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ワン・デイ・イン・エルフ・ステイト

 見渡すかぎり視界いっぱいに、溢れんばかりの草花(くさばな)が彩りを咲かせていた。

 最初に目に飛び込んだのは、アーチや門のエクステリアをかたどるように並んだ華やかな花々と緑の余白。

 それぞれに形の違う赤や黄色にむらさき、オレンジや青の花びらが、庭のなかにまとまった緑の調和を作り出している。

 アーチの近くには白いカフェテラスまであって、やっぱりそこにもチューリップやなんかが飾られていてさわやかな風景に余さず組み込まれている。

 柱にらせん階段を作るように巻きついたツタと真っ赤なバラ、並べられたおしゃれな白い陶器から身を乗り出すラベンダーやパンジーにも似たお花。

 頭に十字架が乗っかった石の塔のオブジェにも、硬さをやわらげるように散らばる淡色の小さな花々。

 どれもが豊かに調和して明るい色彩の庭園を形作っている。

 こういうのを、イングリッシュガーデンっていうんだっけ。

 垣根と高い(さく)に囲まれた庭の隅に目をやると、外周をぐるりと一周して流れる清水(せいすい)は水路を蛇行して庭の中央に白い噴水の池を潤している。池の水にはハスの葉が浮かび、大理石でできた噴水には緑で飾られた三体の神様の彫刻が彫られていた。

 心が洗われるというか……自然と落ち着く感じがする。

 ウォーターガーデンも兼ねた華やかな箱庭に、私はすっかり魅了された。

 涼しげな麻の衣装に袖を通した腕を思いっきり横に広げて、くるくる回りながら足元のやわらかい芝の感触を確かめる。裸足だったら、もっと気持ちいいんだろうな。

 見上げれば、はるか遠くまで続く青い空と白い雲。

 まさに少女漫画に出てくるお城の庭だ。


 まるで別の世界に来たみたい──って、そっか。

 ここは別の世界なんだった。


 * * * * *


 無事に虹色の〝橋〟を通ってエルフ国に入った私は、フリーヤニルくん主催青空乗馬体験のジェットコースターを超えたスピード感に圧倒されながら、夜のうちにブリックのお家に辿り着いた。

 初めて見たブリックのお家は、なんというかものすごかった。

 家というよりは館。

 高い木ほどもある鉄の門を見上げてフリーヤニルくんから下りた私は、左右を見ても家──館の端っこを捉えられなかった。

 垣根みたいな、館の外をシャットアウトしてしまうものはない。館の外周は門と同じくらいの高さの(さく)でぐるりと囲まれていて、暗闇のなかでもそのすき間からたくさんの草花(くさばな)が見てとれる。

 前にテレビで見た、ドイツかどこかの古いお屋敷によく似ている。

「ここが俺の家」

 フリーヤニルくんの手綱を引いたブリックが、大きな鉄の門の前に立った。

「ブリックって、実はお金持ちだったんだ」

「ご先祖様が凄かっただけだよ」

 謙遜するように返して、

「いま、無事連れて帰ったよ。門を開けてくれ」

 ブリックは誰か向こうにいるわけでもないのに、門に向かって声高に話しかける。すると、声に応えるみたいに一人でに門は開き始めた。

 ギイイ……と鉄さびを()るみたいな音を立てて何メートルもある門が開く様子は、〝橋〟の門が開くのよりもよっぽど威圧的だった。

「どうぞ。入って」

 ブリックに言われるがまま、門の内側に足を踏み入れる。

 ブリックとフリーヤニルくんも続いて、するとまた一人でに門は閉じていく。

 お屋敷の敷地のなかは小石を敷きつめた通路と芝でできていた。暗くて庭の果ては見えないけど、少なくとも学校の運動場や三浜(さんのはま)のコンサートホールなんかよりはずっと広い。

