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真説桃太郎  作者: 石豊徳
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吉備の王 三

§ 三 §


 吉備の大たたら場は、現在の岡山県総社市の鬼城山という標高397mの山の上にあった。今ではこの鬼ノ城から南を眺めてみても、眼下に総社平野という広大な大地が広がっているだけで、間近に海を眺めることなど到底出来ない。ところが、当時は大たたら場(鬼ノ城)のふもとからは、すぐ南に穴海という瀬戸内海の内海が広がっており、瀬戸内海に抜けるには、水島海峡か藤戸海峡、または児島の東を通らなければならないという、現在とは全く異なる地理条件となっていた。そしてその内海が非常に穏やかな天然の良港を生み出していたのであった。

 また、鬼ノ城の北から東を回って南へ流れる血吸川は日本屈指の砂鉄の宝庫であり、酸化した砂鉄が川をその名のごとく正しく血を吸ったかのような赤色に染めていた。

 さらに岡山は「晴れの国」と呼ばれており、台風などの自然災害が少なく、日本で一番日照時間の長い地域として有名である。そういった気象条件に加えて、穴海の浅瀬には干潟が多数見られ、これまた日本有数の塩田面積を誇ってもいたのだ。

 現在の土木技術を使えば大型の港を建設することなど造作もないことであるが、当時は建設機械もなにもない。だから、こうした天然の条件に恵まれたところに人が集まるようになるし、往来の拠点にもなったのである。加えて資源が豊富となれば、巨大都市が作られない方が不思議なのであり、吉備が栄えた理由もこうした多数の有利な条件が重なっていたから、と言えよう。

 吉備の大たたら場はそれ自体が巨大な「山城」としての機能も兼ね備えていた。たたら場とそこで生活する民の住居全体に一周約三キロの城壁が張り巡らされていた。中国の万里の長城を思い浮かべて頂くと良いだろう。その城壁の東西南北にそれぞれ一箇所ずつ、合計四箇所の門が設けられていた。勿論「門」であるから、人の出入りは当然可能であるが、通常北門以外の三方向の門は主に見張り台としての役割が強かったようである。特に西門は城壁の中でも一番高い場所に設置されていて、そこから見下ろす眺めは現在でも素晴らしいものがある。いわんやレーダー設備も何もない当時の世の中において、これほど機能的な監視棟は他に例を見ない。

 城壁の中の東門に近接しているところに、多数のたたら場や炭焼窯が固まっており、ここで鉄製品を大量に生産していた。また、北門から入ってすぐ右に曲がった辺りから西門までの800mくらいの間に様々な商店が軒を並べていて、食料品から生活雑貨までちょっとしたものなら何でもそろう市場が形成されていた。その北門から西門に延々と続く商店街の途中から東門に向かう道がある。その道沿いのたたら場までの間に、ここで生活している人たちの住居が並んでいた。そして驚くべきことに、この城壁の中には多数の池と用水溝が完備されていて、それぞれが「工業用水」と「飲料水」とに分けられていたのだ。とにかく、この中は非常に機能的にデザインされており、ここで生活している人々は外に出なくても取り立てて不便ということも感じなかった。

 それどころか、高梁川の綺麗な水と吉備の穀物を原材料とした醸造施設までもが設置されていたため、絶えず美味い酒にありつくことが出来たし、国外からの珍しい産品にも事欠かなかった。勿論、いつでも女を買うことも出来たし、ちょっとした宿泊施設やレストランのようなものもあったので、吉備のコミュニティ・エリアとしての性格も併せ持っていた。楽市楽座のハシリだと考えてもらえば理解しやすいかもしれない。

 ただ、四つの門にはそれぞれ門番が備え付けられており、城壁の中へ入るには許可証の携帯が必須条件となっていた。ではその通行許可証の取得は難しいかと言われれば実はそうでもなかったのである。珍しい産品を持っている旅人は無条件に許可証が交付してもらえたし、地元に住んでいる人でも、既に許可証を持っている者二人からの推薦があれば簡単に通行許可証が配布して貰えた。


