吉備の王 五
§ 五 §
同年五月―。
吉備での偵察を無事終えたイヌカイは、イサセリの先遣隊の隊長であるトメタマ(留玉臣命・トメタマオミノミコト)と、播磨で無事落ち合っていた。そう播磨はイサセリ軍の今回の遠征の最初の攻略ポイントである。
言うまでもなくトメタマは「魏」の駐留軍の一員であり、イヌカイと同様ササモリの部下である。今回のイサセリの進軍に対して、ササモリは三個旅団(一つの旅団が三千人余り)の凡そ一万の兵力をイサセリに託したことになる。そこにイサセリがミマキから預かった兵力凡そ一万を加えると、総勢で二万人という、立派な一個師団を形成しており、これはこの当時の兵力としてはかなりの大軍と言ってよかった。
イサセリが吉備を攻略する前に、この播磨を落としておかなければならないのには十分な理由があった。これだけの数の兵力を維持していくには、その食糧だけでも現地調達は不可能である。加えて武器の補給のこともある。奈良と吉備のちょうど中間点にあるこの播磨が、兵站線の確保という意味においては非常に重要な戦略地点になっていたのだ。
浜辺では地元の漁師たちが忙しなく体を動かしていた。これからここで大きな戦が控えていようとは、とても思えないほど平穏は風景である。ある者は船の手入れに精を出し、ある者は烏賊や鰆の天日干しをしている。播磨を北から流れてくる揖保川の水と瀬戸内の海の流れが相まって、非常に良好な漁場が沖合いにあるのであろう。そのおびただしい数の船と天日干しの竿の数々がそのことを如実に物語っている。
イヌカイとトメタマは、この漁師村の作業小屋を借りて生活していた。小屋と言っても藁葺の粗末なもので、なんとかようやく建っていて雨露が防げる程度の代物でしかなかった。
「いやぁ、帰った帰った。」村まで水の汲み出しに行っていたイヌカイが、両手に水桶をぶら提げて件の作業小屋まで帰ってきた。
「それで、何か変わったことが解ったか?」ご苦労、とも言わずにトメタマが切り出した。ひどくセッカチな性格のようだ。現実主義と言っても良いだろう。見ればピカピカに家の中が片付いているし、夕食の準備も万端整っているようだ。
「これ・・・・、お前がやったのかトメタマ。」あまりの驚きで手桶を下ろすのを一瞬忘れてしまったほどだ。
「ああ、ヒドい散らかりようだったからな。ちょっと整理しておいてやった。」
それより、と、イヌカイの話を急かした。
イヌカイは手拭で顔と手を拭きながら、ゆっくりと話し始めた。
それは要約すると次のような内容になる。
先ず、この播磨の土地を治めているのは、「伊和一族」と言い、元々は出雲出身の部族らしいこと。この海岸から十キロほど揖保川を遡った「宍粟郡」の辺りに拠点を持ち、揖保川河川敷のこの播磨平野一帯に至るまで影響力を及ぼしていること。出雲出身ということで、出雲とも吉備とも仲良くやっていること。特に吉備とは定期的に交易のやり取りがあり、吉備の鉄製品や塩と播磨の海産物の干物などを交換しているなどと言ったことであった。
「そっちはどうだ、トメタマ。ササモリ軍団長とは連絡が取れたのか。」
すると、トメタマはニヤっと笑ったかと思うと、小屋の天井の梁の上にとまっていた鷹の足元に巻き付けてある布を解いた。
「おおっ!ついに着たか。」と声をあげるイヌカイ。それを諌めるように、まぁそう慌てるなって、と言いながらその巻紙を持ってきた。
「何と書いてある?」
「うん。これによると、恐らく明朝あたりに、イサセリ軍が播磨に上陸だな。五百隻以上の大船団だからな。さぞ見物だろうぜ。」
「おお~、そうか。」そうか、そうか、遂に着たか。と落ち着かない様子のイヌカイ。
「それで、我々への指示は別段書いてないか。」
「いや、特に書かれていないな。」
「どれ?」と、言ってとうとうトメタマの手から巻紙を取り上げてしまった。
「本当だな。何も他には書かれていない。」どうにも腑に落ちない様子である。
「じゃ、我々はどうすれば良いのだ?」
「さあな、飯でも喰って待ってれば、それで良いんじゃないか?」トメタマは既に夕食の準備に戻った。
「他にすることもないし、さ、それよりこんな大きな鰆は中々お目に掛かれんぞ。」と言って焼きあがった大きな鰆の干物を机の上に並べた。優に八十センチはあろうかといった大物だ。
「美味そうで結構なことだが、俺は先に烽火をあげてくる。イサセリ軍が迷わぬようにな。」
