまりに唐突な非常事態に、場は一瞬にして静まり返った。
どうだ。
どうだ。
どうなんだ。
(続く)