05 呪いを解く者かと問われましたが
あれ、いい匂いがする。
薄暗い部屋へ一歩足を踏み入れた途端、ハーブのような清涼感のある匂いが鼻腔をくすぐる。入ってすぐに目に入ったカーテンを跳ね除けると、うっすらと湿った空気が室内に立ち込めていた。
後ろ手で扉を閉じたリーアさんは、真顔でとんでもない事を言った。
「脱ぎなさい」
「え?」
目をぱちくりしていると、焦れたようにリーアさんはため息を吐いた。
「つべこべ言わずに脱ぎなさい!」
いきなりスカートのホックを外される。すとん、と足元にスカートが落ちた感触。
「ぎゃあ! 何するんですか!!」
ブラウスを引っ張って足を隠そうとするものの、当然隠せるわけがない。下に落ちたスカートに手を伸ばした時、ブラウスのボタンが音を立てて弾け飛んだ。
「ひゃああああ!!」
キャミソールが露わになり、慌ててブラウスを掻き合わせる。
「うるさいわね。その汚い服をさっさと脱いで!」
「汚くありません!」
「いいから言うことをお聞きなさい!」
魔法がくる!
そう思ったのに、リーアさんの取った行動は魔法よりも驚くべきものだった。
ひょいとわたしの身体を担ぎ上げる。歩いたのは数歩、止まったと思ったら、わたしの身体は宙に放り出された。
「っ!」
手足をばたつかせたけれど、掴むのは空ばかり。次の瞬間、わたしの身体はほどよく熱いお湯の中にいた。夢中になって手足をばたつかせているうちに、足が付くほどの深さだと気が付く。どうにか底に足を踏ん張り、体勢を整える。咳き込みながら顔にまとわり付いた髪を払いのけた。
「なっ、何するんですか!?」
放り込まれたのは、浴槽のようなところだった。銭湯の湯船くらいの大きさで、深さは胸くらいまで。だいたいプールと同じくらいだろう。
「あなたが服を脱がないのがいけないのよ」
やれやれと首を竦めるリーアさんに、むかっとなった。
「いきなり脱げなんて言われて、素直に脱ぐ人がどこにいるんですか!」
「まあいいわ。そこお風呂だから、さっさと身体をきれいになさい」
悔しいから、背を向けて立ち去ろうとするリーアさんに、思い切りお湯を掛けてやった。
ぐっしょりと濡れた制服から、くすんだ白いワンピースに袖を通した。まだ湿った長い髪を高い位置でお団子にしたところで、リーア……人を担いで投げるような人なんか、さん付けで呼ばない。で、リーアはつっけんどんな口調でこう訊ねた。
「……お前は何者?」
うわあ、怒ってる。美人に凄まれると怖い。
「何者と言われましても……」
どうやらわたしから目を離してはいけないらしく、リーアは濡れた服と髪のままだった。ちょうど手桶が目に入ったものだから、あまり考えもせず湯船のお湯を彼女に掛けてしまった。すると、ものの見事にリーアをびしょ濡れにしてしまった。
こういう時、魔法で濡れた服を乾かすとか、衣装替えをするとかできないのかと思ったけれど、しないところを見るとその手の魔法は無いのかもしれない。
「名前は?」
今度はごく普通の質問をされた。身構えていたのになんだか拍子抜けだ。
「くすもと、かづき、です」
「魔法の知識は」
きた! でも残念ながら、わたしの答えはたったひとつ。
「いいえ」
「呪いについての知識は?」
「ええと、丑三つ時に神社で藁人形に五寸釘を打つとかくらいしか」
「うしみつ? 藁人形?」
落胆したように眉間に皺を刻む。どうやらここでは、藁人形にこめる呪いは知られていないようだ。
「魔法も呪いも知らないとなると……間違いないわね」
リーアは、死んだ魚のような目をちらりと向けると、どろりと重たいため息を吐き出した。
何が間違いないのだろう。さっぱりわからない。
さっき言っていた、なんとか様の呪いと関係があるのだろう。なんとか様……レーなんとか様。駄目だ。カタカナの名前って慣れないせいか覚えられない。
ああもう、すっきりしない。
「呪いって、レーなんとか様に掛けられた、って言っていたものですか?」
「レーヴィットさま」
案の定、リーアはきちんと訂正してくれた。
「そう! そのレーヴィットさまです」
「下々の者が、気安く口にするではない」
自分は呼んだくせに……。とは思うけれど、言えません、怖くてそんなこと。
でもわかったことは、名前すら気軽に呼べないような人なんだということ。レーヴィットさまとやらは、結構身分が高いみたいだ。
「ああ……こんなはずではなかったのに」
リーアはわたしを頭のてっぺんからつま先まで視線で追うと、これまでにないくらい盛大かつ、悲壮なため息を吐き出した。
「もう!」
濡れた長い金髪を苛立ったようにぐしゃぐしゃにかき乱す。
「わたしが、このわたしが失敗するなど……どうしてこんな役立たずを召還してしまうなんて」
役立たず。
誰とは言わずとも、誰を指しているのかくらいわかる。
間違いなくわたし。わたしのことだよね……?