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エスケープ・イン・ハーバー

 辺りはすっかり暗くなった。

 とっぷりと暮れ切った夜はどこか重い空気を含んでいる。

 しかし澄んだ空気ではあるようで、湾を囲むようにして見える夜景が遠くまで鮮明に見える。

 この辺まで来ればもういいだろうか。

「ふあー、疲れた……っ」

 カメラも人気(ひとけ)もない、真っ暗な海のそばの波止場に自転車を停める。

 ここは、さっきまでいた商業の街三浜(さんのはま)に隣接する港町。Cの字を広げて左右逆にしたような形の海岸線に沿うように、巨大なショッピングモールやレストラン、映画館、遊園地、水族館にアミューズメント施設なんかが弓状に並んでいる。

 ショッピングモールに入っているのは主に個人が経営する多種多様な雑貨店の類いだ。他では見かけないような珍しい物が軒並みあふれかえっている。

 石造りを模した、中世ヨーロッパの地下街みたいな雰囲気のなかにずらりと立ち並ぶ個性的な店の数々は、その光景だけで気分を不思議に高揚させる。

 遠くに見える要塞のようなショッピングモールと観覧車を眺めながら、私は海辺にこしらえられたテラスのベンチに腰を下ろす。

 ショッピングモールの中から蝋燭のような照明が見えないところを見ると、さすがにもう閉店したらしい。

 今度、磨波(まなみ)と来たら買いたいやつがあったんだっけ。

 ベンチの上に途中のコンビニで買っておいたおにぎりや肉まん、サラダなんかを広げて、

「いただきます!」

 手を合わせるや否や口いっぱいにほおばる。

 そういえば、今日は学校も午前で授業が終わったからお弁当も食べてなかったんだ。

 お昼寝が終わるとすぐに逃亡生活が始まって、何時間も自転車を漕ぎ続けていたからもうお腹と背中がひっつきそうだ。

 今までないくらいの激しさで白米とのりを口に入れる。

「………ああー」

 少しがっつきすぎた。胸につまったおにぎりを緑茶で流し込み、懲りずにその手で肉まんをむさぼる。

 やっぱり、食事のありがたみって飢えないとわからないんだなあ。

 肉まんの温かさに感謝しつつ、私は手を休めないまま目の前の海を見やる。

 街灯の光も届かない夜の海は、月明かりだけに照らされてゆらゆらと波打っている。弓状になった湾のお尻にあたる部分で遅い夕食を楽しむ私は、波の動きに合わせて対岸を、次いで遥か海の向こうへ目を動かした。

