取引
その日の放課後、私は家に帰る前に馬小屋へ向かった。
ルディー嬢とあんな約束をしてしまった手前、負けるわけにはいかない。負けた瞬間に私の平穏なスクールライフは終わりを告げる。だからこそ準備にも手を抜けないのだ。
私は馬小屋の入口付近に鞄を置き、辺りをキョロキョロと見回してから中に入る。
別に学園の生徒であれば馬小屋への出入りは制限されていない。乗馬前に自分のパートナーとなる馬のコンディションを確かめたり、心を通わせておきたいという人たちも多いから。
私もそのためにここへ来た。乗馬は騎手の腕前が重要なのはもちろんだけど、上級者同士のハイレベルな競争になればなるほど馬との絆が影響してくる。この学園は公平を期すために自分で飼っている愛馬の使用は禁止となっているため、こういった事前の行動が大事なのだ。馬を飼えない私たちからしたら嬉しい規則だけどね。
もしそんな場面を誰かに見られ、万が一にでもルディー嬢の耳に入ってしまったら……あぁ、見える。「抜け駆けなんてズルいわよ!」と叫ばれた挙げ句に「な、なんなら私も一緒に…」と付きまとわれる未来がはっきり見える。
嫌な想像を消すようにブンブンと頭を横に振り、中へ足を進める。テストの時に私に割り当てられていた馬は、確か24番だったはず。
それぞれの柵の前に掛けられた番号札を見ながら24番を探す。
21、22、23……24、この子か。と、番号札から顔をあげて馬を見た瞬間、私の表情筋は引き攣った。
美しい白い毛、すらりと長い足。それらを自慢するかのようにこちらを見下げる大きな態度。
最悪だ。負けられない勝負のパートナーが、よりにもよってヴィクトリアだなんて……。
馬だって生き物、もちろん人のように性格というものを持ち合わせている。穏やかで優しい馬もいれば、ヤンチャで我が儘な馬もいる。どの馬と合うかは人それぞれだが……。
ヴィクトリアを一言で言うと、問題児。
いや、優秀な馬ではあるんだよ。見た目も他の馬と比べてずば抜けて美しく、絵本の王子様が乗る白馬なんかにちょうど良さそう。
ただ、それ故に少し…かなり傲慢というか、ナルシストというか、人を見下してるというか。とにかく騎手としては扱いにくいことこの上ない馬だ。
まず、乗ることさえ大抵の人は許して貰えない。自分の認めた人しか背中に乗せたくないそうで。もし無理矢理乗ったとしても、全く言うことを聞いてくれない。過去にヴィクトリアに無理に乗った人が、校内にある一キロ離れた焼却炉まで連れていかれた話は有名である。
正直に言うと、怖い。
これまでヴィクトリアに当たってきた子を可哀想だと、他人事のように思ってきたけれど、いざ自分に回ってくるとその苦悩が痛いほどわかる。最近じゃヴィクトリアに当たった生徒は皆授業を何かしらの理由で欠席するのだが、痛いほどわかる!
あぁでも……勝てなきゃ終わる。粘着質のめんどくさい人に付きまとわれる。
………やるしかない。怖じ気づいたら敗けだ!
