04 「――――」
情けない、とはわかっていた。
近頃、陽介はわざと隙を作っていた。実里が話しかけやすいように、実里が近づいてきやすいように。そばに座り、テレビの音量を小さくして、だけども突っ込みがいのありそうなバラエティにチャンネルを合わせている。実里がつい「こんなんありえると思う?」と、笑いながら振り向けるような。
なのに実里は、陽介に話しかけるどころか、自ら近づくことさえ稀であった。
今だって、保育園の連絡帳を悠大と二人で見ている。悠大もそろそろ卒園になる。担任の保育士からの言葉に一喜一憂し、出席ノートに貼られたシールの模様で盛り上がる。悠大にとろける笑みを向け、頭を撫で、頬を突っつけ、膝に乗せていた。
最近実里は食器を洗ってすぐに帰らなくなった。それはひとえに、陽介が「送るよ」と声をかけるまでに時間を設けたからだ。陽介と実里の接触時間は、毎日会っているというのにとてつもなく少ない。
それを不満に思っていたわけではないが、せっかく毎日陽介のために来てくれている実里に対し、余りにも冷たい仕打ちだったのではないかと陽介は思ったのだ。だからこそ、食器を洗い終え、居心地悪そうに陽介を見つめる実里の視線を笑顔で封じて、同じソファに座っている。
陽介の隣では、実里と悠大が二人の世界に入り込んでいた。いつもの光景だというのに、テレビに集中できない。こんな風に気持ちを持て余すのなら、さっさと送り届けて宿題なり携帯なり、と思うのに。どうしても「送るよ」の一言を先延ばしにしたくて、限界ギリギリまで陽介は沈黙してしまうのだ。話しかけたら、「送るよ」と言わなくてはいけない気がして。
ねぇ、好きなんじゃないの?
顔を合わせた時に視線で問いかけても、実里は戸惑った笑みを浮かべるばかりだ。陽介に媚を売ることも、しなを作ることも、何もしない。覗かせた白い肌だって、偶然の産物に過ぎない。実里が望んで、陽介のおかずの一品として差し出したわけじゃない。
なにも言わないのは、興味がないから? それとも、自己完結? それでおしまい? こんなに毎日努力してくれてるのに、見返りを求めることすら簡単に諦められるくらいの、そんなものなの?
実里がどれだけ頑張ってくれているか。陽介はよくわかっていた。
実里は陽介と違い、特進クラスだ。勉強量は比較できないほどだろう。疲れた体で、それに毎晩取り掛かるのだ。半年近くそんなペースで頑張っている。それに報える言葉を、陽介は知っていると思っていた。励ます言葉を持っていると思っていた。しかし、実里と接すれば接するほど、陽介はそれに自信を無くしていく。
ねぇ、あんたにとって俺って、どれだけ価値がある?