 ウラとサンの盛大な結婚式は、来る日も来る日も宴会が延々と催され続けていたが、始まりから一ヶ月余りが過ぎた頃、ようやくこの吉備の大たたら場にも日常の生活が取り戻されていた。そろそろ桜の季節も終わりを告げようかという時期であった。

「あら、今日の門番はミョンバなの?」たたら場の北門で出入りする人々をチェックしていた大男に声を掛けた乙女がいた。サンである。決して大柄ではないが、均整のとれたプロポーションと言っていいだろう。小麦色に日焼けした細くて綺麗な腕が、ノースリーブの着物から頭に向かって伸びていた。見れば頭の上に籠を載せて麓の里からこの北門まで上ってきたらしい。季節は春とは言えまだまだ肌寒いのに、その首筋にはうっすらと汗ばんでいるのが確認出来た。

「サン。その格好はどうした。寒くないのか。」ミョンバと呼ばれた大男がサンに問いかけた。

「阿曽郷に寄ったついでに、黍団子を沢山もらってきちゃった。この籠重くってね。途中で着ていた上着を脱いだって訳。」

 なるほど、籠の上に上着らしきものが乗っかっている。

「そうそう、ミョンバにも黍団子御裾分けね。」と言って、頭の上の籠を下ろしかけると、その籠がグラっと一気に傾いた。「わーっ!」と、次の瞬間には全てこぼし掛けた籠をヒョイと救い挙げるミョンバの前で、サンだけが一人尻餅をついていた。

「イッターい。普通、籠の中身より女の子の心配をしない?」可愛いらしい口を尖らてブツブツ文句を言いながら、汚れたお尻をハタきハタき起き上がってくる。土台ちょっと垂れ気味の目である。少々睨まれたからと言ってもちっとも怖さが伝わってこない。

「ははは・・・。ゴメン。ごめん。」

「ウン、もう。イヤになっちゃうわ。」一人で転んで、一人で怒っているサン。それ貸して、とミョンバの手から籠を引っ手繰ると中から黍団子を一つだけ取り出してミョンバに手渡した。

「本当はもっと沢山あげようと思っていたけど、気が変わっちゃった。ベーだ。」子供みたいに口から舌を出して悪態をついたかと思うと、きびすを返してさっさと商店街の中に消えていった。そのサンの姿を捉えた周りの行商が「サンちゃん」「サン」と声を掛けても本人は知らん振りである。どうやらまだ腹の虫が治まらないらしい。


「どうした、サン。その膝は。血が出ているじゃないか。」家に帰ってきたサンを見るなりウラがそう言って近付いてきた。

「さっき北門のところで転んじゃって。」

「こんな大きな荷物を持っていたのに、よく大怪我しなかったな。」

「それは、この籠をミョンバが咄嗟に持ってくれたから・・・、」

「ああ!」

「どうしたサン。痛むのか。どこだ?」と言って籠をサンの手から奪うように取り上げると、サンの体中をシゲシゲと眺めた。

「違うの。さっき転んだときに私勘違いしちゃって、随分ヒドイことミョンバにしちゃった。ちょっと謝ってこなきゃ。」そう言ってもう一度家を出て行こうとしたサンの細い腕をウラがしっかと捕まえた。ちょっと落ち着いて、と言いながら黍団子の入った籠を床に置いて、

「ミョンバならだいじょうぶだよ。後で俺からもちゃんと言っておいてやる。それよりその足、見せてみて。」

 ウラはサンを椅子の上に座らせると、本人はサンの目の前に跪くような格好になり、おもむろに膝の傷口に唇を寄せてきた。

「ちょ、ちょっと。ウラ。」アワてふためくサン。

「動かないで。こうすると消毒になるし、傷の治りが早いから。」傷口を刺激しないように、ゆっくりと丁寧に時間を掛けて舌で消毒するウラ。すると見る見るうちにサンの顔が真っ赤になってしまった。

