取引2
「……は?」
敬意も忘れて訝しげな表情を浮かべた私に、フィニくんは手を離しながら笑った。
「だから、お姉サマはヴィクトリアを乗りこなしたいんでしょ?俺が交渉してあげる」
こ、交渉って……まさかヴィクトリアに?確かにヴィクトリアは面食いかもしれないけど。……動物と話が出来るとでも言うつもりなんだろうか?
「その代わりにお姉サマは俺に協力して欲しい」
「協力?私がホリート様の役にたてることなんて無いと思いますが」
無表情の私とは対照的に、人懐っこい笑みを浮かべるフィニくんは
「俺とジェシーの仲を取り持って欲しい」
とんでもないことを言ってきた。
取り持って欲しいということは……す、好きなんだろうかっ!? いや、それだとあまりに早すぎるだろう。まだ興味を持っている程度か…?どちらにしろ、フィニくんがジェシーに対して好意的なのは確かだ。
ジェシーに早くも春の気配だろうか。妹が好かれているのは姉としても嬉しい。
だがこの取引、断らせてもらおう。
「申し訳ありませんがお断りさせて頂きます」
出来るだけ気分を害さないように、誠意を込めて頭を下げる。
するとフィニくんは目を大きく見開いた。「なんで…?」とその目が語りかけてくる。
まさか、断られることを想定していなかったのか。
どう考えてもこの取引は私の分が悪い。
フィニくんはたった一度ヴィクトリアを説得すればいいのに対し、仲を取り持つということは二人が親密な関係になるまで半永久的に私は協力しなければならない。しかも動物との交渉が上手くいく可能性がどれ程なのかもわからない。
こんな不公平な取引を受け入れる人がどこにいるっていうんだ。
私が望むのは静かな生活!!それに……
「姉に裏で手を回し、籠絡していくような方に妹を任せられません」
フィニくんからは見えないと思うが、私は真っ直ぐに彼の瞳を見つめて言った。
人の手を借りるんじゃなくて、自分で正面からぶつかっていく。それくらいの気概を見せてくれる相手に妹を任せたい。
確かに、ジェシーの未来の相手候補の一人にはフィニくんもいる。私はジェシーの幸せな恋を応援してる。でも、私が「絶対この人!」って強要するのは違うと思うんだ。
「ですから…」
この件は無かったことに。そう言おうとして口を開きかけた瞬間、フィニくんに力強く腕を掴まれた。
突然の出来事に驚いて、思わず肩がビクリと跳ね上がる。いきなり何だ……と目の前のフィニくんを見つめるが、うつ向いているせいで表情が見えない。それよりも掴む力が強すぎじゃないだろうか?正直、痛い。
そう思って非難めいた視線を手の方へ向ける。すると、私の腕を掴んでいる手が微かに震えていることに気が付いた。
「……ホリート様?」
さすがに気になって遠慮がちに声をかけてみる。
まさか、突然熱を出したなんて言わないよね?つい昨日まで寝込んでたのにまた風邪をうつされるのは御免なんですが。
少し体をのけ反らせながら様子を見ていると、これまた急に顔を上げた。のけ反っておいて良かった、さもないと下から顎に強烈な頭突きを食らうところだった。
顔を上げたフィニくんの表情は先程までと違って引き締まって見えた。
あぁ、この顔は見覚えがある。確かゲームのイベント、フィニくん狙いのナイフを持った誘拐犯がデート中の二人を襲い、誤ってジェシーを切りつけてしまった時だ。傷は浅いから大丈夫だというジェシーの肩を掴み、真剣な表情で「次は絶対に守る。もうお前を危ない目に合わせたりしない」。そう誓うのだ。
今のこの状況がそのイベントに僅かに重なり、私は懐かしさに目を細めた。
これだ……。不器用で素直になれなくて、照れ屋で突っかかるような態度ばかり取ってきて……そしてどこまでも真っ直ぐに主人公を大切に想ってくれる。これこそが、私が夢中になったゲームの攻略対象者の一人──四銃士所属、竹刀を肩に掛けた姿がデフォルトのホリート財閥御曹司、フィニ・ホリートだ。
「……やっぱこんなん俺らしくねー!!」
頭をガシガシと掻きむしり、叫んだフィニくんは少しして落ち着くと、息をつきながらその場にしゃがみこんだ。
「俺さ、入学式ん時に初めてジェシーと会ってさ」
そしてそのまま何故か語りモードに入った。
これは、聞かなきゃいけないんだろうか?……いけないんだろうな。ここで突然逃げるのも変だし、それが原因で余計な恨みを買うのはごめんだ。
諦めた私はフィニくんと同じようにしゃがみこんだ。
「あの、騎士団の先輩いるじゃん……誰だっけ?名前出てこねぇ……えーっと~~……リバース先輩?」
それ絶対本人の前で言っちゃいけないやつだ。
四銃士が騎士団長の名前言えなくていいのか!?リバース…ん?いや、リヴァ……私までわからなくなったじゃんか。とにかく、騎士団長の家は社交界でもかなり上の立場なはずだけど……それでいいのかホリート家跡取り。
「あの人は結構能力とかに拘るじゃん?この学園だって完全実力主義っては言ってるけど、未だに家柄とか気にする奴もいるしよ。
でも俺はそーゆーのどーでもいいっつーか、能力高ければ、金持ってれば良い人間だってのは違うと思うんだ。ホリートの人間だから選択の余地もなくここに通ってるけど、自分に合ってねーなっていつも感じてた。