「俺はフリーヤニルを(うまや)に戻してくる。後のことは、その子に聞いてほしい」

 ブリックの指さした方を見ると、闇のなかにいつの間にか女の人──メイドさんが立っていた。

 暗くてわかりづらいけど、背や歳は私と同じくらいに見える。淡いピンク色の髪を、頭の後ろを回すみたいにして編み込んでいる……っぽい。

 肌を露出しない、正統なメイド服を身につけた女の子は背筋を伸ばしたまま綺麗なお辞儀をして、

「ようこそいらっしゃいました綿天様。この屋敷での綿天様のお世話は、(わたくし)が務めさせていただきます」

「あ……ありがとう、ございます」

 本物のメイドさんを見るのはもちろん、仕えられるなんて初めてだ。こっちが萎縮してしまう。

「じゃあ、また後で。後は任せたよ、フラム=リョースフリョート」

「かしこまりました」

 手を振って、ブリックは甘えるフリーヤニルくんを連れて向こうへ行ってしまった。

「さ、綿天様。どうぞこちらへ」

「あ、はい」

 メイドさんに案内されて、私は巨大なお屋敷の玄関へと小石が敷きつめられた道を歩く。

 明るい月に照らされる夜の空気に、ぼんやりとその巨大な影だけが私の前に立っているような気がした。


 メイドさんはまず、私にお風呂を勧めてくれた。

 ブリックに渡されてからずっと着ていたローブや、その前からずっと下に着ていた服なんかを全部脱いでまとめてメイドさんに渡す。

 広いバスタブつきの清潔なお風呂場で、私は丸一日……二日かな? 普段なら許せないほど溜まってしまった汗や疲れをシャワーで洗い流した。

 心置きなくシャワーを浴びて脱衣所へ戻ると、ハンガーラックにバスタオルと替えの服がかけてあった。

 ふわふわのバスタオルで身体じゅうの水滴を拭き、ベージュ色のバスローブを身体に巻いて外に出る。

「わっ」

「……〝綿天は長風呂だ〟と聞いておりましたが、お早く済まされたのですね」

 スライド式の扉を開くと、目の前にあのメイドさんが立っていた。

「なにか問題でもございましたか?」

 もしかしてこの人、タオルと着替えを用意してくれた後ずっとここで私が出るのを待ってたの?