「そんなに深い傷にも見えないけど、どうした?気分でも悪い?顔が紅いよ。」もの凄く心配そうにサンを見上げるウラ。急に愛おしくなって思わずウラの首に腕を回して頭を抱きしめてしまった。

「サン?」

「ううん。大丈夫。」

「いつもいつも、心配してくれてありがとうね。」そう言って、今度はサンがウラの唇に口を寄せて軽く触れた。

「そうそう、ウラ。うふふ。」阿曽郷から持ち帰った籠が目の端の視界に入ったサンは微笑みながら、

「阿曽郷で黍団子を沢山もらってきちゃった。今日はもうたたら場に行かなくても大丈夫?」

「うん。さっきも行ってきたけど順調に動いているから大丈夫のはずだよ。」

「そ、じゃあ。黍団子食べながら御茶にしよ。私お腹空いちゃった。」

 ピョンピョン跳ねるように台所に御茶の準備しに行った。サンの声は一般的な女の子の声よりも更に一オクターブくらい高い。それでいてキンキン耳に衝かない、甘い耳ざわりの特徴のある声なのだ。

 ウラは入り口の横に置いてある手瓶てがめの方に歩いていき、中の水で手と顔を洗った。

「ねぇ。ウラとミョンバはとても長い付き合いなんでしょ?」家の奥の台所の方から例のサンの特徴ある声がした。

「ああ。」と頷きながら、ウラは手拭で顔を拭いている。

「ヨチヨチ歩きの頃から、ミョンバは俺の隣にいつもいる。」口元に笑みを浮かべてウラが呟いた。

「えっ?そんなに長いのっ?」

 顔を拭き終えたウラは、その手拭で足も綺麗にして座敷に上がった。奥には囲炉裏が備えてあり、その側でサンが慣れない手つきで御茶を入れていた。囲炉裏の縁に腰を下ろすと、手に持っていた黍団子を五つ、囲炉裏の脇にくべた。サンも湯飲み茶碗を二つ持って、ウラの横に座ってきた。

「ウラは百済の王様の子供なんでしょ?だったらミョンバもそうなの?」何とも言えない上目遣いで聞いてくる。

「いや、それは違う。」囲炉裏にくべた黍団子をひっくり返しながら、

「ミョンバは俺の父親が連れてきた、遊び友達兼兄弟兼警護役みたいなものだ。」

「俺がこの吉備に来なきゃならないことは、それこそ俺が生まれる前から解っていたことだった。だからミョンバを連れてきて俺と一緒に育てたんだと思う。」

「でも、二人って、本当にそっくりよね。背格好も良く似てるし、髪の毛も茶色でさ。肌も私たちと違って随分と赤いし、目だって何だか青いような気もする。」そう言って御茶を一口すすった。

 ほら、と、暖かくなった黍団子をサンに手渡してやるウラ。自分も一つ頬張ると、

「そうだな。こんな風に考えたくなかったけど、俺の身代わりと言うか、影武者にしように思って、父親が選んで連れてきたのかもしれないな。周りにいた大人たちも、大抵俺達のことを本当の兄弟だと勘違いしていたし。」

 ふーん、と両手で湯飲み茶碗を挟むように持ってウラの話を聞いていた。

「百済の周りには、新羅や高句麗といった国があって、諍いに事欠かない日々が続いていたからな。」

「実はわたしも百済の南の方の伽耶の任那に、小さい頃父に連れられて少しの間住んでいたことがあるの。ひょっとしたら、二人はどこかで会ってたかもしれないわね。」嬉しそうにウラを仰ぎ見るサン。

