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ゴー・トゥ・エルフ・ステイト

「そろそろ行こうか」

 明るい林のまんなかで、ふとブリックがそう言った。

「……あ、そうだね。ちょっとゆっくりしすぎちゃったね」

 森林浴を味わっていた私は、はっと気づいて木の幹から背中を外す。

 いまは何時ごろだろう。

 アカマツの重なる林には、光源の不確かな明るさが満ちていた。

 上からの光はほとんどがその葉や枝に遮られているはずなのに、どういうわけか辺りはほんのりと輝いているように見える。

 これもブリックの魔法の効果なんだろうか。

「どれくらい休んでたかな」

「二時間と少し。疲れてたからね、仕方ないよ」

「うっ、うん………」

 赤面。つい思い出してしまった。

 ブリックに抱きついて、号泣して、ブリックに頭を撫でてもらって、ブリックの……膝のうえで、いつの間にか眠ってた。

 お風呂も入ってないのに、こんなの恥ずかしすぎる。本当に顔から火が出ちゃいそうだ。

 顔が火照る気まずさに負けないよう、なんとか話題を見つけて会話を続ける。

「えっと、その……そういえば、あの村まで行くんだよね。エルフ国に行くために」

 あれから日はかなり上まで昇った。いまは何時くらいなんだろう。

「うん。夕方が狙い目なんだ」

「狙い目?」

 遮られた太陽を見上げるブリックに、私は首をひねる。

「そう。この世界とエルフ世界を結ぶ〝橋〟には、エルフ国の門番がいるんだ。でも、夕方ならその警備がちょっとだけ緩くなる」

「どうして?」

「警備が交代する時間だから」

「……なるほど」

 もっとエルフ特有の事情とか理由があるのかと思ったら、そこは普通だった。

 ブリックはすっと音も立てずに立ちあがって服をはたく。

 ブリックが着ているのはエルフ国の軍服の一つらしい。中世ヨーロッパの貴族の衣装みたいだけど、詰め(えり)やサーベルを吊るベルトなんかが備わっている。

 ターコイズグリーンの()に黄色いラインの入ったウールの上着は、後ろの裾が膝に届こうかというくらいまで広がっていた。胸には不思議な形のエルフ国章、襟には二、三個の丸いバッジがくっついている。