「ううん、とっても気持ちよかった。ありがとう」

「とんでもございません」

 メイドさんは上品に首を振った。

(あるじ)に誠心誠意仕えるのが、侍女の務めですので」

「……私と同いくらいの歳なのに、ちゃんとしてるんだね」

「お褒めいただき恐縮です」

 メイドさんはまたぺこりと頭を下げた。

「あ、でも私はあなたのご主人様じゃないよ?」

 私がちゃかすように言うと、

「構いません」

 メイドさんはほんの少し口角をゆるめた。

「綿天様を家族と同じように扱うよう、(わたくし)は仰せつかっております。ですので今の私にとっては、綿天様は主同然です」

「それって、ブリックが言ったの?」

「……左様にございます」

「じゃあ、私が長風呂っていうのもブリックが言ったの?」

「………いえ。シャルノ様にございます」

「……なんでそういう、恥ずかしいことを言うかなー………」

 長風呂のなにが恥ずかしいかなんてわからないけど、お風呂関連のことを人に指摘されるってこと自体ものすごくむずがゆい。

 でも、メイドさんにそんな風に言ってくれたブリックには……感謝しないと。

 メイドさんは私の二重(にじゅう)の赤面なんて気にもせずに、

「綿天様。お食事を用意しておりますので、広間へ案内致します」

「あ、ごめんなさい。せっかく用意してくれたのに悪いんだけど」

 顔を上げて、口の前で手を合わせる。

「いまは食べるより……眠くって。どこか、寝られるところに案内してほしいです」

 たしかにお腹も減ったけど、なにせ丸一日以上寝ていないんだ。

 安心して寝られるいま、ぐっすり寝ておきたい。

「かしこまりました」

 メイドさんはいやそうな顔なんてかけらも見せずに、

「それでは、ブリクスト様がご用意された客間へご案内いたします」

 長いスカートの裾をふわりと回して廊下への扉を開いた。

「こちらへどうぞ」

「あっ、はい。………あ、バスタオルってどうしたらいいですか?」

「それでしたら、(わたくし)がお預かりします」

「あ、どうも。……えっと、これ濡れてるけどメイドさん大丈夫ですか?」

 濡れているものをそのまま人に渡すのは抵抗がある。

 と、私の手から濡れたバスタオルを受け取ろうとしたメイドさんの動きが止まった。

「?」

「………いま、なんと仰いましたか」

「へ? ……濡れてるけど、いいですかって……」

(わたくし)のことをいま、なんとお呼びになりましたか?」

「め、メイドさん?」

 答えると、メイドさんはばっ、と勢いよく私の手から濡れたバスタオルをむしり取って、

(わたくし)は〝侍女〟です! 由緒正しいスコーグルフローディウッルル家に仕える、果報者の侍女です! 二度と、〝メイド〟などとお呼びにならないでくださいませ!」

 ………さっきまでの上品さはどこへやら、すごい剣幕で私を怒鳴りつけた。

「………は、はい」

 勢いに負けて、ぽかんと口が開く。

 言葉遣いそのものはていねいだけど、それとこれとは別問題だ。

 広いお屋敷の一室に、嵐のあとの静けさが訪れる。

 自分がなにをしたのか思い出したんだろう、メイ……侍女さんははっと長い耳の先まで赤らめて後ろを向くと、呆然とする私に向けて一言。

「……こちらへどうぞ」


 * * * * *


「……だって」

「はは、あの子らしいね」

 小さなろうそくの火が揺れるだけの薄暗い寝室。

 さすがに天蓋まではないけど、それでも私はお姫さまが寝るみたいなふかふかのベッドで横になる。

 ブリックがはじめに用意してくれた客間は、ゆうに私の部屋の二十倍は豪華だった。インテリアの一つ一つが私の部屋にあるもの全部より高そうなものばかりで、ベッドも天蓋つき、床はエルフ風の文様が縫い込まれた絨毯(じゅうたん)。なにより部屋そのものが、私の家のリビングの三倍は広かった。

 どうも私は、その部屋でぐっすり眠れる気がしなかった。

 部屋を覗くやいなや「部屋を替えて」と頼んだ私に、ブリックはグレードアップして家にいないお母さんの部屋を貸してくれようとしたので全力で遠慮して、もっと狭い部屋を用意してもらった。

 それでも私の部屋なんかよりはずっと広かったけど、これで落ち着いて眠ることができる。

 ……と思ったんだけど。

「あの子はすごく真面目でね。ちゃらついた服装とか愛称は、嫌がるんだ」

 楽しそうに苦笑するブリックは、私がバスローブ姿のままベッドに入って目をつむろうとしたとき、ドアをノックして入ってきたのだった。

 驚く私に「気にせず寝てていいよ」、「綿天が眠るまで、ちょっとお話しようと思って」なんてことを一方的に言って、ベッドの脇に椅子をひとつ持ってきて座ってしまった。

 なんとなく、寝るから出て行って、なんて言えない雰囲気に流されて、私はベッドに身体を預けたままでブリックと談話している。

「あのメイドさん……じゃなかった。侍女さんって、私と同い年くらいだよね?」

「そうだね。綿天より一つ下だったかな」

「しっかりしてて可愛くて、あの子いい子だね」

「うん。両親も褒めてた。器量もいいし、働きっぷりも申し分ないって」

 ベッドの脇に腰を下ろすブリックは、ろうそくの火にゆるく顔を照らされながら話を続ける。

「それに、桃色の髪ってエルフでも珍しいんだよね」

「へえ、そうなんだ?」

「フードとか被らずに街を歩くと、絶対男の人から声をかけられるから鬱陶しいって前にぼやいてた」

「モテモテなんだね」

 あのお固そうな侍女さんがナンパされているのを想像して、くすくすと笑いがこぼれる。

 あの子だったら、あのきっぱりしたしゃべり方で誰も寄せつけないまま一蹴してしまいそうだ。

 あ、でも鉄面皮の下は意外に感情に素直でおもしろい子だったから、そういうギャップって男の人に受けるのかもしれない。

 不意に、不安がよぎった。

「あの子は……その、一緒に住んでるの?」

 あんなに可愛くて礼儀正しい子がお屋敷にいるんだから、もしかしたら……。もしかしたら、ブリックとあの子って付き合ったり………してないのかな。

 おそるおそる尋ねてみると、ブリックはなんでもない調子で、

「うん、一緒にっていうか……あの子は使用人部屋だけどね」

「使用人……部屋?」

「そう。ちょうどここみたいな、住み込みで働いてくれる人のための部屋だよ。本人は遠慮して離れを使うって言い張ってたんだけど、どうせ空いてるんだからって皆で説得してさ」

