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番外編・リュウとフウリン

 浜辺に、きれいな少女が倒れていた。

 リュウは、ひと目で彼女の虜になった。

 流れる銀の髪も、人形のように整った顔立ちも、華奢な体つきも、すべてに心惹かれて、目が離せなくなった。胸が、かすかに上下していることに気付いた時には精霊の奇跡に祈りたくなった。生きてる!

 リュウは無我夢中で少女に駆け寄った。驚いたことに少女は息をしていた。水を飲んでいないのか。軽くゆすると、少女はうっすら目をあけた。深海色の瞳が、リュウを射た。くちびるが、うっすらと開く。

 ふと、糸が切れたように少女は再び目を閉じがくりと頭を垂れた。

 助けなければ。

 リュウは無我夢中で、少女を背負いあげた。


     *


 身支度を整えて部屋を訪れると、少女はエイランと仲良さそうに談笑していた。卓上の食事に思わず腹が鳴る。

 挨拶もそこそこに食べはじめたら、食事を横取りされた仔犬のような目で見られた。あれ?

 おかわりがほしかったのかな。ばあやが持ってきてくれたらごきげんになった。しっぽを振ってるみたいでわかりやすい。可愛い。

 しばらく話した後、予定があるとエイランは帰っていった。そういえばリュウにも、予定があったはずだ。そのために、わざわざ早朝に散歩していたのだから。

 でもまあいっか。ロウにまかせておこうっと。

 リュウはあっさり気持ちを切り替えた。今日の案件が書類仕事だったのもある。運命の姫君が目の前にいるのに、つまらない日常になんか戻る気になれなかった。もう少し話していたい。


「髪、切ったんだ?」

 少女はにっこりと笑って頷いた。

「エイラン、切ってくれた。……リュウ? エイラン、言ってた」

「ああ、うん。僕はリュウだよ。君の名前を聞いてもいい?」

 少女は嬉しそうに微笑んで頷く。

風琳(ふうりん)。リュウ、ありがとう」

「うん?」

「ここに、つれてきてくれた。お風呂、気持ちいい。ごはん、美味しい。ありがとう」

 にこにこと話す風琳が可愛くて、リュウは抱きしめたくなったが自制した。かわりにそっと髪を撫ぜる。

「ねえ、梳いてあげようか」

「とく?」

「うん。ちょっと待ってて」


 鏡台から櫛をとってくると、長椅子に風琳を呼ぶ。

 ああ、だいぶ絡まってるな。

 リュウは、なるべく引っ張らないように毛先からそっと櫛を入れた。ゆっくり、根気よく梳かしていく。髪は素直にさらさらに落ち着いていった。

 それでも何度かひっかかったので、髪をすべて梳きおわるころには風琳は涙目になっていた。

「……いたい」

 リュウはにっこりと微笑むと、目の端ににじむ涙を指でぬぐい、さらさらになった髪を撫ぜた。

「うん、終わり。きれいになったよ」

「……おわり? もう、しない?」

「うん、おしまい。明日買物に行く時は黒く染めようね」

「かいもの?」

 風琳は首をかしげる。

「うん。エイランとも約束してただろう。君の必要なものを買いに行こうって」

「かいもの。そと、行く?」

「うん?」

「空、見たい。風、見たい。そと行くの、たのしみ」

「フウリンは外が好きなんだ?」

 風琳は顔を輝かせて大きく頷いた。

「んっ。そと、好き。そと、広い」

「……体調の方は平気? ふらふらしない?」

「……? しないよ」

 立ち上がると、風琳はくるり、と回ってみせた。

「うん、大丈夫そうだね」

 微笑んで、リュウも立ち上がる。

「じゃあ、今から庭に出よう。そろそろ花も見頃だよ」

 風琳はぱああっと花が開くように笑うと、大きく頷いた。

「うんっ」




「………………うわあっ」

 風琳は、息をのんだ。

 館の中庭は、庭師の老人が丹精を込めて手入れしているだけあって見事なものだった。ちょうど春のはじめで、そこここで花が咲き始めている。満開ほどの豪華さではないが春の息吹を感じさせるような勢いがあった。