しかし当のウラは寂しそうに真直ぐ囲炉裏を見詰めながら、それはないな、と呟く。

「俺は成人するまで(十二歳になるまで)一歩も家の外に出させてもらえなかったからな。」

「だから、外の情報も含めて色々なことをミョンバに教えてもらっていた。あいつは俺の兄弟以上の存在だ。」

 気が付くとサンが自分の頭をウラの肩に乗せてピッタリと寄り添っていた。

「怒らない聞いてね、ウラ。私、任那に居る時、隣に住んでいるお兄ちゃんといつも一緒に遊んでもらっていたの。」懐かしそうに話をするサン。

「父はいつも仕事でしょ。家には婆やしかいないの。お姉ちゃんは吉備に残っていたから。」囲炉裏の炭がキンキンと音を立てている。

「任那ではふた夏過ごした後、秋の終わりに吉備に帰ることになってね。私はとても嬉しかったんだけど、でもちょっぴり寂しかったこともあるの。だって、そのお兄ちゃんとはお別れじゃない。」

 何も言わず、じっと囲炉裏の中の真っ赤な炭を見詰めてサンの話を聞いているウラ。

「でね。お別れのとき、お兄ちゃんに私の首飾りをあげて、将来私の旦那様になって下さい、ってお願いしたの。そしたらそのお兄ちゃん、『判った、迎えに行くから待ってろ』って。」

そこまで言って、急にハっと我に帰ったサンは、

「誤解しないでね。本当に小さいときの出来事だんだから。」と、言って一生懸命首を横に振っていた。

「それに、何でこんな話をしたかって言うとね。実はそのお兄ちゃんがウラのような気がしたの。もしそうだったら良いな、って。」本当にゴメンね、と今にも泣き出しそうな顔をしてウラを上目遣いに見詰めていた。そんなサンの頭をウラは優しく撫でてやりながら、

「そんなこと気にしないよ。だって、サンはここに居るじゃないか。」

「ほら、お腹空いてたんだろ?焦げてしまうから、黍団子しっかり食べて。」と、サンの口に団子を持っていってやった。

 と、その時である。

 家の入り口の方から、御頭おかしら、と大きな声でウラを呼ぶ声が聞こえた。どうやらデジュの声のようだ。

「どうした!デジュか。」と、言うが早いか、ウラが玄関の方に飛んでいった。

「たたら場が大変なんです。」ここまで大急ぎで走ってきたんだろう。デジュと呼ばれた男は息を切らせながら状況を手短にウラに説明した。

「解った、すぐに俺も行くから、デジュは北門に居るミョンバを呼びに行ってこい。」

 言われたデジュは直ぐに駆け出した。サンも玄関まで出てきていた。手にはさっきまでウラが飲んでいた御茶と黍団子が一つ。それらをウラに黙って差し出した。

「うん。ありがとう。」そう言って一気に御茶を流し込むと、団子を頬張りながら、

「サン、ちょっと行ってくる。」と、たたら場の方に一目散に走って行った。

 サンも玄関から身を乗り出すような格好で、

「気をつけてね!」と、ウラの後姿に向かって叫んでいた。

 気が付くと、辺りは随分と日が傾きかけていた。、たたら場に向かう一本道の真ん中にそびえる松の木が、西陽を浴びて道に長々と影を落としていた。


 たたら場とは、今で言うところの溶鉱炉である。その内部温度は千五百℃にも達する、極めて危険で過酷な作業場だ。

 炉自体は煉瓦で組み上げられていた。側部のわりと下の方に穴が設けられており、フイゴを使ってそこから酸素を送り込む。熱源には木炭を使うが、この木炭も城壁内で自製しているのだ。何故かと言うと、この木炭の品質如何によっては、炉の内部温度に格段の開きが出るためである。

 原料である砂鉄は、上部より炭と交互に炉に入れられる。

 では、炉の中で何が起きているか、というと、こうである。

 フイゴにより炉の中に送り込まれた酸素は木炭の炭素と結び付いて一酸化炭素となる。炉内を上昇していくその一酸化炭素は、上部より入れられた砂鉄(酸化鉄)と遭遇し、酸化鉄の酸素の結合が外れ一酸化炭素と結び付くことで二酸化炭素となって上部より排気される。結合の外れた鉄分子は、鉄同士で固まり、重くなった鉄が炉の底部でケラと呼ばれるインゴットとなる。