「ハンッ。相変わらず生真面目な奴だ。どうぞ、お好きなように。」
少々呆れ顔のトメタマであった。
播磨にも大型の古墳群が多数存在する。ここにもそれなりに力を持った支配者がいた証拠である。発掘調査の結果、中から副葬品として、金や銀の細工、勾玉、鏡などが発見されているという。このことから地元ではこの播磨地域と朝鮮半島との結び付きを指摘する声も出ているというが、筆者はむしろ先ほども述べたように、これらのモノは出雲からもたらされたと考えている。更に言うと、古墳の築造の仕方は吉備をお手本にした可能性が強いのだ。
実は揖保川の上流の方でも砂鉄の採れるところがあった。本来ならここにたたら場を設置すれば鉄器の生産をすることも可能であったのに、この当時この一帯を支配していた伊和一族はそれをせずに、寧ろ原料として吉備にその砂鉄を売っていたようなのだ。吉備では播磨も含めてその周辺各地から色々な種類の砂鉄を集めてきて、それを様々なブレンドにして鉄器を作り分けていた。そうすることによって、硬軟自由自在に鉄の材質をコントロールしていたのだ。その完璧なシステムが出来上がってしまっている以上、自ら労力を掛けて不完全なモノを作るよりも、原材料を差し出してそれをキチンとした製品と交換してもらった方が賢いと言えよう。
伊和一族はこの広大で肥沃な播磨平野で耕作面積を増やし、そこに穀物類を育て、揖保川沖合いの豊かな海洋資源等々を交易上の特産物として周辺の国々(吉備や奈良や出雲など)に販売することで、この国の庶民は実に豊かな生活を送ることが出来ていた。
この地方が地方として見事に自立して、完璧な循環型の社会環境を作り上げているにも関わらず、半ばその機能を壊すようなことまでして中央集権国家作りをしなければならない、そのことの「意味」自体が解らなくなってくるではないか。この当時の日本が、ゆるやかな連合国家組織のままで存在し続けてはいけない理由を、誰か明確に答えることが出来る人がいたら教えて欲しい。更に言えば、もっと昔に、日本で平和に暮らしていた縄文人たちが、弥生文明人たちによって迫害、駆逐されなければならなかった理由は一体何なのであろうか。我々個々人がそれらに対する答えを模索し続ける努力をしなければ、或いは、ある日突然「明日は吾身」を迎えてしまう可能性を誰も否定出来ないのだ。
ヒトはそれぞれ個性を持っている。一人ひとりの個性は成程異なって見えもするし多少の強弱もあるが、それが集団の中に入ると埋没してしまうのだ。集団そのものが大きく巨大な個性を発揮するようになり、その個性を制御することはもう個人の力ではどうしようもなくなってしまう。
イサセリは素晴らしいリーダーの素質を備えていると思うが、時代の流れを作り出すまでには至らない。また、ウラやアゾタケも其々優れた資質の持主ではあるが、その資質は「運命」に逆らえるほどのものでもない。
ミマキがサっと一吹きした時代の息吹によって、この当時の日本列島に大激震が走り始めたのである。当のミマキにそれが果たせる能力があったかどうか、或いはそれに値する人物かどうか、そういったことは問題ではないのである。偶々あるべき場所に居て、偶々振るうべき最低限の力があって、偶々周りに動いてくれる最低限の人たちが居た、ただそれだけのことなのである。この数々の「偶々」の集積点が、実は人類の歴史の変換点になっているのである。
そして、正しくこのときの「日本人」は、その歴史の変換点を迎えようとしていたのだ。その個々の人たちがそれを望むか望まぬかということに対して一切お構いなしに、である。
明け方近く、イヌカイは尿意をもよおして目が覚めた。掛け布団代わりの蓆を跳ね除けて起き上がり、少し振ら付く頭を押さえながら引き戸を開けて外に出た。どうやら昨晩は調子に乗って飲みすぎたようだ。
浜辺までトボトボと歩きながら、昨晩寝る前に煙の上がっているのを確認した烽火に目をやった。大丈夫、モクモクと煙を吐き出し続けている。
欠伸を一つ吐きながら、波打ち際で小用を足しながら東の空を見やった。遠くの島影の向こうから、朝日が誕生する寸前のそのまた海の先に、うっすらと黒い小さな塊が真直ぐこちらに向かって近付いてくるのが確認出来た。
「ん?」小便をしながら目を擦って、今度はよく目を見開いて、もう一度先ほどの黒い塊を睨んだ。