「すてき、すてき、すてき!」

 くるり、くるり。風琳は狭い庭を舞い踊る。

 空を見上げ、風に髪を揺らして。全身で喜びをあらわした。

 不意にとまって、リュウをみて満面の笑みを浮かべ。

「リュウ……ありがとう」

 真っ直ぐに、微笑んだ。

 その無垢な微笑みに、純粋な喜びと感謝の眼差しに、リュウの心はうちぬかれた。

「……うん。僕の方こそ、ありがとう」

 ああ、見つけた。僕の運命のひとだ。

 幸せな気持ちでいっぱいになって、涙がこぼれた。

 心配そうに風琳がのぞき込む。

「リュウ、泣いてる?」

「なんでもないよ。……フウリンが喜んでるから、うれしくなっただけだよ」

 リュウはそっと、宝物にさわるようにそっと、風琳の髪を撫ぜた。

「また明日も散歩しよう」

 明日も、あさっても、これからずっと。一緒にいよう。散歩、しよう。

 そんな気持ちが伝わったのか。風琳は目を見開いて、おだやかに微笑むと、頷いた。



 疲れたのか風琳は昼食後、眠ってしまった。いつまでも寝顔を見つめていたかったけど、ロウが地を這うような声で呼びに来たので仕方なく書斎に戻った。山のような書類が待っていた。

 ため息をついて片付けながら、リュウは言った。

「なあロウ。明日、街に買物に行こうと思うんだけど」

「ん?」

「フウリンに、生活に必要な小物とか服とか、それに夜会に出られるようなドレスも買ってあげなきゃいけないしね。髪を黒く染めて、街を歩くのはどうかな。フウリン、喜ぶと思わない?」

 うきうきと語っていると、ロウがため息をついた。

「……だけどお前、明日はサイレン商会の会長と商談があるんじゃなかったか?」

「! …………忘れてた」

「買い物は、エイランに頼めばいい。俺がついていってやる」

 リュウは考えた。

「……きみに会長のところにいってもらっちゃだめかな?」

「…………お前の商売だろう。向こうはお前を待ってるんだ。やっとこぎつけた機会をふいにするのか」

 呆れたような眼差しに、リュウは肩を落とすと諦めた。

「……すぐに、終わらせる。駆けつけるから」

 ロウが鼻で笑った。

「腕の見せどころ、だな。あの狸会長相手にどれほどできるか楽しみにしておく」


 結局、リュウは間に合わなかった。狸相手に最速で会談を終わらせて駆けつけたら、待っていたのは荷物の山と眠そうな風琳だった。エイランを送っていくロウと別れて風琳と馬車で帰った。こてんと肩にもたれてうたた寝しだした風琳がとても可愛らしかったので、リュウの機嫌は浮上した。



   *


 風琳と、花まつりに出かけた。大勢の人々が踊っているのに、風琳ばかり目に入った。花まつりの花を黒く染めた髪に飾って、くるりくるりと踊る風琳はとても楽しそうで、可愛かった。

