リヴィーリング
時刻は……わからない。
遠い地平線の向こうから広がる大きな夕焼けに、心を奪われる。
あれからまた一日が経とうとしている。
いままで必死に逃げ回っていたのが嘘かと思うほど、穏やかな生活。
広いお屋敷に寝泊まりして、おいしいご飯に清潔なお風呂。自然いっぱいのお庭で一日を過ごして、やわらかいベッドで眠る。
時間にとらわれない、ゆったりとした理想みたいな三日間。
でも……なんだろう、この胸のざわつきは。
もちろんお父さんやお母さん、磨波や学校、部活のことは気になるけど……そういうのじゃなくって。
なにか不穏な感じがする。
なにか、大切なことを知らないままでいるような不安感。
なんとなくだけど、たぶんこれはブリックが帰ってこないのと……なにか関係があるはずだ。
* * * * *
「ねえ、リョースフリョートさん」
「……綿天様。それはただの地名です。〝フラム=リョースフリョート〟でなければ、それは私個人を指す呼び名として機能しません」
夕食後、私のお皿やグラスを片づけてくれた侍女さんに私は訊いてみることにした。
「……フラム=リョースフリョートさん。いま、ブリックはなにをしてるの?」
「ブリクスト様は王侯府にて、今回の一件を穏やかに収めるために尽力していらっしゃいます」
侍女さんはいつもと変わらず的確に、短い言葉で情報を締めくくる。
「でも……もう三日も帰ってきてないよ?」
「行事ごともない普段の役ならばともかく、この件はエルフ国全土のみならず人間世界までも含んだ、文字通り全世界に関わる重要な役務ですので。一日や二日でおいそれとお戻りになれるものではないのでしょう」
「だけど……」
「王族親衛隊のブリクスト様は、本来ならば人間世界に直接赴いたり、実家に寄ったりということを許されてはいない立場のはずです。それを押してまで、ブリクスト様は綿天様の身の安全を優先されたのです。どうかご理解くださいませ」
「で……でも………っ」
そんな上っ面の言葉が聞きたいんじゃない。ブリックが私のためを思って行動してくれてるなんて、もうわかってる。
でも私だって、ブリックになにかあったんじゃないかって心配で──、
「綿天様」
ぴしゃりと、侍女さんがムチを叩くような声を出した。
「あの方は、ご自分が戻るまで綿天様に一切の不安を与えぬようにと私に申し付けられました」
侍女さんはきつい眼差しを私に向ける。
「ですので、私の口からはこれ以上何も申し上げることはできません。どうか、ご理解ください」
こわばった侍女さんの口調は、私に次の言葉を出させようとはしなかった。そしてこれで終わり、とでも言うみたいにぱっと後ろを振り返って、
「……お風呂の準備をしてきます。少々お待ちくださいませ」
音もなく広間の隅にある扉のほうに歩いていってしまう。
侍女さんに言い負かされて、私は追及する気を削がれてしまいそうになる。力強い丁寧な言葉に折れてしまいそうになる……でも、それじゃダメだ。
ここで諦めてしまったら、きっと私は侍女さんに真実を問いただす勇気を失ってしまう。そうしてそのまま二度とブリックがどうなったのか訊けなくなって、あとで絶対後悔するんだ。わかってる。
……そんなのはいやだ。
私のために、ブリックは人間界まで来てくれた。
侍女さんに本当のことを尋ねるくらい、なんだ。今度は私が、ブリックの力になる番だ……!
「………これ以上言っちゃうとダメってことは、本当はブリック、知っちゃうと私が不安がるようなことをしてるん……だよね?」
「……───!」
侍女さんの動きが止まる。やっぱり、そうなんだ。
「お願い、フラム=リョースフリョートさん! 私、ブリックが私のために傷つくなんていやなの!」
侍女さんの頭が下に傾いた。
「私は、私の代わりにブリックが苦しむのなんて耐えられない!」
侍女さんの細く丸みを帯びた肩が小刻みに震えて、
「私、ブリックに───」
「……どうしてなんですか!」
突然の怒鳴り声に、身体がびくっと震えた。
「ブリックブリックって、どうしてブリクスト様のことばかり気になさるんです!」
「え…………?」
侍女さんが力いっぱいに声を荒げて叫んでいる。
え………なに? どうしたの?