実里が今この場にいるのは、陽介のためだろう。しかし今はそれが、悠大や母のためにもなっていることを、陽介は十二分にわかっていた。
日に日に積もる苛立ちをうまく解消できない。陽介は、自分の感情を表に出すことを厭った。泣いて叫んだところで、どうにもならないことがあることを、中学を卒業する時に知ったからだ。
「みぃ、送る」
「あ、もうそんな時間か。ありがとう」
実里は連絡帳にサインをすると、悠大の保育園バッグに詰め込んだ。明日の登園の準備は済ませてある。帰りがけに玄関のフックにバッグをかける。
「みぃちゃんバイバイ、また明日ね」
「うん悠ちゃん。また明日。保育園、がんばってね」
バイバイ、と手を振る実里に、悠大も目をこすりながら手を振った。
「ベッド行ってな。すぐ行くから」
「ふぁあい」
欠伸交じりに悠大が陽介の言葉に返事をした。玄関ドアをぱたんと閉めると、陽介は息を吐きだした。初春の夜はまだ寒く、息は簡単に白く染まった。
「みぃ」
「ん?」
実里は、「みぃ」という呼びかけに気付いているのかいないのか、その事に一度も触れたことは無かった。
「悠大の卒園式、出るんだって?」
実里は「うん」と頷いた。
「聞いてると思うけど……おばちゃん、入学式に出てあげたいから、卒園式は行けそうにないって」
「子供の卒園式ぐらい都合つけられんのかねぇ」
「辻浦君?」
実里の言葉に、陽介が感情を揺すられた。
「ろくに育てもしないなら、作んなきゃよかったんだよ」
金払えばいいってもんじゃないでしょ。そう続けそうになった言葉を、陽介は何とか飲み込んだ。実里はじっと、陽介を見つめている。
「みぃも、こんな兄弟押し付けられていい迷惑だよな。本当はもう来たくないって思ってんじゃないの」
こんな労りのない言葉を向けたいわけじゃなかった。こんな彼女を中傷する言葉を向けるつもりじゃなかった。なのに溜まった鬱憤が、まるで膿のようにどろどろと溶けだしていく。
「だいたい、17になろうって女が、彼氏の一人も作らずに毎日毎日おさんどんって――」
「辻浦君。ごめんなさい、は?」
白い息よりももっと冷たい視線に耐えれず、陽介は目を逸らした。
「ごめんなさい、は?」
実里は目を逸らす陽介を許さなかった。
「……ごめん」
陽介は胸に渦巻く鬱憤と共に、謝罪を口から吐き出した。
「こんなこと、言うつもりじゃ――」
「うん」
「ほんと、ごめん。いつも、感謝してる……」
「わかってる。大丈夫。ちゃんとわかってるよ。なんかやなことでもあったの? おばちゃんと喧嘩した?」
苦笑した実里は、マンションのフェンスに寄りかかった。実里が、陽介と時間を設けてくれたことに気付き、ほんの少しだけ陽介が口角を上げる。
少しおどおどしたところはあるが、実里は別に陽介に怯えているわけではない。遠慮はしているが、委縮はしていない。実里にとって陽介はずっと、大事な幼馴染であるからだ。
「みぃが悠大とばっかり遊んで、かまってくれないからかな」
「そっかごめんね、これからはお兄ちゃんの好きなものも作ろうね」
冗談と思われたのか、実里は笑って言葉を流した。にこりと微笑んだままの陽介が落ち込んでいることに気付いたのか、珍しく実里から陽介に近づく。背伸びをして、よしよし、と悠大にするように頭を撫でる。
「卒園式、俺も行くよ」
「当然」
お兄ちゃんとお姉ちゃんで、一緒に行ってあげよう。笑う実里に、陽介も笑みを返した。
情けないと、わかっている。
髪をくすぐるそんな小さな温もりが、何故か。
***
悠大の卒園式、入学式が無事に終わった。
春の桜は盛りを終え、青々しい緑へと姿を変えてゆく。黒いランドセルが悠大に馴染むのは、まだまだ先のことに思えた。
悠大が小学校に入学したが、実里の毎日はそう大して変化しなかった。
悠大の通う小学校は、一年生はしばらくの間半ドンだった。昼の授業が終わり、給食を食べると2時前には学校を出される。流石にその時間に迎えに行くことは、実里でも難しかったので学童に預かってもらっていた。