 実際の鉄製の道具等を作るときには、このインゴットを精錬したり、鋳型にはめたりして使う。要するに、製品の良し悪しは、全てこのインゴットの出来に掛かっている、と言っても過言ではない。そしてそのインゴットの品質を決定するのが、砂鉄の品質と、そのブレンドの仕方、そして何より重要なのが、炉の設計と運用という技術力なのである。

 また、運用の方法を一つでも間違えると大きな事故を起こしかねない。炉の内部の乾燥状態が悪いと水蒸気爆発を起こして炉全体が吹き飛ぶこともあるし、換気が悪いとガス中毒を起こす原因ともなる。それに炉に一旦火が入ったら内部の温度は千五百℃に達する。煉瓦で外部と遮断されているとは言え、火傷は付き物である。炉の中の火の色を看て状態を判断する仕込み師と呼ばれる熟練者などは、長年の熱風と電磁波による影響で顔が醜く爛れていた。

 フイゴは炉の大きさによって様々なタイプに分けられるが、吉備の炉は非常に大きいので、フイゴも足踏み式となっている。そして一旦炉に火が入ったら、このフイゴを三日三晩踏み続けなければならない。非常に過酷な肉体労働なのである。 

 通常この炉を露天で運用することはない。建物で囲ってやるのだが、屋根の頂部に通風孔を設けてやらなければならない。何故かと言うと、建物内部に有毒ガスや一酸化炭素が充満して怪我人が出るからだ。

 では、逆に建物頂部の通風孔から雨や雪が吹き込んできて、炉にも悪影響を及ぼすのではないか、と思いがちであるが、炉に火が入ってしまえばそこから強力な上昇気流が沸き起こるので、建物の外から簡単に雨などは浸入出来ないのである。実に理に適った構造と言える。

 その土壁と丸太で出来た炉を囲う建物の入り口にウラが飛び込んできた。建物内部が煙で充満している。咄嗟に鼻と口に手を遣る。目もチカチカしてきた。拙いガスが充満している。一旦、入り口から体半分外に出て、建物内の下方に視線を移すと、作業していた者二人が横たわっているのが見えた。非常に危険な状態である。急がなければ命にも関わる。

 ウラはその場で中腰になり、建物の天井に設けられている通風孔に目を遣った。すると、本来開いていなければならない筈の天井扉が何故か閉まっていたのだ。建物全体が妙に暗いと感じたのもそのせいだった。

「バカヤロー!天井の通風孔が閉まっているじゃねーか。」

 そこへ、デジュから通報を受けたミョンバが駆けつけてきた。

「ウラ。西から屋根に上って通風孔を空けてくれ。俺はフイゴを使って中の空気を外へ出す。」

 分かった、と言って、建物の裏へ回っていくウラ。

「誰か手を貸せ。中のフイゴを持って出るぞ。」と、ミョンバが大声を上げると、辺りで事態を見守っていた作業員たちの中から五人の屈強な男達が名乗り出た。

「善し。いいか、中に入る前に大きく息を吸い込んでおけ。中で絶対に息をしちゃいけない。」それを聞く男達は大きく頷く。テキパキと指示を続けて出すミョンバ。

「お前はフイゴを留めてある金具を外せ。外れたら合図を送れ。そして、その合図で一気にフイゴを外に運び出す。いいな!」

 ガガガ・・・と音がして、天井の通風孔が空いた。「ミョンバ、良いそ。」とウラの声が聞こえた。

「善し!それでは息を吸い込め。入るぞ!」その号令で皆が大きく息を吸い込み、ミョンバの手の合図で一斉に建物の中に入っていった。

 ウラが通風孔を空けたとは言え、内部に煙が充満していて十分視界も取れない。フイゴのあるところまで何とか辿り付いて、ミョンバは先ほど命令した男の肩を叩いて合図した。フイゴの横では煙にまかれた男が二人気を失って倒れている。口から泡を噴いている。危険な状態であることは一目瞭然であった。