「そ、そっか………」

 なんだか、いらない心配だったみたい。

 そりゃそうだ、こんなに広いお屋敷なんだから、ひとつ屋根の下でもなんの問題もないんだろう。

「それであの子も渋々納得してね。ちょうど隣の部屋だよ」

「えっ? あ……。そう……なんだ」

 まさか隣だったとは思わなかった。

 壁の向こう側にいるあの子を、いやでも意識してしまう。

「今は仕事の合間に、本でも読んでるんじゃないかな」

「……あの子はまだ寝ないの?」

「俺が起きてるからね」

「………」

 あの子は隣の部屋で、いまも起きてるんだ。ブリックが寝るのを待って。

 …………。

 あの子はブリックが私の部屋にいること、どう思ってるのかな………。

 嫉妬に似た、やましい感覚が襲う。本人の口からなにか聞いたわけじゃないのに、無性に胸がもやもやしてしまう。

 こんなくさくさした気持ちになるのはきっと、ブリックがあんなことをしたからだ。………そうに違いない。

「明日からのことは、全部あの子に頼んである。綿天の食事とかお風呂とか、身の回りのこと全部だ。綿天は遠慮なんてしないで、なにかあったらあの子に言ってね」

「え………う、うん。……ブリックはどうするの?」

「俺は、王侯府に行ってくる」

 ブリックはシーツの上に手を添えた。

「王様や将官達がいる騎士軍の本部に行って現状を把握して、これからどうなるか……どうするかを探ってくるよ」

 ブリックは微笑んで、

「〝舟星綿天は見つかっていません、捜索は難航しています〟って報告もしないといけないしね」

「……私のせい、だね」

 ブリックだってエルフの騎士なのに、本当なら立場を考えて私の首根っこを捕まえないといけないのに。

「それは違うって言ったろ、綿天」

 ベッドに置かれた大きな手が、私の頭に伸びてきた。

「もし俺と綿天の立場が反対でも、綿天はきっと俺を助けようと頑張ってくれるはずだ。……だろ?」

「……うん」

 ブリックの温かい手が私の髪を撫でてくれる。

 ……あったかいな。

「……ねえ、ブリック」

「うん?」

 お父さんに甘えるみたいに、私は幼い声を出す。

「私はね。私が悪いことをしてたんだから、ちゃんと捕まって、ちゃんと罰を受けたほうがいいんじゃないかって……そう思うの」

「………」

「悪いことしてないのに捕まったりするのは、そりゃ……やだよ? でも悪いことして、ちゃんと罰されるんならさ。そういう運命だったんだって、ちゃんと……割り切れるもん」

