エスケープ・イン・シティ
エルフ国。
二十数年前に私たち人間の世界に接触してきた、異世界の連合国家の通称。
世界史の授業で習ったことを、私はむかし話のように思い出す。
はるか昔、北ヨーロッパにはノルド人とエルフの祖先とが一緒に暮らしていた。
二つの種族はそれぞれ別々のところで暮らしていたけど、お祭りやお祈りのときには一緒だったりして仲はよかったらしい。
しかしある時、ノルド人の王様はエルフの祖先を海の向こうへ追放してしまう。
ノルド王は、人間にはない不思議な〝歌〟を持っていたエルフの祖先を恐れたのだ、とちょび髭教師は言っていた。北ヨーロッパを追放されたエルフの祖先の王様は、人間には入れない異世界を作り上げて、みんなでそこに住むことにした。
それから千と数百年。
エルフ達はほとんど人間と交流することなく、ひっそりと異世界で暮らしていたらしい。
そして二十数年前。
彼らは異世界と私たちの世界とをつなぐ〝橋〟を設けて、世界に交流を申し入れてきたのだ。
それがエルフ史のだいたいの内容。
〝人間に追放されたエルフが、いったいどんな気持ちで千年以上も隔てていた人間に和平を申し込んだのか〟を考える授業が最近あったけど。
私は最後まで答えを出せなかった。
* * * * *
私は家や学校のある街から二、三駅程度離れた大きな都市まで自転車を飛ばしていた。
ショッピングモールやデパート、アミューズメント施設が多く揃った繁華街は今日も人で賑わっている。
華やかな建物やオブジェクトがこぞって場所を取り合う駅前から一つ道を逸れたこの商店街は、この辺りが興業するまえから地元にあったみたいだ。大手企業の支店が電飾で主張するなか、ちらほら個人経営の服屋さんや本屋さんなんかが点在している。
私は周囲に気を配りながら、たくさんの人が行き交う商店街のまんなかで自転車を押していた。
「平日の夕方なのに人、多いなあ」
額から流れそうになる汗を手首で拭う。
指名手配の身としてはちょっとのんびりしすぎかもしれないが、なにせ自転車でこんな遠くまで来たのは初めてなのだ。足はまだ動くが、いざという時に動けなくなっては元も子もない。
「……よし」
思い立ち、足を休めるついでに必要なものを調達することにした。
なるべく人の少なそうな個人経営の服屋さんを選んで、着替えのシャツと下着、そしてファッション用の伊達メガネやアクセサリー数種類を購入する。
普段なら選ばないような少し派手めの物もあったが、より好みしている余裕はない。ニュースで使われていた私の卒業写真から、なるべく遠い印象になるよう心掛けた。
何事もなく着替え一式の入った紙袋を受け取った私は、学校帰りに足を伸ばした制服の学生が集まる大手デパートのトイレで地味なセーラー服を脱ぎ、買い揃えたコーディネートに身を包む。
薄いピンク、胸元にフリルの付いた袖のないトップスに、ベルトに見せた装飾を巻いた青いスキニーパンツ。
……急いでいたからへそ出し仕様のトップスだとは気付かなかった。キャミソールは下に着たままだからおへそは見えないけど、なんだかお腹がスースーする。
左手首に水色のシュシュを嵌め、髪を水玉模様のリボン型ヘアグリップでポニーテールに仕立てる。最後に赤い縁の眼鏡をかけて完成。
これで、今までの私とは別人になったはずだ。
手洗い場の大きな鏡で全身をチェックして、少なくともおかしなところや目立つところがないことを確認する。
うん、指名手配された舟星棉天さんとは別人だ。これなら最近の写真が公開されてもすぐにはバレないだろう。
大した変装はしていなくても、雰囲気や印象が変わると人は気付かない……と、私の好きな刑事ドラマのベテラン兼イケメン刑事が言っていた。
イケメン目当てで刑事ドラマを観ていたわけじゃないが、今回はそれが役に立った。
着替えた制服は畳んでバックパックの中に。着替えが入っていた服屋さんの紙袋はもえるゴミに。
分別を終えた私は、今度は数ある店のなかでも一番多く幟や広告を広げているケータイショップへ急ぐ。
* * * * *
街の中心にある駅は、この辺では一番大きい。一日に何度も新幹線が止まるので、私もここから新幹線に乗って家族旅行に行ったことがある。
速いのはいいんだけど、ホームに撒き散らされるあの轟音だけはどうも好きになれない。どうにかならないのかな。
苦手な音が遠くからやってくるのを見上げながら、私は高架下の小さなケータイショップの前で立ち止まった。
テレビのコマーシャルでもよく流れている情報、通信系の会社のショップだ。薄汚れた灰色の壁に囲まれて、その自動ドアの内側だけは清潔さが保たれている。
私は店内には入らず、店先に置かれたフリップと固定された新型スマートデバイスに目を向ける。