少しずつではあるが、やはり近付いてきている。小さな黒胡麻が無数に重なりながらこっちに向かっているようにも見える。ようやく小便を終えたときに、東の空の水平線が金色の一本の線状に輝きを放った。夜明けである。そして、その昇ってきつつある太陽を背に受けて、イサセリ軍の船影が少しずつ肉眼で確認出来始めた。
「トメタマ!来たぞ。トメタマ!」
小屋の方に向かって叫んでみるものの、呼ばれた本人は一向に起きてくる気配がない。イヌカイは仕方なく小屋に向かって砂浜を走り出し、小屋の戸口に着くなり再度大声で言った。
「トメタマ!起きろ。イサセリ軍が来たぞ!」
その声を聞いて、トメタマも飛び起きた。「何?」二人して砂浜の方に向かって走っていき、東の海のイヌカイが指差す方を眺めてみた。確かに船影だ。しかも物凄い数だ。
イサセリらも、イヌカイの掲げた烽火は確認していた。海は穏やかで波は問題ない。東からの風を二本のマストに掛かっている帆いっぱいに受けて、最大船速で播磨の浜を目指していた。
全長約二十メートルの丸木構造船と呼ばれるそれぞれの船には、四十人~五十人の兵が乗り込んでいた。その数五百隻。瀬戸内の海原をビッシリと埋め尽くして波を突っ切っていく。
「イサセリ殿、見えました。間違いありません。イヌカイとトメタマです。」ササモリが船の後方で横になっているイサセリに向かって声を掛けた。波しぶきが容赦なくイサセリを襲っていた。
「そうか、良かった。これで船を降りれる。」
「ハハハっ。船酔いですかな?海軍の大将には、チトなれそうにありませんな。」ササモリが、真っ青な顔をして辛そうにしているイサセリを鹹かった。
「船はお前らに任すよ。」そう言って、また艫の方から海に向かって嘔吐していた。
海岸の方からは海燕がイサセリたちの船団の様子を伺いに飛来してくるが、その余りの船数の多さにビックリして、また岸の方に向かって飛び去っていった。
太陽が完全にその姿を東の空に現した頃には、播磨の浜辺からもハッキリとイサセリ軍の船団を確認出来るようになっていた。正に、瀬戸内海全体を覆ってしまうほどの大軍である。夜明けと共に漁に出ようとした漁師たちも皆、そのあまりの船影に腰を抜かしてしまい、誰一人として沖に向かって漕ぎ出していく勇気のあるものはいなかった。
「さてさて、伊和軍はいつ動き始めるかな?」意地悪そうにトメタマが呟いた。
「ここに居て、伊和軍に攻撃されても面倒だ。あの高台に移ろう。」と、イヌカイが促した。トメタマも頷きながら、
「異議なし。どうせ我等二人が居ずとも、今回の戦は楽勝だろうからな。」そう言って、イヌカイの肩に手を回して、一緒に高台を目指して歩き始めた。その二人の後を追うように、トメタマの伝書用の鷹も小屋を飛び去った。
正午近くになった。イサセリの大軍は、播磨の浜辺の目と鼻の先に迫っていた。その沖合いは、ビッシリと船団によって埋め尽くされていた。驚くべき光景である。
そして、その頃になってようやく伊和軍もノソノソと迎撃体制を浜辺にとり始めた。内陸の方から多数の工作兵が丸木を抱えて浜辺の方にやってきた。どうやら防御柵をこしらえるようであるが、明らかに対応が遅すぎた。浜辺に出て来た伊和軍の兵の誰もが、その圧倒的な数のイサセリの大船団を見るやいなや、手にした丸太をその場に放り投げて、一目散に逃げ帰っていく始末である。
その様子を高台から眺めているイヌカイとトメタマ。そしてトメタマの肩には鷹がちょこんととまっていた。こりゃ勝負にならんな、と、イヌカイがボソっと呟いた。
すると、三千ばかりの兵が、何とか海岸沿いに陣を敷いた。手槍を持つものの前方には弓矢隊が見える。後方で馬に跨って軍配団扇を手にしているのが総大将であろうか。
その総大将が団扇を振るって合図した。
すると一斉に矢がイサセリの船団に向かって真直ぐ放物線を描いて飛んでいった。二百本はあろうかと思われる矢がさながら大きな大蛇の如く船団を目指す。が、船団の手前十メートル程のところで、バラバラと海に落ちていった。まだ射程に入っていないのだ。
「弓矢隊、前へ!」と、ササモリの号令で、船団の構成が一気に変化した。弓矢部隊を乗せた船が最前列に、しかも浜に対して直角になるように船を操り、横一列に並べた。この間、十分と掛かっていない。見事な操船である。
「いいか、こちらは追い風だ、十分射程圏内である。よーく狙えよ。」
ササモリは弓矢部隊にそうハッパを掛けると、一呼吸おいて、
「撃て!」と号令を掛けた!