実里が学童へ迎えに行き、手を繋いでマンションまで帰る。帰ったらお風呂に入れ、ご飯を食べて、一緒に宿題をする。こんな日が、穏やかに過ぎていった。
「ただいまー」
「お兄ちゃんおかえり!」
「ただいま」
悠大は小学校に入ってから少し心の成長もあったのか、陽介に飛びつくことが少なくなった。陽介は少し大きくなった悠大の頭を撫でながら、部活のバッグを玄関の棚に置く。
「おかえり」
「ただいま」
陽介がブレザーを脱いでネクタイを緩める。受け取ることは、あまりにもおままごとのように感じて実里には出来なかった。
「悠大、今何時?」
陽介が几帳面にハンガーにかけながら悠大に問うた。
「えっと……7時、20分!」
「ぶー、正解は、7時40分」
あーあ、と唇を尖らせながらも、悠大は陽介のあとをついて回る。
「あったかくなったし、水浴びする?」
「する!」
わーい! 廊下でパジャマを脱ごうとする悠大を陽介と実里が笑った。
「え?」
「お兄ちゃんと僕からのね、プレゼント」
はいどーぞ、と差し出された二本のカーネーションを、実里はまじまじと見つめた。
風呂上り、いつもはリビングに直接来る陽介が一度玄関に戻った。忘れものだろうかとダイニングテーブルに料理を並べていると、悠大も廊下に出た。
トイレはさっき行ってたけどな、と陽介のために風呂上がりの牛乳を用意している時に、実里は後ろから声をかけられたのだ。
「プレゼント、って。あれ?」
誕生日はまだ先だし、こんなにあたたかいクリスマスは日本では味わえないだろう。困惑する実里に、悠大が歯の抜けた顔で笑う。
「母の日のプレゼントだよ!」
母の日、その言葉に驚いて実里が目を見開く。そう言われてみれば、今週の日曜日は確か母の日である。
「テレビでね、やってたんだ。母の日ってね、旦那さんが奥さんに渡してもいいんだって。だから、お兄ちゃんに買ってきてもらったんだ」
母にしろ奥さんにしろ、実里にとっては驚きの展開である。
「……ありがとう」
実里はしゃがみ、目線を合わせると恭しくカーネーションを受け取る。カーネーションは綺麗なピンク色だった。
滲みそうな涙を堪えて、実里は悠大の後ろに立つ人物を仰ぎ見た。
「辻浦君も、ありがとう」
「こちらこそ、いつもありがとう」
優しい笑顔を浮かべて何でもないというように応える陽介に、実里は唇を震わせた。
彼が、どんな顔をして花屋へ入り、どんな言葉でカーネーションを包んでもらったのか。
「みぃ、ご飯ちょうだい」
「お上がりください」
すん、と鼻を鳴らした実里は、ダイニングチェアを陽介のために引いた。
***
夏が近づいてくる気配を実里は敏感に感じていた。
夜の空気、虫の鳴き声、蛙の合唱。道路は梅雨の匂いから、夏の匂いへと移ろうとしていた。
「みぃ」
陽介に呼ばれて、実里は振り返った。いつからだろう、陽介は実里を、昔のように「みぃ」と呼ぶようになっていた。あまりにも自然に呼ばれ始めたため、聞き返す暇もなかった。実里は相変わらず、「陽ちゃん」と呼べないままでいる。それが、二人の意識の違いなのだろうと実里は気づいていた。
「どうかした?」
おかずのどれかが口に合わなかっただろうかと実里は不安になって陽介を見た。最初の内は丼物が多かったが、最近ではおかずの作り置きなども覚え、テーブルの上に常時三品は並ぶようになっていた。
今日はきゅうりと長芋のピクルス、ピーマンとベーコンの甘辛炒め、鮭のホイル焼きだ。
「おかわりちょうだい」
陽介が皿を突き出した。入っていたのは、ピーマンとベーコンの炒め物だ。ピーマンはよく炒めて甘さを出していたため、悠大ももりもりと食べることができた。
「しょ、承知した」
「母さんの残してるんだよね、少しでいいよ」
「う、うん」
