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ビギニング・オブ・エスケープ

「………たあめ! ……綿天(わたあめ)! 起きなよー」

「ん……」

 聞き馴染んだ声が私の肩を揺さぶった。

「……んー」

 ゆっくりと目を開き、現実の感覚を取り戻していく。ここは……どこだろ。黒板に並んだ机と椅子……制服。教室かな?

 私は……座ってる。そっか、自分の席で寝ちゃってたのかな。たぶんそうだ。

 ぴくっと指先が動いて肘に当たった。そこからじわじわと広がるように身体の拘束を取り払う。

「う、あーん………おはようー」

「おはようじゃないよもー! さっきからずっと起こしてたのに、綿天全然起きないんだもん」

「んー、ごめんごめん……ふああ」

 大きなあくびが出てしまった。はしたない。

 机に寄りかかった身体をぐいんと起こして、後ろへ反って伸びをする。

「んんんんんーっ………、あー。あー起きた」

 限界まで身体を引っ張って脱力。まだ寝ぼけている目を擦ってまた小さくあくび。

 よし、無事復活。

「もう三時だよ。せっかく午前で授業終わったのに、教室に残って寝てるなんて勿体ない」

 隣の席に腰を下ろして私を起こした同級生、磨波(まなみ)がぼやいた。

「おっしゃる通りです磨波センパイ。待っててくれてありがとーございぬます」

 まだ若干ふらつく思考を制しながら、私はへらへらと乱れた敬礼をした。それを見て磨波がまったく、と腕を組む。

 磨波は私がこっちの小学校に転校してきた時からの親友だ。面倒見がよくて気が強く、隣のクラスの不良にも物怖じせず意見する姉御肌の人気者だ。

 中学の頃は三年間私とテニス部に入っていて、二人でペアを組んで大会に出たこともある。

 結果は聞かないでほしい。

「まったくもう。ほら、帰るよ」

「今日遊ぶんだっけ?」

「ううん。今日は私、家の手伝いがあるから残念。また今度ね」

「おっけ」

 磨波の家はお寿司屋さんをしている。磨波のお父さんはかなり腕利きのすごい人らしく、磨波は営業時間中にお客さんが途切れるところを見たことがないらしい。

 毎週金曜日はお客さんが溢れるほどやって来てお店の外に行列ができるので、特に大変そうな日は磨波と磨波の弟、妹が手伝っているんだとか。

 私たちは次にいつ遊べるかを話しながら、西日が射し込む教室を後にした。


「……あ、そういえばさ。エルフ国のニュース聞いた?」

 磨波が唐突に話題を変えたのは、下校途中の道路脇だった。

 周囲には白やベージュ、茶色を基調にした新興住宅地の街並みが形成されている。それぞれにデザインは違うが、似たような清純さを持つ一軒家が区画を隙間なく埋めるように整列する。

