002.紫の君
流石に一話だけでは半端過ぎると思うので、3話目ぐらいまで日刊しようと思います。一話目を読んでくださった方々、ありがとうございます。
美槌古都子が見知らぬ土地で、エクイティロードなる見知らぬ地位に就いてから一ヶ月が経過した。あの後、彼女は住処を定め、この世界の最低限の常識を学び、一人暮らしに慣れることに時間を費やした。
「古都子様。ダン・オハーリー・オムニと名乗る男性が女性を一人連れて玄関先に来ています。古都子様にお会いになりたいそうです」
「どういう人?」
古都子は、ネットサーフィンの手を休めて声に応えた。この合成音声の主はプロフェシー。恐ろしいほど緻密に調律された口調で、頼りがいのあるそれでいて艶のある感じの女性をイメージさせる声だった。
そして、モニターが切り替わって玄関先の様子とともに映しだされた映しだされた老人は、燕尾服にステッキという紳士的な容姿だった。一方隣りの少女は、各所にクリスタルをあしらったメカニカルなスタイルながらも可愛さを強調した衣服を着こなしていた。
「外見から分析した結果、男性は老人で、女性は未成年と思われます。身分証を提示していないので詳細は不明です。名乗った名前と画像を検索致しますか?」
「頼むよ」彼女が即答する。
「文字検索と映像検索の結果、該当一件。オムニホールディングス元会長で相談役のダン・オハーリー・オムニとその孫娘のヴァイオレッタ・四条・オムニです」
「で、どういう人なの?」きょとんとした顔で、さらに彼女が聞き返す。
「……。オムニさんは、古都子様が所有するエクイティを発行したオムニホールディングスの『エライ人』です。ただ、エクイティロードという意味では、古都子様の先輩であると同時に仲間とも言えます」
「え!そうなんだ。どうしよう?」
「お会いになられるのが良いと思いますよ?」
「え?けど、ボク、この時代のマナーとか全くわからないよ。服とか部屋とか失礼じゃないかな?」
そう言うと、古都子は自分の身だしなみを部屋にある鏡で見直した。
彼女の髪型は、軽くシャギーの掛かったショートボブに垂れた犬耳のような癖っ毛がある。服装は黒のワンピースに白いカーディガンを、袖を通さずに羽織っていた。これらの衣服はすべて二十一世紀の服飾の外見をコピーした品物で、実際の材質はよく分からない多機能な繊維だった。というか、繊維なのか機械なのか、彼女には区別がつかなかった。さらに、最も特筆すべき点は、これらの衣服が二十一世紀においては凡庸なデザインであるにも関わらず、この時代では全てオーダーメイドの一点モノであるという点である。
当たり前といえば当たり前なのだが、この時代のファッションは二十一世紀とは明らかに違っている。目覚めた時に出会った男女は、単に美槌をパニックに陥らせないために、医者と看護婦というそれっぽい仮装をしていただけで、オムニグループの営業マンでしかなかった。さらには、ゲノミクス社に所属していたのかすら彼女には確かめようがなかった。彼女が彼らをオムニの営業マンだと断定できた理由も、契約が本物で今も当初の説明通りに不労所得で生活を維持できている。というそれだけでしかなかった。
「大丈夫ですよ。よろしければ、私が古都子様にだけ聞こえるようにマナーのアドバイスしますので、ご安心ください」
「ホント!凄いね。そんな事までできるんだ」
「ナノマシンとウェアラブル端末のちょっとした応用です」
「じゃあ、玄関で出迎えたほうがいいのかな?」
「いえ、私が招き入れますので、客間でお待ち下さい。古都子様にもお茶をお出しします」
そこまで言うとプロフェシーは家事用ドローンを一体起動すると、ダンとヴァイオレッタを古都子の家に招き入れた。その間、彼女はプロフェシーに言われた通り、客間のソファーに腰掛けた。すると、別の家事用ドローンがソファーの目の前に置いてある長机に淹れたお茶を用意してくれた。
プロフェシーはこの部屋の管理を家事用ドローンや電化製品を通して、古都子の要望に応じて全てやってくれていた。彼女がやるべき事は少なく、衣食の選択と収集する情報の希望を述べるぐらいだった。この時代のネットワーク端末それほど優秀だった。情報検索どころか通販の注文。果ては家事のほとんどを、部屋に備え付けの家電ドローンを使って自動制御で行ってくれた。そして、その端末は“対話型インターフェイス・プロフェシー”と呼ばれているというところまでは、彼女にも理解できた。ただ、プロフェシーという名前が、彼女の部屋の端末の名前なのか、アプリの名前なのかまでは、彼女には理解できなかった。とりあえず、プロフェシーと呼ばれる便利な機械仕掛けの何でも屋が居るらしい事と、それが自分の世話をしてくれているという事を理解するのが彼女の限界だった。