なんとか頷くことが出来た実里は陽介から皿を受け取った。立ち上がり、フライパンへと走っていく。後ろから、悠大がテレビを見て笑ってる声が聞こえた。
――その内美味い飯作ってね。おかわりするから。
フライパンからピーマンを菜箸で取り出す。小皿に盛りつけている最中に、ポロリと実里の眼から涙がこぼれた。指先が震えて、上手くピーマンがよそえない。
「自分で入れるわ。どのぐらい取っていいの? これぐらい?」
うん、と言えずに実里は小さく頷いた。背後から菜箸に手を伸ばしてきた陽介が、思ったよりも近くにいた。実里は手を菜箸から離すことも出来ずにいる。小さな実里の白い手が、大きな豆だらけの手で包まれる。
「ありがと」
耳に囁かれ、実里は崩れ落ちそうになる膝に力を入れた。
「こっちこそ、ありがとう」
真っ赤になった実里の顔を見て、陽介が柔らかく微笑む。この顔が、多くなったなと実里は思った。この家に来てすぐは、全然見せてくれなかった陽介の優しい笑顔。
陽介がダイニングチェアに再び座ったことを気配で感じ取ると、実里は大きく息を吐きだした。
夏が来る。
実里は上を向いて、目を瞑った。
それから陽介は、毎日おかずをおかわりするようになった。必然的に作る量が増える。実里はそれが、全く苦にならなかった。
何を食べたいだろう、何が喜ぶだろう、どうすれば野菜も食べられるだろ。実里は勉強以外に趣味と言うようなものがなかったので、献立を考える時間も楽しかった。
好みのものを作れば、食べる前から嬉しそうな気配を感じる。風呂を手早く済ませ、温め直しの途中である実里のそばにススイと陽介が近づいてくることも多かった。
言葉にして伝えられることも増えてきた。実里は、少しでも役に立てばと軽い気持ちでやり始めたおさんどん見習いに、やりがいを感じるようになっていた。
そろそろ期末テストである。実里は範囲表をマーカーでなぞりながら、ため息を吐きだす。
「みのりん、最近ため息増えたねぇ」
友人である佐保子に声をかけられ、実里は顔を上げた。したり顔な佐保子に、反論も出来ず目を泳がせる。
「なになに、恋のお話?」
「え、いや、いやぁはっはっは……」
これでは、「そうです」と告げているようなものだとわかっていたが、実里は美味く返事が出来ずにまごつく。
「え! ほんとに? そんなこと興味ありませーんって顔して」
「どんな顔なの」
呆れたように笑う実里に、佐保子は身を乗り出した。
「付き合ってんの?」
「まさか」
「片思い? 彼女いるの?」
「たぶんいないんだと思うんだけど……よくわかんない」
「なにそれ、敵情視察はしっかりっ」
「敵情って、相変わらず面白いこと言うね」
実里は佐保子に笑って見せた。実里がこれ以上の会話を望んでいないことを察したのか、佐保子は実里の手にしているプリントに目を落とす。
「期末やだっすなー」
「ほんとっすなー」
はーあ、と二人でため息を吐いた。空は高く、青かった。
「まだ? ねぇまだ?」
風呂から上がり、宿題をしていた悠大が台所へやってきた。実里の腰にへばりついて、フライパンの中を覗こうとする。
「危ないよ、もう出来るからお皿並べててくれる?」
「うんっ!」
悠大は元気良く返事をすると、食器棚を開いた。悠大の手で届く範囲のお皿を持つと、テーブルの上に並べる。悠大の大事な仕事の一つだった。
実里は悠大が並べた皿に料理を盛り付けていった。野菜のトマト煮込み、きゅうりとささみのごま油和え、アサリときのこのバター醤油炒め、そして――ハンバーグだ。
ハンバーグは悠大と一緒に昨日捏ねていた。空気を抜き、形を作り、ふっくら焼いたハンバーグは、何度も悠大と一緒に作ったメニューだ。陽介と一緒に作ったのがよほど嬉しかったようで、あれから何度も要望があったのだ。
「さぁ食べちゃおうか」
「あれ、みぃちゃん少ないね」
いつもよりもずっと少ない量をよそった実里に、悠大は首を傾げる。
