精霊王の娘
リュウは、フウリンのそばを離れなかった。すぐに馬車を手配させると、フウリンと二人海辺の別館へ帰っていった。俺とエイランはすぐ後を追った。いちおう、家の方に戻らないのか聞いた。が、エイランは、わたしもフウリンが心配だから、と夜会の服装のままリュウの館にかけつけた。
フウリンは、彼女の部屋となった客間で、青ざめて横たわっていた。今にも消えそうなほど、何と言えばいいのかーー存在感が希薄だった。リュウが、ここにつなぎとめるかのように、その手をしっかりと握っていた。
エイランはばあやさんに捕まって、何やらお説教されながら彼女の私物がおいてある部屋に連れていかれていた。夜会用の盛装を改めるらしい。
俺は、静かに部屋に入った。
「……リュウ」
「……医者は、異常ないって。衰弱しているだけだというんだ。ちゃんと食べてたかって。ここにきてからは毎日しっかり食べてたって言ったんだけど」
「まだ、目覚めないのか」
「ーーこのままなんて嫌だ! 嫌だ。嫌だ。嫌だっ」
リュウは、両手でフウリンの手を握りしめた。涙を、こぼして、祈るようにフウリンに囁いた。
「君がいなきゃダメだよ。かえってきて、フウリン」
その声が届いたのか。フウリンが不意に身じろぎした。
「あ……」
かすかに聞こえた声に、リュウはとびおきた。
「フウリン⁉ 目覚めたのか?」
「あ……リュウ?」
月明かりに照らされたフウリンの肌は、気がついたというのに青白いままで、このまま消えてしまいそうな感じは払拭できてない。
フウリンは首を傾げた。
「夜会……」
「君は倒れたんだ。…体調は、どう?」
「あ…………」
フウリンは、自分の手をみつめた。
「フウリン?」
そのまま、ぽつりとつぶやく。
「……じかんぎれ。きた」
フウリンは、リュウをみて微笑んだ。笑顔なのに、泣いているようだった。
「リュウ。いままで、ありがとう。…………さよな、っ!」
「ダメだ!」
とっさに、リュウはフウリンを抱きしめて言葉を封じた。普段着に着替えて夜会用の化粧もおとしたエイランが、かけつけた。二人の様子に息を呑む。リュウとフウリンには、俺たちの姿は目に入ってないようだった。エイランは俺の腕を握り、目で俺に聞いてきた。俺もよくわからないと首を振った。
「ダメだ、行かせない。どこへも行くなっ」
「リュウ」
「どうしてなんだ。時間切れって、何の」
「……リュウ」
フウリンが、困ったように首をかしげる。
「たのむ、教えてくれ。君を失いたくないんだ。そのためなら何でもするよ」
リュウは言い募った。フウリンは迷っていたが、きゅっとこぶしを握ると、リュウを見あげた。
「…………マホウが、解けるの。人化の、魔法。わたしの、さいごの、魔法」
「……っ?」
「解けたら、消える。魔力を使い尽くして」
「フウリン、君は一体……」
フウリンは、せつなげに微笑んだ。
「わたしは、精霊。先祖返りの半精霊、のようなもの。家系の事情で、普通の精霊ほどは、長生き、出来ない。遠い昔にまじった人の血が、精霊の私、受け止めらなくなる。ずっとずっと、海の宮殿の、お父様の結界、守られて、ひっそりと生きてきた、の」
フウリンは遠い目をして言った。
「でも、このまま生きて、消えていくの、しんどい。だから、でてきた。結界のほころび、抜け出してきた。魔法で人に、なった」
そしてフウリンはにこりと笑った。本当に幸せそうな笑顔だった。
「でてきてよかった。いろいろなものが、いっぱいあった。楽しかった。リュウも、エイランも、ロウさんもばあやさんもみんな、だいすき。今まで生きてきた時間ぜんぶあわせても、ここで過ごした時間にはかなわない。だから、ありがとう。……ごめん、ね?」
フウリンはリュウの顔をうかがう。リュウはぽろぽろと泣きながらフウリンにすがった。
「イヤだ! 消えるなんて……ダメだよ、フウリン。僕の命をあげたっていい。何か、何かないの」