しばらくすると、ドローンに先導されて老人と少女が客間に現れた。古都子は起立すると二人を歓迎して向かいのソファーに座ることを勧めた。この辺りは、概ね彼女の時代の作法と大差が無いようだった。プロフェシーが何も言わないのを感じて、古都子はこのままで問題ないようだと判断した。
ソファーに全員が座ると、ドローンがさらに来客用のお茶を長机に置いた。そして、老人が話を切り出した。
「事前にお伺いもせずに、突然お邪魔して、申し訳ない。こちらにも相応の事情があったとお察しいただければありがたい。私の名前はダン・オハーリー・オムニ。こちらは孫のヴァイオレッタ」と、老人は自分たちを紹介した。
「わざわざどうも。ボクが美槌古都子です」古都子は自分も名乗ると、沈黙で相手に話を促した。
「用件の前に、ひとこと言わせてもらいたい」ダンがこう言うと古都子は返事をする事もできずに、不安から軽く身構えてしまった。
「ようこそ、美槌古都子くん。オムニグループはあなたを歓迎する。そして、ようこそ『三一一』へ」
「ようこそ、古都子さん。これからよろしくね」少女も老人に促されて、続けてそう言った。
そう“三一一”こそが、今の彼女が住んでいる都市の名前だった。全世界に点在する企業都市が参画する企業都市連合によって建設されたドーム型循環環境保全都市その三一一号だ。所在地はかつて日本の関東と言われた地方の北東の端より少しだけ北に行った辺だ。
彼女が冷凍睡眠についたのは欧州の雪国だったはずなので、故郷の日本で目覚めたというのは、何かの偶然なのだろうとは思うのだが、どういう経緯なのかはさっぱりわからなかった。分かったのは、オムニテクニクス社が何らかの意図でここまで彼女を連れてきたという事だけだった。
他にも彼女は両親の消息なども調べようとしたが、そもそも過去の記録の殆どが失われており、もはや自分自身も含めて二十一世紀初頭の断片は好事家のコレクターグッズのような扱いだ。という事である。そして、両親の消息を知ることが絶望的だと分かった彼女が次にした行動は自分と同世代の人物が居るかどうか探すことだった。しかし、これも徒労で終わった。彼女が知ったのは自分が天涯孤独であり、今の彼女が頼れるものは、目覚めた日に交わした契約によって手に入れたエクイティと呼ばれる株券だけだった。
あの契約で自分が提供したものが、自分の細胞や血液だという事までは、彼女にも理解できたのだが、その用途や意味までは想像することは出来なかった。あいにく、美槌古都子は勉学よりもスポーツ。小説よりも漫画やアニメ。トレンディ・ドラマよりバラエティ番組を好むタイプの少女だったのである。
老人たちの意外なというか突拍子もない言葉に、古都子の表情は戸惑いを含んだ微妙なものになってしまった。
「ははっ。困らせてしまったようだね。すまない。しかし、一ヶ月遅れとはいえ、どうしても言っておきたかったのだよ。君を覚醒することを決めたのは私だからね」
「え?そうなんですか」
「迷惑だったかね?カプセルベッドに添付されていたデータによれば、君は病の治療の為に冷凍睡眠処置を受けていたということだった。幸い、この時代のナノマシンによる治療技術ならば、君の病を根治とまではいかないものの、症状を抑えることで、事実上治してしまうこと自体は簡単なことだったからね。手足の痺れなどは一切起きていないだろう?」
「はい。ありがとうございます。でも、どうして?」
「どうして、君を助けたか?かね……?簡単だよ。君にお願いしようと思っていたことがあったんだ」
「ボクにできることですか?」
「できると思うよ。私は、レガシーフィルムというものに興味があってね。君はこの言葉の意味はわかるかね?」
「はい。ネットで見ました。過去の記録。発掘された二十一世紀の記録の事ですよね?」
「そう。その通りだ。ただ、フィルムという名前ではあるが、別に映像記録だけを指すわけではない。君らの時代で言うのなら、骨董品の事だよ。そして、無礼を承知で言うのならば、それは君のことでもある」
「ボクが、二十一世紀生まれだからですか?」古都子が困惑して答える。
「その通り。とはいえ、別に私は君をモノ扱いしようとは思わないよ。そこは、安心して欲しい。君にお願いしたいのは家庭教師だ。それも住み込みの」