頭がついていかない。
私が「メイドさん」って呼んじゃった時みたいな……いや、そんなのよりもっと激しい声色。
「どうして、ブリクスト様のお名前ばかり仰るんです!」
感情をそのままぶつけてくるような叫びから伝わってくるのは、隠そうともしない怒り。
まるで瓶のなかで爆弾が爆発したみたいな荒々しさが、広間に響き渡る。
「……私は〝彼〟に、この秘密を守り通すようきつく命じられました!」
侍女さんの顔に、怒りと、悲しみと、切なさと……いろいろなものが入り混じって、ぐちゃぐちゃになってしまった感情が弾ける。
「綿天様が残酷な真実に傷付かぬよう、その秘密を自らの命と共にニヴルヘイムルまで連れて行くと──そう仰っておりました!」
残酷な真実? 秘密?
〝彼〟って、ブリックだよね……? ………いったい、なんの話?
「けれど私は! もう綿天様の無垢を看過できません!」
振り向いた侍女さんは、布地が引き千切れるんじゃないかというくらい、行き場のない怒りを胸元のエプロンに押しつけていた。
いまにも雄たけびを上げて殴りかかってきそうな、ぴりぴりとしたその雰囲気にたじろぐ。
「私はもう、〝彼〟の淋しそうな翠の背を見とう御座いません!」
言い切ると、侍女さんは荒っぽい足取りで私に詰め寄った。
「お答えください綿天様!」
近づいた淡いピンクの前髪が揺れる。
こ、答えるって……なにを?
涙を浮かべたコバルトグリーンの瞳が、きっと私をにらんで、
「───ブリック様の瞳の色は、何色でしたか」
「……………………え?」
……………………コバルト、グリーン?
「──あなたが一昨々日まで一緒に居られた騎士の瞳は、何色でしたか」
……そう、コバルトグリーン。
一昨々日まで見ていたブリックの瞳は、たしか深いコバルトグリーンだった。
だけど。
それは、ブリックの瞳の色じゃない。ブリックの瞳の色は……レモンイエロー。そう、明るいレモンイエローだった。
コバルトグリーンの瞳は、ブリックじゃなくてシャル───…………え?
「……お気付きに、なりましたか」
侍女さんの冷たい言葉が、首筋を這う。
待って。
じゃあ。
あれは。
「……あなたが一昨々日まで一緒にいらっしゃった騎士の名は、」
「……………シャルノ……?」
* * * * *
「……シャルノ様は、綿天様に自らの正体を気取られぬよう、綿天様が瞳の色を気にしなくなる〝煮〟を掛けておいででした」
広間のクリーム色の絨毯に突っ立って、私と侍女さんは話をしていた。
「というのも、シャルノ様はブリクスト様の身分でもって、騎士として人間世界へ赴き綿天様を保護されたからです」
実際、話をしていたのは侍女さんだけだ。
私はただ呆然と立ち尽くして、侍女さんの口から流れる言葉を聞いている。
ブリックが……シャルノだった?
………、考えがまとまらない。
何年も前の二人の顔と、ついこの間まで一緒にいたブリック……いや、シャルノの顔が浮かんでは消えてまとわりついて、私の身体を動けなくしていく。
「ブリクスト様が実はシャルノ様であることは、綿天様にも決して露見してはならないことでした」
いままで私がブリックだと思っていたものは、いったい誰だったの?
私が好きになったブリックは、ブリック? それともシャルノ?
「というより、シャルノ様は既にシャルノ様ではなく、ブリクスト様だったのです」
………?
「シャルノ様はあの日よりずっと……ブリクスト様として、日々を過ごされてきました」
シャルノが、ブリックとして………?
それって、どういうこと? あの日って……もしかして、あの〝星屑が散った日〟のこと?
でも、なんであの日から、シャルノはブリックになったの? それじゃあ……ブリックは?
