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助けるということ

 彼女が指差したのは、未解読言語によってかかれた本だった。時々植物の挿絵がしてある本で、医学書にしては薄い。


「読めるのか?」

「読めるわ」


 この前までははぐらかしていたナーシャも、髪と同じ萌黄色の瞳をまっすぐとこちらに向けて頷いた。


「どうして、読めるんだ?」

「それは今必要な情報?」


 試すような口ぶりでナーシャは意地悪なことを聞く。何か理由が必要だ。彼女を納得させるだけの。


「薬の材料と作り方が書いてあるわ。それだけで今のあなたには十分でしょう?」


 たたみかけるように言って、口の端を釣り上げるようにして微笑むナーシャは、何故かアシュレイを待ってくれているようだった。

 それは予感だった。しかし確信でもあった。ナーシャはアシュレイが彼女の言葉に納得することを望んでいない。

 考えろ、と自分に言い聞かせた。確かに今必要なのは、ゲレイト病の治療薬に関する情報だけだ。その途中がどうであれ、治療薬の情報が確かなものならば構わない。


「そうか……。やっぱりなぜ読めるか聞かせてもらう」

「なぜ?」

「その情報が正しいかどうかの判断は、未解読言語を本当に読むことができるのかを判断することと同じだからだ」


 ナーシャの切れ長の目がすっと細くなり、口はきれいに両端がつりあがった。どうやら正解だったらしい。微笑んだ彼女はうなずいて、そして本を開いた。そのあとおもむろに紙とペンを取出し、さらさらと文字を書いていく。それはフォレスティアで使われている文字、つまりアシュレイの読める文字だった。


「話は長くなるから、翻訳しながら話すわ」


 そして彼女は、信じられないような話よ、と前置きして話し始めた。


「簡単に言えば、私には前世の記憶があるの」

「前世?」


 思わぬ話にアシュレイは眉をひそめる。他国の宗教ではそういう観念があるということを知識としては知っている。しかしフォレスティアの国民はあまり宗教には熱心ではなく、そういった考え方を否定するものも少なくない。


「私はかつて、リルカチエ共和国に住んでいたの。リルカチエが今は残っていないけれど、このフォレスティアの地に存在した国よ」

「リルカチエ……? 旧暦時代を生きてたっていうのか?」

「何をいまさら? だって未解読言語が読めるんだから、旧暦時代に生きてなきゃおかしいじゃない」


 肩をすくめてあっさりというナーシャに、ようやくアシュレイは彼女の主張の筋を理解した。つまり彼女は旧暦時代、この土地にあったリルカチエ共和国という国に住んでいて、その時の記憶があるから文字も読めるといいたいのだろう。たしかにそれは理にかなっている。前世の記憶というくだりを信じるのであれば、だが。


「じゃあこの本は、リルカチエの本なのか?」

「んーいや、これは隣の国の本。リルカチエはそんなに医術が秀でてた国じゃなかったから。でも、リルカチエの人間は、隣国の文字は勉強していたから、国民の七割が読めたの。だから翻訳する必要性を感じなかったみたいで、薬学生の教科書なのに、リルカチエの文字では書いてないの」


 ナーシャはそうやってアシュレイの質問に答えながらも手は止めずに、翻訳作業を進める。材料を書き終わり、薬の作り方に入ったようだ。


「リルカチエで出版されてたかどうかはわからないんじゃないのか?」

「いや、だってタイトルだけはリルカチエの共通語で書いてるもの。中身は違うけど」


 説明しながら本を開いて、表紙の文字と中身の文字を指されたが、アシュレイにはそのどちらもおなじものにしか見えない。


「文字は同じ。でも配列が違うの。文法と単語が少し違うから、解読といった観点ではかなり難しい書類でしょうね」


 アシュレイの疑問をくみ取ったかのようにナーシャは答え、そして、本をはらりとめくる。アシュレイは、今ナーシャに与えられた情報を必死に整理していた。

 ナーシャは前世の記憶を持っていて、それはリルカチエに住んでいた記憶だ。つまり彼女はリルカチエの文化を知っているし、旧暦時代の世界事情もある程度は知っていることになる。