 前から考えていた夜会計画を話したら、どうやらエイランを傷つけてしまったらしい。ロウに腹を殴られた。

 心配そうにのぞきこんでくる風琳が愛おしくて、リュウには気にならなかった。


 夜会の踊りも、風琳はすぐに覚えた。ロウを練習台にして挨拶も覚えた。このまま風琳の存在を既成事実にしてしまおう。リュウはそう企んでいた。

 銀の髪を結い上げて盛装した風琳は、どんな姫君よりも綺麗だった。


    *


 風琳が倒れた。

 今にも消えてしまいそうな、嫌な予感がする。

 リュウは浅い息で眠る風琳の手を握りしめた。

 いやだ、いやだ、いやだ。

 頭に浮かぶのはそればっかりだった。


    *


 精霊王が現れた。

 恐ろしかったけど、風琳を失いたくなくてリュウは必死で対抗した。

 風琳を、助けたくば一人で来いと言われた。望むところだ。迷いはなかった。


    *


 暗い洞窟を抜けて、精霊の門をくぐり、リュウは水の精霊王の宮殿に着いた。

 海の底と思しき宮殿は、不思議な青白い光で揺らめいていた。

「来たか」

 広い部屋の中央に、水の精霊王が立っていた。その前には祭壇らしきものがあり、宙に浮かぶ青いーー水らしきものでできた球の中で風琳が眠っていた。

「フウリンっ」

 球の中にいる風琳は、青白くやつれた顔をしていて、リュウは心配のあまり今すぐに抱きしめたかった。しかし水の精霊王が制止した。

「無事だ。話を終えたら起こす」


 リュウは拳をにぎりしめて、耐えた。真っ直ぐに水の精霊王を見すえる。

「何をすればいい」

 水の精霊王は静かにリュウを見て、問を発した。

「そなたの生涯をかける覚悟はあるか」

「……どういう、ことだ」

「覚悟はあるのかと、聞いている」


 リュウは、息を吸った。目を閉じて、自分の心を確かめ、吐き出す。

 再び目を開け水の精霊王の、目を見て頷いた。気圧されないように腹に力を込めた。

 ただの人であるリュウにあるのは、フウリンへの一途な想いだけだ。それを支えに、水の精霊の王たる存在に対峙した。負けるわけにはいかなかった。

「フウリンのためなら。たとえ一日でも、二人で生き、二人で逝けるのであれば、僕は後悔しない」

 ふと、そんな1日を想像した。風琳が笑って、リュウが追いかけて。いっぱいきれいなものを見て、美味しい物を食べて、たくさん笑って。

 ーー二人で、消える。それは、甘美な想像だった。リュウは笑みを浮かべた。

「共に在れるのならばそれだけでいい。フウリンがいれば、僕は幸せなんだ」


 水の精霊王はため息をついた。威圧感が揺らぐ。それでも、もう一度厳しい目でリュウを見据えた。

「生涯愛し続けるか。お前が想像するよりもはるかに長い間、愛し続けると誓えるか」

 リュウは少し目を見張って、嬉しそうに微笑んだ。

「もちろん」

 想像以上に長くいられるとしたら、それは幸せ以外のなにものでもない。先のことはわからない。それでもいま、全てを投げ打ってでも共に在りたいと願うこの気持ちが、変わるとは思えなかった。


 水の精霊王はまた、ため息をついた。威圧感が消え、穏やかな顔になり、眠る風琳を愛しそうに見遣った。父親の顔に、なっていた。

 諦めたように首を振ると、手を伸ばした。風琳がふわりと浮かび、水の精霊王の腕の中に降りてくる。青い球はふっと消えた。

 浮いていた髪がすとんと落ちて、風琳が完全に腕の中に収まってから、水の精霊王はリュウに向き直った。


「六精霊王の婚礼を、執り行う」

「え……?」

「婚礼は、精霊とのある種の契約だ。この娘を人と為すためには、精霊王との契約が必要になる。その形が、六精霊王の婚礼なのだ」

 リュウは、唾液を飲み込んだ。六精霊王。まさか精霊王が全て揃うのか。立っていられるだろうか。

「この度はこの娘の体調が急を要する故に、簡易に執り行う。我と風の、それに光の精霊王殿をお招きしている。通常ならば時間を掛けて、皆を集め、盛大に祝うものを」

 歯ぎしりせんばかりに悔しがる水の精霊王。リュウはほっとしていた。精霊王大集合は遠慮したい。おかしくなりそうだ。


 くすくす、と女性の笑い声が落ちてきた。

「それくらいになさったら、水の君。秘された存在であったわたくしたちの娘にふさわしいではありませんか」

 聞き覚えのある声。風の精霊王だろう。姿は見えなかったがふわりと漂う風に、存在を感じられた。

「風の君」


「それにまだ、肝心な秘蹟(ひせき)についておっしゃってないでしょう」

「……知らぬ」

 水の精霊王は、拗ねたようにぷいとそっぽを向いた。風の君の声が、呆れたように笑う。

「あら、まあ。ではわたくしから伝えますよ? ーーねえ、若き人の子。あなたが為すべきことはただひとつ」

 ぼんやりと、女性の影が現れ、リュウに向いた。

「風琳と、契ることよ。あなたが(いのち)をあの子に注ぎ込むことで、あの子は人になるの」

 契る、ということは。リュウはぱちくりと瞬きした。


「無事に成就したあとも、定期的に、ね。それを怠ればやがてあの娘の均衡は崩れ、今のような状態に逆戻りよ」

 風の君は、自嘲するようにため息をついた。

「……もともと、種族の違う精霊の間に子は生まれにくいのよ。生まれても、不安定で、生粋の精霊のように長くは存在できない。それを水の君が封じることで、あの子はいままで生きてきたの」


 暖かい手が、リュウの肩に触れる。風琳によく似た美しい女性が、間近に現れた。瞳の色は風琳よりも明るく、空の色そのものだった。深い親の愛情をこめた目で、リュウに告げた。