少し目を見開いて、迷うように、フウリンはうつむいた。
「…………ひとつ、だけ」
ーーと。耳が割れるような激しい音が響いた。
この部屋の、海に面した窓硝子が全て、砕け散っていた。
窓枠をするりとすり抜けて現れたのは、とてつもない威圧感のある壮年の美丈夫だった。青い髪が、宙に浮かんだ姿が、人ではない事を威示している。俺達は動けなかった。
「ならぬ、風琳」
「……お父様」
「その男は衰弱したそなたに無理強いするであう。ならぬ」
男の指先から青い光が、フウリンの額へと吸い込まれて。フウリンは、ふっと目をとじた。男がフウリンを抱き上げる。そしてフウリンの手を握るリュウに気づいた。虫けらを見るような目で見下ろす。リュウはそれでも気丈に、にらみ返した。
「…………何を、っ」
「さがれ、人の子よ。我が娘は眠りについただけだ。あと千年もすれば再び目覚めるであろう」
そんなこともわからないのかと言いたげな冷徹な声だった。リュウの瞳に怒りが燃えた。
「…………ふ、ざけるなっ」
身震いをひとつして恐れを振り払うと、腹の底から振り絞るように叫ぶと、リュウは、男からフウリンの腕を奪い返した。
「そうやって閉じ込めて、彼女からまた全てを奪うのかっ。フウリンは今生きたいんだ。消えることすら、厭っていないっ。その気持ちを汲みもせず、何が親だ」
男は激しい怒りの表情を浮かべた。
「控えろ、人の子風情がっ!」
青い、大きな光のーー水の、玉がリュウを襲う。
「……っ」
「だめっ」
俺の横を、小柄な影が駆け抜けた。
エイランが、リュウの前に滑り込んで代わりに攻撃を受けた。
「きゃあああっ」
「エイラン!」
恐怖も忘れ俺は駆け寄る。リュウは悲痛に叫ぶが、フウリンの手は離さない。男に半ば抱えられながら、フウリンが身じろぎした。眠気にあらがうように眉根を寄せる。目が、開く。
「エイラン、傷つけないで……っ」
リュウの手を握り返す。
「眠り、いらない、リュウと、いる」
「…………っ、目覚める、筈がないっ」
男は息を呑んでフウリンを凝視した。
突然、窓の向こうから声が聞こえた。
「ーーー水の精霊王。そのあたりにしてさしあげたら?」
女性の、声。 するりと姿を表したのは、銀色の髪をしたフウリンによく似た女性だった。水の精霊王とよばれた男ほどの威圧感はないが、圧倒的な存在感は同格だ。自然と動きが止まり、彼女に注目する。
フウリンと水の精霊王が同時に呟いた。
「お母様……」
「風の……っ」
風の君は、穏やかながら有無をいわさない口調で水の精霊王に告げる。
「あなたはその子を掌中の珠と大事に守りすぎだわ。これからはもう一人の親である、わたくしに見守らせてくださらないかしら」
にっこりと笑った笑顔が、怖い。水の精霊王はふてくされたように返答した。
「我とて遠方より見守ることなど容易い」
「なら、問題ないわね」
にっこりにっこり。笑顔が、さらに深くなる。
「お父様……」
風の君と娘に見つめられた精霊王は眉根を寄せ、歯を食いしばり、そしてため息をついた。
「……よかろう。そなたは人としての短い生を選ぶのだな」
フウリンはぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとう、お父様!」
「だが癒しは必要だ、風琳。三日後に起こしてやろう。今は眠れ。……男。三日後に沖の孤島に干潮時のみ現れる洞窟の最奥にある、『海王門』をあける。この娘を生涯背負う覚悟があるなら、一人で来い」
フウリンは、不安そうにリュウを見る。リュウは安心させるように笑った。
「リュウ……」
「待ってて、フウリン。必ず行くよ」
そしてフウリンの手にそっとくちづけると、そっと手を放した。
フウリンはゆっくり目を閉じた。
ふん、と鼻を鳴らすと、水の精霊王はフウリンを抱え 、窓の外へと去っていった。