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そして。

 エイランが崩れ落ちた。慌てて抱きとめたが意識がない。氷の海に落ちたような状態で、体温が下がり、震えていたが、外傷はなかった。

「うちの娘のために、ごめんなさいね。私が風の精霊王じゃなかったらなんとかできるのだけれど」

 女性が、エイランに手を伸ばす。ずぶ濡れのところに風が吹けばいよいよ温度が下がるのだろう。

「あのひとも、娘大事で周りが見えなくなっているから。……ん、よいしょっと」


 ふわり、と暖かい風がエイランと俺をつつんだ。濡れていた体が乾いていく。

「とりあえず、外側は癒しておいたから。これで、しばらく休めば回復すると思うわよ。ええと、詳しい説明は省くけど、精霊王の力を間近に受けたものだから精神面がひどく消耗しているの。病後のようにね。本当はあなたにこれをかけて、諦めさせるつもりだったのね。もう。親ばかなんだから」

 風の君はリュウに告げた。


「あの、フウリンのことを聞いてもいいですか」

「あの子に関しては、あなたが海王殿に行ってから聞きなさい。あの人がきっと語ってくれるわ」

「じゃあ、これだけは教えてください。三日後、海王殿に行けば、フウリンが助かる道があるのですか」

 風の君は微笑んだ。

「……そうね。あなたがその生涯を、あの子のために尽くす覚悟があればね。あなたたちが年老いて死ぬまでくらいの時間は自由に生きられると思うわ」


「ありがとうございます。でしたら、迷わず行ってきます」

 断言したリュウを頼もしそうに見つめると、再び浮き上がった。

「ではわたくしもそろそろ行くわね。長居しすぎて台風を呼び寄せてもいけないし。……わたくしの愛娘を、よろしくね」

 そして風の君はふわりと消えた。圧迫感も解ける。俺は息をついた。リュウは凄いな。あんな圧倒的な存在と会話できるなんて。俺は、情けないことに、崩れ落ちそうな膝を耐えることで精一杯だった。