 真新しく黒光りするアスファルトは何度か歩道に沿ってカーブを(えが)いて、景観に単調さを与えない。

 ここ一、二年でできたぴかぴかの一軒家の群だが、庭に停めてある自家用車や植木鉢なんかを見ると、もうかなりの世帯が住み込んでいるみたいだった。

「え? ……ああ、そういえば最近よく聞くね。なんだっけ」

 磨波の隣を歩く私は昨日観た、どこの局だったかもわからないニュース番組の映像をぼんやりと思い出す。

「それがさあ」

 磨波は大げさに手を振って、

「もうすぐ国交回復! らしいんだよね」

「えっ、うそ」

 自分でも変だとわかるくらいスットンキョウ(漢字あるのかな?)な声が出た。

 食らいつくように言葉を返す。

「今までずっと音沙汰なかったのに? 急に国交回復?」

「そりゃあ、ニュースになってないだけで裏ではイロイロやり取りがあったに決まってるじゃん」

 当然でしょ、と言うように磨波は両手で呆れたようなジェスチャーを見せた。

「ふーん……。そうなのか……」

「でもね、その前になんか、共同作戦? 合同策略? っていうのがあるんだって」

「? なにそれ?」

「さあ? なんか、北ヨーロッパと日本がどうとか、自衛隊がどうとかの極秘作戦らしいよ。どこで何するのかはよくわからんけど」

「ふーん………」

 北ヨーロッパとか自衛隊とかいろいろバレちゃってるので、それは極秘作戦とは言わないと思う。

 私はなんとなく、夕焼けの照らす空を眺めた。広い空の下に漂うオレンジ色と青が入り混じった大きな雲は、まるで映画のワンシーンのようだ。

「ねえ、綿天ってさ」

「うん?」

 磨波の呼び掛けで我に帰った私は、隣にやけににやにやしている友人を見つけた。う、悪い予感が……、

「昔、エルフの彼氏がいたんでしょ?」

 ……ハイ的中。私はため息とともに顔に手を当てて、

「またその話? いい加減にしてよ……」

「あれ、違ったっけー?」

「もう、わかってやってるでしょ。──私にいたのはエルフの〝彼氏〟じゃなくて、〝幼なじみ〟」

「でも……二股だったんでそ? ん?」

「ちがーう!」

「きゃーわたあめがおこったー」

 小学校にいたいじめっ子のような笑顔で、磨波はだっと逃げ出した。

「あっ、ちょ……磨波!」

 セーラー服のスカートが風に吹かれることなんてお構いなしに、私と磨波は夕景色の中しばらく追いかけっこを嗜んだ。


 ──〝昔、エルフの彼氏がいたんでしょ?〟

 磨波と別れてから、私は磨波の言っていた言葉を思い返していた。

 もちろん、そんな人はいなかった。

 私の知り合いだったエルフは友達だったブリックとシャルノ、そして彼らのお父さんとお母さんの四人だけだ。

 そもそも当時は小学生だったのだ。

 最近多い〝おませさん〟と違って、私は天真爛漫なお子様だった。恋愛なんかよりも皆でする探検のほうが何倍も楽しかった。

 ……でも、と。

 私はふと思い出す。


 ──私はあの頃、たしか………。

 ブリックのことが好きだったんだ。


 * * * * *


「たたいまー」

 家に帰ると、玄関には私のほかにもう一足靴があった。この履き古したパンプスはお母さんのだ。

「おかえりー」

 案の定、リビングから返事があった。お父さんはまだ会社で仕事……今晩は遅くなるんだったかな?

 脱いだローファーを揃え、その辺に鞄をぽいと放って私はリビングのドアを開けた。

 部屋の角にある三十インチの薄型テレビを囲むよう置かれた大きなソファにぽすんと腰を下ろして、目の前の丸テーブルの上のリモコンを操作する。細密な画面に現れたのは、名前も知らない年配の俳優がやっているグルメリポート。