フリップには大きな文字で『住所氏名、メールアドレスを入力するだけで新型機の試用が無料に!! 滑らかな手触りと操作性を楽しんでください! 三浜駅前店』とある。「新型機」とか「無料」なんかの字が赤い太字で誇張されていたが、その下には見えないくらいの細い黒字で『※無料試用期間は5分間です。5分を超えられますと、スタッフがそちらへ参ります』とも記されている。
なんか悪どい商売だな、と思ったが私には関係ない。路上で長居するわけにもいかないので、すぐさま新型機とやらを起動させる。
住所は途中まで本当のものを書いたけど、番地は適当にしてやった。名前も適当。
「舟倉……天珠……、と」
偽名を考えるのって、なぜかはわからないけど気分がウキウキしてくる。
最後にメールアドレスも適当なのを打ち込むと、『ご利用ありがとうございます』という表示とともにデスクトップが現れた。時間を無駄にできないので、間髪入れずインターネットにつながる下のアイコンを押す。
なるほど、確かに画面の触り心地はいいようだ。
出てきた検索欄に「舟星 エルフ」と入力すると、検索結果にはネットニュースや掲示板の類いがずらりと並んだ。ヒット数の桁が目に入り、思わずぎょっとする。
「うわ………。……万、十万、百万、千ま………」
ごくりと喉が唾を飲む音が聞こえたけど、あと4分そこらしかない。気を取り直してニュースや大手の掲示板を片っ端から回って情報を集めていく。
私が調べたかったのは、私についてだった。
私の情報が、いま現在どの程度公開されているのか。私はどんな状況に陥っているのか。
私も少し古い世代のスマートデバイスなら持っているのだが、中にはGPSが組み込まれているはずだ。持ち歩けばすぐに居場所が知れてしまうと思って道の途中で置いてきた。
……あとで絶対取りに戻るけど。
待っててね大事なケータイちゃん。
はじめはネットカフェを利用しようかと思ったが、テレビで「容疑者がネットカフェの防犯カメラに映っていたため逮捕」なんてのもざらに聞く。
頭をひねった結果、このケータイショップのシステムを利用することにしたのだ。
ここなら防犯カメラも人の目もほとんどない。
我ながらうまく考えた──とか犯罪者っぽいことを思いながら、私は5分たっぷり情報を集め続けた。そして店員が来るまえにいち早く、風のように店先から消えていった。
* * * * *
結局、私についてわかったのは単純なことだった。
固定されたスマートデバイスにはフィルタリング設定があったので掲示板の多くには入ることができなかったが、中にはひどい中傷や、わけのわからないものもあったようだ。
意味不明な憶測もたくさんあった。
今はまだ大丈夫みたいだが、数時間後には私の個人情報がネット上にアップされているかもしれない。学校や住所、家族、友達……。
そう思うと、むやみに冷や汗が出た。
隣を歩く人から顔を背けるようにして人通りの少ない歩道で私は頭をぶんぶんと振る。
怖いことは、今は考えないでおこう。……じゃないとやってられないから。
ネットのニュース速報を中心に、信用できそうな情報をまとめると「舟星綿天は五年前の国交途絶事件の重要参考人。なので保護して何らかの措置を取る」……ということらしい。
ほとんど何もわかってないし、〝何らかの措置を取る〟ってなんなんだろう。怖すぎるんだけど。
画面上の文字を思い出して、自転車を押しながら重くため息をつく。肩を落とす私の目もとには、さっき変装用に買った赤縁の眼鏡はなかった。
その理由はとても単純で、ネットで公開されていた私の手配写真をチェックしてみたところ、五枚くらいあった内の一枚に友達と撮ったプリントシールが含まれていたのだ。
それだけなら問題ないのだが、そこに映っていたのがふざけて友達から奪った(後できちんと返却した)眼鏡をかけていた私だったから大変だ。
あれは黒縁だったが、眼鏡をかけていれば気づかれやすくなる。ということで、泣く泣く赤縁伊達眼鏡税別千二百円にはご退場いただいたのだった。
喪失感に乗っかって、色々なことが頭を駆け巡るが考えはまとまらない。
結局のところ、私はやっぱり世界中から逃げないといけないようだ。
私はいったい、何をしたんだろうか。
なるべく目立った行動を取らないように、私は逃げるようにしてネオンの点き始めた都会に背を向けた。
都会の光に隠れて一番星は見えてこない。
ノルド人というのは実在しない民族です。
北欧に住んでいたのはゲルマン系の民族なのですが、実際の名称を出すと子孫の方々に悪いかな、というのと、ファンタジー感を出したかったので造語にしました。
「ノルド」というのは、古代北欧で使われていた「古ノルド語」から取りました。
余談ですが、「舟倉天珠」はその場で適当に作った偽名です。
同姓同名の方などがもしいらっしゃいましても、筆者は一切の責任を負えません。ご容赦ください。
ファッションの描写って難しいですね。いつもネットと睨めっこしながら書いてます(~_~;)
それでは、引き続き『星屑エスケープ』をお楽しみください。
桜雫あもる