次々と浮かんだ疑問符が、頭からどこかへ離れてくれない。
私の整理が追いつくのを待たずに、侍女さんは次に次にと話を進めていってしまう。
「私はいつも、隣でそれを見てきました。辛い日もありました。苦しい日も少なくはありませんでした。それでもシャルノ様は、そんな辛苦の日々を耐え抜かれました」
侍女さんは小さく一息ついて、
「単に貴女の為に」
「私の………?」
ゆっくりと視線を持ち上げて、侍女さんの顔を上目に覗き見る。
そこにあったのは、いつもの厚い鉄面皮を脱ぎ捨てた……シャルノを思う侍女さんの、強い女の子の顔だった。
侍女さんは深くうなずいて、
「シャルノ様は幼い身空にブリクスト様の遺志をお継ぎになって、ご自分の全てを……貴女の為に捧げられました」
哀しい瞳で訴える侍女さんから、罪悪感から目を背けたくなるのを必死に抑える。シャルノは、私のためにブリッ──く?
……いま、なんて言った。
「ブリックの、遺志を継いだ………?」
「……はい」
「ちょ……ちょっと待って! え………? じゃあ、じゃあ………!」
あわてて詰め寄る私に、侍女さんは言いづらそうに目を落として、
「…………ブリクスト様は、亡くなられました」
* * * * *
直接その場面に立ち会ったわけではなかった。
私がこのお屋敷に来たのはあの事件があってから一年ほど経った頃だから、これはシャルノ様から又聞きした話になる。
「あの日、どんなことが起こってエルフ世界と人間世界が分かたれたかは、ご存知ですか?」
「…………うん。ブリッ……シャルノに、聞いた」
……驚愕、自失、疑問。
私が明かしてしまった禁断の真実に、綿天様がこちらが痛くなるほど振り回されているのが傍目にもよく分かる。
「畏まりました。それでは……説明致します。……あの日、綿天様達がいらっしゃった山の向かいでは、両世界の親和反対派の過激派──『ウェトル』という逆賊が、〝橋〟の〝留め金〟を壊そうとしておりました」
綿天様は静かに私の目を見て話を聞いておられるけれど……その実、内容が耳に入っているかは疑問が残る。
その視線はどことなく虚ろで、中空を捉えているようにも見えなくはない。
「綿天様の声で、彼らを狙撃しようとしていた四人の兵士の存在に気づいた『ウェトル』は、その初弾を兵士達に向けて発砲しました」
「………そう、なの?」
「……そこから先を、ご存知ではないのですね」
そこで私は少し迷った。
ブリクスト様がお亡くなりになったことは伝えてしまったけれど、果たしてその死因まで伝えてよいものか。
何も知らなかった綿天様は、きっとまた深く傷付かれるだろう。
「『ウェトル』は当然、兵士達から反撃が来るだろうと焦っていました……が、『ウェトル』が手間を掛けて次弾を装填するまでに、それらしい反撃はありませんでした。そこで『ウェトル』は、その次弾で〝留め金〟を撃ち落としたのです」
「……えっ、と」
まだ戸惑いを隠せないまま、それでも私の話をお耳に入れていたらしい綿天様がおずおずと口をお開きになった。
「……その、兵士さんたちはどうして、反撃をしなかったの?」
「! …………、」
鋭い指摘に、私は今更ながら天を仰ぐ。
───ブリクスト様とシャルノ様が守りたかった、人間世界の女の子。
絶望的な不運に苛まれながら、皆様の恵愛に守られてきた幸せ者の綿天様を、私は敢えて……それが、お二人のお気持ちを裏切る行為と知りながら敢えて……ギンヌンガの裂け目までお落としすると。
「………『ウェトル』が放った初めの弾丸は」
そう決意する。
「綿天様を庇われた、ブリクスト様の幼い命を……捥ぎ取ったのです」
* * * * *
雪のような毛並みを持った六本脚の軍馬が、慣れない厩で暴れていた。
「こら、落ち着け、落ち着けってば!」
一人の騎士が必死に宥めるが、軍馬は聞き入れる耳も持たずに前後の脚を振り回す。そこに、
「何をやっている」
「あ……ビョールク審判騎士殿。そ、それがこのセクショールニルが慣れないのか、暴れて困っているのです」
「無理もあるまい」
黒い装束を纏った顔の見えない大柄の騎士は、尚も暴れる軍馬の頬を摩って、
「これから主人が死ぬかもしれんのだ。じっとなどしておれんよ」
騎士が摩る内に段々と、鼻息を荒くしていた軍馬は落ち着きを取り戻し、やがて眠りに就いてしまった。
「なあ──フリーヤニル」
* * * * *
「ブリックが……撃たれ、た?」
「はい。……とても、不運な出来事でした」
すっかり日の沈んだ屋敷のなかは、いつもよりもしんと静まり返っている気がした。
私と侍女さんの二人しかいない広間にはランプが灯されていたけど、その空気は暗い。
ブリックが……死んだ?