 エイランは浅く呼吸しながら眠っていた。長椅子に腰かけようとして硝子片でいっぱいなのに気づいて舌打ちした。エイランをもういちど担ぎあげる。

「エイランを休ませてくる」

 先程の位置のまま、海のーーフウリンが消えた方を眺めていたリュウが、こちらを振り返った。


「…………ロウ」

 なんだ、いたんだっけ。という言葉を空耳したぞ。

「とりあえず、お前も自室へ帰って寝ろ。三日後、行くんだろう。それまでに片付けることは山ほどあるんじゃないのか」

「…………………僕ね」

 何だ。俺の体力も限界なんだ。早くしてくれないか。

「フウリンなしで、三日間も耐えられるかな?」

 知るか。耐えろ。

「ああ、心配だな。フウリン不足でおかしくなったらどうしよう」

 …………笑い出した。異常な出来事に精神が焼き切れたのか? ああ、もう。世話が焼けるな。


「とりあえず寝ろ」

 俺はエイランを肩に担ぎ、リュウの腕をつかんで歩き出した。廊下でオロオロとしていたばあやさんに引き渡す。

「興奮状態でおかしくなってる。寝かせてやってくれ。一晩寝れば復活するだろう」

 リュウはばあやさんに誘導されて自室に帰っていった。時折異常な笑い声が聞こえていた。あ、泣き出した。ああ、もう。

 エイランをとりあえず彼女の部屋の寝台に寝かせると、リュウのところに戻って一発殴ってやった。リュウはすやすやとお休みになった。


 翌朝。エイランの部屋の前でばあやさんと会った。手にはスープやリゾット、果物、それにビスケットなどの乗ったワゴン。

「エイランお嬢様、お目覚めになったのですが」

「食べないのか?」

「ええ……。いちおう消化の良さそうな物や、口当たりの良いものをお持ちしたのですが」

「リュウはまだ?」

「ああ、はい、よくお休みになられておいでです」


 俺はばあやさんからワゴンを預かると、エイランの部屋をノックした。

「エイラン。入るよ」

 エイランからの返事はなかった。俺は勝手に扉をあけた。

 エイランは寝台に横になったまま、ぼんやりと宙を見上げていた。

「エイラン。体調はどう? 少し、起こすぞ?」

 軽く上半身を持ち上げて、背中との間にクッションを詰めた。エイランの体は驚くほどに冷たかった。

「食べないの?」

 リゾットをひと匙すくう。このチーズ風味のホワイトソースのリゾットは、エイランが大好きなものなのに。

 俺は、ひとくち味見をした。うん、おいしい。熱すぎず冷たすぎず、絶妙な温度加減。さすがばあやさん。


「ほら、エイラン。あーん」

 もうひと匙すくって口元に持っていくと、エイランは口をあけた。そっと、口の中に流し込む。ゆっくり味わって、飲みこんで。エイランの頬を涙がつたった。

「……おいしい」

「うん」

「……こんなに、かなし、のに」

「うん。ほっとする味だ」

 温かい食べ物は、心を緩ませるよな。

「おいしい、の…………っ」

「ほら、もうひとくち、あーん」

 エイランはおとなしく口を開ける。

 食べるほどに、こわばっていた表情がほぐれて、涙でぐちゃぐちゃになっていった。


 布で涙を拭いてやる。エイランは赤ん坊のようにされるがままだった。最後には声に出して泣いていた。俺は寝台の端に腰掛けると、エイランを抱きしめた。泣いているときは、いつもしてやってるように。踏み込みすぎず、俺の気持ちが伝わることのないように慎重に、髪をなぜた。……うっかり匙を共有してしまったことに動揺しているなんて、悟られないように。この匙はとっておきたい。いや、バレた時に変態扱いされると困る、な。


「リュウは、行くの?」

「ああ。……三日すら待てないって言ってたよ」

「そっか。なら、フウリンはだいじょうぶだね」

 エイランはせつなそうに微笑んだ。

「生涯を背負うって、どういうことなんだろうな。やっぱり結婚とかそういうことなのかな。フウリンと、帰ってきてここで暮らせるのかな」

「さあ、な。精霊の世界のことなんざ、俺たちにはわからないからな」

「そうだね……」

「いつ帰ってこれるかだって、わからない。子供の寝物語だと帰ってきた頃には何十年、だったりするしな」


 エイランは、窓の外を仰いでため息をついた。

「……こわい、よ。恋、だけじゃなくって。リュウ自体がいなくなっちゃったら、私どうすればいいんだろう」

 そうだよな。お前はずっと、リュウのことだけを考えてきたもんな。

 俺はエイランの髪をくしゃくしゃっと撫ぜた。

「ゆっくり、慣れるしかないさ。俺やばあやさんたちもいる」

 エイランは不安そうに、俺の胸にしがみついた。



 俺が自制心の限界に挑戦していた頃、リュウは目覚めて動き出していた。まずフウリンがいた部屋の修理を手配し、領主様に失踪することについての簡単な事情説明と俺を代理管理人としたい旨の手紙を書き、近隣の古老をあたって『海王門』の正確な場所をつきとめ。