 そして何より重要なのは、ナーシャの前世の時代よりも、医療が後退してしまっているということだ。彼女の時代には薬学生の教科書に載るくらいに手軽に作れる薬だったというのに、現在では治療法のちの字もないのだから。


「それで、あなたにこれから聞かれるであろうことを話すとね、私は当時かなりいろんな言語が読める子だったの。それに、魔道センスに関しては誰にも負けていなくて、今の父よりもはるかに優れていたの。そもそも時代とともに魔道も劣化して、世界のレベルが下がってるのね。たぶんエルアドルの崩壊も関係あるんでしょうけど。祈霊祭(きりょうさい)がなくなって、精霊が私たちを信頼してくれなくなったのね。だから当時の私は今の父よりもはるかにすぐれていたけれど、それでも私より優れている人も世界にはたくさんいたわ」

「エルアドル? 祈霊祭?」


 知らない単語を並べられて、アシュレイは混乱して思わず問い返す。ナーシャはふとペンをとめて、顔をあげた。その表情はどこか昔を懐かしむ祖母のような慈愛に満ちたものだった。


「かつてエルアドルという魔法大国があったの。そこの国は、国民のほとんどが魔力もちだったの。それも他国よりも群を抜いて優秀だったわ」

「国民のほとんどが……それはすごいな」


 現在フォレスティアで魔力を保持しているものは二割くらいのものである。このラグナシア全体でみても、三割くらいのものだろう。そこから考えると、エルアドルという国が魔法大国と呼ばれるのも納得できる。

 アシュレイが感心している間にも、ナーシャは思いついたようにペンを走らせる。


「そしてその国は最先端の魔道を持っていたから、たくさんの魔道書がエルアドル語で書かれたわ。当時私は魔力を持つものとして、エルアドルの魔道書を読まないわけにはいかなかった。だからほかの言葉は一般語彙程度しかなかったけれど、エルアドルはかなり専門的な単語も知っているの。そしてこのまえ、私はずっと探していた本のエルアドル語訳を見つけた」

「ずっと探していた本? この前読んでいた黒い棚の本か?」

「黒い、ああ、たんぽぽのお姫様か。あれは児童書。私が探してた本じゃない」


 そこまで話すと一度言葉を切り、ナーシャはペンを止めた。そして紙をスライドさせて、アシュレイのほうへよこした。そして話を続ける。


「私が探しているのは、死ぬ前に恋人が残してくれた私のための劇の脚本。それのリルカチエ語の原本を探してるの。私はそれを読む前に死んだから」


 萌木色の瞳に一瞬暗い闇が見えた気がした。それは暗澹としていて、アシュレイが触れていい類のものではない。どういう言葉をかけようか悩んだが、ナーシャはすぐに表情をとりつくろった。


「だから私は未解読言語を読めるの。そして、それが医学書の翻訳版。これをほかの研究所員に言うかどうかは任せるけど、それを作って発症者に飲ませられるかどうかは、あなたの人望次第じゃないかしら?」


 この時、アシュレイはすでにナーシャの話を信じきっている自分に気づいた。最初は疑っていたというのに、ナーシャの口から語られる旧暦時代の話に、心を躍らせていた。それだけ彼女の話にはリアリティがあり、つじつまもとおっている。

 アシュレイは一度目を閉じ、そして頭を下げた。

 

「ありがとう。この情報は、使わせてもらう」

「……そう。じゃあ急いだほうがいいわ。もう発症者が出ているなら、なおさら」


 アシュレイは顔をあげて、ナーシャを見た。一瞬、彼女が美しく見えた。それは外見的な美しさではなく、内面からあふれる生気のようなものだった。

 しかしそれはふと消え、代わりに外見的な美しさが目に留まる。整った顔立ちは、最初に出会った時と何かが違う。


「アシュレイ?」


 名前をよばれて、はっと我に返り、そしてアシュレイはうなずいた。


「もういく。ありがとう」


 そして踵を返し、図書館を出たところで、さきほどの違和感の正体に気づいた。

 慢性的に彼女から発せられていた倦怠感が、なかったのだ。

 彼女の整った顔立ちをどこかあいまいにしていたのはその倦怠感だった。しかしそれがなくなり、彼女は美しいものとして認識できるようになったのだ。

 何が彼女を変えたのかはわからない。

 しかし、彼女は確かに変わったのだった。


 





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