吉備の王 二
§ 二 §
時を遡って前の年の十月。
ここ奈良のミマキ(崇神)の居城で大事な会議が執り行われようとしていた。会議に参加していたのは、ミマキとオオヒコ(大比古命・オオヒコノミコト)、タケヌナ(武沼河別命・タケヌナカワワケノミコト)、タニハニ(丹波道主命・タニハニミチヌシノミコト)ら将軍と呼ばれる面々と、ミマキの横に魏の駐留軍の軍団長であるササモリ(楽々森彦命・ササモリヒコノミコト)がひかえていた。
「イサセリ(彦五十狭芹彦命・ヒコイサセリヒコノミコト)はまだ来ぬか。アヤツはどこで何をしておる。今日が大事な評定の日だというのは何日も前から伝えてあったろうに。」イライラと貧乏ゆすりを繰り返しながら上座に佇むミマキ。恐れながら兄じゃ、と声を発したのはこのメンバーの中で一番の年長者であるタニハニであった。彼は開化天皇の嫡男でもある。ミマキの近縁にあたるのだ。
「若(イサセリのこと。彼はミマキの嫡男。)は、来る日も来る日も野山を駆け回って狩をするのが忙しいようです。とても戦の勉強をしておいでとも思えません。ここは若抜きで評定を始められたがよろしいかと存じます。」
うーん。と言ってアゴの髭を撫でながら考え込むミマキ。そうじゃの。仕方が無い。始めるか。と、言って集まった皆の前に彼が地図を広げようとしたその瞬間。部屋の外から首がドサっと二体投げ込まれた。咄嗟に軍団長のササモリがミマキの身を庇うように立ち上がり、何事か、と声を発して剣を鞘から抜きかけた。
「オヤジ。今日の獲物はちと大物だったぞ。」と言って、埃まみれのイサセリが会議をしている部屋に入ってきた。小柄ながら全身に気が満ち溢れている。その眼は全ての事象をも見逃すまいという勢いを感じさせるほどに鋭い光を放っている。しかしナリは酷いもので、そのいでたちはとても正装とは言いがたく、どう贔屓目に見てもトレッキング支度以上のものではない。それに泥の付いたまま上がってきたのであろう、彼の歩いた足跡が廊下に点々と連なっている。無神経にも程があろうと言うものである。
「お前は一体、今まで何をしていた。というかこれはどういう事か。説明せい。」
一向に悪びれる様子も見せず、ミマキの前に並ぶ将軍たちの前を挨拶もせずに通り過ぎ、ミマキの右隣にドッカと腰を下ろして口を開けた。「おう。ワカタケ。説明してやってくれや。」当の本人は面倒臭そうに頭など掻いている。すると、ワカタケ(稚武彦命・ワカタケヒコノミコト・イサセリの異母弟)と呼ばれた赤毛で背高の若者が部屋の戸口の陰から畏まった姿勢のまま部屋の中に入ってきた。イサセリ同様、大急ぎで「現場」から駆け付けてきたであろうことは容易にそのナリから判断出来たが、少なくとも衣服の前を肌蹴ていたり、顔や手足も洗っていない、ということはなさそうである。最低限の礼だけは保とうと努力した跡は認められた。タイプこそイサエリと違うが、一目で聡明だと解る顔立ちをした凛々しい若者である。彼の俟とう雰囲気も随分と優しい。
「はっ。それでは私から説明させて頂きます。兄じゃと私はかねてより父上の覇業に快しと思っていないものを洗っておりました。特に身内を中心に密偵を放って嗅がせておりましたところ、この武埴安彦とその妻の吾田姫に謀反の疑いがある、という情報を得ました。兄じゃと二人、これ等を取り押さえ拷問に掛けましたところあっさりと白状した故、首を刎ねこうして持ち帰ってきたような次第でございます。」
それを聞いたミマキが、目の前に転がった首の一つを持ち上げて顔を確かめながら
「何、ヤスビコが謀反とな。予はあれほど信頼しておったものを。」と言って肩を震わせた。オオキミ、御身が穢れます。と言ってその首をササモリが片付けようとしたら、
「ササモリ。そやつ等は見せしめじゃ。広場に四十九日晒しておけ。」と、眼を吊り上げてミマキが命令した。観れば顔を真っ赤にして激昂している。取り囲む一堂も顔の色を失わせている中でイサセリ一人すました表情で、オヤジ、そうカッカすんなって、と始めた。
「我等これから地方に散って諸国を平定してこにゃならん。空になったオヤジの周りに憂いがあってはいかん、と思うての、オレ等二人して先に露払いしといた。ただ、それだけのことよ。」と、何事もなかったかのように言いながら、目の前に転がっている吾田姫の首を抱きかかえ、その頬を掌でペシペシと叩いていた。「ええ器量の女子じゃったものを。おしいことよの。」と言って、その首もササモリの方に向かって放り投げた。間一髪のところでその首を受け止めたササモリは、部下を呼んでそれら二つの首を片付けさせた。また、床にベットリと付いた血の痕も一緒に掃除させた。血の中ににヒトの油が混じっていて、中々綺麗にふき取ることが難しかったが、そうこうしている内に、ミマキもようなく落ち着きを取り戻したようだった。部屋の上座にきちんと座り直すと咳払いを一つしてから始めた。