 三日じゃ足りねんじゃねえのってくらい精力的に用事をこなしていた。

 エイランの家には、エイランが寝込んだこと、歩けるようになるまでリュウの館で療養することを連絡した。


「ロウ。後は全部君に任せるよ。荘園からあがる利益も、この館も、君が思うようにしてくれてかまわない。よろしく頼むよ」

「メンドクセェこと全部おしつける気かよ。……まあそれはともかく。エイランに会ってやってくれないか。いつまでも食欲が戻らないんだ」

 リュウは、驚いたように目を開けて。淡く、微笑んだ。

「うん。わかった。……それも君に任せようかと思ったんだけどね」

「ばかやろう、これ以上逃げるなよ。あいつとのこと、いい加減にしてるとフウリン姫に見放されるぞ」

「それは困るな。そうか、そういえば仲良しだったね」

 リュウは、困ったように眉を寄せた。そっちのほうが効くのか。重症だな。

「エイランに、今日の午後に行くと伝えていてほしい」

「わかった」


 話を聞いたエイランは、動揺した。凍りついたように同じだった表情に、生気が戻る。勢いよく起きあがると、寝間着のままの自分を見た。

「リュウが、くるなら、着替えたい。お風呂も入りたい、けど……」

 エイランは、顔を曇らせた。まだやつれがひどくて、長い時間立ったりしていない。体力が奪われたのに加えて、ここ数日でいろいろありすぎて、心も日頃とは程遠く弱っている。揺れる舟にのっているようなものだ。しばらく、回復には時間がかかるだろう。


「まだ無理そうだな。ばあやさんか他のメイドに体を拭いてもらえばいいよ。言っておいてやる」

 体を拭く〜とか言っていたらよからぬ想像が浮かんできそうだったので、他の細々とした用事を口実に部屋を出た。頭を冷やしてからもう一度顔を出したら、その間にエイランは見違えるように小ざっぱりしていた。脳裏に先程想像したハダカが浮かんで困る。疲れたのか気だるげに横になったエイランは色気が滴るようで。

 俺は早々に退散した。


 リュウとの会話が、あけっぱなしの扉の向こうから聞こえてきた。

「……リュウ」

「エイラン、ごめんね」

 鼻をすする音。リュウが、場所を変えたのか。寝台が軋んだ。

「ごめんね。君のことも、大事に思ってるんだよ」

「ほんと?」

「うん。妹みたいだと、ずっと思ってた。フウリンに出会う前は、君と結婚して穏やかに過ごすんだろうなって思ってた。それは、僕にとって良い未来のひとつだったんだ」

「ありがとう。……残念だけど。……幸せに、なってね」

「うん。……ごめん」

「フウリンを、よろしくね。わたしの、はじめての女の子の友だちだから」

「うん。まかせといて」

 

 リュウは穏やかな顔をして、エイランの寝所から出てきた。そういえばエイラン相手にはよくこういう顔をしていたな。

 俺は気分を楽にする効果のある香草のお茶をいれると、エイランの部屋をノックした。エイランは涙で濡れた頬で笑った。

「リュウの前では、泣かなかったよ」

「ああ。……リュウも、優しい顔をしてた」

 寝室に、香草の香りがふわりと広がる。俺はいつものように寝台の端に腰掛けると、エイランをそっと抱き寄せた。



 三日はすぐに過ぎ去り、リュウは旅立っていった。

 約束の日、沖の孤島までいく舟の中でふと聞いた。

「フウリンのどこがそんなに好きなんだ?」

「うん?ぜんぶ? 小さな仕草も笑った顔も、ぜんぶ大好きだよ。フウリンがいると世界が明るくなるんだ」

 にこやかな笑顔で堂々と惚気られた。

「……そうか。いや、聞いた俺がバカだったよ」

 舟は、洞窟の入口に着いた。ここから先は、リュウ一人で行かなければならない。

「健闘を祈る」

「うん。行ってきます。……僕たちが帰ってくるまでに、しっかりエイランを捕まえといてね? ほかの男が攫っていってたら笑うよ」

「うるせぇ、とっとと行ってきやがれっ」

 どの口が言うんだ。殴ってやろうか。まったく。

「あはは。じゃあね」

 リュウは飄々と奥に歩いていった。その姿が闇に飲まれるまで見送ってから、舟をこぎ、俺は陸地に帰った。


 その日、エイランは泣き続けた。

 やっぱり一発殴っておくべきだったか。

 俺にできるのは、傍にいてやることくらいだった。


  ※



 そして一年が経った。

 エイランは時折ひとりで浜辺で泣いていたが、また笑うようになった。

 ふたりで、ばあやさんにつくってもらったお弁当を持ってあちこちへ出かけた。ふとした拍子に遠い目をして、エイランはせつなげに微笑んだ。

 子犬のように愛らしかった幼さは姿をひそめ、しっとりと微笑みを浮かべるエイランに、色目を使うやつも増えてきた。この間の夜会ではリュウの義弟(おとうと)に絡まれていた。リュウにそっくりな腹黒若様め。