 その時、先ほど天井に上っていたウラが物凄い勢いで入り口から駆け込んできた。そして床に倒れている二人を両脇に抱えると、足早に入り口の方に向かって出て行った。

 程無くしてフイゴの留め金が外れた。ミョンバは仲間達に目で合図を送ると、一気にその巨大なフイゴを建物の入り口まで皆で引っ張り出す。炉から入り口まで、普段であれば気にもしない距離であるが、今日ばかりはとても長く感じられた。おまけにガスで目までやられてくる。

「ぶはっ!」一人の男が、堪らりかねて止めていた息を漏らしてしゃがみ込んだ。外からその様子を見ていた仲間達の中から二人が、しゃがみ込んだ男の方に走ってやってきて、一人が抱えて外に連れ出し、一人が替わりにフイゴを引っ張った。

 作業を始めて五分以上経って、ようやくフイゴが建物の外に引っ張り出された。と同時にそれを引っ張ってきたミョンバたちも地面に大きく倒れ込んだ。

「大丈夫か!」とミョンバを抱き抱えるウラ。

「ああ。何ともない。それより早くガスを出してしまわないと、炉が死んでしまう。」

「分かった。」と言ってフイゴの方を向き直り、

「よーし、みんなでフイゴを踏んで、中のガスを押し出してしまうんだ!」

おおー!と、数十人の男たちが手分けしてフイゴを踏み始めた。フイゴから吐き出される空気の力で、みるみる建物の中の煙が色を薄めていった。そして一時間が経った頃、ようやく事態は収束に向かっていた。建物の中の空気も入れ替わり、先ほど気を失っていた二人もどうやら意識が戻ったようだった。

 ウラは男達に手分けして炉の内部を調べさせた。幸いなことに、火は完全に落ちてはいなかった。もう一度おこせるかもしれない。

「良いか、吉備大たたら場の名にかけて、一気に組み上げるぞ!」

 ウラが号令を掛けると、そこにいた五十人ばかりの男達が一斉に雄たけびを上げた。

うおおぉー!

 手馴れたものである。これだけの大人数だと言うのに、誰が誰に指図していると言うものでもなく、しかも一糸乱れもせずにただヒタスラに炉が復旧されていった。その間僅か二時間。巨大な炉が再びゴウゴウと音を立てて動き出したのだ。

「ふぅ~、ここまでくれば心配ないな。」ようやくミョンバが口を開いた。まだ少し咽んでいるようだった。

「ミョンバ、大丈夫か?帰って少し安め。」ウラがミョンバの背中を摩りながらしゃべりかけた。

「馬鹿ヤロー。お前こそ昨日から一睡もしてないだろ。サンも家で心配しているだろうし、ここは俺に任せて、さっ、帰った帰った。」と、逆にミョンバに背中を押される格好になってしまった。

 少し後ろ髪曳かれる思いがしないでもなかったが、寝ていなかったのも事実である。腹の古傷を掻いていて懐に忍ばせていた黍団子の存在に気が付いたウラは、それを懐から取り出してミョンバに与えた。

「お?阿曽郷のだな?さっきもサンに一つもらった。」

「ああ。サンがお前に礼を言っておいてくれ、だと。」

 気にするな、と言って、煤けた真っ黒な顔のミョンバが、口いっぱいに団子を頬張った。

「それじゃあ、後は頼んだぞ。」そう言ってウラはたたら場を後にした。建物の屋根から火花を含んだ熱気が勢い良く空に舞い上がっていた。鉄の焼ける独特の匂いが漂っている。

 吉備の東の空には、いつの間にか満月が浮かんできていた。

 夜の四十万にたたら場の音だけがこだまする。

 ごーーー、ごーーーー。

「サーン、帰ったぞ。」

「お帰り~。大丈夫だった?」

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