「……」

 暗い部屋に静けさが舞い降りる。

 私はたぶん、こんなふうにブリックたちに匿ってもらってちゃいけない人間なんだろう。

 そう思いながらも、疲れた身体はずしりとベッドに沈んだまま動かない。

「いいや……綿天は、何も悪いことなんてしてないよ」

 辛そうな顔を向けて、ブリックは言った。

「それに、運命だからってなんでも受け入れなきゃいけないなんてことは……無いんじゃないかな」

「え……?」

「それが素敵な運命なら、もちろん受け入れればいい。でもそれが理不尽な運命なら、抗えばいい」

 力強く、ブリックは私の瞳をまっすぐに見て語る。

「君が(つら)いと感じたなら、それはやっぱり不幸なんだ。君が泣きたくなったなら、それはやっぱり不幸なんだよ。他の誰にも、それは否定できない」

「…………」

 そんなふうに……考えたこともなかった。

「だいたい、世界中が寄って(たか)って一人の女の子を追い回すなんて奸佞(かんねい)だ。そんなのは国事でもなんでもない、ただの弱いものいじめだ」

 だからさ、とブリックは改めて私の頭をぽん、ぽん、と叩いて、

「君が一人で背負わなきゃならない罪なんて、どこにもないんだよ。もしそんなものがあったとしても、俺とシャルノが綿天を守ってみせる」

 ………私は。

 私はなんて……幸せ者なんだろう。

 こんなにも私のことを想ってくれる人が、世界に二人もいるんだ。

 たとえ世界中の敵になったって、なにより私のことを想って助けてくれるような……そんな素敵な人が隣にいてくれる。

「……私……ね。ブリック……」

 ……だからこそ、とっても申し訳ない気持ちにもなる。

「あなたやシャルノのこと、ね」

 ………あれ? なんだか………。

「ここ何年も……、ろくに思い出して、なくて……」

「……………」

 急に、眠く………なって……。

 視界の端に揺れるろうそくが、じわりとにじむ。

「でも……ブリックはずっと……ずっと思い出を大事にしてくれてて…………ね」

 ブリックの手が下りてきて、私の瞼を閉じた。

 頭に残ったやわらかい手のひらが、最後の感触だった。

「ごめんね………ごめん、ね……ブリック…………」


 眠りに落ちた綿天の、目尻から伝う涙を指で拭う。

 そっか。

 綿天は俺達のこと、あんまり思い出さなかったんだね。

「………大丈夫だよ」

 綿天は普通の生活だなんて言っていたけど、やっぱり綿天は綿天で新しい環境で色んなことを頑張っていたんだ。

 それこそ、俺達のことを思い出すのも忘れるくらい連綿と。

「世界中の人が立ち上がって君を指差しても、僕だけは君に背を向けて……、君のために(けん)を抜く」

 その寝顔を見ていると、なんだか子供の頃に帰ったような感じがしてつい笑みが零れてしまう。

 幼子(おさなご)のように純真で、蛮勇の士のように気丈なこの女性が愛しい。

「…………おやすみよ、綿天」

 その繊細な黒い髪を掻き撫でる。

 寝息の残る枕元に、その囁きは綿天の耳までは届かなかったようだった。


 * * * * *


 朝起きると、ブリックはいなかった。

 疲れのせいかけっこう遅くまで寝ていたみたいで、外はとっても明るくなっていた。お日様はもう真上まで来てしまいそうだ。

 廊下につながる扉を開けると、

「きゃっ」

 その先には、またあの侍女さんがいた。

 今度は私が起きるのをずっと待っていたんだろうか。

「おはようございます。綿天様」

「お、おはようございます」

 腰を折ったていねいなお辞儀に、寝ぼけた頭でぺこりと返す。

「早速ですが、朝食の準備が整っております。お伺いしたところ、昨日(さくじつ)の朝から何も召し上がっていないとのことでしたので、朝食を兼ねた昼食のコースをご用意しています」

「あ、ありがとうございます」

 そこまで考えてくれてたんだ。

「宜しいですか?」

「はい、ぜひお願いします」

 ぺこりと頭を下げる。それを見て、

「……あの」

「?」

 ピンク色の髪を、頭の後ろを回すみたいにして編み込んだ侍女さんは困った様子で、

(わたくし)に敬語を使うのは、どうかお()めください。その……慣れませんので」

「えっと……はい。わかりました」

「…………広間へご案内いたします」

 侍女さんはそのまま振り返って、つかつかと歩いて行ってしまう。

「え、あ、そっか敬語使っちゃった。あの、待ってくださ……待って! メイドさーん!」

 私と侍女さんは、とことん相性が悪いらしかった。


 侍女さんが運んできてくれたのは、フランス料理みたいにフタのついたお皿のコースだった。

 三十人がけくらいの、まっ白なテーブルクロスがまぶしい長いテーブルに私は一人腰かける。侍女さんに座って食べないの、と訊くと、

(わたくし)は既に朝食を頂きましたので」

 ……だそうだ。

 いままでこんな豪勢な外食なんてしたことがないから、ナイフとフォーク、スプーンだけ渡されてもマナーなんてわからない。テレビやマンガの見よう見まねで、できるだけお上品に見えるようフォークとナイフを動かす。

