夜明けの空とスパゲッティ
僕は夜明けの空が好きだ。雲の合間から差し込む太陽光が無限に色彩を変化させ、雲の縁や、空全体のトーンを決めている。そのトーンは刻一刻と移ろってゆくので、あらゆる形式はそこに追いつけない。いわば夜明けの空はそれ自体であって、決して僕の言葉には規定されない。例えば絵画の印象派が追い求めたものは、こういうところにあるのだろうかと、ふと思う。もっとも、無理に言葉にしてしまえばこれだけのことだが、しかし実際に見ると、それはやはりなにか荘厳な光景なのだ。大自然には、人をやたらめったら素直にさせる効能があるのかもしれない。ぼんやり空を眺めていると、なんだか神様を信じたくなる。
そうして気の済むまで空を眺めたあと、僕は冷凍スパゲッティを温めることにした。腹が空いたのである。冷食は手間がかからないわりに美味しいので、気分が実生活に戻らない場合には、都合がいいことこの上ない。その日僕が選んだのはボロネーゼであった。指示された温め時間プラス三十秒というのが冷凍食品のコツであると、僕は固く信じている。その時もそうようにして温め、出来上がったものはなるほど、隅々まで熱が通っている。コツというのは実に偉大である。
ところが、レンジからアツアツを取り出し、包装を破きいざ実食、というところで、僕は大ポカをやらかした。落としてしまったのである。ボロネーゼは台所のマットへ着地し、汁をあちらこちらへ跳ねらかし、そうして二度と動かなかった。しばらくのあいだ、僕は呆然とそれを見つめていた。奇妙だった。ほんの数秒前までアツアツのホカホカだったスパゲッティは、もはやアツホカのスパゲッティではなかった。それはただの物体だった。惨めだった。なに、食べられる部分はまだ大いに残っているし、すこしくらい汚れたって気にすることはない、といくら理屈を考えたところで、無駄である。
僕はマットを丸め、物体をその丸みのなかに封じ込めると、そのままゴミ袋へぶち込んだ。食欲はもう湧かなかった。たかだかスパゲッティが、これほどまでの憂鬱を生じさせるとは、まったく驚きだった。スパゲッティに躓き、かつてスパゲッティだった物体によって、不吉な未来を予言されてしまったかのようである。こんなことは馬鹿げた空想で、スパゲッティなどなにほどのことはないと思ってみても、憂鬱は晴れない。点が線になり、線が空間を描くところまで進んでしまえば、あらゆる抵抗は無意味である。
その日、僕はまる一日沈んだ暗い気持ちで過ごし、そのままなにも食べずに眠りに就いた。
さて、その翌朝である。僕はまた夜明けの空を眺めていた。神様のことを思っていた。雲の合間に差し込む太陽光を見るともなく見ていた。不意に、つまり人生とはこんなものじゃないか、と思った。人間は、太陽そのものを裸眼で見続けることは駄目である。せいぜい、雲を突き抜けてきた光線を見るのが精一杯だ。人生というのもそれと同じで、雲の合間の太陽光を見て、それを人生だと納得するようなものなんじゃないか。夜明けの空は、人生の戯画なんじゃなかろうか。あらゆる形式を拒絶し、形式をそのなかへ包摂してしまう絶対的な虚無……無意味な美しさ……? そう考えると、僕は妙に寂しい気持ちになって、家の中へ突っ返した。同時に、わけのわからない反抗心がムクムクと芽生えてきた。
そうして昼間、僕は裸眼で太陽を直視したのである。