もう、この世にいない? ずっと昔から?
………ずっと、ずっと前に………死んじゃってた。
もう、会えない?
…………。
………………。
……信じたくない。
侍女さんはカーテンの閉じられた窓際に歩きながら、
「兵士を狙った『ウェトル』の凶弾は、奇しくも綿天様と兵士との間に割って入ったブリクスト様を……貫いたそうです」
たしかに、ブリックが私の前に飛び出してきたのは覚えてる。紅葉の山から現れたひげを生やしたエルフから、私を守ろうとしてくれた……んだと思う。
でも、ブリックが撃たれたなんて覚えてない。
「私、そんなの……知らないよ」
「無理も御座いません」
侍女さんは私に背を向けたまま、カーテンに手を置いて答えた。
「綿天様はブリクスト様が被弾されたのを見て前後不覚に陥り、その後〝留め金〟が弾き落とされたときの衝撃で気を失ったと……そうシャルノ様は仰っていました」
「……そ……そんな……………」
知らなかった。
……私だけが。
「エルフ国の王は〝留め金〟が失われたことを知るとすぐに、大規模な〝歌〟で人間世界にいたエルフ全員をエルフ国に送還なさいました」
一番近くにいたのに、私だけがなにも知らない。
あの時いなかった侍女さんでさえ、全部……ブリックが……撃たれたことまで知ってるのに。
こんなことって………!
「そうしてエルフ国へと戻ってきた瀕死のブリクスト様とシャルノ様は、二人のエルフの兵士に保護されました」
あの時と同じ、知らない内に大事なものを失ってしまった感覚に胸を刺される。
あの日、星屑が散ったあとのことはほとんど覚えていない。後からお母さんに聞いた話だと、山で気を失っていた私を警察の人が見つけてくれて村まで運ばれたらしい。
目を覚ましたのも次の日の朝で、私は自分の部屋のベッドのなかにいた。
ごたごたとはしていたけど、いつもと変わらない日がしばらく続いていたと思う。
………でも気がついたら、ブリックもシャルノもいなくなっていた。
それに気づいたときに感じた、あの遠く寂しい痛みに似た気持ちが私のなかにある。
「ブリクスト様は急いで医術師の元へ運ばれたようですが、元が大きな弾だった上に〝歌〟で強化されていたので……手の施しようがなく、間もなく臨終が判断されたようです」
「……そう、だったんですか」
私があのとき、叫んだりしなかったらブリックは………。
そんな陳腐な考えが浮かんだけれど、そんなことを言ったってブリックは帰ってこない。
知らない間にいなくなっちゃったブリックは、私のところに帰ってきてはくれない。
「あの………、ブリックのこと………話してくれて、ありがとう」
……とりあえず、口止めされてたのに教えてくれた侍女さんには感謝しないと。
そう思って、クリーム色の絨毯を見つめてお礼を言うと、
「いえ、本題はここからです綿天様」
「……え?」
本題?
ブリックが死ん………死んじゃったのよりも、大事な話があるってこと?