 下半身は同じ生地で礼服仕立て。足もとには革のブーツがしっかりと紐で結ばれている。

 ブリックは頭に置いた細い金属のカチューシャから、ベイビーブルーの髪を通すようにかき上げた。

 髪をかき上げるその手には、ドラマで見る執事みたいな白い手袋がはめられている。

「……さて、ややこしい問題が生じたぞ」

「ややこしい問題?」

「うん。ちょっと複雑」

「な、なに?」

 顎に指を当てるブリックに、慄きながら私は尋ねる。

「移動速度がわからないんだ」

「……はい? 移動速度?」

 拍子抜けした私は訊き返す。

「そう、移動速度」

「そんなの……夕方に着くように行ったらいいんじゃないの?」

「それがそういうわけにもいかないんだ」

 ブリックはきまり悪そうに(ほお)をかいた。

「どういうこと?」

「えっと。まず第一に、俺達は日本の警察や自衛隊なんかに見つかっちゃいけない」

「うん」

 私はうなずく。

「彼らに見つからないためには、この姿消しの〝()〟を使いながら移動すればいい」

「なら問題ないんじゃ……」

「でも、俺達にはもう一つ気をつけなくちゃいけないことがある」

 私は答えにつまった。言おうかすこし迷ってから、

「……エルフ」

「そう。俺達エルフにも、俺達は見つかっちゃいけない」

「……うん」

 心苦しかった。

 ブリックだってエルフなのに。

 自分の立場を投げ打ってまで、私のために力を貸してくれている。

 私はブリックのために、なにかできた試しがあるだろうか。

 当のブリックは、そんな気負いなんて露ほども知らずに、

「でも同じエルフには、〝煮〟を使ってるのが感じ取られてしまうんだ。感覚的に、〝あ、〝煮〟を使ってるんじゃないか〟ってわかっちゃう」

「じゃあ、姿は消せないの?」

「そう。そこで、問題は移動速度なんだ」

 ブリックは腕を組み、

「警察や自衛隊に見つからないためには、彼らに補足されない速さで動けばいい」

「えっと……うん」

「でも、多脚の馬が物凄い速さで走るっていうのは、とっても神話的な事柄なんだ」

「タキャクノ馬……?」

 聞き慣れない言葉が出た。

「そういうことについては、エルフは何より鋭く勘がはたらく。さっき言った姿消しと同じ……いや、それ以上に早く、広い範囲で俺たちの存在に気づかれるはずだ」

「えーっと……、つまりどういうこと……?」

 ちんぷんかんぷん、という言葉が限りなく近い。ブリックが何を言ってるのかよくわからない。

「綿天も、神話は知ってるよね?」

「うん。学校で習った」

「エルフは、神話に出てくる物事がその場で再現されたら、すぐに感覚でわかるんだ。例えば片目しかない老人が鍔広(つばひろ)の帽子でずっと見えない方の目を隠してたり、(つち)で蛇を叩いたり、とかね」