「あの子を、風琳を頼むわね。幸せに、してやってちょうだい」

「わかりました」

 リュウは改めて、風琳を生涯愛し続けることを胸に誓った。


「我が娘、風琳。目覚めよ」

 水の精霊王の言葉に、風琳がゆっくりと目を開けた。ぼんやりとあたりを見回し、リュウを見つけて、満面の笑みを浮かべた。

「リュウっ」

 風琳はすとんと水の精霊王の腕から降りると、リュウのところに駆け寄った。

「風琳。迎えに来たよ」

 リュウはそっと、風琳の髪を撫ぜた。

 風琳はにこりと微笑んだ。



 光の精霊王の執行で、婚礼は無事に終了した。

 リュウと風琳は、お互いに生涯愛することを誓い、くちづけた。

 水の精霊王は気難しそうに、風の精霊王はにこにこと二人を見守った。


 そして、宮殿の寝室で、二人きりになった。




   *



「言ってくれれば良かったのに」

 リュウはこつんとおでこを突き合わせて言った。

 風琳は首を傾げる。

「きみが、人と交わることを必要としてるなら。僕は我慢なんてしなかったよ?」

 風琳は目を見開いた。

「まえ、から?」

 頬が、赤く染まる。

「うん? 前から我慢していたのかだって? もちろんだよ。僕は出会った時から君に夢中だったよ。ずっと触れたかったし抱きしめたかったし、こういうことをしたかった」

 ちゅっ。唇を軽く触れ合わせてリュウは微笑む。

 とても優しくて愛情あふれる笑顔に、風琳はどきどきして、胸が苦しくなって。リュウの目に映る自分の表情に、ふと友達になった女の子のことを思い出す。

 あの子も、こんな目で彼をみつめていた。……だから、邪魔者は退こうと思ったのだ。


「フウリン? どうしたの?」

 くもった表情に気づかれる。

「エイラン……」

 ああ、と。リュウは理解したのか、せつなそうに微笑んだ。


「傷つけちゃったからね。……ここにくる前にちゃんと、話してきたよ。本当に、妹みたいに可愛がってたし。でも仕方がないよね、僕は君に出会ってしまったんだ」

 頬を、やさしく包み込まれてもういちど口づけ。

「……泣いてた?」

「うん。でも彼女のことは僕の責任だし。……信頼できるヤツに任せてきたし、これでいいんだ。彼女だって、君にもう一度会いたいって言ってたしね」

 安心させるような微笑み。また会いたいと思ってもらえてると聞いて風琳は少し、肩の力が抜けた。


 と、その隙をつかれる。耳元で色っぽい声で囁かれた。


「だからとりあえず今夜は、僕のことだけ考えて? 君の中、僕でいっぱいにして。幸せな気持ちでひとつになろう」


 耳にかかる吐息に、囁きに、風琳は思わず吐息をこぼした。その唇をリュウが奪った。


「……んっ、……」


 痺れるような甘い感覚が風琳の全身を走り、力が抜けた。

 リュウの手がやさしく髪を撫ぜる。

 ようやくくちづけを止め、名残惜しそうにちゅっと口付けると、リュウは至近距離で微笑んだ。


「愛してる、フウリン。……君の一生を、僕にください」


 心が震える。絶対に届かないと思っていた憧れ。この狭い海の宮殿で、ずっとずっと憧れ続けた外への鍵。それがいま、目の前に差し出されていた。

 涙が、頬を伝う。

 風琳は笑って、頷いた。


「はい。……ありがとう、リュウ。だいすき。だいすき……っ」


 二人はもう一度、くちづけを交わした。




   *


 二人は、青い球のなかで眠っていた。

 婚礼のあとにリュウが聞かされたことがあった。契った後に、風琳が人へと変化するのには時間がかかるという。それは二人の相性によって、一日かもしれないし百年かかるかもしれない、と。

 まあ百年はないんじゃないかとは思うけど、と風の精霊王は笑顔で言った。起きたらおばあさんだったらちょっと悲しいと思うので、二人の時間をその間切り離して封じておくわ。ひょっとして数十年経っていたら、あなたたちを知る人はいないかもしれない。それでもいいかしら。