 雲に隠れた月は、水平線の向こうに何があるかを教えてくれない。

「…………ブリック」

 ふと、言葉が漏れた。

「あれ、いま……私なんて言った?」

 自分でも一瞬わからなかった。

 ブリック。確かに私はそう言った。

 なんで私は、ブリックの名前を口走ったんだろう。

「………」

 曇り空と暗い海の境が見えない真っ暗闇を眺めると、なんとなくその理由を思い知らされた。そっか。

「私、不安なんだ」

 前を向いても後ろを向いても、左を見ても右を見ても。

 見えるのは暗闇ばっかり。まるで私の行く末みたいに、どうなっているのかさっぱりわからない。

 知らない間に指名手配されて、突然聞こえてきた「逃げろ」って声だけに従ってこんなところまで自転車を飛ばして。

 何が正しいのか……どうするのが一番よかったのか。考える間もなく逃亡を始めてしまった私は、休息と疲労に伴って中だるみのようなものを感じてしまっていた。

 私はなんで逃げてるんだろう。

 悪いことなんてしてないはずなのに。

 それとも、なにか大事なことを忘れてしまっているんだろうか。

 あの、霧のかかった記憶の向こう──。

「……わかんないよ」

 いつの間にか食事の手は止まっていた。

 頬を撫でる潮風が、(さみ)しさになって胸のなかを吹きぬけていく。

 その時だった。

「君。何してるの」

 後ろから、声がかかった。

「むぐっ」

 驚きのあまりむせ返る。声の主も私の反応に驚いたのだろう、私を覗きこんだのがわかった。

「おっと、大丈夫ですか?」

「ふぁ、はい……えほっ、えほっ」

 涙目で見上げて、私は再度ぎょっとした。

 声をかけてきたのは、若い警官だった。

「落ち着きましたか?」

 心配するように私を見下ろす柔らかい物腰の警官の手には、懐中電灯が握られている。きっと夜の見回りのための物だろう。

「は、はい」

 なんとかそれだけ口にする。それを聞いて若い警官は微笑んで頷くと、

「はい。じゃあ、いくつか質問しますね?」

「えっ……」

 胸がどきりと鳴る。若い警官は私の反応など気に留めず、胸もとから警察手帳を取り出して横に向ける。右手にペンを掲げながら、

「まず、お名前は?」

 これはいわゆる、職務質問というやつだろう。

 私は今までされたことがないのでわからないが、もしこの警官に不審に思われたら……私はどうなるんだろう。

「ふな……舟倉(ふなくら)。舟倉天珠(あめだま)です」

 とりあえず偽名を答えておく。

 若い警官は首をひねり、

「は。あめだま……さんですか。……失礼ですが、本名ですよね?」

「は、はい」

 偽名だが、本名の綿天(わたあめ)だって似たようなものだ。首を縦に振る。

「失礼しました。では、住所は?」

 これにも、三浜で固定スマートデバイスに教えたものを答える。すると若い警官はメモを取りながら、

「ここからだと、お(うち)には数駅かかりますよね。ここで何をしてるんですか?」

 しまった。

「えっと、親戚の家に泊まりに来てたんです」

 若い警官の目を見上げたまま、私は頭のなかでぐるぐる素早く思考を回す。

「お腹が減ったからって夜食を買いに来たんですけど。あんまり腹の虫がうるさいから、買ったあとここで食べてたんです」

「………はあ。そうですか……」

 若い警官の鈍い反応に、私はごくりと喉を鳴らす。

 ……不審に思われたかな。

「ご親戚のお家はこの近くなんですよね?」

「はい」

 この辺に親戚なんていないけど、とりあえず頷く。いや、ひょっとすると探せば一人くらい見つかるかもしれない。

「家出ではないんですか?」

「そんな、違います」

 ふとベンチに置いた大きなバックパックのことが頭をよぎったが、警官のほうからバックパックは目につかなかったたみたいだ。

「学生さんですよね。身分を証明するもの……なんて持ち合わせてないか。夜道は危険だから、なるべく早く帰るようにしてくださいね」

「は……はい」

「ご協力感謝します」

 若い警官は警察手帳をしまって、それでは、と会釈して去って行く。

「…………へ?」

 懐中電灯の明かりが歩幅に合わせて遠ざかっていく。どうやら今ので、職務質問というやつはおしまいだったようだ。

「…………」

 意外にあっけなかった人生初の職務質問を終え、紺色の背が小さくなっていくのをベンチ越しに見送る。懐中電灯の明かりが角を曲がって見えなくなったのを確認してから、

「………偽名、もっと似てないのにしとけばよかった………」

 よくわからない反省をした。


 * * * * *


 とりあえずおにぎりとおかずをいくつか残しておいて、ビニール袋を上できゅっと縛る。

 ごみを残さないようベンチの上やら下やらをきょろきょろしておくのは、〝跡をにごすような鳥は立っちゃダメだ〟というお父さんの口癖の賜物だ。

 また警官がこっちに来ないうちに早く行っちゃわないと面倒なことになりそうだ。

 いもしない親戚の家を探す旅に路線変更させられるかもしれない。

 広げた荷物をバックパックに詰めなおし、ポールみたいなオブジェのそばに停めておいた自転車のハンドルに手をかける。

 目指すは南。

 そこにあの村がある。

「……あそこに、あるはずだ」

 なにが、なんてわからない。それがどんなものなのかは全然わからない。それが形をもった物なのか、それとも過去の記憶なのか。

 でもそこにはあるはずだ。

 私とエルフをつなぐ、重要な手がかりが。

「……私がエルフ国に指名手配されるなんて、あそこ以外に理由が見つからないもんね」

 あそこには、あと二日もあれば着くはずだ。

 あの村に行けば具体的にどうなる、なんて展望はないけど、私にはそれしか道しるべがない。

「……よし!」

 両手で(ほお)をぺちんと叩いて弱気な自分を勇気づける。

「待っててね。ブリック、シャルノ」

 月明かりも雲に紛れた真夜中の九十戸(くじゅうべ)(こう)。胸元にフリルのついた薄いピンクのトップスに、ベルトに似せた装飾をあしらった青いスキニーパンツを穿いた私は白い吐息を夜闇(やあん)に乗せて、自転車のペダルに足をかけた。