今度は五百本の矢が束になり、浜辺を目掛けて竜の如く大空を駆け上った。かくして戦端は開かれたのだ。
ヒューッヒュー!と音を立てて弓矢の大軍が伊和軍を襲った。
ビシッ、ビシッ。まるで追撃装置でも付いているかの如く、矢は浜辺の兵を正確に射抜いていった。そしてその矢の雨は途切れることなく続けられた。
堪らずにジリジリと後退を繰り返す伊和軍。それに呼応するかのように船を浜辺に近付ける。実に見事な、艦砲射撃のお手本のような戦いぶりだった。
戦が開始されてから一時間足らず。堪え切れなくなった伊和軍は、ついに敗走し始めた。その頃には兵力は既に半分以下になっていたのだ。それを見たササモリが間髪入れずに叫んだ。
「撃ち方止め!弓矢隊、進路戻せ!」
その合図でピタっと矢が止まり、今まで横を向いていた弓矢隊の船が真直ぐ浜の方を向き直った。すると、その背後から別の船がスルスルと前に向かって進みだす。
「強襲隊、突撃!」
今度は手槍を持った兵士たちを乗せた船が、一気に浜辺を目指して進んだ。次々と浜辺へ上陸を果たす船。しかし、それを阻む兵は一人も居ない。伊和軍は先を争うように一目散に退散した。
「終わったな。」
「ああ、思った以上に早かったな。」
「そろそろ我々も出張るとするか。」そうだな、そう言ったイヌカイとトメタマの二人も、続々と揚陸してくる船団の方に降りていった。
この戦のカタが全てつくまでに、その日の夕方までは掛からなかった。イサセリ軍の勢いに推されて退却した伊和軍千五百は、一旦城に立て篭もり篭城を決め込もうとしたが、周りをイサセリの大軍一万に囲まれて後、呆気なく降参してきた。
開放された城と住居は全てイサセリ軍に供用され、戦後処理の交渉の一切はワカタケ(イサセリの異母兄弟)に任された。
その結果、伊和一族は今後ミマキのヤマト国に絶対の服従を誓い、その証として一族の総領の母親を人質として差し出すことに同意した。また、ヤマトからはこの地に監視官を置き、今後、政の一切は当面この監視官の指示に従うことでも合意された。播磨はヤマトの衛星国の一部に成り下がったのである。
ワカタケは税の取立てについても厳しく指導した。毎年の収穫の四割はヤマトに租税として差し出すよう要求し、これに承知させたのだ。
イサセリ軍の播磨上陸から僅か一週間ほどで、これら全ての手続きをワカタケは完了させた。そして、そのことを見極めたイサセリは、吉備攻略の為の中継基地作りを再度ワカタケに命じたのだった。
武器の補給と食糧の備蓄、兵員の補給にヤマトとの海上連絡網の確立。すべきことは山ほどあるが、それら全てを半月で片付けるようにと。
こうした状況でのワカタケの処理能力は天下一品であった。その頭の中にはどれくらいの集積回路が詰め込まれているのか、というくらいの手早さで各現場に指示を出し、確実に作業を終わらせていった。
その間、イサセリもただじっと待っていた訳ではなかった。イヌカイから吉備の情報を聞き出し、毎日その攻略についての軍議を重ねていた。吉備の兵力は総勢で一万弱。攻め込むイサセリ側からすると、最低三万の軍勢が欲しかったが、これ以上ヤマトにそれを強要するのも無理であった。
イサセリはササモリとイヌカイに、周辺の部族から兵を集めるよう命じた。そしてトメタマには吉備の偵察と調略とを兼ねて、一足先に吉備に向けて出発するよう命じたのだった。
イサセリの戦跡がここ播磨に一つ記された瞬間であった。
季節は五月の下旬。梅雨に入るのにはまだもう少し掛かりそうな、それでいて初夏を思わせる強い日差しの毎日が続いていた。