 リュウは自信満々にうそぶいた。

「一日で帰ってきますよ」

「行ってらっしゃい。幸運を祈るわ」


 だけど、うん。一日はなさそうだな。

 リュウは苦笑した。もうちょっとかかる予感がする。

 まあいっか。すぐに帰ってもロウに叱られてエイランに泣かれて気まずいままだもんね。あっちも時間がかかりそうだし。

 ……まったく、ロウがもっと積極的だったら僕はもっと前に身を引いていたのに。エイランだって、僕の前ではずっとがんばっててはしゃいでたけど、ロウにはすごく自然体で話してたし、仲良かったし、可能性はあるかなって思うんだけど。

 上手くいくといいな。


 ふふっ。と笑われた。

 リュウは二人のことが大好きなのね。

 ……フウリン。

 流暢に伝わってくる風琳の思念に、リュウは驚いた。あの片言は生来のものではなかったのか。

 わたしも、二人が上手くいくといいと思うわ。いいえ、これは罪悪感なのかしら。でも、エイランに幸せになってほしいのは本当なの。だって、わたしのはじめてのお友達なのだもの。

 流暢な思念は、だけど違和感がなくて、リュウは嬉しかった。風琳と話したいことはいっぱいあった。片言だけだと伝わりきらなかった想いも、この思念がダダ漏れの空間だったら思う存分話せるのだ。

 リュウは目を閉じたまま手探りで、風琳の体を抱きしめた。


 ねえフウリン。僕でよかった?

 あなたがよかったの、リュウ。あなたじゃなきゃ、わたしは消えてたわ。あなたと出会わなければ、あんなにたくさんの出会いもなかったわ。……あのね、お父様のところで生きてきた長い長い時間よりもね。あなたと過ごした数日間の方が、私の中では大きいの。宝物、なのよ。

 フウリン。

 なあに?

 愛してる。

 ふふ。ありがとう。わたしも愛しているわ。あなたも、あなたが見せてくれた外の世界も。大好き。ああ、はやくもう一度踊りたいな。

 うん。でももう少しだけ、ここでゆっくりしていこう? 僕らはいろいろと語り合ってもいいと思うんだ。まだ出会ってひと月もたっていないんだもの。君のことはまるごと大好きだけど、知らないこともいっぱいある。だから、教えて? 僕も話すから。

 うん。わかったわ。


 二人は、抱き合ったまま始終ほほ笑みを浮かべて眠っていた。

 目覚める時が来るまで、ずっと、幸せそうだった。

 


   *


 時は流れ、すべてが穏やかに落ち着いたとある昼下がり。四人はばあやさん特製のバスケットを持ってピクニックに来ていた。

 リュウがパンケーキをひと切れ、フォークに刺して差し出す。

「はい、フウリン。あーん」

 フウリンは素直に口をあけ、されるがままにぱくりと食べた。

「おいしい?」

「うん」

「あ、クリームついてる」

 フウリンの頬にちゅっとくちづけるリュウ。そのままふたりはにこにこと見つめあった。

「はい、もうひとくち。あーん」

 ロウはため息をついた。しっかり見えたが、何も付いていなかった。

 ふと心配になり隣のエイランを見遣る。あてられてもやもやしたりしてないだろうか。

 杞憂だった。

 何故かエイランも、パンケーキを刺したフォークを持っていた。

「はい、ロウ」

「え」

「あーん?」

 はにかみながら言うエイランはとてもかわいかった。かわいかったが!

「……俺?」

「うん」

 ロウは腹を決めた。ここで断ったりなんかできない。口をあけた。エイランが、そっとパンケーキを口に運ぶ。うん。甘い。

 してやったりとうれしそうに笑うエイランに復讐するべくロウはフォークを奪った。

「え?」

「はい、エイランも。あーん」

 驚いた顔のまま、エイランの頬が赤く染まる。上目使いにロウをみあげた。しぶしぶ、口を開く。

 うん。食べさせあうのもなかなかいいもんだな。ロウは満足した。この場で抱きしめたくなるのが玉に瑕だが。

「……ほら、お似合いでしょ?」

「うん。エイラン、かわいい。うれしそう」

 向こうで何か言っているが気にしない気にしない。おまえらがはじめたことだろ、とかつっこみたくなるが我慢だ。

 ロウはもうひと切れパンケーキを切り分けた。エイランが負けじとフォークを奪いに来る。しばらく攻防して、目が合って、二人ともふきだした。何をやってるのか。


 風が、ふわりと撫ぜていった。

 穏やかな昼下がりのことだった。



これにて終了。切りどころがわからず長くなってしまってすみません。ありがとうございました。

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