「土……あ、槌か。うん、聞いたことある」

「そう。だから、多脚の馬がひと足で山を跳び越えるくらいの速さで進んだりしたら絶対に気づかれちゃうんだよ」

「……ふーん………」

 ブリックの丁寧な説明のおかげで、なんだかめんどくさいことになっているのはわかった。

「じゃあ、どうするの?」

 いま一つよくわかっていない私は、とりあえず目的地まで行ければなんでもいいので解決策を要求する。

 ブリックはんー、と考えてから、

「警官たちに気づかれない程度に速くて、エルフたちに気づかれない程度に遅いスピードで走るしかないね」

「……なんか、難しそうだけど」

 そんなことできるの、って疑念を込めて私はじとりとブリックを見やる。

「大丈夫。そこは俺の愛馬に任せてよ」

「……? 愛馬?」

「あれ? 多脚の馬って言わなかったっけ」

「実は……それがよくわからなくて。タキャクノ馬って、なに?」

 それを聞いて、ブリックはおかしそうに吹き出した。

「ああ、そうか。綿天は見たこととかないんだね。そりゃそうか」

 お腹をかかえて楽しそうに笑っている。

「そんなに笑うことないじゃん」

 私が唇をとがらせると、

「いや、違うんだ。ごめんごめん」

 目もとに涙を浮かべたブリックは笑いをこらえながら私の顔を見て、

「俺も昔、〝シバケンってなに? 強いの? 脚は何個あるの? 頭は?〟って言ったの思い出してさ……」

「えー? そんなことあったっけ?」

 ぷっ、と私も吹き出す。

 「シバケン」のイントネーションが最高だし、質問の内容が意味不明で笑いを(さそ)ってくる。

「えっ………。……ああそうか、綿天はそのとき、その場にいなかったのかも」

「? そう……だったかな。うん、やっぱり思い出せないや」

「ならいいんだ」

 ブリックは難しい顔をして、うつむいてしまった。

「……〝多脚の馬〟の話だったね。最初はちょっとビックリすると思うけど、乗ってみると気持ちいいよ」

「ふーん」

 そう言うとブリックは指笛できれいな音色を奏でた。短く、高い音が旋律をもって辺りに響く。

「これが合図なんだ」

 ブリックが指を口から離した、そのときだった。

 遠くから薄く、馬のひづめの音が鳴り響いてきた。けど、普段テレビなんかで聞くその音とはすこし違う。

 その音は、ひづめが地面とぶつかった衝撃音と比べてもっと軽かった。卵の殻を割ったときみたいなかなり軽快な音だ。

「よく聞いてて」

 ブリックに言われるまま耳を向けていると、私はまた奇妙なことに気づいた。

 音の繰り返しが速い。というか、もう一部の音が重なって聞こえる。

 四本脚の馬じゃ、こんなことは起こらないはずだ。

「なにこれ……?」

「そろそろだよ」

 そして、私は上空にドラゴン以上に信じがたいものを見てしまった。

 悠々と空から滑り下りてくる大型の動物。

 それは、六本脚の大きな馬だった。

「紹介するよ綿天。俺の愛馬、フリーヤニルだ」


 * * * * *


 風がすぐ横を通り過ぎていくスピードが速い。速い。

 景色が激流みたいにびゅんびゅんと後ろへ流れていくのが心地いい。

「ブリックはさ、いままでなにしてたの?」

 昔よりずっと広くなった背中にしっかり捕まって、私はベイビーブルーの後ろ髪に語りかける。

「綿天こそ。今まで何してた?」

 声が返ってきた。

 ブリックは六本脚のオスの愛馬フリーヤニルくんにまたがって、手綱を握っている。私はその後ろで同じように鞍に座って、ブリックの身体に腕を回す。

 白い毛並みのフリーヤニルくんは六本の脚をなめらかに動かして、空気の上をあの軽快な音を引きながら駆けぬける。

「私は普通だよ。あれから近くの町に引っ越して転校して、そこで中学校に行って高校に行った。すごく、普通だった」

「そうか」

 フリーヤニルくんを操るブリックが振り返らずにそう返す。

「昔はリボンを髪につけてたけど、今は後ろで縛ってるんだね」

「ああ、これ? 普段はやってないよ。これは変装用」

「そうなんだ。……可愛いと思うな、すごく」

「えっ………。あ、ありがと……」

 急に言われて驚く。エルフ国じゃ、ポニーテールってあんまりないのかな。

 これからも、ポニーテールしようかな。

「………」

 会話が止まりそうになる。

「ぶ、ブリックは? いままで、なにしてたんだっけ」

「……俺は首都の初等学校を出てから三年間、騎士学校の寮で暮らしてて、今年から王族親衛隊に入った」

「えっ」

 ターコイズグリーンの衣装を掴む手に、思わず力が入る。

「お、王族って……エルフの王様? エルフの王様のところで働いてるの?」

「そうだよ。まだ一番下っ端だけどね」

「………すごーい……」

 私は目を剥く。会話のレベルがまるで違う。

 私がなにもしないでいるうちに、ブリックは努力を続けて、王様のところで働くようになったんだ。

「けっこう大変だったんだ。挫けそうにもなったけど、それでも今はなんとか親衛隊に入ることができた」

 そういえば雰囲気も昔のような、無謀な冒険が大好きなやんちゃ坊主とはまるで違う。

 言葉や態度もずっと紳士的になってしまった。

「……変わっちゃったね」

 うつむいて、ぽつりとこぼす。

 私はなにも変わっていない。

 出発点……すくなくとも途中まではブリックと同じ道を走っていたはずなのに、距離が隔てられた数年間で私たちは遠く離れてしまった気がした。

 私はブリックの数年間をなにも知らない。

 それが、ブリックが助けに来てくれた嬉しさと同じくらい、(さみ)しかった。

 でも、私の呟きを聞いたブリックは、

「綿天はなにも変わってなくて、安心した」

 ほころんだ声でそう言った。

「え?」

 落ち込んでいた私は、予想外の反応に顔を上げる。

 ブリックは、高速で野原の上空を駆けるフリーヤニルくんの顔につながる紐に手をかけたまま、

「綿天の言う通り、俺はこの数年間で結構変わったんだ。自分でも、これが自分なのか分かんなくなるくらい」