 チャンネルを替えかけたが、俳優が次に入ったお店がお好み焼き屋さんだったのでその手を止める。

 粉物には目がないのだ。

「綿天、帰ったら手洗いうがい」

 後ろのキッチンから単調な包丁の音に乗って、短くお母さんの声。夕飯の準備をしているらしい。

「はあい」

 気の抜けた返答を伸ばして、私は玉ねぎを刻むお母さんの隣で液体石けんを手に付けた。

「……ねえお母さん」

「なに?」

 蛇口から水を(ひね)り出しながら私は何の気なしに言う。

「エルフ国との国交さ、回復するんだって」

「……」

 お母さんの包丁を振る手が、止まった。

 私はそんなことには気付かず、ふきんで濡れた手を拭いてうがいを済ませる。

「お母さん覚えてる? 昔、ブリックとシャルノがさ」

「綿天」

 ぴしゃりと冷たい声色が私を(はた)いた。驚いて、お母さんの顔を見る。

「……今後、その話題は出しちゃだめ。もちろん、お父さんにも」

「……わかった」

「綿天も、そういうのわかるでしょ? もう高校生なんだから」

「……うん。そだね」

 ちらりと覗いたお母さんの横顔は、仮面のような無表情で塗り固められていた。


 私は学校指定の大きな鞄をベッドの上へ放り投げて、その横にどかりと腰を下ろした。

 私の行動を乱暴にしているのは、さっきのお母さんの態度だ。

 決していつも鞄がいじめられているわけじゃない。

「あんな風に……言わなくてもいいじゃん」

 そのまま倒れるように上半身を柔らかいシーツに預ける。

 少しばかりセーラー服がしわになりそうだったが、気にはしなかった。

「お母さんの言いたいことも……わかるけどさあ……」

 私が両親の前でエルフの話をしてはいけない理由は単純だ。数年前のある事件がきっかけで、お父さんが職を失ったから。

 その事件のことを、私ははっきりとは覚えていない。

 直接何がどうなってそうなったのかはわからなくて、ただ教科書をそのまま暗記したような言葉で「エルフ国との国交が途絶えた」としか覚えてない。

 その前後、あんなに仲のよかったブリックとシャルノとどんな話をしたかだとかも全く記憶がないのだ。

 お母さんが頑なにあの時のことは二度と口にするなと叱るから、口にしない内に薄れていったのかもしれない。

「ブリック。……シャルノ」

 二人は今ごろ、どうしているのだろうか。

 向こうのニュースなんて殆ど入ってこないようになったから、二人のことを思い出す回数も段々減っていった。

 私もお父さんのリストラがきっかけでこの街に引っ越してきて、環境に慣れるのでいっぱいいっぱいだったから忘れていた……なんてのは言い訳にならないだろう。

 社会科でエルフ国のことを習ったり、今日みたいに話題に出たりするたびに私は二人を思い出す。

 それ以外は本当に、たまに見るあの不思議な夢くらいだ。あの夢はいったいなんなんだろう。

「……わけわかんない」

 そうぼやいた時だった。


『………逃げろ!』


「え?」

 声がした。

 慌てて起き上がり、部屋の中を見回すが誰もいない。

 その声はまるで何もないところから飛び出してきたようだった。雑音の交じった強い男の声が、確かに天井か机かタンスか……とにかくこの部屋のどこかから聞こえた。

「………?」

 暫くきょろきょろしていたが、声はもうしない。

「……なんだろ、幻聴? それか……どっかにゲーム機しまったまま壊れて変な音出ちゃったとか……?」

 徐々に落ち着きを取り戻す。窓から直接入り込む夕焼けのオレンジ色を見つめながら、無理やりにでも落ち着ける。

 そうやって現実的な考察を図っていると、

『逃げろ!』

「ひゃっ」

 現実味のかけらもない激声がまた聞こえてきた。心なしか、さっきよりも私の耳の近くで聞こえた気がする。

「えっ、ちょっと、な、なに? なにこれ?」

『……逃げろ、逃げろ。逃げろ!……はやく、逃げろ……!』

 さっきと違って、声は一度で収まらない。

 何度も何度も、反復して一つの事を私に伝え続ける。単調ではない、人間味のある声。

「なっ……なんなのよいったい……!」

 後から考えれば、この時私は直感で……虫の知らせとでも言うべきだろうか、この得体のしれない声に従うことにした。

 そしてそれは大いに正しい判断だった。

 去年ボーイスカウトで使ったバックパックをベッドの脇から引っ張り出してお財布だけ入れて、重なり合う声の渦から逃げるようにして部屋を飛び出た。

 早足で階段を駆け降りリビングの前を通り過ぎる。幸いにもソックスは大きな音を立てなかった。

 そうして脱いだばかりのローファーを履き直し、私は玄関を出たすぐそこに停めてある自転車に乗って、我が家を後にした───。


 * * * * *


 家を離れた住宅地で、私は自転車を押していた。

 この辺りは昔からある住宅地で、下校中に(とお)った真新しい住宅地とは違って至るところに風雨にさらされた跡が残っている。建物自体もひと昔前の外見を(たも)っているものが多い。

 夕日の加減とあいまって、街並みは昭和の匂いがするような気がする──昭和を経験していない小娘はそんなふうに感じつつ、俯いたまま歩を進めた。

 形容するなら、それはまさに〝とぼとぼ〟と言うにふさわしい後ろ姿だったろう。

「……これからどうしよう。とりあえず外に出てきちゃったけど………〝逃げろ〟って、なに? ……どこへ、何から?」

 自問に答える者はない。私は足元に話しかけながら、あてもなく夕暮れの住宅街を抜けようとしていた。

 そのとき、横合いの電気屋さんが目に入った。

 古くさい店構えの電気屋さんは、表に面したショーウィンドウに商品のテレビを飾ってニュース番組や野球中継を垂れ流している。

 何気なく私はその電気屋さんに近付き、

「………ん?」

 そこでありえないものを見た。

 ……お分かりいただけただろうか。向かって左のテレビ、画面中央をご覧いただきたい。そこにでかでかと映っていたのは──私だった。

「…………なに、これ」

 制服を着た証明写真。この制服……これは、中学校の卒業アルバムに載っていた写真だ。ぼかしが入っているが、周りには昔のクラスメイトも映っている。

『こちらが、指名手配の舟星(ふなほし)綿天さんです』

 ニュースキャスターの女性が、よく聞こえる流暢な日本語を流す。

 …………指名手配? なにそれ。

『舟星さんは近日、日本を初めとした各国とエルフ国が国交を正常化するために重要な役割を果たす人物として、エルフ国外交大使に指名されました。これを受けて、日本警察や自衛隊はエルフ国立軍ほかと連携して、彼女を保護する体制を取っています』

 聞き逃してもいないのに、情報が頭に入ってこない。

 国交正常化に必要な人物? 警察と自衛隊と軍隊が私を保護? なにそれ、なにそれ。

 私は自転車を脇に持ったまま脳内で軽いパニックを起こしていた。

 そこに、女性キャスターの向かいに座っていた男性キャスターが口を挟む。

『彼女は、いったい何者なんですかね?』

『えー、我々報道関係に配られた資料には、〝国交正常化に必要な人物〟としか……』

『この写真見ると、中学生くらいですよね? 特別何かあるようには見えませんが……』

『そうですね……。関係者の話では、五年前のエルフ国が人間界から退去した事件と、深い関係があるとかで……』

 寒気を感じた。傾いた日射しは暖かいのに、秋の冷たい風が首すじをなぞった。

「どういう………」

 何もかもが身に覚えのないこと。

 ニュースキャスターがいつも通り円滑に済ませていく報道の何もかもが、日常からかけ離れていた。

「……!」

 解説を続けるニュースキャスター達の向こう側、店の奥から店主らしいおじさんがこちらに来ようとしているのがわかった。

 そそくさとサドルに跨って自転車を急発進させる。

 力いっぱいペダルを漕いで、冷や汗を感じながら後ろをちらりと振り返ると、おじさんが店にシャッターを下ろしているのが小さく見えた。

「…………、」

 どうしようもなさが後を引いたまま、私は私の街を後にした。


 残暑もなくなり始めた秋の夕暮れ。

 これが、あの逃亡の始まりだった。

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