 花びらが、どこからか飛ばされて舞ってきた。

「また、花まつりの季節ね」

 手のひらで受け止めて、エイランはふわりと微笑む。

「リュウ、どうしてるのかな。二人に会いたいね」

 ざあっと花を舞い上がらせる風が吹いた。

 色とりどりの花びらと、それを目を輝かせて見るエイランは綺麗で…………、

  俺は、腹を決めた。

「エイラン。好きだ」

 エイランが、目を丸くしてこちらを振り返る。

「俺じゃ、あいつの替りにはなれないけど。おまえのそばにいたい。俺じゃ、ダメかな?」

 エイランの目に、涙が盛りあがる。エイランは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。泣きながら、首を振る。俺は思わずだきしめた。


「こわ、かったの。ロウにも、妹みたいだよっていわれたらどうしようって」

 ああ。そんなこともあったな。気づかないうちに、そんな風に悩ませてたのか。悪かったな。もっと早く、伝えてればよかった。

「ロウ」

 エイランが、顔を上げる。まっすぐに見つめられて、ドキドキした。顔が赤くなりそうだ。いやもうなってるか。のぼせすぎて、わけが分からない。


「いつも、つらいときも楽しい時も傍にいてくれてありがとう。いつからだったかわからないけど、ロウがいないと楽しくないわたしがいて……好きに、なってたみたい。リュウとね、いるときは、舞い上がってて、ふわふわ浮いてるみたいだったの」

 少し懐かしそうに遠くに目をやり、それからもう一度、俺をまっすぐ見た。

「ロウといると、とても素直に、笑えるの。地に足をつけて、一緒に立っていられる。だから、これからもいっしょに過ごせるとうれしい、です」

 涙でぐちゃぐちゃなのに嬉しそうに、エイランははにかんで言った。


 俺は言葉もなく抱きしめた。今までのように抑えた優しい抱擁ではなくて、気持ちのこもった、荒々しいものになってしまった。なのにエイランはうれしそうにくすくす笑った。

「ロウ。くるしいよ」

「エイラン。好きだよ」

「……わたしも。大好きよ、ロウ」

 俺はエイランの頬を両手で包むと、そのままくちづけた。



 その日の夜、リュウがフウリンを連れて帰ってきやがった。

 エイランは泣きながらリュウに抱きついた。桜色の頬をした、健康そうになったフウリンにまた泣いてだきしめていた。

 二人の女の子が友情の再確認をしている間に、俺は低い声でリュウにだけ聞こえるようにうめいた。

「見てたな……ぜったいなんかで見て機会を待ってただろう!」

「いやーロウ君奥手すぎるよ。どう見たってエイランだってきみのこと意識してたのにさ。もうさっさと言ってしまえとやきもきしてたんだよ」

「俺はお前みたいに手が早くねえだけだっ。帰れるんならとっとと帰ってこい!」

「いやー……。まあ目覚めたのは最近なんだけどさ。君たち二人には笑顔で迎えて欲しかったからさ」

 僕達が帰ってきてややこしいことになったら困るでしょ。君が逃げかねない。

 そう言いたげな顔がムカついて、軽く腹に拳をお見舞いした。

「……っ。ひどいなあ、もう」

「さんっざんにエイランを泣かせたお礼だありがたく受け取れ」

「これ以上は遠慮するよ」

 エイランが、俺のところに帰ってきた、はにかみながら俺の腕を取る。目が合うと、俺ににこりと笑った。

「よかったね」

「ああ」

 そして、満面の笑顔で二人に言った。

「おかえり! ……おめでとう」

 風が運んできた花びらが、皆を祝福するように舞っていた。






読んでいただいてありがとうございました。

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