 そこで、奇妙なものが目に入った。

「?」

 光が、来た。

 それも、あんなに真っ暗だった海のほうから。

「……?」

 視界に入った唐突な光明(こうめい)に、私はなんの気なしに首を振る。

 そして、

「……」

 水平線の手前に横一列の光を見つけた。

 水平線から波止場までを問題なく照らす強大な照明をもったその一群。

 私ははじめ、それを漁船かと思っていた。ここは港なのだから当然だ。なにもおかしなところはない。

 ただ、違和感が()し取れないでいた。

「………?」

 一群から連なって浴びせられる光は、時折赤みを帯びたり、あるいは青みを帯びたり、目まぐるしく変色し続けていたのだ。

 駅前のイルミネーションでもあるまいし、そんな漁船は見たことがない。

「………なんなの?」

 漁船自体見る機会もなかった田舎っ子兼都会っ子の私は、縫いつけられたようにその場から立ち去らずにその光の変化を見守る。

 たっぷり十秒はそうしていたと思う。

 そしてその行為の愚かさに気づいた。

「あ…………っ」

 気づいたときには遅かった。

 光の一群は、どんどん大きくなって私の視界を奪っていく。

 遠い海の彼方に見えた漁船らしい一群は、かなりの速さでこちらに迫ってきていたのだ。

「だめ………!」

 あまりに強い光と、その広い横幅が私の行動範囲をじわじわと侵す。

 暗闇のなかで急に明かされた私の目はもうまともには効かない。明るすぎて見えないなんて経験は初めてだ。

 テレビかネットで見た、警官隊が立てこもり犯の(もと)に突入するのに使う光と音の手榴弾を思い出した。

「…………!」

 目は使えない。どこを向いても強烈な光のえじきになるだけ。

 あがくように足をじりじりと動かすけど、それが精いっぱい。下手をすれば自転車ごと海に落っこちてしまうだろう。

『……そこの者!』

 拡声器から発せられたような、増幅された声が耳を打った。一瞬遅れてそちらに顔を向けるが、そこに何があるのかもわからない。

 けれど、たぶんそれはあの光の一群から発せられたものだろう。広がった声は大きいがまだ遠くからで、耳を澄ませば幾重にも重なる波の音も聞こえる。

 うなるようなエンジンの音はしないが、その静けさがかえって私の不安を募っていく。

『我らはエルフ国立騎士軍、海の騎士十二番隊(トールヴ)である! 日本国の警察から許可は得ている。そこに(とど)まりたまえ』

 ───詰んだ。

 どうして、なんで、まさか、こんなに早く見つかるなんて。

 見えない騎士軍とやらに唇を噛みしめる。

 私がどうすることもできない間にも、波をかき分ける光の一群は足早(あしばや)に波止場に近づいてくる。

 そんな、こんなことって。

 彼らに捕まったら、私はどうなるんだろう。

 〝何らかの措置を取る〟……その言葉の裏には、どんな恐ろしい現実が待ち受けているんだろう。

 光に(くら)んだ思考がまとまらない。光に作られた不安だけが私を巡る。

 と、そこで近づいてきていた波の音が途絶えた。目をつむったままの私は、その変化ににわとりみたいにきょろきょろと首を動かす。と、

『エルフ国立騎士軍の権限において』

 間近から声がした。

「!」

 軽く空を見上げた先から、さっきと同じ増幅された声が私に語りかける。

 光を放つ一群は、もうそこまで来ていたのだ。

 汗が首すじを伝い、足首が変な感じにひくつく。

逃げ道が見当たらない。

『舟星綿天(わたあめ)の疑いがある貴殿を、こちらで取り調』

「待て!」

 誰かが、私のそばで叫んだ。

「……!」

 拡声器らしいものからぎいんと雑音が響く。合わせてついさっきまで話していた男の声が途中で途切れ、それから音らしい音は聞こえなくなった。白い世界にさざ波だけの静寂が訪れる。

 私の隣から聞こえた芯の通った強い一声は、若い男の人のようだった。

 私よりも頭数個ぶん高いところから放たれた凛とした響きは、どういうわけか私の耳の奥にまだ反響している。

 いまだに目の自由が戻りきらない私は、とりあえず声のしたほうへ顔を向ける。

「あ、あの」

「逃げろ。綿天」

「………えっ?」

 驚きのあまり、目を開いた。

 そして瞳がまた驚愕する。

 私の目の前にいる男のせいか、一群が放っていた光はかなり弱くなっていた。

 かすれる目で見ると、目の前の海には映画で海賊が乗っている船を一回り小さくしたような帆船(ほぶね)が、横に十何隻も並んでいる。

 その手前。凛とした声を上げた背の高い男に焦点を合わせて、

「………ブリック?」

 男は、中世ヨーロッパの貴族みたいな服を着ていた。男は、頭にカチューシャを付けていた。男はそのカチューシャで、ベイビーブルーの髪をまとめていた。

「逃げろ。あの村まで」

 まだ目はぼやけている。それでも私には、確信に似た思いがあった。

「……ブリックだよね? わ……私、私ね!」

「……逃げろ。俺以外の奴に捕まるなよ」

 それ以上の言葉はなかった。

 ベイビーブルーの髪の男は船団へと振り返り、

「貴君らが補足したのは私だ! 親衛隊の者だ! 国王陛下からの御言葉(おことば)を伝えに来た。代表の船に乗せてはもらえないか!」

 そう叫ぶと返答も待たずに一番近い、おそらくは拡声器のようなもので声を出していた一隻にふわりと浮かんで飛び乗った。

「あ…………」

 名残惜しそうに金の装飾がきらびやかな舳先(へさき)を見つめるが、そこにはもう誰もいない。

 私は揺れる頭をふるふる振って、まだふらつく足で自転車を漕ぎ出した。

 あの村に向かって。


 空には月も、海には荒波もない。

 ヴァイキングのような物々しい船から遠ざかる華奢な影など、誰も目には止めなかった。

「……逃げるんだ〝大罪の(シンドゥギュム)姫君(プリンセッサ)〟。僕が迎えに行く、その時まで」

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