私はヴィクトリアの方へ一歩近付き、耳の穴を下に向けて後ろに耳を伏せているのを見て、三歩後ずさった。これは馬が攻撃しようとしたり威嚇している合図。危ない、殺される。
再度挑戦しようとするも、ヴィクトリアの瞳がじっと私を捉えていて動けない。迂闊に動いて騒がれたりしたら私の寿命が縮む。
恐らく、ヴィクトリアがただの問題児であったならば、デメリットが多すぎるために違うところに送られているはずだ。でも違う。ヴィクトリアは認めた騎手を背に乗せれば、どんな馬も敵わない名馬になる。
現に、騎士団長のアダル・リーヴァスはヴィクトリアに乗って歴代最速タイムを叩き出した。他の攻略対象者たちも乗れるそう。ジュリアは無理だったらしいけど。
……なんか目の前の馬がただ単に凄い面食いなんじゃないかと思えてきた。雌だし。そう考えると怯えていた自分までもが白々しく思えて、私は立ち上がり、もう一度ヴィクトリアへ近付いた。
「ねぇ、お願い。今回だけ協力してよ」
声をかけながら手を伸ばす。馬の頬に触れようと、柵の中へ手を差し入れようとしたその時
「バカじゃねーの!?」
突然横から手首を掴まれた。
驚いて視線を向けると、慌てて来たのか、僅かに息を弾ませ、額に汗を浮かべた人物と目が合った。
マズイ、どうしてこいつがここにいるんだ。
私は震える声で彼の名を呼んだ。
「フィニ……ホリート」
四銃士の一年生にしてジェシーのクラスメイト。
それに反応した彼は、キッと私を睨むと
「何しようとしてた」
まだ幼さの残る彼らしくない、恐ろしく低い声で呟いた。彼の手に力が入り、掴まれている私の手首が悲鳴をあげる。
「手を入れようとしてたよな?そんなことしたらどうなるかわかってんの」
「え、あの……とりあえず手…」
さすが一年生といえど、四銃士に選ばれるだけあって握力が強い。
あまりの痛みに思わず顔を歪めると、やれやれと言うように手を離してくれた。
「全く……気を付けてくださいね、お姉サマ」
赤くなった手首を擦りながらもムッとする。
私のことを"お姉様"と呼ぶのはジェシーだけだ。ジェシーの側にいる彼がそれを知っているのはわかるが、私は彼のお姉様になったつもりはない。それにどことなくその呼び方を馬鹿にしたような言い方に不機嫌になるのも無理はないはずだ。
私のそんな様子を悟ってか、フッと口角を上げたらフィニくんは、ヴィクトリアへ手を差し出した。
声をあげそうになったが、どうやら杞憂だったらしい。
私の時はさんざん威嚇してきたヴィクトリア自らフィニくんへ近寄り、その手に頬ずりをし始めた。何だこの差は。
「ちなみに俺だからこうだけど、お姉サマがやってたら確実に噛まれてたよ」
指全部持ってかれてたかもね と憎たらしく笑うフィニくんに多少のムカつきは感じるけれど、止めてくれたことには感謝する。利き手の指が全て無くなるなんて、想像しただけでゾッとする。
「ところで、何でお姉サマはここにいたの?」
ヴィクトリアと触れあいながらフィニくんが質問してきた。あれか、見せつけてるのか。先輩相手に敬語も使わないし……いや、貴族の坊っちゃんから敬語で話されても困るな。あとその呼び方止めてほしい。
「……次のテストのパートナーがヴィクトリアだったので」
「仲を深めようと?」
「まぁ……」
「ダメダメじゃん」
うっ……こいつ、はっきり言わなくても良いじゃないか。
私は馬小屋の壁に背中を付けるようにしてもたれかかる。私が美男子だったらヴィクトリアなんて……そもそも悩みの種 (ルディー嬢)自体抱えてないか。しかし残念ながら、性別というものは変えられない。……手術すれば変えられるけど、一回の乗馬勝負のために女を捨てたくない。
これで、ルディー嬢から逃れられる未来は無くなった。騒がしくなるであろう日常に若干の煩わしさを感じ、ふぅっとため息を吐き出した。
ふと、うつむいたまま足元を眺めていた私に、影が落ちた。顔を上げる前に耳のすぐ横の壁に、私より大きな手が置かれる。
まさか……。信じられずに視線だけ上げると、近い距離にフィニくんの整った顔がある。彼の両手は私を囲うように壁についていて……
いわゆる、前世で言うところの"壁ドン"だ。
全国の乙女の憧れ、強さや近さ、シチュエーションの好みは人によってバラバラなあの壁ドンだ。ちなみに私は横ではなく頭上に、手だけでなく肘までついて顔を覗き込まれるのが好きだ。
……何でフィニくんが私に?こういうのはジェシーにしに行ってください。
「ねぇ、お姉サマ」
うつ向く私に視線を合わせようとして、フィニくんが下から覗き込む。細められた瞳や口角の上がった唇から年下とは思えない色気を感じる。
……何だコレ。誰だこの人。私はこんなキャラ知らない。
ゲームのフィニ・ホリートという人物は、ジェシーに好かれたいが素直になれない、真っ直ぐで不器用な犬みたいなキャラだったのに。色気担当はもっと別にいたはずだ。
それともあれか、ジェシーの前では猫でも被ってたのか?
困惑する私を尻目に、耳に口を寄せたフィニくんはわざと吐息を混ぜてこう言ってきた。
「取引、しようよ」