「シャルノ様は現在、亡くなられたブリクスト様の身分を使ってらっしゃいます」
たしかに、さっきそう言っていた。
「でも死……死んじゃった人の身分を使うって、そんなことできるの?」
私が訊くと、侍女さんは首を横に振った。
「いいえ。エルフ国には日本と同じように、戸籍がありますから、通常はそのようなことはできません」
じゃあ……と口を出しかけたところで、
「ですがブリクスト様は、法的には死亡されていないのです」
「……は?」
〝法的には〟……って、どういう意味?
「本来ならばブリック様の死亡確認をした医師が死亡届を提出し、役所に受理されるはずでした。しかし、急な国交完全途絶の影響で全ての行政機関が正常な機能を停止していたために、死亡届が適切に受理されなかったのです」
「え…………。で、でもブリックは死んじゃってたんでしょ?」
「はい。亡骸も先祖代々の墓地にきちんと埋葬されて、安らかに眠っておられます……が、ニヴルヘイムルへ行かれた後も書類上では、ブリクスト様はまだ生きておられました。……もっともそれが判明するのは、ブリクスト様が亡くなられてから何年か経ってからでしたが」
……少しだけ、話が見えてきた。
そんな気がした。
「そして数年後、御館様がブリクスト様の死亡が認められていないことを知られたのと時を同じくして、ヴァナ・ホルガル大学士校の附属中等学校に入学されたシャルノ様のお耳に、ある噂が入ってきました」
たぶん、それって………。
「私………、だよね」
「………綿天様の、仰る通りです。その噂は、〝人間世界へ懸かる〝橋〟が直り次第、国交途絶を引き起こした張本人である人間の少女を捕縛して、然るべき責任を取らせる〟……というような内容だったそうです」
「でも、そんな噂が流れたって、それだけでシャルノは……」
私の言葉を遮って、侍女さんはまた首を横に振った。
「シャルノ様が通われていた学校は、国内でも三本の指に入る名門の国立学校です。卒業生や経営の面で国政と密接な関わりのある教育機関でしたから、その噂はほぼ真実に近いものだと……シャルノ様はそう判断されたのでしょう」
私にはよくわからない世界だ。
政治とか教育とか、複雑で……よくわからない。
「それって、シャルノが何歳ごろの話?」
「シャルノ様は中等学校には飛び級で入学されましたから、十か十一の頃だと記憶しております」
「…………」
そんな頃から………。
「そしてシャルノ様は、賢哲な頭脳でお考えになりました。綿天様を助けるには、騎士になるしかないと」
「……? どうして?」
「エルフ国では、政治家以外に国政に関わることができる階級は騎士しか存在しません。国政のみならず軍隊もそうですし、警察も、救急も、もちろん裁判も。全ての公的な実働業務が、国の抱える騎士の手で行われるのです」
「………?」
私が困った顔をしていると侍女さんはつまり、と区切って、
「シャルノ様はその人間の少女、つまり綿天様を実際に捜索、またその指揮を執るであろう騎士になることが、綿天様を助ける上で先決だとお考えになりました。……〝橋〟の復興は早くて数年で終わるとも噂されておりましたから、たとえ政治家になったとしても綿天様を若輩な政治の力で助けられるとはお思いにならなかったのでしょう」
すごく複雑で、難しい。
シャルノは十歳のときに、そんなことを考えてたの?
「………シャルノは私のことで、すごく悩んでくれてたんだ」
「はい」
侍女さんは深くうなずいた。
思わず、目に涙が浮かびそうになる。
「ですが、シャルノ様が騎士を目指すに当たって問題がありました」
「問題……?」
「はい。シャルノ様が進学された学校は、政治家や学者を育てる為の進学校でした。ですからシャルノ様の選ばれた進路には、〝騎士になる〟などという肉体労働を求められる選択肢は用意されていなかったのです」
そうだったんだ。
それで、シャルノはあんな………。
「………それでシャルノは、ブリックになったんだね」
「………左様に御座います」
侍女さんの声のトーンが、ひとつ下がった。
「シャルノ様は騎士になる手立てを模索しましたが、どれも実現には至りませんでした。極論を言ってしまえば、学校を自主退学なさっていたなら騎士学校に途中編入はできたかもしれません。……が、ヴァナ=ホルガルを途中退学するということはご両親の名誉に泥を塗る行為でもありましたから、お優しいシャルノ様はその道を選ぶことができませんでした」
そんなにすごい学校にまで行ってたのに、なんで……なんで私なんかのために、そこまでしてくれたの………?