「ボク、勉強は苦手なんですけど……」
「そうかい?たぶん、私の孫に教えてほしい科目については、君以上に詳しい人間は他に居ないと思うんだけどね。科目は考古学。二十一世紀初頭の君の暮らしぶりやセンスをヴァイオレッタに教えてほしい。まあ、とは言っても、別に教師の真似事をしなくても良いよ。ヴァイオレッタの友だちになるぐらいの感覚でいいから」
ダンがそう言うと、孫のヴァイオレッタは、古都子に向けてニッコリ微笑んだ。
「古都子くん。君は何かやりたい事や、やるべき事はあるかね?」
「えっと……。」古都子はそう言われて、両親の顔を思い出し、目を伏せた。
「プロフェシーを使って、昔の事を調べるのかね?なら、それをヴァイオレッタとやってみてはどうかね?ネットだけではなく、実際にどこかを出歩くのならば、多少なりともこの時代に明るい人間が側に居たほうが良いと思うよ?プロフェシーは優秀だが、人間の感情や機微までを完全に理解しているわけではないからね。それに、いつまでも一人で部屋に引きこもっているのは、精神衛生上もよくないと思うよ」
引きこもりと言われて、古都子は戸惑った。確かに、ひとり孤独に部屋に篭ってインターネットという生活をずっと続ける人生というのはぞっとしない。古都子は自分のこれからを想像してかすかに身震いした。
「君ぐらいの年頃だと、高校というものに通って同年代の子たちと交流するのが一般的だったらしいね」
高校と言う言葉を聞いて、古都子は捨てられた子犬が夜の住宅街にこぼれ落ちている窓明かりを見るような、寂しそうな顔をした。
「残念だが、この時代には高校は無いし、君の同年代。つまり二十一世紀生まれの人間も居ないのだよ」
ダンが済まなさそうに肩をすぼめて、物静かな雰囲気で話すと、ヴァイオレッタが沈黙に耐えかねたように補足する。
「私や美槌さんの年頃になると、この時代では従業員になるか、社員になるかで進路が変わるんです。従業員ならば、さらに研究職に進むかオペレーターに成るかで訓練学校や研究機関に分かれていきます。私は社員になるから、自宅で家庭教師の人たちから色々教わっています」
ヴァイオレッタと並んで家庭教師から教わる自分を想像して、古都子は少し戸惑った。
「ああ、勘違いしてほしくないが、別に君もヴァイオレッタと一緒に勉強しなさいと言っているわけではないよ。ヴァイオレッタが他ごとで忙しい時は、君は自由にしてくれて構わない。エクイティロードとは本来、自由な存在だ。義務を果たした人間だからね」
「ボクはこの世界で何かをしたんですか?」
「深い質問だね。古都子くん。……。端的に言うのならば、何もしていない。しかし、君というパーソナリティは、存在するだけでこの社会には重要だと私は考えている。いわば旅人であり異端者なのだよ。君は」
「はあ」なんというか、はぐらかされているようで、いまいち釈然としない表情を浮かべる古都子であった。
「支配者というものは異端者だ。もっと言うのならば、支配する事によって許された異端者だ。そして、私もヴァイオレッタもそういう支配者なのだよ。なら、異端者同士、お互いに仲良くすることも、学ぶべきところもあるのではないか?と、思うわけだよ。それとも、私やヴァイオレッタの事は嫌いかね?」
ダンがその威厳には似合わない、おちゃめな表情とともに、少しおどけて古都子に聞いた。
「そ、そんな!そんなことはないですよ。ただ、急な話でびっくりしてしまって」
「そうだね。私は一ヶ月待ったが、それでも十分ではなかったかもしれない。時代を越えるというのはそういうものなのかもしれないね。あいにく、私には君のそういう気持ちがわからない。だから、無理強いするつもりもない。もしも、我々と別れたくなったらそれも良い。君の持つエクイティがあれば、その程度のことは可能だし、うまく使えば、もっと色々できるかもしれない。しかし、いま、特に何も思いつかないのなら、ヴァイオレッタと一緒に過ごして、その辺を考えてみるのも悪くないと思うのだが、どうだろう?」
「お友達になってくれませんか?古都子さん」
ヴァイオレッタが微笑んでそう言うと、古都子は深く考えずに、頷いてしまった。
ナノマシンとウェアラブル端末のちょっとした応用は、機会をみてやってみたいと思います。確約は出来ませんが。
追記:20151213
狐谷まどか先生に教えていただいた事を参考にして、文章を推敲し直しました。エピソードの内容には変更はありません。
先生、本当にありがとうございます