 私のほかには侍女さんしかいないけど、ずっとななめ後ろに立ってかしこまられると……へたに見られてるより緊張する。

 食器の動きはぎこちなかったけど、お料理はとてもおいしかった。

 焼きたてのパンと新鮮な野菜の盛り合わせ、メインの香ばしい魚とお肉の料理が私の空っぽの胃袋を満足させてくれた。こんなにおいしい魚は生まれて初めてだ。

 飲み物にはワインを出してもらったけど、未成年だし飲めないからと言ってワインの器にリンゴのジュースを()いでもらった。

 たっぷりと、小一時間かけてシュークリームみたいな甘いパンのデザートまでぺろりとお腹に()れた私は、

「……ごちそうさまでした!」

 空っぽになったお皿たちの前で、手を合わせた。


 * * * * *


 侍女さんに言って裏庭を見せてもらった私は、お屋敷に戻って廊下の窓越しに異国……というか異世界の街を見下ろす。

 エルフ国に入った時にも思ったけど、家や道路の雰囲気はヨーロッパの古い街並みとたいして変わらないみたいだ。

 石だたみの道に素朴な色合いの家々、オシャレな街灯。信号機や電信柱、電線なんて無粋なものは一つとしてない、人間の世界からは失われてしまった光景がエルフ界には当たり前に広がっている。

 現実の香りがただよう、幻想的な世界。

 大きな窓のロックを外して外からの風を浴びる。

 爽やかに晴れ上がった青空は、ほんの少し赤みを帯び始めている。

 ふと、私は風景に緑色が多いことに気づいた。いたるところに林や森、街路樹、薮、緑いっぱいの庭が見える。なかには、池や川が光を照り返す大きな公園もあるみたいだ。

 一生分の旅行券を使い切っても、これ以上の場所には来られないんじゃないだろうか。

 ブリックたちは、こんな素敵なところに住んでたんだ………。

 涼しい風が、地平線の先から地上の緑を(はた)いてこっちに向かってくる。この景色を真っ盛りの秋に、冬に、春に見られたら……どんなに美しいだろう。

 ブリックやシャルノとこのお屋敷で、また皆で仲よくできたら………。


 また静かな夜がやってきた。

 侍女さんが暇を持て余していた私を部屋まで呼びに来てくれて、またあのがらんとした広間で夕食をいただく。

 夕食の献立はエビの薫製(くんせい)と、ちょっと塩が効きすぎなお魚のムニエルがメイン。

 温かい野菜スープはなんとなく、コンソメ味に似ているような……違うような味わい。

 薫製ってちょっと臭うのかと思っていたけど、独特の香辛料みたいな甘い……(から)い香りが意外にもよかった。

「このエビ、すっごくおいしい」

「綿天様、それは躄蟹(ざりがに)に御座います」

「げほっ、げほっ」

 相変わらずいつ食事をとっているのかわからない侍女さんは、くすりとも笑わずに私を咳き込ませた。

「あの……えっと、侍女さん」

 ワインの代わりにあらかじめ()いでもらっていたぶどうジュースで喉を潤して、私は涙目になりながら侍女さんに訊く。

「できれば〝フラム=リョースフリョート〟とお呼びください。(わたくし)が侍女として働いている間は、この名が私の名なのです」

 ちょっとよくわからない文化だ。

 舞妓さんの源氏名みたいなものなんだろうか。

「じゃあ改めて……フラムさん」

「……フラムだけでは意味が通じません。〝フラム=リョースフリョート〟でなければ、それは私を指し示す固有名詞として成り立たないのです」

「へえ、そうなんだ」

 なんだかややこしい源氏名みたいだ。

「えーっと、フラム=リョース……ふ、フリョート、さん」

「何でしょうか」

 初めてこの人と長めの会話が成り立った気がする。

「このお屋敷って、私とあなたしかいないの?」

 日中、私はこの侍女さん……フラム=リョース……リョースフリョートさんとしか会わなかった。街を見下ろしているとちらほらと人、というかエルフの影を見かけたけど、お屋敷のなかでは誰とも会っていない。