……それだけじゃない。知らない間に、私がシャルノをそんなにも追いつめていたなんて………思いもしなかった。
「そうして万策尽きたとき、シャルノ様は御館様から、ブリクスト様の死亡届についての話をお聞きになったのです」
ああ………そうだったんた。
話が、つながった。
「シャルノ様は御館様と奥方様を必死に説得なさいました。もちろんお二人は、ブリクスト様の身分を詐称するなどとんでもないと、シャルノ様に考えを改めるようお叱りになりました。ですがシャルノ様は九日九晩かけて説得を続けられ、漸くお二人を渋々ながら得心させられました」
……そっか、そうだよね。
シャルノのお父さんもお母さんも、シャルノがブリックの振りをしてるって、知ってるんだよね。
……シャルノのお父さんとお母さんは、シャルノの言葉をどんな気持ちで聞いてたんだろう。私のこと、どう思ってたんだろう。
どんな気持ちでシャルノに、「わかった」って……言ったんだろう………。
「そしてシャルノ様はブリクスト様として、王侯府直轄の騎士学校へと入学なさいました。その後のことは……恐らく、綿天様も知っての通りでしょう」
「…………」
時間の感覚がない。
どれくらい話していたんだろう。ずっと立ちっ放しだけど足は痛くない……でも不自然に、ひくひくと膝が笑っている。
ブリックはシャルノだった。ブリックは死んじゃってた。シャルノは進学の道を諦めてまで、私を助けてくれた。
「……………」
言うべき言葉が見つからない。
こんなとき、私はなんて言えばいいんだろう。
………、……。
…………………、
「………馬鹿なシャルノ」
自分でも知らないうちに、声が口から出ていた。
「は…………?」
信じられないものを見るような目で、侍女さんが振り返る。私は辛抱できずに、
「……私なんかのために、どうしてそんな辛い目に遭うの……? 私、ブリックを……シャルノの大事なお兄ちゃんを、殺しちゃったんだよ………? それなのに、なんでそんな私なんかのために、シャルノが………」
ああ……、もうぐちゃぐちゃだ。
なにも考えられない。
鬱憤みたいなイライラが、気持ちわるい言葉になって私と侍女さんとの間に冷たく溶けていく。
「シャルノがシャルノを……やめなくちゃいけないの…………っ」
涙がこぼれた。
だめだってわかってるのに、目の前が勝手にぼやけて霞んでいってしまう。
「なんで私なんかの……ために、………シャル、ノが傷、ついて………一人で………一人で悲しい、思いをしなくちゃ……なら、ないの………!」
喉が勝手にしゃくって、言葉が途切れて不安定になる。
だめだ。泣いちゃだめだ。
ここで泣いたりしたら、卑怯だ。
「シャルノ……ごめんね………、ごめんね、私の、私なんかの、せいで、………うっ、ううう………」
必死に泣くのを堪えたいけど、心にできた傷口は塞がってくれない。その大きな穴からはどんどん涙が外へ出ていってしまう。
ここで泣いたりしたら、私はまるで被害者だ。
シャルノを追いつめたのは私で、傷つけたのも私。なのに勝手に傷ついて泣いてごめんなさいなんて、そんなのあんまりにも自分勝手が過ぎる。
そんなのはただの……自己満足だ。
悪いことだ。
「ごめんっ、ごめんなさ、いぃ…………い」
私は、私がしちゃったことを受けとめて、ちゃんと……涙を……止めなくちゃ……っ。
「私なんっ……」
「そんな言い方は………あんまりでございます」
侍女さんが、私の泣き声を遮ってそう漏らした。
「ぅえ………?」
驚いて、声のしたほうに顔を向けても涙で侍女さんの姿は見えない。けど、
「ご自分を〝私なんか〟などと謙るのは………聞くに耐えませんっ!」
侍女さんは再び、声を荒げて心の内を露わにする。
「……シャルノ兄様は、貴女のことが好きでした! ブリック兄様と貴女と三人で遊ばれていた頃から、シャルノ兄様はずっと好きでした!」
………──それは、驚くべき言葉だった。
「貴女と別れてからも、貴女のことが好きでした! 貴女に苦しい運命が待ち受けているのを知ってからは、ご自分の人生を貴女の為に犠牲になさいました! 本当は、本当なら騎士学校なんかではなく、大学士校に入って学問の道を極められるはずでしたのに!」
シャルノが。私の、こと。
…………好き?