「イサセリ。それからワカタケも。大儀であった。」
ははっ。と部屋の隅の方で深々とお辞儀をするワカタケ。イサセリの方は相変わらず飄々とした表情のままである。ミマキも話を続ける。
「さて、貴公らには各地に出向いてその地方地方の豪族を平定してきてもらわねばならぬ。手段は貴公らに任す。しかし、必ず予に対する恭順の姿勢の証を持ち帰って来い。よいな。」これ以上、ゆっくりは言えないであろうと思われるくらい一言一言丁寧に言葉を発する。
と、急にメリハリを付けて「タニハニ!」と叫んだ。「はっ。」とタニハニ。
「貴公には丹波路方面指令長官を任ず。秦一族と開化の顔を潰すなよ。」
「はっ。確かに承りました。」と言って一礼した。
「すぐに、出立準備にかかれ。今後、予にことわりは要らぬ。貴公の判断で準備出来次第出立せい。」
ははっ。と言うか早いか、タニハニは立ち上がって部屋を立ち去った。タニハニは、ミマキ以前に奈良一帯を統治していた秦一族の長、開化の嫡男であり、ミマキとは義兄弟の関係にあった。それ故ミマキ政権の中での秦一族の地位の保全の為にも今回の出征は絶対に失敗は許されない。不断の決意の表情が誰から見ても明らかであった。
「オオヒコよ。」と、今度はミマキの左前方で畏まっている男を呼んだ。
「貴公、確か蝦夷一族と交流があったな。」
「おおせの通り、我が側女の中に蝦夷のものがおりますれば。」
「よし。貴公には、北陸道方面指令長官を任せる。よいな。」
すると、オオヒコも一礼してすぐに部屋を後にした。どちらかと言えばワカタケにも似た優雅さを身に付けた武将である。オオヒコの知略ぶりはつとに有名で、彼が戦線に立つと必ず敵が無条件降伏してくる、という一種の神話染みたものまで聞こえてきていた。
「さて、タケヌナ。貴公は確か騎馬部隊を操るのが得意であったな。」
名前を呼ばれたタケヌナは深々とお辞儀をしたまま、そうであります、と答えた。
「ふむ。貴公には東方十二道指令長官に就いてもらう。大任であるが、貴公に適うか。」
「オオキミ、御心配には及びません。このタケヌナ。命に替えてもお役目を全うして御覧にいれましょう。」槍の名手としての名を欲しい侭にしていたタケヌナである。戦闘能力は折り紙付きだ。その表情には自信に満ち溢れていた。
「よかろう。では貴公もすぐに出立準備をな。」
はは~、と額を床に擦り付けんばかりにお辞儀をしてタケヌナも部屋を出た。残るはイサセリ只一人である。
「さてさて、イサセリよ。」
呼ばれたイサセリはミマキの前に地図を広げ、瀬戸内海の中ほどの地域を指差してこう言った。
「オレが平らげてくるのはここだな、オヤジ。」
「ほう。どうしてそうだと言えるのだ。」
「実はよ。ちっとササモリに無理を言って、トメタマ(留玉臣命・トメタマオミノミコト)の部隊を拝借して西方を調べさせた。」
何?という顔でミマキがササモリの顔を見た。申し訳なさそうに下を向いているササモリ。
「いやいや、ササモリは悪くねぇ。」とイサセリ。
「ま、そんなことはどうでもいいや。それよりオヤジ。吉備と出雲はヤバイぜ。あの二つの国が合体したら、我等が束になっても勝てねぇと思うぜ。」
そのイサセリの言葉を聞き、慌ててササモリが身を乗り出すように口を開いた。
「まさか若。そこまでのことはございますまい。出雲はともかくとして、吉備など高々塩の生産で少しばかり人が集まっているだけと聞いておりますが、」
「やつ等にも実は百済が付いている。」と、イサセリがササモリの言葉を遮った。「トメタマの話じゃ、やつ等も剣を振るうし、軍馬もある。おまけにかなりの規模の戦城も持っていると言うことだ。蝦夷の田舎モノを蹴散らすのとは訳が違う。それに―。」一度口ごもったが意を決したように続けた。
「吉備もたたら場を持っているということぞ。」
「何?すると剣や武器を自分たちでいくらでも生産出来るとそちは申すか。」慌てた様子でミマキがイサセリに被せた。「倭やこの奈良にも存在しないたたら場が、我等とて魏から輸入するしか手立ての無かった剣を、」首を振りながら信じられないというような面持ちのミマキである。一転してその顔面は蒼白に変わっていた。
「やつ等は自ら、しかもいくらでも生産出来る、と、そちは申すのじゃな?」
「ま、そいういうこった。」
今や、ミマキの額は脂汗によって鈍い光を放っていた。またもや貧乏ゆすりが出始める。
