アシュレイ
むかしむかしあるところに、ひとりのおひめさまが住んでいました。
おひめさまはとてもとてもうつくしい人でした。
しかしながら、おひめさまはみんなにきらわれていました。
おひめさまのりょうしんさえもおひめさまをきらい、おひめさまを家のなかにとじこめていました。
なぜかって?
それは、おひめさまのかみの色が、世にもめずらしいみどり色だったからです。
いきものをつくった神さまであるナルトスさまもおどろいたことでしょう。
そのおひめさまは、そとにすらだしてもらえないことをかなしみました。
「ああ、たんぽぽのわたげのように、わたしもとんでいけたらいいのに」
おひめさまは自由がほしいとなげきました。
しかしとてもすばらしい才能をもっていたおひめさまは、なげくだけではなく、ただひたすらにどりょくしました。
そうしておひめさまが大人になったころ、わるい人たちが、おひめさまのすむ国にやってきました。
ひとびとはわるい人たちによってたべものや、すむところをうばわれてしまいました。
そこでおうさまはいいました。
「わるい人たちをおいだしたものには、なんでもすきなものをやろう」
それをきいたおひめさまはいいました。
「ではわたしがおいだしてみせます」
はじめ、おひめさまのことばをしんじるものはだれもいませんでした。
みどりのかみのおひめさまになにができるんだろう。みんなそんなふうにおもってあきれかえっていたのです。
しかしおひめさまは才能にめぐまれた人でした。また、きちんとどりょくもしていました。
ですから、かのじょは知恵と勇気をもって、わるい人たちをおいだしたのです。
ひとびとはよろこびました。そして、おひめさまにあやまりました。
おうさまもとてもよろこんで、おひめさまにいいました。
「おまえはなにがほしい? ほうせきか? めいよか?」
「いいえ」
おひめさまはいいました。
「自由がほしいのです」
おひめさまがそういうと、とつぜん、おひめさまのかみがかがやきはじめました。
めずらしいみどり色だったかみは、みごとな銀色にかわったのです。
そして、おひめさまのからだはふんわりとうかび、おしろのまどをくぐって、空へととびたちました。
空にふんわりとひろがる銀色のかみは、まるでふわふわのわたげのようでした。
たんぽぽのようにそらをまって、おひめさまは自由をてにいれたのです。
望むものを手に入れるには、何があっても努力し続けなさい。そうすれば、必ず望みは叶えられる。
――たんぽぽのお姫さまより抜粋。
コツコツとハイヒールの音が廊下に響いてくる。
この時間にこの廊下を通る女性は誰なのか。アシュレイは不思議に思って目を凝らした。
向こう側から歩いてきたのは、白衣にハイヒールをはいた女性で、アシュレイと同じ黒髪をそっけなく後ろでまとめていた。
「キャロルさん」
「あら、アシュレイ。おはよう」
「珍しいですね。あなたがモーガン様を放置して図書館だなんて」
研究にすべてを捧げていそうなこの女性は、モーガンがこの研究所に配属されて以来、彼の手足となり、研究所を駆け回っていた。
しかしモーガンは本だけは絶対に人にとりにいかせなかったため、キャロルが図書館を利用する時間は必然的に少なくなっていた。
「ナーシャさんを図書館に送り届けてきたのよ」
「ナーシャ? ああ、モーガン様の娘さんですね?」
「ええ。案内はいらないって言われちゃって。もし見かけて困っているようだったら、助けてあげてね」
キャロルはそれだけ言うと、再びハイヒールを鳴らして図書館とは反対の方へ歩いて行く。
「どうするかな……」
彼女は決定的な情報を伝え忘れている。アシュレイはナーシャという人物を見たことがないのだ。図書館は研究員に完全紹介制ではあるが、外部の利用が皆無というわけではない。
見知らぬ人物がいたとしても、職員に紹介された人物だという安心感があることもあり、特に気に留めることはないのだ。
キャロルに言われたことを放置しておいても、特に問題は起こらないだろう。しかしアシュレイはそういたことを放置しておける性格ではなかった。
少しでも他人に頼まれてしまうと、何がなんでもその頼みを遂行すべく全力をつくしたくなるのだ。もう少し器用にならなければ倒れるぞ、と仲間たちによく言われるが、アシュレイのこの性格はそう簡単に治るものではなかった。
「探すか」
そう決めたアシュレイは、とりあえず図書館の一階から順番に見ていくことにした。
ナーシャ・カルローンに関して知っていることは、あのモーガンの娘ということくらいだ。モーガンの娘なら魔道書に興味があるのだろうとあたりを付けてはいたが、それでも几帳面なアシュレイは全ての部屋をのぞいてみる。
一階、二階、三階とどんどん階数をあげていくが、なかなか見つからない。一般人の利用が少ないこの図書館では、一般人が中を歩いているだけで目立つものなのだが、それでもアシュレイはナーシャを見つけることはできなかった。
