Y君の話
小学生の頃、私がやっていた少年野球のチームの中にY君というのがいた
Y君は有名な国立大学に進学したが、学生時代の夏休みの帰省中に新聞配達のバイトをしていてバイクで事故を起こし亡くなったと、随分後になって人づてにきいた
その時、彼について思い浮かんだのは、彼と二人暮らしの母親がつくる麦茶がおいしかったことや、皆での食事会の際にごはんを8杯もおかわりした(Y君は痩せている)ことではなく、別のあることだった
私達はその日もいつも通り、放課後グラウンドで野球の練習をしていた
練習といっても監督が来るまでは皆サボって、雑に練習をするか、遊んでいるものもいるのだが、その時Y君は私の近くにいて
くしゃみをした、はずだった、と思う
ハークショヴィーン
くしゃみしたと同時に鼻から二すじの赤いヒモのようなものが出てきて地面に接地するギリギリのところで宙にぶら下がっていた
それまでもその後も決して見ることはない光景を目の当たりにした私と近くにいた友達は驚きのあまり身動きがとれなかったが、どうやら出血はしていないみたいだということはわかった
その1メートル強の赤いヒモは鼻水と血の混ざり合ったものであるらしく、その粘性により切れることなく宙に浮いていると理解できた
(大丈夫かコイツ...)と色んな意味で心配していたのだが、その間に散り散りに遊んでいたものたちが何事かと一斉に集まっており、鼻から赤いヒモを2本ぶら下げたY君の異様な姿に目を奪われていた
Y君は、しばし自分に起こったことを理解しようとしていたようだが、それよりも自分が注目されていることの方が重要だと考えたようだ
彼はその赤いヒモを左右に揺らし始めた
多くのものがそれに歓喜した
(それにしてもあの血はどこにあったんだ?
すでにそこにあったという事だろう
前の日に鼻血が出たのか、それにしてもあんな量がどこで待機していたのか、別にタンクでもあるのか?大丈夫かコイツ...)
などと私が心配している間にY君はすでにコツを掴んでいた
膝を少し曲げ、腰を落とし振り子のリズムに合わせ肩甲骨と首をうまくバランスをとりながら調整していた
(コイツ、初めてじゃないのか?)
振り子の大きさは徐々に大きくなり、Y君は獅子舞の如く勢いをまし、彼の頭の中なかでは
ドンドコドンドコドンドコドンドコ
と太鼓の音が鳴っているようであった
(離れたところからこれを見ても決して何が起こっているか理解できないだろうな、もし鳥がこれを見たらパニックになって電柱にぶつかるだろうな)などと考えていた刹那
Y君は極限まで大きくなった振り子の揺れに合わせ大きく右に振った
(まさか、そんな)
2本の赤いヒモはきれいな弧を描いた
一瞬の静寂があり、怒涛のような歓声が沸いた
Y君は上体を後に反らし、ボクサーがスウェイバックでパンチをかわすような姿勢で2本の赤いヒモを操り見事に一周させたのだ
それは曲芸がアートになった瞬間だった
さらにその後の振り子を安定させるフォローも冷静であり、私達は、さもオリンピックの競技を見ているかのような錯覚をおぼえ始めた
完全に脱力できていてモードに入ったY君は、さらに振り子の勢いを増していき再び大きく右に振った
しかし遠心力をコントロールできず2本の赤いヒモはY君の頭に引っかかり、顔面と上半身にでろーんとだらしなくへばりついた
Y君は2周目を成功させることはできなかったがその表情に落胆している様子はなく、1周成功させた喜びと満足感に満ちていた
私を含めた初め引き気味に見ていた者たちも最後には歓喜の輪に加わっていた
Y君がもし事故に遭わなければ、丁寧に人生を仕上げ、社会に貢献もし、偉大なことも成し遂げたかもしれない、母親を喜ばせる事も
ただ彼の短い人生のなかで残したこの事はおそらく世界中の誰もやったことのない事だとは言えるだろう