「いいえ。私と綿天様の他に、料理人や庭師などの使用人が二、三十名程度おります」

「え、そんなに?」

「ブリクスト様の計らいで、なるべく綿天様が使用人と鉢合わせしないようにと申し付けられていますので。綿天様の前に現れないだけで、実際に働いている者はいますのでご心配なさらず」

「はあ……」

 ブリックはどうして、そんなことしたんだろう。

 私は人見知りするほうじゃないし、なによりこの人だけが話し相手っていうのはどうも骨が折れる。

「じゃあじゃあ、ブリックのご両親は?」

「御館様と奥方様は、今回の一件を受けてとある有力な氏族の当主様をお訪ねになりました」

「氏族?」

「はい。その氏族とスコーグルフローディウッルル家は血縁の関係にありますので、綿天様捕縛を唱えてから早急に実行に移した王侯府の強引な手口を批判するため、協力を求めるのが目的です」

「えっ………。じゃ、じゃあブリックのお父さんもお母さんも、私のために……がんばってくれてるって……こと?」

 フラム……フラム=リョー……ああ、ややこしい。侍女さんはしどろもどろの私の問いかけに深くうなずいて、

「左様で御座います」

「…………そう、なんだ」

 私は守られてばっかりだ。

 ブリックだけじゃなくて、ブリックのお父さんやお母さんにも迷惑をかけてる。

「もっとも、綿天様の人物像が不確かであるにも拘らず強制的に、人間界と共同に指名手配する決断には決して少なくない数の国民が反対していました。御館様はその民意に強く同調することで、事態の穏便な終息を目指しておられるのでしょう」