「で、そ・・・そちには何か策はあるのか?」言葉も上擦ってきた。
ワカタケ!と、イサセリが呼んだ。
「はい。策はございます。」と、ワカタケが続ける。
「早う申せ!」もうミマキは気が気ではない。
「はい。若も先ほど申し上げましたが、吉備と出雲ががっちりと手を組んでしまいましたら、我等とてなかなか攻めることが難しくなります。が、幸い両者とも現在のところ強固な同盟関係ではないようなのです。各個撃破なら苦戦必至と言えども戦い方が無い訳ではありません。」
「先ず吉備を落とす。」とワカタケの言葉にすぐにイサセリが続けた。
「出雲に先に向かったとして、そこを吉備と加耶から挟撃されたら適わんからな。」と言いながら、口から舌をペロっと出した。が、次の言葉を交わす前にはその姿勢を正し、厳しい顔つきに変わっていた。
「いいか、オヤジ。今度の戦は絶対に負けられねぇ。だが、出雲や吉備のように全国にはどんな敵が待ち受けているか、実は我等も図り知れんところがある。違うか。」
深く頷くしかないミマキである。
「オヤジの手元には千五百の兵だけを残して、後は全部持っていく。いいな。」
もう、頷き続けるしか方法のないのである。
「ササモリの軍隊も4つに分ける。そしてそれらを各方面軍に付けてやってくれ。そうでもしておかないと、タニハニ叔父だとて楽勝とはいかんぞ。」
解った。ソチの言う通りにしよう、とミマキ。
「ササモリ。聞いた通りじゃ。すぐに軍団を4つに分けて、それぞれの方面軍と合流させてやってくれ。それから、貴公はトメタマ、イヌカイ(犬飼武命・イヌカイタケルノミコト)らと共にイサセリに加勢するように。」その言葉を受けて、御意に、と頭を垂れる。
「イサセリよ。倭と予の夢。ヤマトの未来がソチの双肩に掛かっておる。頼んだぞ。」
解ってるよ。と、言いながらイサセリは既に腰をあげていた。
「ワカタケ、ササモリ、来い。行くぞ。出立準備だ。」と、言って部屋を入り口の方に向かって歩き出す。
「そうだオヤジ。」振り向きもせず、戸口で立ち止まってミマキに話し掛ける。「吉備な、」
「見事落としたらオレにくれ。」
それだけ言うと、高笑いしながら部屋を出て行った。ワカタケとササモリもミマキに一礼してイサセリの後を追う。
走り出してしまったとは言え、その途方もないことの結末をミマキ(崇神)も勿論掴みきれずにいた。出雲にたたら場があることはミマキも承知していていたが、まさか吉備にまで存在しようとは夢にも思っていなかったのである。
「この剣が、吉備でも本当に量産出来ると言うのか。」と、自らの天叢雲剣を見詰めながら呟いていた。それ程にショッッキングな出来事であったのだ。
現在の日本でも、大概の軍事兵器はアメリカからの輸入に頼っている。戦闘機一つ、ミサイル一発とて、日本で一から全部生産する技術はない。我々は毎年巨大な軍事予算を投じてそれらを賄っている訳だが、あくまで生産はアチラ任せである。自分たちの都合は二の次というのが実情である。
では、お隣の韓国はどうであろうか。或いは北朝鮮は。
程度の差こをあれ、我が日本と同様の状況である。彼等とて全ての兵器を自分達だけで賄いきれる技術は持ち合わせてはいない。
いや、いないと、我々日本人は信じているが、実は北朝鮮に最新鋭のF35戦闘機を生産する技術があったとしたらどうであろうか。地対空ミサイルも空対空ミサイルもいくらでも生産出来る体制が整っている、としたらどうであろうか。恐らく我々はパニックに陥る筈である。少なくとも防衛省は緊急非常事態体制を敷かなければならなくなるだろう。ミマキがイサセリから聞いた情報というのは、それくらいのインパクトを持っていたのだ。
例えば、今の日本にはF35戦闘機は一機も実戦配備されていないのに、北朝鮮には既に100機配備され、しかもどんどん量産出来る状況にあるとしたらどうか、果たしてそんな隣国に戦争を挑んで勝てる見込みなどあるのであろうか。そんな風にイメージしてみてもらいたい。ミマキのこのときの気持ちが少しは理解してもらえると思うのだ。本当にこれで良かったのか、という後悔にも似た感情がミマキの脳裏を支配していた。
しかし、既にサイは投げられたのだ。もう後には引けない。
中国の魏のような中央集権国家つくりを漠然と思い浮かべていた筈である。それが日本列島で完成されれば、次に成立してくる中国の帝国と対等に付き合うことが出来る、そういったスケベ心もあったであろう。しかし、ミマキの目の前の現実は、それが如何に苦難の道であるかを暗示していた。
ミマキの貧乏ゆすりは、いつしか武者震いへと変わっていた。
―それは、奈良の晩秋の出来事であった。