「シャルノ兄様は貴女の為になら何だってしました。そういう方でした。貴女の為に不得意な剣の鍛錬をされたり、馬に蹴られたり野蛮な軍事を学ばれたり………。真冬の夜に、貴女を探して夜中走り回ったこともあるとか!」
「ちょっ、待って……」
驚いた拍子に、涙の勢いは弱まっていた。侍女さんの叫ぶ勢いに圧されないよう、両手で湿った目をこする。
「シャルノ兄様は貴女を救う為に、犠牲にされたのです! 夢も時間も人生も、全てを──命まで投げ打って!」
「ちょっ、ちょっと待ってっ………! 命までって……どういうこと?」
私があわてて口を挟むと、侍女さんはしまった、という顔をして口をつぐんだ。
命………?
「……フラム=リョースフリョートさん! シャルノが……なに? シャルノの命が……なんなの?」
いま、「命まで投げ打って」って言った。
シャルノが、命まで投げ打って、って……!
「……いま、シャルノは王侯府ってところで……いったいなにをしてるの!」
侍女さんはしばらく、気まずそうに目を逸らしていた。けれどしびれを切らした私が、
「………フラム=リョースフリョートさん!」
いままで出したこともないような大声で怒鳴ると、侍女さんは観念してぽつぽつと話し始めた。
「………シャルノ様は今、王様に直訴に行っています。……貴女を無罪放免にするためです」
「無罪、放免……?」
シャルノはいま、今後のことを考えるために情報を集めたりしてるんじゃなかったの? 王様に……直訴?
私を無罪放免にするためって、そんなこと……。
「その為にシャルノ様がどんな方法をお考えか、貴女にわかりますか?」
「………わかんない」
侍女さんはまたくるりとロングスカートを回して、閉まっているカーテンのほうを向いてしまう。
「シャルノ様は〝事件を引き起こした諸悪の根源〟として、貴女の身代わりに我が身を差し出し、貴女の大罪を──その背に背負われるおつもりなのです」
「な………」
──なにそれ!
耳を疑った私だけど、続く侍女さんの言葉はもっとひどかった。
「最悪の場合は…………死刑になりましょう」
「し………死刑? ……嘘、そんな、そんなのって……………」
「……残念ながら、それを容認できてしまう法律がエルフ国には存在するのです」
侍女さんは平静を装って、
「そして綿天様が本来被るはずだった罪の名は、〝国家禍乱罪〟……つまり、一番重い等級の罰が課せられる罪です」
「…………!」
それを、シャルノが肩代わりしようとしてるってこと?
それで、死のうとしてるってこと? ……私にはなにも言わずに?
そんなの…………、
「…………だめだよ」
「……綿天様?」
「そんなのだめだよ!」
びくりと、侍女さんの肩が震えた。
「私ばっかり皆に甘えて、なにも知らないまま皆に迷惑かけて、今度はシャルノが私の代わりに死ぬ? そんなのだめだよ! 絶対にだめ!」
こんなに啖呵を切ったのは、生まれて初めてだ。
言葉にまとめきれない気持ちが、ぐつぐつと胸のなかで煮えたぎる。
「私、シャルノに伝えなきゃいけないこといっぱいあるもん! なのにシャルノが死んじゃったら、私これから先どうしたらいいの? ブリックとシャルノを殺しちゃったのは私だって指を差されても、だれにも文句言えなくなっちゃうんだよ? だって本当のことだもん! 私はもう……私のせいで、だれも苦しませたくなんか……ない!」
言い切った。……息が上がる。
肩で息をしているのが興奮しててもわかる。ほっぺたの熱さが、じんわりと全身に浸透してくる。
私の叫びを聞いた侍女さんは、
「しかし……」
なお言い渋る。
「今から王侯府へ向かっても、着くのは明晩になってしまいますよ」
「……そんなにかかるの?」
思わぬ遠さに面食らう。
「そうですね……。セクショールニルも、猫車もありませんし………」
侍女さんはあごに指を当てて考え込んでしまった。
そんな時間ない、早く……早くなんとかしないと……!
