14 皇子様の教育係になりました
わたしが殿下くらいの時、何が楽しかったかな?
親と遊んだ時間より、保育園で遊んだ時間が圧倒的に多い。その中でも男の子にも人気があった遊びはなんだったけかな?
殿下に教育なんて無理だ。それに、せっかく幼児の姿なら、幼児の時にしかできない遊びはどうだろうと思ったわけです。
ほら、遊ぶのは子供の仕事だしね!
「……一体何を企んでいるんだ?」
殿下に「汚れてもいい、動きやすい格好をしてください」と頼んでみました。すると殿下は怪しみつつも、白いシャツと紺色の半ズボン姿で現れた。足元は白いソックスと、ピカピカな革靴。
私立学校の小学生みたいだな。白いシャツもきちんとアイロンかぁ。汚れたら落ちないかも。
「取り敢えず、靴と靴下脱いでください」
「何故だ」
「汚れるからです」
「足が汚れるぞ」
「洗えばいいじゃないですか」
「だったら靴を洗えばいいだろう」
「汚れが落ちないので、捨てるしかなくなります。足は洗えばきれいになるからいいじゃないですか。それに、土の上、気持ちいいですよ」
お見本として、上履きと靴下を脱いで見せる。
「……わかった」
滅茶苦茶嫌そうな顔をしつつも、殿下は素直に靴も靴下も脱いでくれた。なかなか素直なところもあるらしい。
「で、何を企んでいる?」
同じ質問をくり返すところをみると、本当に見当がつかないらしい。仕方がないな、と胸を反り返してニヤリとする。
「教育係らしいことをやってみようかと思いましてね」
「畑仕事でもするつもりか?」
「ハズレです」
はい。ここはリーアさん宅の敷地にある畑です。
今は使っていないそうで、好きにしていいと許可もいただきました。何に使うかは言っていないけれど。
「で、この水は何に使うんだ?」
「畑にぶちまけます」
はい、と水がなみなみ入ったバケツを手渡そうとしたけど、幼児には重たいよね……と思い直す。半分くらい溢してから渡そうとバケツを傾けるが。
「馬鹿にするな。それくらい持てるぞ」
「いえ、馬鹿にしているわけじゃ」
「いいから、渡せ」
高飛車な物言いだけど、幼児がお兄さんぶっているんだなと思えば微笑ましいかな?
「はいどうぞ」
にやける顔を懸命に堪えつつ、バケツを手渡す。すると意外にも重たいバケツをしっかりと持っている。
「殿下すごい! 力持ち!」
「これくらい……楽勝だ」
しかし、歩く姿はよたよたと頼りない。慌てて支えようとすると、触るなと言わんばかりに睨まれる。
「っ!」
「殿下!」
畑の土に足を取られたのと、やっぱりバケツら重たかったのだろう。ぐらりとよろめいて、殿下は派手に尻餅を着いてしまう。
「大丈夫ですか?!」
「…………ああ」
うう、大丈夫じゃなさそうだ。
当然バケツの水ももろ被り。お尻の下は、泥水でどろどろだ。
髪から水を滴らせた殿下は呆然としている。かなりショックだったみたい。
だよね……王子様がバケツの水を株って、泥まみれになることは、あんまりないだろうし。手助けしようと手を差し出しても、手を取ってくれない。ショックと羞恥心でそれどころではないようだ。
仕方がない。バケツを手に取ると、畑の真ん中に向かう。
「殿下ぁー、見ていてください!」
殿下がこちらに目を向けたのを確認すると、頭から一気に水を被る。季節が何かはわからないけど、水を浴びても気持ちがいい程度には暖かい。
「ひゃー気持ちいい」
「どうしてお前まで!」
バケツの水を被ったショックよりも、頭から水を被ったわたしの行動に驚いたみたいだ。弾かれたように駆け寄る殿下は、幼い顔に似合わない驚愕の表情を貼り付けている。
「いいんです。そのために『汚れてもいい、動きやすい格好』なんですから」
頬に貼り付いた髪を払い除けながら、足元の泥をどろどろにかき混ぜる。あ、ちなみにわたしは学校指定の半袖シャツと、紺色ジャージズボンです。
「今日は泥んこ遊びです! ほら殿下も!」
泥と戯れるわたしを見て、殿下は呆れたように溜め息を吐いた。
* * *
最初は傍観を決め込んでいた殿下も、しばらくすると興味がわいてきたらしい。結果として二人して泥人形になるまで遊んでしまった。
王子様といえども、やっぱり男の子だ。遊び方が豪快過ぎる。手足が多少泥んこになるくらいは想定していたけれど、殿下はそれを上回るやんちゃ振りを披露してくれた。
顔と髪は死守したものの、体操着は再起できるかわからないほど泥ぐちゃだ。殿下の方はといえば、最初に尻餅をついたところが一番汚れたくらいで、あとはささいな汚れくらい。なんだか不公平だ。
「何をなさっているのですか?!」
これだけ騒いでいたら気付かないはずがない。目を三角にしたリーアさんが、仁王立ちになって怒声を上げる。なかなかの迫力だ。
「クスモト! あなた、殿下になんてことを!」
「これは! 幼少時の教育でありまして」
「ご託はいいから、さっさと畑からあがってきなさい! さあ、殿下もです!」
殿下と目を合わせると、軽く首をすくめて悪戯小僧の顔を覗かせる。
「リーアに逆らうと、ろくな目に遭わないぞ」
うわ、こんな顔初めて見た。驚きと嬉しさが込み上げるのを自覚しながら、うんうんと無言で頷く。
それにしても、ちょっとやり過ぎたかも。
畑は水田のような有様で、泥に足を取られて上がるのがなかなか困難だ。身軽な殿下は、泥の上も何のその。すたすたと、わたしとの距離を離していく。
「で、殿下早いです……」
ひーこら言いながら泥の中を進む姿を見て、殿下はぶはっと笑う。
……なけなしのプライドが傷つきましたぞ。
ぶすっとしながらも泥の中から足を引き抜くのに苦労していると、目の前に小さな手が現れた。
「ほら、掴まれ」
驚いて顔を上げると、余裕の笑みを浮かべた殿下が、わたしに手を差し出していた。
「おかしい。わたしが泥遊びの指南役だったはずなのに……」
ぶつぶつ文句を言っていると、今度は強引に手を取られた。
「素直に負けを認めるんだな」
いえ、勝負するための泥遊びをしたわけではないのですが。
少々ムカつく余裕顔と、小さいくせに力強い手の感触。それに、ちょっと打ち解けてくれたような殿下の笑顔。
でもまあ。これだけのものが得られたなら、負けってことにしてあげてもいいかな。
「ま、負けました」
「それでよい」
うわ、もう、いい笑顔だ。やっぱり、ちょっと悔しいかもしれない!