ついには五階にまであがり、館内を歩くのにアシュレイが疲れてきた時だった。
「――!」
どこかの部屋から人の声が聞こえてきた。
この階は魔道書よりも古文書が多い階で、未解読言語の資料もおいてある。解読されているものならともかく、未解読言語の本を見ようとする物好きは、アシュレイなどそれらを解読しようとしている研究員くらいなもので、ここで人の声がすることは非常に珍しいことだった。
声が聞こえたということは、ドアのない部屋だろう。
ただ壁で仕切ってあるだけの部屋で、ものぐさな研究員たちの使い勝手を重視して作られているため、普段から研究に使うような資料が置いてある部屋にかぎってドアがないのだ。
しかし、研究員の紹介制によるこの図書館の防犯は万全で、今までそういった貴重資料が盗まれたことはない。
もちろん、未解読言語の本などに価値を見出していない輩が多いのも理由の一つだとは思うが。
アシュレイは仕事柄、一番よく足を運ぶ部屋に来ていた。
この部屋に入ると、初めに目に入るのは、部屋を圧迫するような背の高い本棚たちである。しかもそれらは入り組んで並べられていて、一番奥にある一つだけ色の違う本棚を隠すようにしている。
この部屋のほとんどの本は、保存状態がよく、よほど手荒に扱わなければこわれる心配がないものだが、奥にある本棚の本は違う。
発見されたときにすでにもろくなっていて、扱いなれていない人が触ると、崩れてしまう危険性のあるものだ。
しかしその本棚にだけは、触れるなという警告文が貼ってあるため、常識的な人間であればそれに手を触れることはない。
そもそも、この部屋で一番最初に目につく本を少し開いてみれば、あまりに見慣れない言語に、たいていの人間は辟易するだろう。一般に出回っているものには現代語訳が載っているが、この部屋の言語は未解読であるゆえに、当然そういった翻訳文など存在しないのだ。
「誰もいないか……」
部屋を入り口付近から見回して、そうつぶやいた時だった。
はらり、とページをめくる乾いた音がした。
それは間違いなくこの静かな部屋から聞こえており、よく耳を澄ませてみると、一定のリズムを刻んでページをめくる音がする。
アシュレイはまさかと思いながらも、ゆっくりと部屋の奥へと進んでいく。
迷路のように並べられた本棚を潜り抜け、そして、一つだけ色の違う、黒い本棚の目の前に到着した。
最初に目に入ったのは、萌黄色の髪の少女だった。
少女は黒い本棚の前で何かを熱心に読んでいた。
それは薄い本だったが、絵のついている、解読資料としては貴重な本だった。
そして少女はその本のページを無造作にめくる。
「何に触っている!」
当初の目的などすべて忘れていた。
ただ、まじめなアシュレイは触れるなという警告文を無視して、素手で適当に本を扱う少女が許せなかった。
静かな図書館で上げた声は、思いのほかよく通り、少女の体を震わせる。
「触れるなと書いてあるだろ!」
収まらない怒りを少女にぶつけるように、さけんだ後、アシュレイは細心の注意を払って、少女から本を奪い返した。
手に取り慎重に本の様子を見ていくが、壊れたところはないようだ。
「どうして?」
「は?」
「どうして読んじゃいけないの?」
本の状態を確認することに忙しかったアシュレイは、少女の問いの意味を一瞬理解し損ねた。しかし、少女の読むという言葉の意味が、おそらくこの本に書かれている絵を見ることだと判断すればつじつまが合うことに気づき、アシュレイは言葉を返す。
「何を馬鹿なことを。この本は誰にも読めない。解読されてないからな。どこの言語かも分からない。お前は興味本位で触ったんだろうが、この言語の本は、ここエトワールでしか見つかってない。ラグナシア全体でも、貴重な一冊なんだ」
悪びれていないところを見ると、触るなと書いてあったのに気付かなかったのだろう。この少女は、この本をただ外国の言語で書かれた絵本ぐらいの感覚でぺらぺらとページをめくっていたに違いない。
「名前は? あたしはナーシャ」
「ナーシャ?」
アシュレイが少女に対して憤りを感じていると、少女はつまらなそうに自分の名を名乗った。
そして、勝気に微笑んでこちらを見据えてくる。
ナーシャと名乗る人物で、こういう態度をとってくるのは、間違いなくあのナーシャ・カルローンだろう。
モーガンの娘ということで、どうやら調子に乗っているらしい。しかし、それを表に出されれば、ただの一研究員であるアシュレイは彼女の言葉に従って、名乗らざるを得なかった。
「俺はアシュレイ。この図書館の研究員だ」
「へえ。研究員」
その声にどこか侮蔑の色すらも含んで、ナーシャはじっとアシュレイを見据えた。
そして、ナーシャの萌黄色の瞳にアシュレイの顔が写り込むくらい、ナーシャぐいと顔を近づけてくる。
形の良い唇の端があがり、萌木色の瞳が、挑戦的に輝いた。
「じゃあきっと後悔するわ。私から本を取り上げたことを、ね」