もうシャルノが出て行ってから三日が経とうとしている。いま、こうしてぐずぐずしているうちにも、シャルノは殺されちゃうかもしれない。
「…………そもそも、これはシャルノ様が……自らご決断されたこと。……私は、それを諫めることなど………許されておりません」
苦しそうな声で、侍女さんがひとつの結論を出した。
……それって、シャルノを見捨てろってこと?
シャルノが死ぬかもしれないのに、なにもしないでお屋敷で寝てろって……そういうこと?
そんなの……それこそ絶対にだめ!
「お願い、フラム=リョースフリョートさん! シャルノに………シャルノに会わせて……!」
もう待ってるだけの自分はいやだ。
私が自分の足で走りださないと、今度こそなにも伝えられないまま終わってしまう。
「…………」
侍女さんはクリーム色の絨毯の敷かれた床をじっと見つめていた。
ふと顔を上げて、閉まったカーテンの端を少しだけ手繰って外の景色をちらりと覗く。
「………そういえば、今夜は〝星屑の降る夜〟でしたね」
「え?」
どうして、この人がその言葉を知ってるんだろう。
あれはただ、私が霧に包まれたあの日の記憶をぼんやりと〝星屑の散った日〟なんて呼んでただけなのに。
「…………」
なにか思い付いたふうに黙っていた侍女さんは、
「綿天様」
「は、はい」
こっちに振り向いた穏やかな呼び声に、思わず姿勢を正す。侍女さんは私に初めて見せる、微笑とも無表情ともつかない清らかな顔をして、
「シャルノ様を、追いかけて行かれますか」
解説です。
時間も文章も残り僅か! ラストスパートです。
ずっと言い忘れていたのですが、「セクショールニル」について。
普通に読んでいればわかるであろうことまで、とやかく解説するのが嫌だったのでやらなかったのですが、よく考えれば完全な造語なので。この機会に解説することにします。
「セクショールニル」とは、古ノルド語の「sex(六)」+「jór(馬)」+「Sleipnir(主神オージンの乗る八本脚の軍馬)」から成る造語です。
ニヴルヘイムルは北欧神話に出てくる「死の世界」です。意訳では「あの世」って感じですね。
後は「九日九晩」ですかね。
これは慣用語……と呼んでいいのかわかりませんが、神話関連では比較的よく耳にする言い回しです。
読み方はわからなかったので、無難に「くばん」としました。
知恵袋などでは「ここばん」と答えている方もいらっしゃいましたが、「九」は「一、二、三、四……」と数えるときに使う読み方で、接頭辞とする場合は「ここの-」という使用法が正しい為「ここばん」という読みには違和感がありました。「ここのばん」というのも締まりがないので、「くばん」でいいかな、と。
ギリシャ神話のタルタロスの話も有名ですが、ここでは主神オージンが自らの身体を〝九日九晩〟木に吊るした故事をモチーフにしました。
おっと忘れていました猫車。
これは完全に造語です。慣用語でもなんでもありません。
北欧神話で美と愛、豊穣の女神とされる女神プレイヤが移動するときに、馬や牛ではなく猫に車を牽かせていたのをモチーフにしています。
馬車、牛車という語があるので、雰囲気出す為だしいいかな……ということで造語を登場させました。
余談ですが、にゃんこ可愛いですよね。
全体に説明する場面が多くて読みづらいと思います……スミマセン。
もうちょっと上手く纏められたらよかったのですが………やはり慣れるのはまだまだ先ですね。
〆切まであと二日!
あと二章、死ぬ気で書き上げます!
それでは皆様、引き続き『星屑エスケープ』をお楽しみください。




