01 魔法少女は、人前で魔法が使えない
「あなたにピンキースター銀河を救って欲しいの!」
猫とうさぎを合わせたようなピンク色の小動物が、わたしの肩の上でくるんと長い尻尾を振った。どちらかといえば切羽詰った台詞にもかかわらず、子供みたいなアニメ声だからあまり危機感を感じない。
「魔法で恋の力を集めて。それがあなたの使命」
イチゴシロップみたいな澄んだ大きな瞳が、真剣な眼差しでわたしを見つめる。
この子は知っている。子供の頃大好きだったアニメ、魔法少女ピンキーポップのキャラクター、プリンセスピピ。
ピンキースター銀河を支配する宇宙人のお姫様で、銀河の危機を救うべく地球にやってきたという設定だ。恋の力を集めて、ピンキースター銀河の危機を救うべく、主人公は魔法で変身して活躍するというストーリーだ。
恋の力でどうやって銀河の危機を救えるのかは、今考えると疑問ではあるけれども……。
とにかく、どうやらわたしはアニメの主人公になった夢を見ているらしい。
「さあ佳月ちゃん、これを使って!」
尻尾をひと振りすると、何もない空中から魔法のステッキとコンパクト現れた。
「これは?」
両手でそれをキャッチしながら、一応訊ねる。もちろんプリンセスピピが次にどんな台詞を口にするかもわかってはいる。
「魔法のステッキよ。呪文を唱えて変身するの。恋の宝石を十個集めてね」
薔薇の花を模した魔法のステッキ。
そして、恋の宝石をはめ込む小さな薔薇を散りばめた魔法のコンパクト。
プリンセスピピは、わたしの肩に飛び乗ると、耳元でそっと囁いた。
「いい? 変身する時は絶対人に見つかっちゃ駄目だよ!」
わかっています。言われなくても。
魔法が使えるってことを秘密にする。主人公が物陰に隠れて魔法を使うシーンにずっと憧れていたのだから。
「プリンセスピピ、任せて!」
魔法のステッキを握りしめて、わたしは走り出した。
走った。走り回った。人がいないところを探して。なのに。
「ここも?!」
人気のない場所を探しているのに、なぜか必ず人がいる。
「次っ!」
負けない! 絶対に人がいない場所を探さなきゃ!
放課後の理科室、地学室、家庭科室、音楽室、情報処理室、特別教室棟の各階のトイレ。
学校でも人が居なさそうな場所を巡ったものの、全滅だった。
わたしは校舎を飛び出した。
「嘘っ、なんで?!」
今度こそ、ここならと思ったのに!
臭いと評判の体育館裏のトイレ、閑古鳥が鳴いているあまり、店員すらずっと奥に引っ込んでいる学校前のコンビニエンスストアにも。
「どうしてこんな時に限って、ひとりになれないのよお!」
これじゃ魔法が使えないよ。
力尽きたわたしは、地面に突っ伏した。
『……楠本』
どこからともなく声がする。それは聞き覚えがある男の人の声だった。
『楠本…………楠本』
誰だっけ? でも今はそんなの関係ない。しばらく知らん振りしていたけれど、『声』はかなりしつこかった。
『楠本、楠本、楠本』
ああ、もう!
『楠本、楠本、楠本、楠本、おい楠本!』
勢いよく起き上がると、『声』がする空に向かって叫んだ。
「うるさいな、ちょっと待っててよ。わたしは魔法が使いたいの! 変身したいの!」
叫んだ途端、目が覚めた。
「……楠本、教壇の真ん前で居眠りとはいい度胸だ」
「?」
目の前で仁王立ちになる物理教師であり担任の大川は、怒っているというよりは何故か半笑いの顔だった。
ひい……!
一気に眠気が吹き飛んだ。そして体中の血の気が引いた。
さっきまで握りしめていた魔法のステッキの代わりに、手の中にあるのは使い古したシャープペンだった。
黒板に描かれた物理方程式。半笑いの担任教師。手元を見下ろすと、ミミズがのたうち回ったような文字で書かれたノート。途中で力尽きたように途切れた文字は、もはや何を書こうとしていたのかわからない。
「楠本、顔を拭け」
「え?」
唐突な担任の指摘に目を瞬く。すると大川は人差し指で、自分の頬を指し示す。
「よだれ」
「え、わわ!」
慌てて手の甲で拭いつつ、制服のポケットからハンカチを取り出しさらに拭う。
「…………?」
背後からよからぬ気配を感じて振り返ると、クラスメイトたちの視線とぶつかる。やっぱりこちらも半数以上が半笑いだ。
そうだった、さっきまでの出来事。プリンセスピピがいて、わたしが魔法少女になって……。
きっと何か寝言を言っている。多分言ってるはず。夢の中で力いっぱい叫んでいた自覚はある。でも。
救いを求めるように顔を上げると、教壇に立つ大川と目が合った。すると、半笑いが大笑いに変わった。それでも一応堪えようとはしているらしく、身体をくの字に曲げて全身を震わせた。
消えてしまいたい……。
居た堪れなくなったわたしの頭上に、授業の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。