 御館様方は決して綿天様の為だけに動いているのではありません、と侍女さんは説明してくれた。

「これは、エルフ国の乱れ始めた悪政を修めるためでもあるのです」

「……そっか」

 話しているうちに、せっかくの料理が冷めてしまった。ぬるくなった野菜スープをスプーンですくいながら、私はブリックとブリックのお父さん、お母さんに思いを馳せる。

 皆、頑張っているんだ。

 国のことを考えたり、私なんかのことを考えてくれたり、ブリックの家族は皆だれかのための戦いをしている。

 なのに私は……ブリックに恩返しさえできていない。いまもずっと、一人だけ台風の目みたいに穏やかな一日を過ごしている。

 ブリックはああ言ってくれたけど、やっぱり〝私は悪くない〟なんて無責任なこと言えないもん。

 結局私はどうしたらいいんだろう。

「……あの、綿天様」

 そこで、侍女さんが口を挟んだ。

 いや、私はなにも言ってなかったから〝口を挟んだ〟わけではなかったけど。……でも、食事中に侍女さんのほうから私に話しかけるなんて初めてだ。

 どうしたんだろう。

「なに?」

「いえ、その………」

 言いにくそうに視線を下に落として肩をゆすり、

「……シャルノ様については、何もお尋ねにならないのですか?」

「えっ?」

 それは思ってもみない質問だった。

「シャルノがどうしたの?」

「いえ、何でもありません。下らない質問でした。お忘れください」

 ぶんぶんと首を横に振って、侍女さんは唇を噛みしめる。

 ………? ほんとうにどうしたんだろう。

 どうして急に、シャルノの話題が出てくるの? ……とりあえず、訊くのが礼儀……なのかな。

 うつむく侍女さんに、私は社交辞令みたいに問いかける。

「えっと、いまシャルノはどうしてますか?」

 すると、侍女さんは自分で話題を振っておいて苦虫を噛みつぶしたみたいに顔をしかめて、

「……シャルノ様は現在、ヴァナ・ホルガル国立大学士校附属高等学校の、ヒャールンヘイムル特殊分校で寮住まいをされております」

 渋々、淡々と答えた。

「そこって、賢いの?」

「とても」

 頭のなかに、眼鏡をかけて痩せこけたブリックが思い浮かんだ。

 ……なんだか、ガリ勉になったシャルノはあんまり見たくない。

 国立大学とか特殊とか、いまの私には想像できない言葉の羅列だ。たしかに昔からシャルノは成績がよかったけど、皆で遊ぶことも勉強と同じくらい楽しんでいた。

 でもその仰々しい学校名や肩書きからは、なんとなくそんなシャルノの面影は感じられない。

 シャルノも、ブリックが言ってたみたいに……変わっちゃったのかな。

「……お食事の手を止めてしまい、申し訳ありませんでした」

「あ、いえいえそんな」

「ただ、忘れないでいただきたかったのです」

 侍女さんは感情をひけらかさない鉄面皮の奥に哀しい色を含んで、

「彼も、ブリクスト様と同じように──綿天様を深くお想いなのだと」


 侍女さんはその()、何事もなかったかのように空になった私の食事を片づけて、お風呂の準備をして、私がシャワーを浴びている間に寝床を調えてくれていた。

 私が歯磨きセットを要求すると、侍女さんはそんなものはありませんと言って澄んだ声で〝歌〟を歌って、虫歯にならない魔法をかけてくれた。魔法が便利すぎて、歯医者さんがかわいそうだった。

 それからすぐにベッドに入ったもののなかなか寝つけなくて、私は隣の部屋で休んでいた侍女さんに本を貸してもらうことにした。けれど、

「どうぞ」

「…………」

 表紙に書かれたノルド語が既に読めない私は、ごめんなさいと丁重にその本を返却して、おとなしくベッドに横になった。

 ベッド脇のチェストで灯るろうそくをふっと吹き消す。

 外では雨が降っているのか、しとしと雨音が眠れない私の耳に滑り入る。

 雨音に優しく耳の底を揺らされて、私の意識は崩れるみたいに失せていった。……侍女さんも、今夜はゆっくり眠れるんだろうか。

 ブリックは帰ってこない。

 こんにちは、解説の桜雫あもるです。

 今回は短めです。


 エルフ国の文化や街並みは、「北欧を主としたヨーロッパ」がコンセプトになっています。

 地名は専ら古ノルド語、景観は都会も田舎もヨーロッパの古い街並みをぼんやりとイメージして書いています。

 本編で綿天が食べているのは、ネットで調べた北欧の料理です。高級感を出したかったので、フランス料理に倣ってコース料理にしてみました。

 北欧は海産資源が豊富なので、多種の魚はもちろんのこと、ザリガニも食べるそうです。エビと同じような味だと聞いた覚えがあります。


 ツンツンしたメイ……〝侍女〟さんのお名前「フラム=リョースフリョート」についてですが、これはローマやギリシア時代の文化に起因するものです。

 「フラム(fram)」は「from」と同じ意味で、出身地を指します。人名のバリエーションが日本のように豊富でなかったヨーロッパでは、度々「〜出身の」という(うじ)で個人を特定していました。

 こちらは現在のイスラエルですが、『(New )約聖書(Testament)』に出てくる「イスカリオテのユダ」なんてお手本のような名前ですね。

 つまり侍女さんは、「リョースフリョート出身の」というお固い呼び名で呼んでほしかったようです。

 生真面目な方の考えることは、のんびり屋さんの自分には到底わかりません。


 あ、あとですね。これはここで解説しようか迷ったのですが、「ブリクスト」というのは「ブリック」の本名です。

 「ブリック」は愛称に当たります。

 J. K. ローリング作『Harry Potter』でもロン=ウィーズリーという味のあるキャラクターが登場しますが、彼の本名が「ロナルド」なのと同じです。

 『Harry Potter』の舞台はイギリスですが、特にアメリカは戸籍がなかったり人種のサラダボウルとか呼ばれていたりするだけあって、名前も名字もかなり自由みたいです。

 さすが自由の国。

 いま(から)くも休載している『優しい殺し屋たちの不思議な事情』の舞台がカリフォルニア州サクラメント市なので、一度足を運んでみたいものです。


 やっぱりウンチクが長くなっちゃいましたね。

 それでは引き続き、『星屑エスケープ』をお楽しみください。

 ……応募の〆切があと一週間なので、頑張ります!

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