「うん。みぃちゃん、残りはお兄ちゃんと一緒に食べようと思って」
「そっかぁ……僕もそうしたほうがいい?」
お腹を手で押さえ、上目づかいに聞いてきた悠大に、実里は首を横に振った。
「悠ちゃんは先に食べちゃおう? 出来たて、美味しいよ~?」
「いいのかなぁ?」
「もちろん」
さ、いただきますしよ。と実里はテーブルに着くと手を合わせた。
「なんかご馳走だね」
風呂から上がった陽介が、ガシガシと髪の毛を乾かしながらそう言った。
「そうかな? きゅうりのは昨日の残りだからそう見えるのかも」
テーブルの上に並べられる二人分の食事を見て、陽介は目を見張る。陽介の様子に気付いた実里が、照れ笑いをした。
「今日、一緒に食べさせてもらっても、いいかな?」
「もちろん」
優しい陽介の笑みに、実里は更に照れ笑いを深めた。皿を落とさないように注意しながら、料理を盛り付けていく。
「いただきます」
「いただきます」
召し上がれ、以外の言葉に、二人は一瞬だけ沈黙した。
食器を洗い、カタログを片付けた。最後にエプロンをフックにかけると、実里は台所に深くお辞儀をする。ノートの上に、トドのキーホルダーをコロンと置いた。
リビングへ行くと、陽介が悠大の宿題を見ていた。実里も隣に座り、悠大のドリルを覗き込む。なぞるだけでも精一杯の漢字ドリルの文字が、堪らなく愛しく感じた。
ちく、たく、たく。
時計が、三人の笑い声の隙間を流れていく。
「悠大、今何時?」
「えっとねえ……9時!」
悠大はもうほとんど時計を読み間違えることがなくなっていた。9時と言う言葉を聞き、実里は立ち上がった。陽介が薄く頷いている。
「僕も行くっ」
悠大も立ち上がり、玄関まで見送ってくれた。陽介がいつものように、悠大に先に寝ているように言ってドアを開ける。実里は悠大にバイバイと手を振ると、悠大の「また明日ね」を聞く前に外に出た。
「急いでた?」
「ううん」
なんで? と首を傾げる実里に深く追求せずに、陽介は笑った。
みぃと、呼んでくれるようになった。うそんこでない笑顔を向けてくれるようになった。おかわりをしてくれるようになった。
帰り道、たった数歩の距離しかない。それを、こんなにも家に付かなければいいと願ったのは、初めてだった。
「送ってくれてありがとう」
「このぐらい」
笑う陽介に、実里は口を閉じたまま固まった。
今しかない。今しかないんだ。
決めてきたつもりの覚悟は儚くて、実里の勇気の糧にはならない。
「みぃ?」
固まってしまった実里を心配して、陽介が呼びかけた。言葉を返すことが出来ずに、実里はただ陽介を見上げた。
陽介が実里を見る目は、優しい。いつからこんな目をするようになったのか、実里は思い出せなかった。
夏の匂いが実里を奮い立てる。今しかない、わかってる。口を開いて、吐息が漏れた。蛙の合唱が、耳につく。
陽介は何も言わずに実里を見つめている。その目が、あまりにも澄んでいて。あまりにも、柔らかくて。
実里は口を閉じて、開いて。
胸に溜まった抑えきれない熱を吐きだして、そして、
「……おやすみ」
「――おやすみ」
言えなかった。
実里は必死に口角を上げると、陽介に手を振って玄関を開けた。呼び止められることを、ほんの少し期待した。けれど無情にも扉は閉まってしまった。
玄関にしゃがみ込んで、息を吐く。震える膝を抱えて、俯いた。
言えなかった、意気地なし。
自分にどれだけ言葉を浴びせても、でもだって、と反論する自分が首をもたげる。
怖かった。
自分でずるずると引き延ばしておきながら、最後の最後にもまだ勇気が出なかった。
明日からはもう、話すことすらなくなるだろう。そんな最後の糸まで切れちゃって。このドアを閉めたその瞬間に、私と彼は、学校では会話さえおきない、ただの幼馴染でしかなくなるのに。そんな彼に、一体何が言えただろうか。
「あーあ。弱虫」
明日から、どう笑えばいいのか、実里にはさっぱりわからなかった。