「………」

 後ろから覗きこむブリックの横顔は、どこか(さみ)しそうで、切なそうだった。

「だから、綿天が変わっちゃってなくて本当によかった。ひと目見ただけで、綿天だってわかった」

 なんだか照れ臭い。

 私はかっとなって、線になって流れる景色に目をやる。

「あの頃と同じ綿天に会えてよかった。綿天のおかげで、俺は俺なんだって……今ようやく思えた。ありがとう」

「う……、うんっ。どういたしまして……」

 顔から出た火で、野原が焼け焦げちゃうんじゃないか。そんなくだらない考えが頭のすみっこで跳ねる。

 よくこんなこと真顔で言えるなあ……ブリックは。

 血筋としてはエルフは欧米人に近いから、海外特有の甘い言葉攻撃は得意なのかもしれない。さっきもそうだけど、意外と、いろんな人に言ってるんじゃないかな。

 そう言い聞かせてはみたものの、やっぱりその言葉は私にとって嬉しいものだった。

 私は訊く。

「……ねえ、シャルノは? シャルノはいま、どうしてるの?」

「ん」

 しばらく()があった。

「?」

「あいつはいま、大学士校に飛び級で入学して……学者を目指してる」

「へえ……そうなんだ」

 シャルノはおとなしくて、勉強が好きだったっけ。今ごろは眼鏡なんかかけちゃって、分厚い本を片手に勉強でもしてるんだろうか。

「飛び級かあ。似合ってると思うなー」

「そうだね。俺もそう思う」

 ブリックは苦笑する。

 ──シャルノ。ブリックの一つ下の弟。私の大事な友達の一人。

 シャルノとの再会も楽しみだ。

 シャルノは魔法も上手だったから、なにかおもしろいものを見せてくれるかもしれない。

「そっちの方が、ずっとらしいよな」

 ブリックはそっと呟いた。

「え? なにか言った?」

「いや、なにも言ってない。──それよりも」

 ブリックは肩越しに私の顔をじろりと見据えた。

「これからの話をしよう。いま綿天が、どんな状況に置かれているのかも含めて」

 真剣な眼差しが私の目を射抜く。

「……お願いします」

 私もつられて、真剣な顔になってしまった。


 * * * * *


「おい、聞いたか?」

「ん? 何のことだ?」

「舟星嬢の乗っていた二輪車が、あの村の近くの山で発見されたらしい」

「なんだって? 本人は?」

「それが、姿も形もなかったとか」

「なんだそれは。見つけたのは日本警察か?」

「そうだ。いま彼らが二百人以上で付近を捜索しているらしいが、まだ芳しい報告はない」

「……日本警察は、何か隠してるんじゃないだろうな」

「そういう勘繰りはよそう。私達も彼らも、国交を正常化したいのは同じなんだ」

「……それはそうだが」

「大丈夫だ。向こうが何かを企んでいたとしても、交渉の場に科学の兵器は持ち込めまい」

「? 何が言いたいんだ」

「つまり、彼らに勘付かれずに交渉の場で〝歌〟と〝煮〟を使える私達のほうが、対談をするに当たって圧倒的に有利というわけだ」

「そうか、奴らは魔法なんてこれっぽっちも知らないんだもんな。エルフの常識で考えてたぜ」

「だから……何があっても問題はない」

 胸に(つるぎ)を据え置いた赤いエルフ国章を付けた耳の長い男は、腕を組んでこう告げた。

「最後には私達の勝利だ」


 * * * * *


「あの日のことは覚えてる?」

「あの日って……星屑が飛び散った、あの日のことだよね」

 フリーヤニルくんは速度を落としていた。

 広い草原を問題なく走りぬけたフリーヤニルくんは、あの村に行くために車道からかなり離れた森のなかを悠然と歩いている。

 ブリックいわく、この森を突っきるのがいちばんの道らしい。

「星屑? ……ああ、うん。その日で合ってるよ」

 森に差しかかった初めこそ、朝までいた林との違いがわからなかったけど、いまはまるで違う。

 森はとても深かったけど、厳かな明るさがあった。

 樹齢何百年みたいな大木があちらこちらで太い幹を横へ上へと伸ばしていて、その膨大な緑が雲みたいに空を閉じている。けど、日の光はそれこそ雨上がりの空みたいにそのすき間から細く差し込んでいるのだ。

 原生林みたいな自然を感じさせる巨大な樹々がその光をまんべんなく浴びて、森全体に深い空気を()いている。

「俺と……綿天とシャルノが、探検しに紅葉(こうよう)の山に行ったときのことだよね」

「うん、そのとき。でも……なんというか、うろ覚えで。私が叫んだあとのことが……あいまいなんだよね」

 フリーヤニルくんの六つのひづめは、苔の生えた岩場を普通の馬みたいに身体を揺って歩く。

 その背中に揺られながらブリックは、

「じゃあ、あの時あそこで何が起きようとしていたのか……まずそこから話そうか」

「う、うん」

 無性に緊張する。

 ついに、あの夢の──いや。あの霧のかかった記憶の謎が解ける。

 例によって解説です。

 今回は少なめで助かります。


 本編に出てくる六本脚の軍馬フリーヤニルくん(♂)は、北欧神話にて主神オージンが乗る八本脚の最高の馬、スレイプニルから着想を得たものです。

 神代(かみよ)のスレイプニルを登場させるわけにもいかないので、劣化して六本脚の軍馬、という設定にしました。


 名前についてですが、フリーヤニル(Flýjanir)は古ノルド語(北欧神話の原典で使われていた言語)で「フリーヤ(flýja)」(逃げる)とスレイプニル(滑るもの)から取りました。

 意外と見えないところまで凝ってます。


 それと、橋が「架かる」という漢字が正しいのですが……。

 本編に出てくる〝橋〟は、実際には橋の形でないものを、その用途から〝橋〟と表現しているので「高いところに位置する」という意味の「懸かる」を使いました。

 間違ってしまった言い訳とかじゃないですよ。本当に。


 以上解説でした!

 それでは、引き続き『星屑エスケープ』をお楽しみください。

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