だから、ただの親切心で猫を助けてるジェシーを見た時、純粋に良い奴だなって思ったし気に入ったんだよ」
地面の土を眺めながらぽつりぽつりと溢される彼の呟きを聞きながら私は感心していた。貴族なのにそんな考えを持てることは凄いと思う。
「それで……テンションが上がっちゃったってか……授業放ってつれ回して」
その話題になった途端に声のボリュームが小さくなる。気まずそうにこちらをちらっと伺い、すぐに目線を反らすと大きなため息をついた。
あぁ、あの学校案内のことか。私がガエン先生にチクったやつ……ガエン先生、どら焼き……。
思い出して胸が痛くなったけれど、今はそれよりもフィニくんの話だ。そう自分に言い聞かせて、悲しみを奥の方へ押しやる。
「そ、それで?」
「……ガエン先生にめちゃくちゃ叱られて、ジェシーにも『私を退学させる気ですか!?もう関わらないでくださいっ!!』って涙目で言われて……一言謝りたかったけど、関わんなって言われてんのに俺から話しかけ辛くて」
おぉジェシー、正論だけど随分はっきり言ったね。私たちは良い成績を取る代わりに授業料を免除してもらっている身だし、退学なんて許されないから仕方ないんだけど。
でもこのままだとジェシーとフィニくんとの仲はどうなるんだろう?ゲーム中ではフィニくんの学校案内は全く問題にならなかったし、二人の仲が悪くなることもなかったから、私にはわからない。せめて謝る機会があれば。
そこまで考えて、突如 ハッと気が付いた。
もしかして……
「仲を取り持って欲しいって、まさか」
私の言葉にフィニくんは苦笑いで頷く。
「ジュリアさんはシスコンだから妹に近付く男を許さねーだろ?だからアンタに、話をする機会を作ってもらおうかと思ってたんだけど……」
「おやっ……け、けど?」
それくらいならお安いご用!と答えようとしてまさかの逆接が来たので噛んでしまった。
てっきり恋愛絡みの仲を取り持つだと思っていたのに、どうやら私の勘違いだったらしい。……恥ずかしい。
恋を手伝うのは無理でも、ジェシーを呼び出すぐらいなら協力してもいいかと思ったのに、どうしてだろう?と疑問に感じたが、フィニくんの顔つきがさっき私に頭突きを食らわそうとした時と同じような真剣なものになったことで悟った。
「アンタに言われて目覚めた。人使うような回りくどいやり方、俺らしくねぇ」
決めたんだ……フィニくんは、自力で頑張ると。
立ち上がり頭の後ろで手を組んだフィニくんが、やっと彼らしい屈託のない笑みを浮かべた。
それに釣られてか、私の頬も自然と緩む。一件落着ってところかな?良かった良かった。
でもそうなると一つだけ、謎な所がまだ残っているのだけど。
「おかげですっきりしたよ。最初っからジュナイトなんかじゃなくアンタに相談しとけば良かったな」
「……ジュナイト?」
聞いたことのない名前がフィニくんの口から飛び出した。……待てよ。本当に?本当に聞いたことが無い?
頭をフル回転させて考えてみるけれど、全然出てこない。まるで黒い靄のようなものが邪魔をしているみたいに。
「ジュナイトは俺の先輩だよ。俺がアンタに仲介を頼もうかと思ってた時に『年上の女には年下らしくない色気で迫れば簡単にオチる』ってアドバイスをくれた奴」
これで謎が解決した。どうしてフィニくんはキャラじゃないのにあんな真似 (壁ドン)したんだろうって思ってたいたけれど、そいつのせいだったのか。
ジュナイトさん、まだ会ったこともないけど既に微妙な印象だ。相談相手を落としてどうする。フィニくんもそれを鵜呑みにしないで…おかしいことに気付いて……。真っ直ぐで純粋なキャラだけにその人の悪影響が若干心配だ。
ん~でもその女を軽く見たような言い回し、やっぱり何処かで覚えがあるような……思い出せないけど。あれだな、女は人類の宝だ と思っている副騎士団長とは真逆だな。
もう話が終わったらしいので、私も鞄を持って立ち上がる。ヴィクトリアとの仲は深められなかったけれどもう遅いし、帰らないとジュリアとジェシーが心配するだろうから。
フィニくんにお辞儀をしてから馬小屋を出ようとした。
「あ、待って……えーっと……ジーク?」
そこへ引き留める声が掛けられる。
ただ、ジークって誰だ。私はそんな男っぽい名前じゃないぞ。騎士団長のこともあるし、フィニくんはひょっとすると名前を覚えるのが苦手なのかもしれないな。面倒だからわざわざ訂正はしないけど。
「なんでしょうか」
「話聞いてくれた礼に、ヴィクトリアに交渉してやってもいいけど」
そう言ったフィニくんは親指でくいっとヴィクトリアの馬房を示す。
私は少しだけ考えて、やがてゆるゆると首を横に振った。
彼は自分で頑張ると決めたんだ。それなのに私だけ力を借りるなんて、それこそ公平な取引じゃない。私だって自力で頑張りたい。
「そっか!余計なこと言って悪かったな」
「いえ」
満足そうに笑ったフィニくんが私の肩に手を置いた。
「頑張れよジーク!!」
ホリート様も…とは怖じ気付いたせいで言えなかった。至近距離にコミュ障が発動してしまったらしい。代わりにしっかりと頷いておいた。
ジェシーは優しい子だから、きっと仲直り出来るよ。